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DVD『THE GUILTY/ギルティ』『輝ける人生』『特捜部Q カルテ番号64』『500ページの夢の束』『アイ・フィール・プリティ!』

cinema
03 /25 2020
友人から2週間ほど前にも電話があり「仕事やめようか迷ってる」と元気のない様子。「会ってお昼でも食べようか」と提案すると、胃の調子が悪いから、と断っていたのですが、昨日再びの長電話。
どうも彼女、コロナノイローゼとでも言うべき状態だったよう。2月中旬から体調が悪く、もしやコロナ?と思い込んだが、医者に行っても検査はしてくれない。しかし責任感の強い彼女、公共交通機関を使ってはいけないと思いこみ、職場まで電車に乗らず徒歩で歩いて行ったりしてたら膝がおかしくなり、結局その膝痛のため仕事を休んでいるとか(そもそも職場に行けば人がいるのに、電車乗らない意味が分からん)。前回の電話はその渦中だった模様。そもそもの症状はどうだったの?と聞いたら、喉が痛くて37.5℃の熱が出たものの、咳はちょっと出てすぐに治り、その後胃の調子が悪くてものを食べられない状態が続いているそう。
再度、近所の医院に行ったけれど、コロナではないと言われ胃腸薬をくれたと。うん、どこへ行ってもそう言われると思う。でも本人はまだ不安が拭えないらしい。
2週間前会って話したかったけれど、私にコロナ移したらと思って会えなかったし、職場にも行けないと。
このMさん、職場ではリーダー格の生真面目なタイプ、そのくせマイペースというか、どこかポッカリ抜けてる「天然」な人。2時間近く長電話して、「なんだかスッキリしたよ〜」と明るい声を出したので、もう大丈夫かな?

日本は検査数が少ないので実態が分からない。実態が分からないから友人のように不安が膨らんでしまう。医療崩壊の心配は検査後の対応を変えればいいのでは(入院は高リスク者限定にするとか)? この騒ぎが落ち着いた時、日本は正確な感染率のデータがないと困ると思う。
とうとうオリンピックの延期が決まりましたね。できたら夏ではなく、春か秋ならいいのにな。桜満開の頃だったりしたら、世界中の人がコロナのおかげで美しいオリンピックに出会えたと思えるかも。

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『THE GUILTY/ギルティ』監督 :グスタフ・モーラー(2018)
評判のデンマーク映画、『THE GUILTY/ギルティ』を見ました。
噂にたがわず面白かったです。
デンマーク映画ということで、監督も、出演者も知らないばかり。
これは『search/サーチ』と同じく、非常に限定された画面で、『search/サーチ』はPC画面だけでしたが、こちらは視力よりも”聴力だけで視る”、とても珍しい映画です。
内容は主人公が電話の声と音を通して誘拐事件の解決を図ろうとする異色サスペンス。緊急ダイヤルの通話を頼りに誘拐事件と向き合うオペレーターの奮闘を描く。
もっと、背景音で場所を推理したりするサスペンスかと思いきや、警察の緊急ダイヤルだけあって、通話の瞬間に相手の名前、電話番号、携帯中継局の場所まで特定されます。
それでも中継局の電波の範囲のため細かい場所は特定されず、混乱状態の相手から、犯人に分からないようにイエス、ノーだけで情報を引き出すテクニックなど、これは気が回らないボケてる人には絶対できない仕事だな〜と思いました。
DV夫に誘拐された妻を助けるべく電話だけで奮闘する主人公。やがて予想外の展開に。
終始画面が薄暗いオペレーター室、主人公がイヤホンかけて話してる場面のみ。
なのに見終えた時、様々な画面が頭に残っています。子ども部屋、泣いてる6歳の少女、怯える妻を乗せたワゴン車、デンマークは若い頃行ったことがありますが、この音を聞きながら浮かぶのはコペンハーゲンの町ではなく、荒涼としたハイウェイ(実際のデンマークのハイウェイを知りませんが)。
これは観た人の数だけ脳内画像がある映画。
主人公の抱えた罪(guilty)もこの事件と並行して明らかになる、こんなに動かない画面で複雑なドラマを描き出す脚本の面白さに感心しました。
余談ですが、主人公が苛立って物に当たる場面がしばしばあって、映画を見てると外国人ってこれが多くないですか?個人的に私の周りでこういう男性を見ないので、こんな馬鹿でかい男性(主人公、立ち上がると天井に届きそうに背が高い)が機材をぶん投げたら、絶対壊れるよ!と、その点が気になりました。


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『輝ける人生』 監督 :リチャード・ロンクレイン(2017)
主役(イメルダ・スタウントン)、どこかで見たことあると思ったら、「ハリポタ」の悪役・アンブリッジ先生役でした。
裕福な主婦サンドラは夫の爵位授与パーティの席で夫の浮気を知り家を飛び出し、ロンドン下町に住む独身の姉ビフのアパートに転がり込む。
プライド高く、姉の暮らしを批判的に見ていたサンドラですが、姉は快く受け入れます。あまり付き合いも無く10年ぶりの再会なのに、こんな大らかで心の広い姉って現実にはなかなかいません。
人生を楽しむ達人の姉に引っ張られ、中高年のポップダンスサークルに入り仲間もでき、上流の暮らしで忘れていたダンスの歓びを思い出すサンドラ。募金のために街角で踊った動画がネットで評判になり、ローマのダンスフェスティバルにも呼ばれます。ダンス仲間のこれまたハリポタの悪役ティモシー・スポールとのロマンスも。
姉ビフのファッションも見どころ。真っ赤なコートに柄物の重ね着。
余談ですが、私もこの冬70代と思しき白髪の女性が真っ赤なコートを着ているのを見て、おっ!と思いました。マダムっぽいタイプの人ではなく、化粧っ気のないラフな感じの人だったので、見習いたくなりました。おかげでソーイングの目標ができました。真っ赤なコートを自分で作ろう、と思わず決心。
ダンスシーンといい、若くない俳優たちがその円熟の演技と、身体張った動きで見せてくれます。同世代にとって、とても楽しく元気をもらえる映画でした。


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『特捜部Q カルテ番号64』監督 :クリストファー・ボー(2018)
こちらもデンマーク映画。
デンマーク警察特捜部を舞台にした人気シリーズ。神経症的人間嫌いのカールとアラブ系移民のアサドのコンビ第4弾。アサドが本当にいいキャラなんですよ。私は「キジ殺し(2014)」と「Pからのメッセージ(2016)」の2本を見てますが、この「カルテ番号64」は世界有数の幸せ国デンマークの闇をこれでもか、と見せる非常にヘビーな内容でした。
アパートに隠された部屋からミイラ化した男女3人の死体が発見され、カールとアサドが事件を追う。1961年女子収容所と現在を行き来する構成で、悲しい復讐劇と巨大な陰謀を描きます。

出だしの事件がひえ〜とおぞましく、さらに’60年代女子強制収容所の実態が怖い。こういう閉ざされた場所で管理側と収容者の関係って、なんでこういう感じになってしまうんだろう。国家が強制不妊手術を行っていた過去は日本にもあったようですが、それが現在も脈々と形と対象を変えて受け継がれていたというストーリー。
当初の事件のおぞましさも吹っ飛ぶような現代の闇組織を見せて、世界一の平等国デンマークにも、こんな(司法も遠慮する)特権階級があり、おぞましい闇があるんだなぁ。
かっては精神病、障害者、犯罪者等への不妊手術が、現代では移民差別に使われます。差別とは未知への恐怖心から生まれるんでしょうか?最近のヨーロッパ映画は移民問題抜きには描かれない気がします。
ラスト、人間嫌いのカールがアサドに言うセリフ。人と人の関係ができれば、そこに文化の違いはどうでもよくなる。アサドの移動でこのシリーズも終わりなのかと思っていましたが、カール、アサド、ローセのトリオはまだ続きそうで嬉しいです。
しかし考えてみると、散々人間のおぞましさを見てきて、最後にコンビの絆に心打たれていい気分になる……なんだか私ってとても簡単な人間だなぁと再認識しました(笑)


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『500ページの夢の束』 監督 :ベン・リューイン(2017)
自閉症のウェンディ(ダコタ・ファニング)は、『スター・トレック』に関して並外れた知識を持つ。ある日、『スター・トレック』脚本コンテストの開催を知り脚本を書き上げるが、郵送だと間に合わないことに気づき、直接届けようと施設を抜け出し愛犬と一緒にハリウッドを目指す。

自閉症の少女にとって、自立支援施設から抜け出し、普段、絶対渡ってはいけないと認識している大通りを渡り、バスに乗ってロスに行くのは大変なこと。さらにペット禁止のバスから途中で放り出されてしまい、泥棒にお金やipodを盗まれ、事故に遭い、と様々な試練に襲われますが、そんな彼女を支えるのはひとえに「スター・トレック愛」。
スター・トレックは最初の映画は観ましたが、全く覚えていません。それよりもスタトレへのオマージュと言われたB級SFコメディ「ギャラクシー・クエスト」の方が印象に残っています。
今回この映画の中で語られるスター・トレックの話はなかなか興味ふかいです。スポックは人間と宇宙人のハーフで非常に論理的で、感情を理解できない?とか。
自閉症のウェンディも無表情で人と目を合わさず触れられることを嫌い、スタトレの知識に関しては異常な記憶力を発揮する。彼女はスポックに自分に近いものを感じていたのでしょうか?
途中、彼女を保護する警官とクリンゴン語で会話、警官の同僚をびっくりさせる場面や、施設長もスタトレの知識を息子に聴くことで、親子の関係が修復されたりと、オタク愛あふれる物語。


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『アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング』 監督: アビー・コーン マーク・シルヴァースタイン(2018)
「自分のルックスに引け目を感じて、何事にも消極的なレネー(エイミー・シューマー)は、自分を変えるためにジムに通い始める。だが、ジムで頭を打って意識を失ってしまう。目覚めたとき、なぜか彼女は自分が超美人に変身したと思い込み、性格も前向きに変わっていた。」

これはジャック・ブラック、グウィネス・パルトロー主演の「愛しのローズマリー」をすぐに思い出しました。こちらは超肥満体とスレンダー美女の両方のグウィネスが出てきますが、この『アイ・フィール・プリティ』は本人はスーパーモデル美女になったと思い込むものの、映像的にはずっと同じ。本人の振る舞いがガラリと変わる変化を見せます。
ところでこのヒロイン大して太っていません。アメリカだったら、このぐらい普通じゃないの?と思うのですが、女性の痩せ願望や見た目主義は近年ますます加速しているのでしょうか?
頭を打ったあと、自分がすごい美女に見えたら、脳の視覚野に障害が!と慌てて脳神経科に行きそうだけど、娯楽映画なのでそれはいいとして、自分が美女に見えたら、こんな風に急に自信満々になるもんだろうか?
美人になっただけで、男がみんな自分に夢中と思い込むって、日本人だったらないんじゃないかな〜。美人になったことがないから分かりませんけど(笑)
面白いと思ったのは、勘違いから強引に付き合い出すヒロインの相手役が、マッチョとは対極のタイプ。
マッチョ文化のアメリカでも、最近は草食系男子が見直されてる気がします。「インセプション」のジョセフ・ゴードン=レヴィット辺りからか、アンドリュー・ガーフィールドやトビー・マグワイヤなど、スパイダーマン俳優は設定からして非マッチョですけれど、今後も魅了的な草食系男子が出てくることを期待します。

若い頃、類は友を呼んで(USO/笑)私には美人の友人が多く、でも意外にもっとも男子にモテモテだったのは、同性から見ると、少々ビミョ〜?という感じの女の子でした。彼女は同性には見えないフェロモンが出ているらしく、例えば寝台車で一緒に旅行に行った時には、同じ列車に乗り合わせていた今から国体に出るというマッチョ男子たちが我々の席に押し掛けてきたり、普通に歩いているだけでナンパに遭ったり、一緒にいるとけっこう迷惑な友でした。さらに彼女は毎朝のように電車内で痴漢に会うために、ポケットにマチ針を入れて、痴漢の手を刺しまくっていたほどでした。かようにヤブ蚊の如く男子が寄ってきてしまう女の子でしたが、はっきり言って彼女は、けっこうな”デブ”でした。
いつからスレンダーが美人の基準になったのか?若いうちからあんまり痩せてると、歳とって骨粗鬆症にならないか心配です。


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『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』監督:豊島圭介

cinema
03 /20 2020
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こんな時期に映画館……でもきっとガラガラに違いない。おまけにこんな変な映画、普段でも見る人少ないよね、と行った私の予想は見事に外れました。ショピングセンター内にあるシネコンは8〜9割席が埋まっており、公開初日のこの映画、不思議な熱気が充満していました。

内容は…
『1969年5月13日、三島由紀夫は、大学の不正運営などに反対した学生によって始まった学生運動の中でも武闘派といわれた東大全共闘の討論会に、警視庁からの警護の申し出を断り単身で乗り込んだ。およそ1,000人の学生が集まった教室で、2時間半に及ぶ熱い討論を交わす。』というもの。

まず時代背景のざっくりした説明がありましたが、1968~69年当時私は小学生。もちろん東大全共闘も世界同時革命も知りません。オリンピックとか万博とか月面着陸などのイベントはおぼろげに憶えていても、小学生にとって政治問題は全く興味の対象外ですから。でも東大という日本で一番いい大学で学生たちが暴れてたり、その後の群馬の山で学生運動で人がたくさん殺され山に埋められてたり、ニュースを通じてネガティブな印象は持っていました。しかしその後、私の行った大学は’70年代終わりなのに、立て看板だらけで、まだテストが学生運動で中止になったりする学校だったのです。ある時強風で倒れた看板が頭にぶつかったことのある私には、「学生運動=立て看板はちゃんと止めとけ!」とだけ言いたい。

対して、三島由紀夫は高校時代、あまり本を読まない私が唯一熱心に読んだ作家です。
そもそも三島を好きになったきっかけは、宿題で太宰治の「人間失格」の感想文が出て読んだところ、この主人公に「なんなんだ?この気持ちの悪いヤツは?」と嫌悪感を持ち、太宰が嫌いになったことがきっかけでした。で、三島が太宰を嫌っていたと聞き、読んでみたところ、こちらは面白かったというのが理由です。
三島の市ヶ谷駐屯地での自決事件は小6で、世間が大騒ぎしていたので一応記憶にはありましたが、正直作品からはあのイメージはなく、三島作品はおバカ女子高生にとって美しく読みやすい印象でした。

映画は思いの外、面白かったです。
まずこの時代の(良くも悪くも)熱気、そして「言葉」が大きな意味を持っていたことが新鮮でした。さらに三島由紀夫がとても魅力的な人なのも意外でした。
討論の内容は正直、観念的すぎて何言ってんだか分からない所も多かったのですが、当時の討論場面の節々に、現代の作家(平野啓一郎や内田樹etc)がわかりやすく解説してくれるので、平野啓一郎に「この人、こんな分かりやすく喋れるんだ」と初めて好感持ったくらい(笑)ナレーターは今、話題の東出昌大。
三島は小柄でマッチョで眉毛がゲジゲジで、この公開討論会の会場入り口に三島の似顔絵をゴリラに見立て、「近代ゴリラ鑑賞料100円」などという侮蔑的な看板があるのですが、確かによく似ています。本人もこのことをユーモラスに話題にしたり、きっと学生側は右翼の三島を論破しようと思っていたのかもしれませんが、三島は一度も学生の矛盾を突いたり、相手を言い負かそうとはしません。学生側も三島の刺激的でユーモラスな語り口に魅了されたのか?お互いタバコをプカプカ吸いながら激しく討論しているものの、どこか楽しげで険悪な雰囲気にはならないです。三島はにこやかに真摯に学生の言葉に耳を傾け、この討論を楽しんでいるのが伝わってきます。
一番尖った論客の学生が赤ちゃん抱っこしながらしゃべっているのも、何やらおかしい。70才前後の現在の彼らが交互に出てくるのですが、みんな常識人の好々爺みたいになっていますが、この赤ちゃん抱いてる人だけは今でも尖ってて現代の空気から完全に浮いていました。
三島と全共闘の学生たちは正反対の思想信条のはずが、不思議な一致点を見いだしていき、「君たちとはアメリカからの脱却を目指し、暴力を否定しないなど共通点がある。あとは天皇と言ってくれれば共闘できる」とまで言います。
三島の中で、天皇は戦前学習院の卒業式で見た微動だしない姿が焼き付いていて、その姿に日本の文化の理想を見ているように思えました。こうなると思想ではなく、「個人の理想のイメージ」なので、それを日本人全体の理想として求めるのは、もはや戦前にタイムワープするしかないと思います。
思いの外、面白い映画でコロナ騒動の中、見に行った甲斐がありました。40年ぶりに、三島由紀夫の作品を読み返したくなりました。

この映画を見て思ったこと。50年前なので仕方ないのでしょうが、討論している学生は男子だけ。壇上にいる「女」は赤ちゃんだけ(笑)そもそも女性は観念的な言葉を信じていない気がします。少なくとも私はそうです。
平和で現実生活に問題がなければ、アメリカの属国だろうが、天皇制だろうが、どっちでもいい、と言ったら言い過ぎですけれど、言葉の力を信じている三島と若き学生らが、私にはまぶしく見えました。

追記
私はこの映画を見て、三島がとても魅力的なのに驚いたのですが、どう魅力的なのかうまく書けませんでしたが、一緒に映画を見たTさんが具体的にコメントしてくれたので、抜粋してここに載せます。

「三島由紀夫の側の言葉は、彼らの言葉と比べると本当に率直で、「私は日本人に生まれて日本人として死ぬんでいいんだよ」なんて言う。あの赤子の父親に「人間にはそもそも国籍なんてないはず」みたいなことを言われると「それは自由人として尊敬するけれど私は自分が日本人であることを否定しないんだ」と言う。
印象的だったのは、リーダーを張れるヒト科のオスのチカラだな。
東大全共闘側は、討論会とか言っておきながら議論の吹っ掛け方がなっちゃいなくて、「人を呼びつけておいて何てザマだ」と思っちゃったんだけど、対する三島の態度や言葉遣いには、そもそもオオカミと大差ないヒトのオス、それもまだ青臭い連中をたちまち掌握してしまう力があるのだった。マウンティングするわけでもなくね。ほんの短い時間で、若いオスどもに「振る舞い方」ってもんを知らしめた。その場での振る舞い方とか、自分に対してとるべき態度を。だから学生もつい「三島先生」なんて呼んじゃって、あらら…ってなって言い訳してたね。」


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帰り道、友人と近所の大きなお寺まで歩いてみました。桜が3部咲きくらい。お天気もいいので、けっこう人出もありました。








読書メモ『罪の轍』『ボーダー 二つの世界』

book
03 /16 2020
いつまで続く?新型コロナ騒動。
近所の公園では子供たちが元気に遊んでいます。昨日の日曜日、寒いけれどいいお天気のためか、家族連れがたくさんお散歩してました。そこだけ見ると、なんとも平和な春の一日。
トンちゃんのお散歩をしながら春の花々を眺めます。コブシ、モクレン、花桃、木瓜、桜の蕾も膨らんで週末には咲きそうです。地面にもオオイヌノフグリの美しいブルー。コロナウィルスで不安はいっぱいですが、気がつけばすっかり春ですね。
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最近、読みかけの本だらけですが、とりあえず読み終えた2冊だけ記録しておきます。

『罪の轍』奥田英朗:著
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東京オリンピック前年の1963年3月東京下町でおきた4才男児の誘拐殺人事件「吉展ちゃん事件」をモデルにした奥田英朗のミステリー長編。戦後の日本犯罪史に残る有名な事件で、私は被害者と同世代。
リアルタイムでの事件の記憶は私にはないと思います。この時代は小学校就学前の幼児でも普通に1人で歩いていましたし、バス停1つ分なら親に頼まれてお買い物にも行ってました。幼児が1人で出歩かなくなったのは、ずっと後の1988年連続幼女殺人事件からだと記憶しています。

この小説はその吉展ちゃん事件を下敷きにしていますが、あくまで小説なので、犯人の年齢、出身、被害者の親の職業などいろいろ異なります。
しかし報道協定が初めて結ばれた事件であり、テレビラジオ等で犯人の脅迫電話の音声が流され、メディアを通して国民の関心を大いに集め「戦後最大の誘拐事件」と騒がれた当時の雰囲気をよく伝えています。
そしてまさに小説が書かれた現在、同じくオリンピック目前で、ネットや新技術による新型犯罪に警察が翻弄される様、また犯人の過去にある児童虐待の問題など、まるで写し絵のように現代を照射する内容になっています。

奥田英朗は何を読んでもハズレなしの作家ですが、「イン・ザ・プール」や「空中ブランコ」など精神科医伊良部シリーズはコメディタッチ、「邪魔」「最悪」など人間のセコさ、しょうもなさをこれでもかと面白おかしく描いたものが有名ですが、「オリンピックの身代金」はシリアスな社会派という印象でした。これは時代背景も同じ1963~4年で、日本がとても元気な青年時代、”光”が強かった時代の”影”の部分に焦点を当てていて、「オリンピックの身代金」と同じ枠に入ると思います。
ミステリーとしては、何せ元になる事件があるので結論は見えています。そういう意味では、ハラハラドキドキや犯人探しをする小説ではなくて、おぼろげに記憶にある時代(1963年)を現在から見るとこういう時代だったのか?という発見がとても面白かったです。最近の「いだてん」「ファースト・マン」同様、時代背景におぼろげな記憶を持っているため、その時代背景の方が興味深くて、肝心のミステリーとしてどうなのか?よく分からなかったりします。
とはいえ、この小説は殺人シーンなど一切ないので、この実際の事件を背景にしたことを知らないまま読めば、もっと違う読み方ができるかもしれません。

若手の落合刑事、山谷の宿屋の娘、犯人の青年、この3人の視点で話が進むのですが、キャラクター造形がうまくて、例えば実在した平塚八兵衛という名刑事に当たる大場という熟練の年配刑事や、在日朝鮮人の宿屋の女将とか、視点人物以外の周辺を固める脇役もみんな生き生きしていて、彼らを描きながら、「日本が元気で乱暴だった時代=’60年代」が立ち上がって行くような印象を持ちました。

一つため息が出たのは、電話の普及によって匿名性を得た人々の心無い被害者宅へのイタズラ電話の話。
昔は良かったとか、人情があって人々がみんな優しかったとか思うのは幻想で、いつの時代も、人の不幸を面白がる人々っているもんなんだな、と。電話がネットに変わっただけで、やることはあんまり変わりないんですね。
人間のこういうしょうもない部分も含めて、作者は人間に対する興味が尽きない人なんだと思います。

『ボーダー 二つの世界』ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト:著
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「ぼくのエリ 200歳の少女」の原作者、リンドクヴィストの短編集。
リンドクヴィストはスウェーデンのスティーヴン・キングと言われているそうです。
ボーダーの原作はとても良かったです。映画以上に主人公がこの世界で孤独を感じている切なさが伝わりました。
希望の見えるラストで、映画もよかったけれど小説もとても好き。

がしかし、この本はかなり分厚い短編集で、1作目が「ボーダー」でこれはホラーという印象はないのですが、2作目がホラーだったので、これジャンル的にはホラー短編集だったと気づいて少々焦りました。ホラー苦手なんです。で、ビクビクしながら3作目4作目と読みましたが、ホラーというよりは怪しい世界。
内容は様々なボーダーを描いた作品が多く、「Equinox」「最終処理」は生と死のボーダー。「Equinox」の他人の別荘に入り込むのが趣味の主婦って設定もなんとも怪しい。
「臨時教員」これは特に何も起こらないのに、すごく怖かった。これは正常と異常のボーダーか?
私は寝る前しか本を読まないのですが、深夜ベッドで読んでると、ホラー的な恐怖よりも異界の入り口がすぐそこに開いているような気になりました。

「ボーダー」以外で印象に残ったのは「古い夢は葬って」
これはあの「ぼくのエリ 200歳の少女」の後日談ですが、登場人物は彼らの事件に関わった刑事夫婦の物語。
私はスェーデン版映画よりハリウッド版の映画化「モールス」を先に見ていたのですが、ホラーシーンも結構怖く、’80年代アメリカのどこか暗い背景と相まって、何よりも冷えびえする孤独感が怖い映画でした。その後スェーデン版映画を見たら、画面が雪のせいでアメリカ版より明るく、ホラーシーンも少ない。少年少女(?)の幼い初恋の映画として、切なく情緒的な物語として、印象に残っています。
この「古い夢は葬って」は「ぼくのエリ」でのプールでの惨殺事件を追った刑事の後日談。女性が刑事として、事件の事情聴取で知り合ったのが16才年下の夫で、仲睦まじいこの夫婦を友人の目から語ったお話。最後の最後にエリとオスカーの現在がほんのちらっと出てきます。
エリとオスカーは年を取らない孤独な永遠を生きるカップル。対して、夫婦とその親友の関係は暖かく理想的な人間関係です。それでも必ず死によって別れが来る人間。しかしその最期はぼかされています。心温まるしみじみした物語なのに、その点がもしや…と想像する余地をわずかに残しています。

ラストの一番長編の「最終処理」も印象的です。
死体を使い、人間の再生を研究している研究機関を襲う若いカップルの話。設定はかなりおぞましいながら、どこかユーモラスな物語。父も姉も第一線の研究者ながら、主人公はバンドマンの機材運搬が仕事。父や姉から見下されているのですが、知り合ったフローラとその祖母は不思議な能力があり死者の声が聞けます。そこで一緒に父の勤める研究所の死体たちを解放するべく奔走。バンドのリードボーカルも協力してくれ、若者2人中年1人老婆2人の奇妙な死体成仏突撃作戦。この死んだけど成仏できてない、という考え方は洋の東西を問わずあるんですね。そうか、幽霊って世界中どこにでもあるものね。主人公カップルや、バンドのボーカルがいいキャラなんで、暗さはありません。これも生と死のボーダーを扱った物語。
ホラーは苦手ですが、これはとても面白い短編集でした。

tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。