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『ブータン 山の教室』監督:パオ・チョニン・ドルジ

cinema
04 /14 2021
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ブータン王国北部にある、標高4,800メートルのルナナ村の学校を舞台に描く人間ドラマ。自らの意思に反して都会からへき地の小学校に赴任した教師と、村人や子供たちとの交流を映し出す。


まずブータンの首都が中途半端な都会で、主人公のウゲンはずっとイヤホンしたまま。同居の祖母を鬱陶しがる今時の若者。教職課程を取ったもののやる気なく、クラブで友人と騒ぐ姿は日本と変わらないことに驚きました。役所に呼び出された時や、山の学校で先生やるときだけブータンの民族衣装を着るところがせめてもブータンらしさ。
主人公ウゲン、日本にごまんといそうな顔立ち(サッカーの香川似)で、オーストラリアで歌手になりたいと言っている。そんな彼がブータンで最も辺境の地であるルナナ村に転任するよう命じられ、オーストラリア行きのビザが下りるまでの辛抱と仕方なく承諾。1週間以上かけてようやくルナナ村に到着する。しかし電気も水道もない想像以上の僻地に、着くなり自分は無理だから帰ると言い出すヘタレ君。
ブータンで最も辺境にあるということは、世界で一番辺境の学校ということ、というセリフが出てきますが、確かにルナナ村までの道がすごすぎる。これは帰りたくても一人では絶対帰れない。地図で見ると、小さな国だし首都ティンプーがある県と赴任先のあるガサ県は県境を接しているにもかかわらず、辿り着くのに8日間かかる。バスの終着点ガサ(一応ここまでは携帯が使える)から1週間も野宿しながら、ひたすら山道を徒歩で行く。途中、何ヶ所かで標高と人口が文字で出るのですが、標高〇〇m人口3人とか、標高5500m人口0人とか。
目的地ルナナ村は標高4800m、人口50人位?生徒は10人足らず。住民はヤク飼いがほとんどの様子。
村人総出で出迎えの大歓迎。村の子供や村長が言う「先生は未来に触れることができる」という言葉。子供たちは学びたくて目がキラキラしている。
これ、日本のモンスターペアレントに苦労している若い教師が見たら、赴任したくなる人いるかも?と思うくらい、子供たちの教師に対する全面的な信頼感。村人たちの教師に対する敬意。やる気ゼロの主人公でさえも、教えることの喜びに目覚めます。
主人公ウゲン、歌の上手い若い女性セデュ、村まで案内してくれるミチェンはキャストですが、プロの役者ではなくこの映画で俳優デビューだそうです。それ以外、子供たちもみんな現地の子で、味のある村長は本当の村長なのかな?
現地の生活はヤクに支えられ、燃料もヤクの糞。村人全員が歌がうまい。というか娯楽は歌を歌うことくらいなのかもしれません。「ヤクに捧げる歌」というブータンを代表する民謡が繰り返し歌われるのですが、青い空、白い山々が聳える高地で歌われるその歌声が素晴らしく、内容は山やヤクに対する感謝、素朴な生活に満足する「幸せ」をその歌詞から感じます。
同時に片時もスマホ(携帯?)を手放せない都市の若者ウゲンはすでにブータン人の「幸せ」を失っているとも見えます。
美しく素朴なだけではない、ブータンの抱える現在の問題を描いた映画でした。村長はオーストラリアに行くというウゲンに「ブータンは世界一幸福な国と言われるが、若者たちはその幸福な国から出て行ってしまう」と嘆きます。

この映画を見て、『ラダック 懐かしい未来』(2019.9.11)という本を思い出しました。ヒマラヤの辺境インド、ラダックでの暮らしがとても環境循環型であり、相互協力的で、人間関係にストレスが少なく、先進国に比べ人々が幸福であると、この地に長年住んだ人類学者は確信します。しかし観光化により急激に資本化され、同時に人間関係も変容し、人々は自分たちの生活が遅れていると恥じるようになります。
人間の不幸とは比較から生じると思いました。
ネットやTVで他国の豊かな暮らしを知ったブータンの人々は、この先、どうなっていくのか?
一番心配なのは、可愛い学級委員長の女の子やあの村の子供たち、世界で公開されたこの映画によって注目され、そのことが彼らを不幸に導かないことを祈りたくなりました。




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tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。