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『ファシズムの教室』『まひるの月を追いかけて』『アーモンド』『82年生まれ、キム・ジヨン』

book
10 /23 2020
『ファシズムの教室』 田野大輔:著
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関西にある私立大学で10年にわたり実践されている体験学習「ファシズムの教室」に関する記録と考察。
文学部の田野大輔教授を総統と設定、250人もの大勢の学生にファシズムを体験させるロールプレイ授業。250人全員がお揃いの制服(白シャツ、Gパン)を着て、「ハイル、タノ!」と繰り返し叫び、共通の敵を「リア充」と設定、校庭にいる仲睦まじげなカップルに向かって「リア充爆発しろ!」と全員で糾弾。と言う異様な授業の記録。ふざけてて面白そうと図書館で借りてみたら、、至って真面目な本でした。
体験学習後の学生たちのレポートが興味深い。最初は恥ずかしいと思いつつ、あっさり集団への帰属意識を強め、制服を着ない者、集団行動を乱すもの、敵であるリア充に対して、憎しみすら感じるようになる。彼ら(制服を着ない者、カップル)はサクラだろうと知りつつも、学生たちは集団で敵を糾弾することに開放感や自由を感じ気分が高揚してきたことを報告しています。
本の前半はナチスドイツに関する解説です。ナチスドイツはヒトラーという独裁者が作り上げ、人々は虐げられ自由がないイメージを持ちますが、ヒトラーを熱狂的に支持し民主的な選挙で選んだのは国民であること。ヒトラーは身分の低い出身のため人々の気持ちを分かってくれると思われ、非常に人気があったこと。そこにユダヤ人という敵を設定、上からの命令で共通の敵を攻撃することに人々は高揚感や開放感を味わい、さらに「自由」すら味わっていたと解説しています。「独裁」が人々に「自由」をもたらすというのは矛盾しているようですが、自分で考えて責任を取らなくてもいい「責任からの解放」によって得られる自由な気分は非常にくせ者のようです。
 オリンピックやワールドカップの時に、人々の心は一つになり脳は快感を感じます。これと似たしくみが敵とみなした者を上からの命令で集団で糾弾する時にも働いているとしたら、、、非常に気味が悪い。日本の教育は「自分の意見を持つ」という教育をなぜかしないため、自分で考えるよりも命令される方が楽だと感じる人は他国よりも多いかもしれません。

現在の日本でも「ファシズムの危険は身近にいつもあるのだ」と著者は言います。ポピュリズムの危険や、現代日本で見られる様々な不寛容な空気について警鐘を鳴らし、その一例としてヘイトスピーチをあげています。
個人的にはヘイトスピーチも理解できないけれど、昨年の愛知トリエンナーレ騒ぎ、あれが謎でした。少女像をあちこちに置いてる団体に怒るのならまだ理解できます。しかしビエンナーレの企画は現代美術。現代美術というのは常識を離れる脳味噌の実験みたいなもんだと私は思っていたので、いきなり現実の政治的対立をそのまま当てはめ「許せ〜ん!」と中止まで求めるのが不思議でした。それに慰安婦像に怒ってるんなら、なおさらどんなもんか実物を見てみたいと思わないのか?そこも謎でした。
しかしこの件で一番めげたのは、最も身近な他人である夫が名古屋市長と同じ考えなこと。TVに向かって怒っている姿に思わず「あんたはネトウヨか!」と罵ってしまいました。夫はもともと保守的な人で朝日新聞が嫌いとか言ってますが、個人的には私よりよっぽど情があったりするんですね。ここが不思議なところで、一人一人は心優しいのに、国とか民族とか持ち出して敵を作りたがる男の多いことよ。ちなみにこういう時の夫はアホにしか見えません。
また、この本ではRADWIMPSの「HINOMARU」という曲のことを取り上げています。リーダーの野田洋次郎は朝ドラ「エール」でいい味出してますが、以前彼の曲が物議を醸したとのこと。試しに聞いてみましたが綺麗なメロディで私はいい曲だと思いました。作者の野田はこの抗議に対して「自分の国を好きと言って何が悪い」と言ったそうです。
何を隠そう、私は幼い頃から「日の丸」が大好きです。子供の頃、世界の国旗が載ってる百科事典の付録があり、この本は私のお気に入りでした。いろんな国の国旗をみては子供心に「日の丸ってさっぱりしてるのに(シンプルなのに)なんてかっこいいんだろう」と思っていました。祖父が祝日には必ず門柱に日の丸を掲げる人だったので、それを手伝っていたせいもあると思います。
野田は政治的背景からではなく、純粋に愛国心のようなものを現したかっただけと思います。著者はこの気持ちに理解を示しつつも現代の不寛容な流れに利用される危険を述べています。なんとなく分かります。私は日の丸のデザインが秀抜だと感じ好きなので国旗掲揚は個人的には抵抗ないものの、やらない人に罰則与えるのはおかしい。
愛国心というのは一人一人の心の中にあるもので、そういう心情的なものまで統制しようとしたら、ますますその人は日の丸が嫌いになっちゃうじゃん!そういうこと決めるセンスのない官僚(政治家?)は子供の頃、「北風と太陽」を読んでないのかしら?

今の時代は情報が多すぎるため、かえって単純に記号化してカテゴリー分けする人が多い気もします。右か左か、敵か味方か?「反日」という言葉を使う人はどういう意味で使っているのか?何が国益を損なうのか、どの条件を指して言ってるのか?それとも単に「お前の母ちゃんデベソ」くらいの意味なのか?
考え方でも文化でもいろいろあって、好みも違うし、時にはケンカにもなる。世の中ってそういうものだと思っていましたが、最近は気に入らないものを徹底的に排除しようとするのが気になります。生きていれば世の中は割り切れることばかりじゃないことは、誰でも知っていると思うのに、なぜそう(敵を排除)したいのか?まさかと思うけど、みんなPC使ってるうちに、脳味噌まで0と1しかない2元思考に毒されたってことはないでしょうね!?
もしかしたら「敵」が欲しいだけなのかな?と思う時もあります。
「敵」がいて、それに敵対するもの同士で一致団結するのは、団結の方法としては手っ取り早いし盛り上がりやすいです。昔のように地域や会社でまとまりにくい今の時代、どこかに所属したい気持ちは私もあります。不寛容な空気の背景にはストレスの多い社会もあると思います。だからと言って誰かを攻撃したり貶めることで団結するのは遠慮したい。
しかしどの国の政権も人々の不満を逸らすために「敵」を設定して利用します。ヘイトとかネトウヨの人ってある意味素直すぎる人なのかもしれません。
ただ怖いのはそれが社会全体の気分になってしまうとき。そのときは本当のファシズムが生まれる時なのだと思います。



『まひるの月を追いかけて』恩田陸:著
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映画『蜜蜂と遠雷』を観て、恩田陸の原作に興味を持ったところ、ちょうど家の片付けをしている姉から、どれでも持っていってと言われた本の中にこれを見つけもらって読んでみました。
まず、私がミステリーと勘違いをして読んでいたため、最後まで読んでの感想は「?」でした。
実は私は女流作家の小説は「なんだか分からん?」になってしまうケースが多いのです。ミステリーなら大丈夫なんですが、こういう恋愛?関係を描いたものは難しい……いえいえ映画でも人間ドラマが一番好きなんですよ、ホントに。ただなんというか女性作家特有の人間関係の距離感がうまく掴めないんです。自分には関心がない部分がフューチャーされるため、最終的にこの小説の最も大きな「答」、研吾が誰を愛していたのか?が分かる場面で、「え?それの何が問題なの?」とずっこけそうに。
読者にこの研吾という男がすっごく魅力的と思わせてくれないと、彼が誰を愛しているかに関心を持てないため、女たちの想いにノレなくて、モヤモヤしてしまいました。
しかしこの小説は奈良を旅するロード小説になっているため、その部分は楽しく読めました。
私は奈良には2度旅したことがあり、特に20歳の頃、友人とひたすら歩いたビンボー旅がとても印象的でしたので、奈良の風景を思い出しながら読みました。40年前の奈良は夜8時過ぎにはお店が皆閉まってしまい、夕飯を食べるところがなくて困ったことや、天理市は宗教団体一色の街で、そこだけ日本の中の異国のようでびっくりしたこと。そういえば奈良市内のビジネスホテルは他人と同室だったし、飛鳥の民宿も隣部屋の中年のおばさん連れと一緒に鍋をつつき、夜中までずっと楽しくおしゃべりしたこと。山の辺の道はどこで会ったのかも忘れたけれど、イケメンのお兄さんとずっと一緒に歩いたこと。考えて見ると、若い頃の貧乏旅行は行く先々で見知らぬ人と一期一会の旅だったことを思い出し、この数十年で日本人の人間関係って変わったなぁ〜と思い知らされました。ビジネスホテルで他人と同室って今じゃ考えられません。(当時としても謎で、もしかしてダブルブッキングだったのかも?)もちろん女子グループの旅では他人と関わることもなかったので、これはビンボー旅行限定の思い出です。若い頃の私は人見知りのくせに、行く先々で平気で他人と関わっていたなぁと懐かしく思い出し、旅に出たくなった1冊です。



『アーモンド』 ソン・ウォンピョン :著/矢島暁子:訳
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扁桃体が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができない十六歳の高校生、ユンジェ。そんな彼は、十五歳の誕生日に、目の前で祖母と母が通り魔に襲われたときも、ただ黙ってその光景を見つめているだけだった。母は感情がわからない息子に「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「悪」「欲」を丸暗記させることで、なんとか“普通の子”に見えるようにと訓練してきた。だが母は事件によって植物状態になり、ユンジェはひとりぼっちになってしまう。そんなとき現れたのが、もう一人の“怪物”、ゴニだった。激しい感情を持つその少年との出会いは、ユンジェの人生を大きく変えていく―。怪物と呼ばれた少年が愛によって変わるまで。(「BOOK」データベースより)

2020年本屋大賞翻訳小説部門第一位作品だそうです。
図書館で予約したものの、すっかり忘れた頃に順番が来ました。その時ちょうど人から同じく韓国のベストセラー「82年生まれ、キム・ジョン」を借りて読み始めたタイミング。韓国の映画はよく見るけれど小説読むの初めてなのに重なるなんてね。ひとまずそっちを置いて、図書館の方(アーモンド)を先に読みました。
これは中高生向けのYA(ヤングアダルト)って分類だと思われます。サラサラ〜と読みやすくすぐに読み終えました。
あらすじにある「目の前で通り魔」というのが韓国映画のグロ描写を思い出して心配しましたが、そこはまだ序盤で、この本で重点を置かれているのはあくまでも第2のモンスター少年「ゴニ」と主人公ユンジェの関係。
主人公ユンジェは脳内の扁桃体が人より生まれつき小さく、アレキシサイミヤ「失感情症」という病気の設定です。失感情症と言っても、感情がない訳ではなく、自分の感情の自覚がうまくできないらしいです。

この医学的説明をネットで調べてみると、幼い頃の自分は少々この傾向があったのではないだろうか?と思いました。
姉や兄は知らない場所に出かけると迷子になるのを恐れて母のスカートの裾をギュッと掴み離れなかったそうですが、私はあっという間に行方不明になり旅行先で旅館の人や他の客まで総動員で捜索されてしまったり、東京のデパートでいなくなるのはあまりに毎回なので、母はデパートに迷子の放送の依頼もしなくなったそうです。
この辺りは自分でも記憶がありますが、確かに大きい病院やデパートを散策するのが大好きでした。ひとりになっても不安とか恐怖は全くありませんでした。母のポッカリで幼稚園に入れ忘れられ、いきなり小学校で集団に放り込まれましたが、ニコニコしてる子で友達もすぐできました。ただしクラスの人間関係が読めず、授業中全く手もあげないクセに、帰りの反省会でボスっぽい子にケンカうったりしてた記憶があります。
しかしネットの医学書を読んで思い当たったのは、この症例の人は自分で精神的ストレスを自覚しづらいため、いきなり体に異常が出る場合がある、というところです。私は若い頃から人間関係であまり悩まないのですが、体に異変が出ることが時々あり、きっとストレスを抱えていたのだと思います。気になるのはこの傾向の人は短命な人が多いというところ。ちゃんとストレスを自覚するって大事なんですね。
今では友人のワンコが亡くなっても、もらい泣きするほど感情豊かになりました。人間て死ぬまで変化するもんだと感心します。
 この小説ですが、1章で祖母と母が消えた後は、ゴニ、陸上少女ドラ、保護者的存在シム博士とゴニの父ユン教授くらいしか登場人物はいません。最後に針金というこれぞ本物のモンスターな犯罪少年の暴力がきっかけで主人公に感情が生まれる辺りが、ちょっと引っかかりました。
もっとささやかな日常だったり、自然の美しさに突然気がついてもいい気もしたのですが、これがYAで、さらに著者は映映画界の人なことを考えると、やはり派手なクライマックスが見せ場としては必要だったのかなと思います。
文章は主人公の設定からしてエモーショナルにならず、現実を淡々と描写しているため映像的で読みやすいです。



『82年生まれ、キム・ジヨン』 チョ・ナムジュ:著/斎藤 真理子:訳/span>
Kim・John
世界中でベストセラーになった韓国の小説。
これは韓国だけでなく、様々な国の女性に思い当たる内容だと思います。
ただ私はこのキム・ジョンよりはるかに年上。一流企業は社員のお嫁さん候補として短大卒しか取らないような時代です。お茶汲み、お酌は当たり前、今の定義で見ればセクハラの嵐。我々世代の結婚の理想は三高。高身長、高学歴、高収入。お嬢様ブームで保守的。比べて姉はアラ古希ですが、こっちの方がウーマンリブとか学生運動に関わった世代のせいか社会的な意識が高く、我々の世代のことを保守的とか三無主義とか若い頃、けっこうバカにされました(笑)
さらに私自身は子供ができてからは、内職とパートをだらだらとやってきただけで、そもそも仕事にやりがいを求めてない意識低い女だったため、20才以上年下のキム・ジョン世代が子供ができて仕事をやめる辛さは、本当のところよく理解できていないと思います。
 ただ臨月のお腹で地下鉄で前に座った若い女性から罵られるシーンでは痛々しい気分になりました。日本でも与党の女性議員が性的虐待の被害者に対して「女はいくらでも嘘をつく」と言って問題になりましたが、男性からの無自覚の女性差別以上に、女性が女性をおとしめ攻撃する姿というのはなんでか、とてもイヤ〜な気分になります。
私自身は仕事に執着なく意識も低いかもしれませんが、仕事をしたい女性の足だけは引っ張らないようにしようと思ってきました。同時に家事や育児や介護や近所付き合いって、収入という意味では0円ですけど、誰かがやらねばならない労働には違いなく、おまけにやることはエンドレスで休日なし。だから専業主婦を見下すのも違うと思います。

この小説は読んでる最中は、、、キム・ジョンの夫は優しく収入も多く、彼女が辞めても生活はでき、子育ても家事も手伝うと言ってる。だったら気持ちを切り替えて、赤ん坊のいる生活を楽しんだらいいのに……と思っていました。
公園で隣のベンチにいるサラリーマンたちの言葉に深く傷つき、それをきっかけに人格が乖離してしまうのも、イマイチ「?」でした。
しかしこの本は最後の解説まで必ず読んでください。韓国の抱える男女間の問題の根深さに衝撃を受けました。キム・ジョンが衝撃を受ける言葉は「ママ虫」と訳され、そんなにひどい言葉という印象はなかったのですが、韓国でこの言葉の使われ方は非常に侮蔑的で、社会の害虫とでもいうひどい言葉だということ。
キム・ジョンの母世代の苦労はもうめまいがする程、凄まじいのですが、現代の女性差別はそれとは根本的に異なるということ。昔の女性差別とは違い、現代のそれは男の嫉妬とでもいうべき、女性に対する憎しみがあるということです。そこには韓国における「兵役」の問題が深く関わってきているそうです。
韓国男性は兵役の他にも、格差社会でストレスの多い生活を強いられている。赤ん坊と公園のベンチにいる女性にまで憎しみを感じてしまうなんて、どれだけ余裕のない生活をしているのか?こうなると男性たちも気の毒としか思えません。
結局差別とは差別する側も問題を抱えているのです。
私自身、非正規職員として公共施設でパートをしている時に、正職員の仕事ぶりがアゼンとするほど酷くて(メンタルに問題抱えてる公務員が送り込まれる場所だったため)非正規の1/3も働いていない人のお給料が5倍ってどゆこと!? と非正規おばちゃん同士で大ブーイング大会をやったものです。自分が非正規という弱い立場だから、他人(正職員)にも厳しくなっていて、彼らの抱える問題を無視していたのです。しかし本当の怒りの矛先は問題抱えた職員ではなく、同じ仕事を同一賃金にしない”しくみ”の方だったと今なら分かります。
韓国と日本は先進国の中でも幸福度が低いそうです。日本の30代の女性がこれを読んでいちいち頷けると思うと悲しくなります。
同時にこういう小説がベストセラーになったのには意味があると思います。
当たり前のことになってる問題に疑問を持たなければ、それでも世界は回っていく。でも誰かが「これはおかしい」と声を上げることで世界はその方向を軌道修正していくんだな、と思えました。



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『高慢と偏見とゾンビ』『わたしは、ダニエル・ブレイク』『マローボーン家の掟』『長いお別れ』『ホテル・ムンバイ』

cinema
10 /09 2020
最近、あまり映画を見ていません。
代わりにハマっているのは、「中田敦彦のYou Tube大学 」
お笑い芸人の中田敦彦さんが「エクストリーム授業」という、すごくざっくり流れを語る社会科の授業。
例えば「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教」をなんで同じ神様信じているのに仲悪いの?とか、なんで聖地が同じ場所なの?という素朴な疑問に答えてくれます。専門家から見たらとんでもないハショリ方なんでしょうが、とりあえず流れが分かるのと、さすがお笑い芸人、面白おかしく、ちょっと分かった気になれる楽しい講義です。元ネタ本も紹介してくれます。You Tube ってあまり見たことなかったけれど、なんでもあるんですね〜。高校生の頃、こんなのがあったら少しは歴史に興味持ったかなぁ?


『高慢と偏見とゾンビ』 監督:バー・スティアーズ
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18世紀のイギリスで、人々は次々ゾンビに感染。田舎貴族のベネット家のエリザベス(リリー・ジェームズ)ら5人姉妹はカンフーを駆使してゾンビと戦っていた。近所に越してきたロンドンの貴族ビングリーの舞踏会に招かれ、ビングリーと長女ジェーンは愛し合うようになり、その友人ダーシー(サム・ライリー)はヒロインエリザベスに一目惚れ。しかしエリザベスがダーシーを高慢な男と誤解し対立する。その頃、ゾンビは組織化され、ロンドン制服を目論んでいた。

ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」にゾンビとカンフーを合わせた、一見とんでも映画。
NHKのダークミステリーという番組で「ゾンビ」特集をしていて、ゾンビの誕生からその進化と変遷の90年を紹介していて、面白かったので、ゾンビ映画を見てみようと思ったものの、録画してあるのはこれだけ。
しかし見て見たら、意外に面白く、さらに意外や、ゾンビの部分よりも高慢と偏見のお話をちゃんと描いている部分が面白かったです。
このとんでも設定から、きっとチープな映画に違いないと思いきや、衣装もインテリアもきちんとしていて、ダウントンアビーにも負けてません(笑)

物語は「高慢と偏見」に忠実だと思います。(原作は読んでいませんが、'05の映画、エリザベスをキーラ・ナイトレイが演じた映画「プライドと偏見」と比較して)当時の女性には相続権がなく、娘ばかり5人の一家の母親は娘をお金持ちと結婚させることしか頭になく、娘達も結婚が一番の関心事である背景etc。そのため身内の男性と娘を結婚させ財産を守ろうとするのもダウントンアビーと一緒。ここで出てくるピントのずれた牧師が映画「プライドと偏見」でも笑える役でしたが、こういう人って、国と時代を超えて女子にモテないキャラの定番のようです。
噛まれてすぐゾンビにならないところがミソで、もしかしてこの人はもうゾンビになってるのでは?とハラハラさせる展開です。
リリー・ジェイムズは溌剌とした娘の役がよく合っていて、ビングリーは「メアリーの総て」のイケメン、ダグラス・ブースですが、時代物の似合う顔をしています。ダーシー役はサム・ライリー。黒髪でやや童顔、そういえば「プライドと偏見」のダーシーも黒髪だった?傲慢というよりも口下手な思春期の男子のように見えました。


『わたしは、ダニエル・ブレイク』監督 :ケン・ローチ(2016)
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59歳のダニエル(デイヴ・ジョーンズ)は、イギリス・ニューカッスルで大工の仕事に就いていたが、心臓の病でドクターストップがかかる。失職した彼は国の援助の手続きを進めようとするが、あまりにもややこしい制度を前に途方に暮れる。そんな中、ダニエルは二人の子供を持つシングルマザーのケイティと出会う。(シネマトゥデイ)

イギリスの名匠ケン・ローチ監督のカンヌ映画祭パルムドール受賞作。
ケン・ローチは昨年末に観た「家族を想う時」があまりにショックだったため、この名高い名作を見るのもためらっていましたが、民放地上波にてノーカット字幕でやっていたので、観てみました。
「家族を想う時」よりずっと心温まる部分が多くて救われました。決してハッピーエンドではないし、観ていて「家族…」と同じく理不尽に怒りも覚えましたが、それでも貧しいながらも人々の助け合いが心に残る映画でした。まず主人公ダニエルは妻を亡くし一人暮らしですが、隣人や、このドラマの中で関わってくる2人の子持ちのシングルマザー。役所の人にも優しい人もいます。
対して「家族…」の方は家族はお互い想いあってるものの、関わる人々が辛辣で、追い詰められ方が見ていてしんどくなってしまったのに比べると、主にダニエルを追い詰めるのは顔の見える人間というよりは、役所のシステムという気がしました。
だから「家族…」の時に感じた怒りというより、役所のシステムに対するイライラは感じましたが、反面、他人同士の関わり合いの中に救いが見えました。落書きや、ラストのケイティが読むメモの内容も、ある意味観客をスッキリさせてくれるので、「家族…」よりも後味が良かったです。
それにしてもさぁ、イギリスって大昔「ゆりかごから墓場まで」っていわれてましたが、いっそアメリカみたいに弱肉強食なら、まだ分かりやすいのですが、一見いろんな福祉システムがあるようで、実は機能してない!実態のない福祉を装ってる分、なんのために?という疑問で一杯になります。国民に向けて、我が国はこんなに福祉国家なんですよってポーズなのか?
これ見てて、今回のコロナの給付金が外国に比べて日本は面倒くさくて、すぐに降りないって話を思い出しました。この機能しない役所仕事ってなんなんだろう?それによってたくさんの雇用を生み出しているのなら、それはそれで意味があるってことなのかしら?どう考えていいのか?
日本の新しい政権は「自助」を真っ先に掲げています。それはそれで反対はしませんが、そのためにも公平でフェアな土台を整えほしいものです。


『マローボーン家の掟』監督 :セルヒオ・G・サンチェス
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見始めてから「あ、やだ、これホラー?」と、ビクビクしながら見てしまいましたが、ホラーというよりサスペンスですが、とても悲しいお話でした。
凶悪殺人犯の父を告発、イギリスから母の故郷のアメリカの田舎に逃れてきた一家。長男が21歳(兄弟の親権者になれる年齢?)まで兄弟を頼むと言い残して母は病気で亡くなります。
しかしその直後、凶悪な父が脱獄して追いかけてきて窓に銃弾ぶち込み、長女の悲鳴の場面から、その後の顛末が語られず、なぜか一転6ヶ月後に。

家中の鏡が隠され、妙な掟が作られているなか、不自由ながらも兄弟仲良く暮らしています。
この時点で、「おそらく兄弟は父を殺し、そのことを隠してひっそりと生きているんだな」と予想します。
長男ジャックだけが外へ買い物に行き、その都度図書館に勤めるアニーという恋人に会っています。このアニー演じるのは「スプリット」「ミスター・ガラス」などシャラマン監督作品でお馴染みのアニャ・テイラー=ジョイ。きりりとした童顔で、どこか日本のアニメ的美少女。
主人公の長男ジャックは弱っちそうながらも、弟妹を自分が守らなくては、という責任感強いタイプ。次男は隠遁生活に鬱憤を抱え、時に長男とぶつかるものの、肉体派の頼りになるタイプ。長女は末っ子サムの母親役。サムはみんなの愛情に注がれる可愛い末っ子。
家の権利を任せている街の弁護士がアニーに気があり、兄弟にとっては面倒な存在になります。
いろいろ不穏で不気味な展開はあるものの、グロいシーンはないため、ホラー苦手な人にも見られます。

やがて衝撃的な事実が分かり…
鏡を隠したのは…、兄弟の夢を夢見て、ハッと目覚めるのは、……ああ、なるほど。
意外といえば意外、よくあるといえばよくある。
悲しく切ないお話。でも愛は全てを癒す。暗〜い話ですが、ラストに救いがあります。


『長いお別れ』監督: 中野量太(2019)
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中島京子の実体験に基づく小説を、『湯を沸かすほどの熱い愛』などの中野量太監督が映画化。認知症の影響で徐々に記憶を失っていく父と、彼と向き合う家族を描く。
物語は2007年から始まり、父の認知症の症状の進行とともに、二人の娘の人生を並行して描いていきます。
2年おきぐらいの感覚で、姉妹それぞれのエピソードと、両親の老いと認知症の進行、亡くなるまでの7年間の家族のアルバムのような映画。
山崎努と松原智恵子の若い頃の写真が出てくるのですが、これ本人の写真なのかな?松原智恵子ってすごく可愛かったんですね。
山崎努は’80年ごろ、NHKの「ザ・商社」とか「価格破壊」とか和田勉が演出したドラマの主役が印象的で、ちょっと強面な主人公がカッコ良かったんです。
その山崎努がうん●ついたお尻も出して、とぼとぼ歩くお爺ちゃん!
蒼井優の次女はキッチンワゴン車を経営するも経営難で、スーパーの惣菜や、さらに恋人の母の食堂手伝ったり、いろいろ葛藤を抱えつつも料理人というやりたいことがはっきりしている。それに比べて長女は海洋生物学者(北村有起哉)の妻で、アメリカに住むも英語ができず、不登校気味の一人息子とも夫とも会話がなく孤立を深める主婦。この長女が竹内結子なこともあり、何やら痛々しい気持ちで見てしまいました。最後は夫に思いをぶつけて映画の方は救いがあるのですが…
松原智恵子演じる妻が出来過ぎなのですが、そして私は万が一夫がボケても、こんな風にできる自信は全くありませんが、自分のことはさておき、とても優しい気持ちになれる映画でした。
監督の中野量太は『湯を沸かすほどの熱い愛』も家族のドラマだったし、現在公開中の映画が「浅田家」ですから、家族がテーマの人なんですね。ベタベタしてないので好感が持てました。

『ホテル・ムンバイ』監督:アンソニー・マラス
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2008年11月26日、インド最大の都市ムンバイの駅やレストラン、ホテルなど、外国人観光客も多い複数の場所で、銃撃や爆発が起こった。犯行グループは、隣国パキスタンから指示を受けたイスラム過激派の若いテロリスト集団。そのうち五つ星のタージマハル・ホテルをメインの舞台に、テロリストに支配された極限状態を描くドラマ。
「スラムドッグ$ミリオネア」のデブ・パテルがホテルマン役。アーミー・ハマーがインド人妻とスィートルームに泊まるアメリカ人旅行客役。監督は長編第1作目ということですが、臨場感満載の恐ろしい映画でした。
こんな大事件なのに、なぜか記憶になくて、よっぽどニュースを見ていなかったのか、その後の2011年大震災のせいで記憶が飛んでしまったのか?

この映画は実話をもとに、アーミー・ハマー演じる米国人富豪などはいく人かのエピソードを元に作られた人物像だそうですが、現場の指揮官となる料理長は実在の人物だそうです。この人を見て、思わず福島原発事故の時の所長や、ハドソン河の奇跡の機長を思い出してしまいました。逆に韓国のセウォル号沈没事故も。危機に際して、頼りになる指揮官がいるかいないか?それによって人々の運命は大きく変わってしまう怖さを感じました。
この映画は臨場感がすごくて、もし映画館で見ていたら現場に閉じ込められた気分になり、もっとおそろしかったと思います。家のリビングで見ても、緊張でぐったり疲れてしまったほどでした。
この映画の新鮮なところは犯人側がまだ子供と言ってもいい若者たちで、電話でパキスタンからの指示を受けながら、なんのためらいもなく人々を撃ち殺していくのですが、それでもモンスターというよりはどこか洗脳された子供を感じさせるところです。とはいえ犯人側に同情の余地は全くないのですが、見ているうちに指示を与えている者に怒りを持ち、まだ子供のような彼らにある種の痛々しさを感じてしまうのです。
だから結果として現行犯の彼らの大半は殺され、肝心の指示者は不明なままという結末にやりきれなさがあります。

日本てイスラム圏の人たちから嫌われていないみたいだし、欧米ともうまくやってるし、原爆を落とされた唯一の国だし、憲法9条もあるし、エコノミーアニマルと言われたのももはや過去だし、平和の調停役として世界から尊敬される国になったらいいのになぁ。そしたら最近妙に元気のない日本の若者たちにもいい影響与えるのではないかしら。と、いつになく真面目なことなど思ってしまいました。

tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。