FC2ブログ

『ボーダー 二つの世界』 監督 :アリ・アッバシ

cinema
10 /31 2019
border2.jpg

(ネタバレせず感想書くのが難しい!多少のネタバレ含みます!)
有楽町で映画を観ました。「ぼくのエリ 200歳の少女」の原作者スウェーデン人作家ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストの小説を、イラン系デンマーク人のアリ・アッバシ監督が映画化したもの。って、これ聞いただけでも面白そうでしょ♪
R18だし、相当変わった映画らしいので空いてるかと思いきや、かなり混んでいました。
観客は中高年も多く、R18とは言え、エログロホラーでないことを期待して観てみました。
意外や意外、まあ万人にオススメとは言いませんが、とてもいい映画だと思いました。ラストも希望が見える終わりかたで好きです。
世間から疎外された孤独な主人公という意味では『ジョーカー』と共通するものがあります。

税関職員ティーナは特殊能力を持っている。その優れた嗅覚で違法な物を持つ者の罪悪感まで嗅ぎ分けられる。しかし醜い風貌のため疎外感を抱いて生きている。ある日、勤務中に風変わりな旅行者のヴォーレと出会い、本能的に何かを感じたティーナだが、特に違法なものは持っていない。後日再会した彼に離れを宿泊先として貸し出す。お互いに惹かれていく二人。彼はティーナの出生の秘密を知っており、さらに彼女が警察に協力して捜査している児童ポルノも関わって来る。彼は何者なのか?そしてティーナ本人も知らなかった出生の秘密とは?と、あらすじはこんな感じです。

ジャンル的にはホラーとかサスペンスになるのでしょうか?
個人的な感想としては、税関職員の主人公は隣人やホームにいる父親にも優しく、自分の能力を活かした仕事を熱心にこなし、森の中の家には居候的な犬好きの同居人もいる。しかしその容貌のため、ずっと疎外感をもって生きてきたが、ヴォーレと出会い、自らのアイデンティティを知り、初めて愛と欲望に目覚め、心身ともに解放される。
と、まあ「人間の基本を描いたドラマ」という印象を受けました。このまま思春期の少女の話に置き換えても通じるような気もしました。
でも確かに設定と見た目は相当独特なんですね。
個人的にはなぜこれがR18?という気もしたのですが、う〜ん、確かに冷蔵庫の中にあるものとかギョッとするし、児童ポルノ(画面的には出てきません)の話もしんどいかな。局部のアップは気持ち悪いわね。
でもほら、別の社会、例えば海外の社会を見て、自分の社会を顧みるってあるじゃないですか?なんかそんな印象。
人種、肌の色、男女、世代、政治体制、宗教と、人間界にはボーダーが限りなくあるわけですが、この映画のボーダーはもっと根本的なもの。比べて同じ人間なのに様々なボーダーを作り上げる我々ってなんなの?と改めて気づかされるような、そんな気もしました。

また外見のボーダーも考えさせられました。なぜ醜いというだけで疎外されるのか?でも『ワンダー 君は太陽』でも思いましたが、外見ってすぐに慣れますね。最初ティーナを見たときギョッとしたのですが、すぐに慣れてしまいました。現代日本の外見重視社会ってどちらかと言えば、わざわざ格差を作るための装置のようでバカバカしいと思えます。

それからティーナは森の中に住んでいるんですが、鹿とか狐とか動物がいっぱいいます。鹿が道を渡るために道路に出てくるのを察知するほど、野生の動物と共存する能力があるところがとても面白かったです。
罪の匂いを嗅ぎ分ける嗅覚といい、動物との共存能力といい、これは多くの人がほしいと思う能力なのではないかしら。

「ぼくのエリ」は少女かと思いきやバンパイアで、さらに実は少年でしたが、この映画も同じようなコンセプトがあります。男女のボーダーも揺らぎます。でもこのしくみ(産む性と授乳する性が別)ってすごく協力的な子育てができそうでいいしくみだと思いました。

ティーナは唯一、出会え愛し合ったヴォーレの犯した罪が許せず通報します。自分を疎外してきた人間社会を憎みきれないからだと思います。きっとそれは育ての親に愛されて育ったからだと思うのです。真実を隠していた育ての父親を許せないティーナですが、パパを許してあげてほしいと思いました。

ダメな人はダメかもしれませんが、多少のグロ表現に耐性のある人にはオススメです。
スポンサーサイト



『ジョーカー』監督:トッド・フィリップス

cinema
10 /21 2019
Joker.jpg

親子連れで溢れる休日のショッピングセンター内の映画館で見ました。
暗いと評判の『ジョーカー』ですが、びっくりするほど混んでいました。
映画の暗さと、その映画館のあるSCの明るさ。なんだか明るい世界の中にあるブラックホールに入り込んだような映画体験でした。

心優しい貧しい大道芸人が、貧富の差激しい大都会で不幸続きの結果、ついに図らずも悪に転じる…みたいな予想を持って見たら、かなり違っていました。いえ、あらすじを説明すると上記のようになるのですが、やはり何かが違う。
だって主人公に共感や同情はできません。でもすごく悲しい。そんな印象。
彼は特殊な精神疾患を抱えていて、さらに自分でも記憶のない幼い頃、ひどい虐待をされていて、頭部に重傷を負ったのが遠因との描写もあり、安易に共感しようもないのです。
彼と母親の過去が見えてきて、どんどん悲しい気分になっていきます。
この映画の世界でも福祉はあって、ちゃんと定期的なカウンセリングと投薬をされていますが、主人公には機械的に診てもらってるだけでカウンセラーに自分の話を本当には聞いてもらえていないと感じています。これは大病院の患者やってる私にも少しは気持ちは分かりますが、主人公は不運続きで被害妄想に陥っていき、どんどん世間に対する鬱憤を膨らませていきます。妄想癖は悪いことではないと思うのですが、被害妄想は何よりも自分の心身を蝕むと思います。
それでも同じアパートの女性との交際がなぜ彼の心の支えにならないのか?と不思議に思っていたら……、う〜ん、ここはすごく悲しかったなぁ。

彼は精神的に限界に達した時、初めての殺人を犯しますが、彼はそれによってスッキリします。そもそもそれまでの彼はクソ真面目すぎたと思うのですが、そういう性格なので一旦タガが外れると、今度は真面目に処刑人となり、自分を過去に嘲った人々に復讐を始めます。この基準が極めて自己中心的なところも、彼なりのクソ真面目さの現れなのか?プライドが高すぎるのか?

そして同じような不満を持った若者たちが暴動を始めます。誰よりも孤独だったはずの彼は、社会に不満を持った若者たちのヒーローになってしまうのです。
自分の理想の人生と現実の乖離が激しい時、人は世間にその罪を問いたくなるものなのでしょう。しかし本当にそういう格差社会を作っている張本人には届かず、取りしまる警官がひどい目にあうのは理不尽というもの。
この映画を”危険”と感じた理由の一つに、背景がごく普通のリアルな都会なこともあります。『バットマン』のような劇画的なSF的社会ならば、どんな地獄絵図もそれは非現実的な別世界の物語なんですが、ここではSFチックな建物もなく、ごく普通の街。社会福祉もあれば、選挙もある。母親が脳卒中になり、救急車で必死の救命を受け病院で回復も見せます。背景が(時代は少し前のよう)まんまリアルなアメリカなんです。ただ名前はゴッサムシティ。
バットマンの前日談となっていて、少年時代のブルースも出てきます。『ダークナイト』で描かれた目の前で両親を暴漢に殺されてしまうシーンもありますが、この映画を見てから『バットマン』を考えると、ブルースは富裕層側の”正義”で、この社会の格差構造は彼のやり方では変わらないことに気づいてしまいます。

思うに貧しさよりも”孤独”の毒に人はやられてしまうのだと思います。
しかし小人の芸人仲間、彼はいつも芸人仲間にいじめられ、その疾患のせいでジョーカーと同じように世間から辛い仕打ちを受けているように見えますが、優しさを失っていない。狂気にかられ彼の目の前で殺人を犯すジョーカーも「君はいつも優しかった」と言って逃がします。犯罪を犯すか否かの差はちょっとした差なのか?本人の性格的なものなのか?

悲しくて危険な映画というのが見た直後の正直な感想です。
閉塞感に陥っている若者が見たら、何か暴力的な爆発を誘発するような危うさを感じました。しかしこれを認めたら、川崎の事件や、京アニの事件も認めることになってしまう、そんな危うさを感じるほど。
結局真面目に選挙に行って、少しでも平等で思いやりに満ちた社会を目指す以外解決方法はないのでは?など妙に現実とリンクした感想を持ってしまうほど、不安をかられる映画でした。

『高畑勲』展

art
10 /05 2019
takahataisao.jpg haiji.jpg
夫と『高畑勲』展に行きました。この展覧会、今週末で終わりのためか混んでいました。
そしてびっくりするほど外国人が多い。この場合の外国人とは見た目ですぐ分かる欧米人という意味なので、もしかしたらアジア系の人はそれ以上に多かったのかもしれません。
高畑勲は絵を描かない演出家でしたが、やはり展覧会の見どころはアニメのセル画や背景画。
今回、背景画の美しさに見とれました。
アニメだと動いている登場人物に目がいってしまい、背景画がこれほど緻密に描かれているとは知りませんでした。映画はまだ分かりますが、テレビアニメの名作シリーズの背景でこのレベルの絵を描くのは大変だったと想像します。
現地に視察旅行に行ったという『アルプスの少女ハイジ』は有名ですが、『母を訪ねて三千里』の背景画もガッシュかアクリルか分かりませんが、油絵タッチで入り組んだ路地を上から見た俯瞰図など、とても見応えがありました。
あちらこちらにあるスクリーンの前は人だかりで、ハイジのタイトルアニメ(例のブランコのシーン)など、大きいスクリーンで見ていると、こちらの体が浮きそうな感覚に襲われます。
現在のようなグループで分業、協力して制作していく体制を作ったのも氏の功績だそうです。
子供の心を解放するアニメ、というコンセプトが繰り返し書かれていました。
私個人はアニメは幼い頃の「魔法使いサリー」とか「狼少年ケン」とかは懐かしかったですが、「アルプスの少女ハイジ」はすでに中学生だったため見ておらず(昔はアニメは小学生低学年くらいまでのものという印象でした)、覚えているのは時々早く帰宅すると母が「母を訪ねて三千里」の再放送を熱心に見ており、「何見てんの?」と思ったことです。きっといい歳をしたおばちゃんが見ても面白かったんだと思います。
しかし大学生の頃、NHKの『未来少年コナン』(高畑勲氏は無関係)をたまたま見たらすごく面白くて、ゼミの合宿でも「あ、コナン見なきゃ」と一人見ていたら、先生に呆れられた記憶があります。しかし『宇宙戦艦ヤマト』映画版が若者に評判になったのも同じ頃なので、40数年前のこの頃、すでにアニメは幼い子どもだけのものではなかったと記憶しています。
私が最も印象に残っているアニメは「風の谷のナウシカ」で、映画館で見て、さらに原作も読み、その内容に打ちのめされました。今回氏がプロデューサーだったナウシカは残念ながら展示がなかったのですが、私が個人的に最も思い入れのある作品です。

子供が生まれてからは、ビデオで「パンダコパンダ」や「となりのトトロ」を一緒に見て、動き自体にとても子供の心をつかむ力があると思いました。それが今回氏がいうところの「子どもの心を解放する」につながるのかな?と感じました。
やはり『火垂るの墓』『おもいでろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』はどれも背景画が見ごたえがあり、『火垂るの墓』では色彩担当の仕事ぶりが展示、朝ドラのももっちさんを思い浮かべて、なるほど大変な仕事なんだなと具体的に納得したり、朝ドラのおかげで、ちょうど時代考証の下準備ができていたため、とても楽しめました。
平日でしたが、会場には国籍も年齢も様々な人がいて、年配の人も多いのは朝ドラの影響かも?いろんなところで『昭和』が人々の心を捉えるカギになっていますが、これもそんな一つなのかもしれません。

見終えて一番感じたのは、高畑氏は成功して有名になっても、新しい表現に対する貪欲さを最後まで失わなかったことです。
『ホーホケキョ となりの山田くん』はヒットしなかったようですが、このぼんやりした手抜きに見える絵が一番大変で、原画だけで3版必要となり、膨大な時間と手間、お金がかかったそうです。この作品はMoMA(ニューヨーク近代美術館)に永久収蔵されることにもなったと夫から聞きました。(展覧会にはその記載はなかったと思う)
『かぐや姫の物語』はこの延長で作られた作品で、かぐや姫が屋敷から飛び出し走る画像は、線だけ抜いて観ると、なんだか意味不明なぐしゃっとした線です。しかしこれを映画で見ると、かぐや姫というより、ケダモノのような姫の感情の高ぶり怒りを伝える表現になっていて圧倒されます。
自分が絵を描かないのに、どうして氏には完成のイメージができたのだろう?と不思議に思いました。

こういう絵を描かない人の仕事ぶりを伝える展覧会は企画が難しかったと思います。
氏に焦点を当て、同時にアニメという新しい表現を開拓した若者たちの記録として見ることができ、大変面白い展覧会でした。

tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。