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『ミュシャと日本、日本とオルリク』展

art
09 /28 2019
アルフォンス・ミュシャ(Alfons Mucha 1860–1939)とエミール・オルリク(Emil Orlik 1870 –1932)というチェコ出身のふたりのアーティストに光をあて、ジャポニスム(日本趣味)の時代に出発した彼らの作品と、彼らから影響を受けた日本の作家たち、さらにはオルリクに木版画を学んだドイツ語圏の作家たちを取りあげ、グラフィックを舞台に展開した東西の影響関係を観察しようとした展覧会(千葉市美術館より)
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今年6月チェコに旅行しましたが、ミュシャ(チェコ名ムハ)の天井画で有名な市民会館はちょうど何かの講演会だかコンサートだかで、残念ながら見られず。ちょうど千葉市美術館でミュシャをやっているというので、チェコを一緒に旅行したMさんと行ってみました。
ミュシャは「ジスモンダ」始め有名なポスターが並んでいました。そしてそれ以上にオルリクの作品が多かったです。
オルリクは1900年〜翌年にかけて来訪、ガイドも伴わずに日光、鎌倉、箱根、京都のほか、会津若松や赤倉などに足を伸ばしている。この間、絵師、彫師、摺師に師事して、約10ヶ月にわたって浮世絵の技術を習得し、他方、フェノロサのもとを浮世絵コレクションを見せてもらうため訪問、狩野派の絵師狩野友信から日本画の筆法を学んだ(Wikipediaより)。
まだ明治の時代に、とても精力的な人だったようです。
赤ん坊を背負った女性の姿や、当時の庶民の姿、生活、日常の風景は淡々と自然な印象です。
きっと日本と相性の良い人だったのかしら?などと勝手に思いました。

ミュシャの絵ははっきりした輪郭線、植物の図案化など、浮世絵の影響が色濃く見えますが(本人は否定していたそう)、当時の日本人画家にとってミュシャは衝撃を持って受け取られたそうで、「明星」という与謝野鉄幹・晶子が刊行した雑誌のイラストはもろにミュシャ風が多いです。ミュシャは当時の日本のグラフィックデザインに大きな影響を与えたそうです。
このように日本の浮世絵がヨーロッパで大きなブームになり、ジャポニズムの影響を受けた作品が今度は逆輸入され日本の画家たちに影響を与えた様子が面白かったです。

昨年諏訪湖畔のガレを中心としたガラス工芸の美術館を見たときも、ジャポニズムが当時のヨーロッパ美術界に与えた影響の大きさに驚きましたが、最近とみに日本が西洋美術に影響を与えた大きさが強調されてるような気がするのは気のせい?
確かに美術の教科書にもモネの扇子持った赤い着物の女性の絵とか、ゴッホの亀戸天神の梅の絵とか、あからさまな日本大好き作品が載っていましたが、例えば基本シンメトリーだった西洋絵画の構図が、浮世絵の影響で中心をずらす新しい視点を与えられたなど、当時の西洋絵画により根本的な影響を与えたと知ったこともあり、へ〜と思わず感心。

千葉でランチして駅前のそごうに移動。ここでMさん、久しぶりのデパートらしいデパートに興奮。確かに千葉のそごうって広々した空間、あちこちにベンチがあり、昔ながらの「ザ・デパート」のイメージを保っています。マイペースな彼女、あれこれ見始めるとキリがない様子なので、私はトンちゃんの散歩があるからとさっさと別れて早めに帰宅しました。

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DVD 『復讐の十字架』『善惡の刃』『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』『バッド・ジーニアス』

cinema
09 /21 2019
すみません。全てネタバレしちゃってます!要注意!

『復讐の十字架』(2017)監督:ルドウィッグ・シャマシアン ポール・シャマシアン
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映画ブログの方の記事を読んで、オーランド・ブルーム主演の日本未公開映画を見てみました。
内容はアカデミー作品賞を受賞した『スポットライト』と同じ聖職者の少年への性的虐待がテーマです。『スポットライト』が社会問題として記者たちが取材していく過程を見せるため、扱う内容は同じでも映画としてはスリルがあり面白く観られました。しかしこちらは虐待された本人側から内面を描くため、絵的にも内容的にもエンタメ要素はありません。少年の頃、女の子とよく間違えられたという現在解体業のマルキー。恋人や友人たちや母親に囲まれながらも、12才の時の事件を誰にも言わず、恋人にも心を閉ざして生きている。そして自分で自分を傷つけ続け、発作的で衝動的な暴力に周囲も困惑しています。

「暗い!」感想はこの一言。
自分自身を痛めつけずにはいられない衝動はなんなのか?犠牲者なのに、どうして?と思いつつ見ました。
クリスチャンにとってゲイは異端であり、さらに自分が崇拝していた司祭にレイプされたら、その後の人生、人間というものを信じられなくなるのも無理はないと思います。さらに自分が誘惑したと言われて、被害者なのに自責の念にずっと苦しむ。性的虐待というのは、なんという罪深い犯罪なのか。
そんな時、25年前の犯人である司祭が町の新しい教会に戻ってきます。

長いことずっと一人抱え続けてきた彼に変化が生じたのは、母に告白できたから。しかしその時の母はすでに亡骸だったのですけれど。きっと誰よりも母に言えなかったのだろうとこの場面で思いました。でもなぜ?この辺は男の子と女の子の母親との関係の違いなのかもしれません。
そして最後に彼の選んだ復讐は……
この辺は聖書の教えに沿っているので、クリスチャンでない私には理解できていないと思いますが、復讐の連鎖を終わらせるという意味では納得できました。そして衝撃的なラスト。司祭にも罪の意識はあったということでしょうか…

ところでマルキーは母の家に行くたび、紅茶を飲んでいます。私はこの映画をオーストラリア映画だと思って見ていたのですが、ここで引っかかりましてチェックしたらイギリス映画でした。どうりで、オーストラリアにしては空が暗いと思いました。

オーランド・ブルームって「ロード・オブ・ザ・リング」の金髪弓名人と「パイレーツ・オブ・カリビアン」の印象しかなくて、キラキラニッコリイケメン君の印象でしたが、この映画では若くもなく、荒んでて、黒髪に黒い目、ずっと陰鬱さが漂い、ニコリともしません。今まで持っていたイメージが変わりました。
ところで、彼って顔がすごく四角い。あれ?こういう顔だったのか?と思いました。こんなに顔が四角いのなら、佐藤二朗の腹違いの弟の役とかぜひやってほしいぞ。

古い教会を解体する場面。けっこうドカンドカン壊しているので、この調子でキリストの像まで壊してしまうのか?と思ったら、さすがにそれはないんですね。マルキーがはしごに登り、キリスト像を外し肩に担いで降ります。これは何かを象徴しているのか?印象に残りました。このあと、この像ってどうするのかしら?
我が家にどこかアジアのお土産でもらった3cm程の金属製の金色の仏像があります。なんとなく粗末にしたらいけない気がして、出窓に飾ってあります。でも小さいので、よく掃除の時に吹っ飛ばしてしまい、毎回慌てて探しています。
宗教心がなくても、なぜかこういう像は粗末にできません。元は単なる木や金属だったものが、キリストや仏様の形を与えられた瞬間から何かしら人の心に影響を及ぼすのは不思議です。

『善惡の刃』(2017) 監督: キム・テユン
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韓国で実際に起きた殺人事件を題材に描くサスペンス。10年間服役したものの無実を訴える男性と、出世のために注目の事件の再審をもくろむ弁護士の姿に迫る。

韓国の実話を元にした冤罪サスペンス。
タクシー運転手殺人事件の犯人として少年が捕まり、10年服役後出所、被害者家族への賠償金を払えず母親が無料弁護士相談したことから始まる物語。2016年に再審裁判で無罪が確定した実在の事件を元に作られたドラマだそう。

韓国映画は社会派サスペンスに面白いものが多いです。
『殺人の追憶』『提報者 ~ES細胞捏造事件~』『弁護人』『タクシー運転手』などモデルとなる事件や実話を元に作られた作品に面白いものが多いと思います。

これも主役のキャラクターが面白い。アル中気味で妻子に愛想をつかされてる弁護士が主人公。大手法律事務所の仮採用期間に無料相談に行かされ、再審請求で無罪になれば事務所の社会イメージもよくなり自分も採用される、と目論みます。『タクシー運転手』もそうでしたが、セコくて図々しい主人公が多いので、真面目な社会派映画でもユーモアがあります。
まず韓国の警察の乱暴すぎる捜査方法にびっくりします。
日本も取り調べの可視化はごく最近のことなので、似たようなケースがないとは言い切れないでしょうが、この映画に出てくる刑事を始め、弁護士、検察官、出てくる男性たちが社会的地位のあるなしに関わらず、すぐにキレて足が出ます。
男も女もテンション高くて、私の若い頃、そう言えば韓国はアジアのラテン系と言われていましたっけ。
これは無実の少年が犯人にされた実際の事件が2000年前後、ソン・ガンホ主演『弁護人』の刑事たちもひどかったけれど、こちらは'80年代。結局最近までこんなに無茶苦茶な取り調べが続いてたってことでしょうか。
何よりびっくりなのは3年後、別の管轄で真犯人が捕まったにも関わらず、一度決定した裁判をひっくり返されるのが嫌で、検察と警察がグルになり、冤罪をそのまま見逃し真実はひねり潰されます。真犯人を追っていた初老の刑事が「この国は若い人には希望がない。地獄の方が公平だ」とまで言います。
でも最後には冤罪は晴らされ、実話の弁護士もエンドロールに写真が出てきました。これはそもそも杜撰すぎて問題だらけの事件だったと思われますが、この調子でボカスカ殴って自白させてたら、他にも冤罪いっぱいあるんじゃないの?と思わず疑ってしまいました。

『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』(2008)監督: ウケ・ホーヘンダイク
 Amsterdam
レンブラントやフェルメールなどの傑作を所蔵するアムステルダム国立美術館の改築工事に密着したドキュメンタリー。2004年に大規模な改装工事が始まるものの、度重なるトラブルによって工事が進まない美術館改築をめぐる騒動の全容に迫る。4年以上にわたる綿密な取材から、異なる立場のさまざまな意見が絡み合い、こじれていった様子が映し出される。(シネマトゥデイ)

真面目なドキュメンタリーのはずなんですが、かなり笑ってしまいました。
出てくる人々もキャラが立っているというのか、皆さん、大真面目なんですけれど、瞬間を捉えた表情、思わずついた悪態等々が笑いを誘います。ナレーションもなく、インタビューや住民説明会やら裏方のプロたち(キュレーターや修復家等だけでなく警備の人々etc)の姿を繋げてある作りです。
さすがオランダというべきか、自転車に乗る市民の意見にこれほど振り回されるとは!?だんだん自己主張の強すぎる市民に呆れてしまうのは、私がお上の言いなりに慣れている日本人だからなのか?
結局この映画内では改修工事は終わらず、このドキュメンタリーには続編もあるそうです。
2004年に始まり、2013年に無事オープンしたそうですが、当初の予定を大幅に延期した改修工事。
これを見た人は思わず完成した美術館に行きたくなると思いますし、改修の終わった国立美術館で「大変だったね〜」としみじみしそうです。

そんなトラブルのため、改修工事の難航ぶりが見どころになってしまっているとはいえ、もちろん美術館の裏方の様子も興味深いです。絵画の修復というのは、時折ドキュメンタリーで見かけますが、映像としても、知られざる技術としてもとても面白いと思います。
またアジア館に無事金剛力士像が到着する場面も印象的です。あまり状態の良くない像ですが、担当者の男性のまあ嬉しそうな顔!文化というものは、こういう個々のオタク(専門家)によって支えられていることがよく理解できます。

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バッド・ジーニアス 危険な天才たち』(2017) 監督:ナタウット・プーンピリヤ ネタバレ注意!
天才少女リンは富裕層の多い進学校に特待生として転入する。親友グレースが成績が悪いと演劇部の舞台に立てないと知り、答えを教えて彼女を救う。そのことを知った富裕層の同級生たちから金銭でカンニングを持ちかけられ、片親で育ててくれた貧乏教師の父に金銭の苦労をかけたくなくて、これを請け負う。ピアノを弾く指の動きから答えを教える方法を編み出し、順調にカンニング業を進めていたが、やがて同じく貧しい家庭の特待生バンクに見つかり校長にばれるが、やがて彼も巻き込み、海外留学資格試験を大規模に仕掛けることになります。
まずタイって随分格差社会なことに驚きました。
リンにカンニングを持ちかけるグレースの彼氏パット、プール付きの家で成績が上がったら親父に車を買ってもらえるとか。リンの親友グレースも印刷所を経営する裕福な家庭の娘。
対する特待生の二人はともに片親で余裕がない設定。とはいえ特別貧乏って訳でもなさそうですが、お金持ちの方のレベルがすごい。だって日本で「プール付きの家」って普通聞きませんよね。

この映画は学園ものとか友情ものって感じではなくて、スタイリッシュな犯罪映画のようで、非常にスリリング。
リン始め登場人物たちが尋問を受けている場面から始まりますが、これは後から分かりますが、実は捕まった時の練習。
留学資格を得るための世界共通テストが山場ですが、時差を使ったトリック。タイより4時間早く行われる試験を受けにオーストラリアに渡るリンとバンク。試験前のいっとき、観光地をバックに写真を撮ったり、二人の間にほのかな心の通じ合いがあります。ここだけこの映画で空気感が違いますが、その後の試験シーンは緊張の連続。鉛筆しか持ち込めないルールを逆手に取ったバーコード印刷の方法も面白い。しかしカンニングの肝の部分は膨大な答えを暗記。確かにこれは天才的頭脳の持ち主でなければできない方法です。

非常に監視の厳しい試験会場で目をつけられてしまうバンク。バンクが捕まった後の、リンの試験シーン。彼女の心の焦りや混乱が映像化された面白い場面です。全問解けたところでリンも途中退席し、監視官に追いかけられてもギリギリまで答えをタイに送信。ここもハラハラドキドキで、2時間半の長い映画ですが、ほとんど長さを感じませんでした。
途中退席で試験は失格するのですが、この時点では資格自体はまだ失っていません。
しかし留学資格も失ったバンク。ラスト、カンニングをビジネス化しようとリンに持ちかけますが…
リンの答えを聞いて、一瞬笑ったようなバンクの顔は答えをすでに予想していたのかも。

しかし、お金持ちの少年少女たち、これでもしもアメリカ留学できたとして、留学してからついていけるのか!?

親友グレースはアイドル顔の美少女で、ヒロインのリンはクールビューティで長身な少女。見るからに頭良さそう。
私はタイ映画って「マッハ!」(2003)というマンガチックなカンフー映画しか見たことなかったのですが、アジアの国々もエキゾチズムで魅せる時代は過ぎたんだなぁと思いました。インド映画『きっとうまくいく』も若者たちを追い詰める受験戦争が描かれていましたが、この映画を見る限り、タイの場合はまず海外の大学に行かないと未来が開けないようで、秀才たちの頭脳が海外に流出してしまうのはなんだか勿体ない気もしましたけれど、これは日本も(ガンの最新研究を思い出せば)アジアのこと言えないんでしたっけ。

『見送ル〜ある臨床医の告白』『ラダック 懐かしい未来』『むらさきのスカートの女』『キュー』

book
09 /11 2019
ずいぶん前に読んでブログにメモを残しておいた「見送ル」から、昨日読み終えた「キュー」までの感想メモ。
私は寝る前の短時間しか読書しないのですが、最近ベッドに入るや否やすぐ寝落ちしてしまい、ほとんど本を読んでません。先日ベッド脇の積ん読本の山が崩れ落ちました。そしたら中から図書館に返却し忘れてる本や、とある先生から借りっぱなしの本が出てきて焦りました。しまった〜!(大汗)

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『見送ル〜ある臨床医の告白』里見清一:著
『偽善の医療』『衆愚の病理』の著者が描く、医者と病院と患者の真実。「小説」でしか描けない、現役医師だけが知る病院の現実。(「BOOK」データベースより)
一応小説の形を取っていますがほぼ自伝のようです。この著者の医療エッセイをいくつか読みましたが、歯に絹着せぬ物言いが癖になります(笑)
患者をえこひいきするなんて当然と開き直るこの先生、年寄りに冷たいところがガックリきますが、それでも臨床医として、非常に優秀かつ頼りになる医師だと思います。
ともかく熱量の多い人らしく、良くも悪くも激しい人で恐ろしく優秀、時に若い女性の喘息患者に対して恋愛感情まで持ちます。反対に無能な人間に対する罵り方も半端ない。この人の患者として大事にされたら、これほどいい先生はいないでしょうが、この人の下についた気の利かない研修医は地獄でしょう。

私も大病していくつか思ったことがあります。
当たってるか否か分かりませんが、名医とは知識と技術が高いのは当然ですが、もしかしたら「勘」も大事なのでは?と思いました。もちろん高い知識に裏打ちされた勘じゃないと怖いですけど。
この先生は内科医ながら転移したガンに抗がん剤後、セオリーとは異なる自らの勘を信じ、ある外科手術をオーダーします。内科医と外科医はあまり仲が良くないらしいのですが(病院の内情をいろいろバラしてます)そういう院内の力関係などには囚われず、ひらめきを大事にして成功した例が出てきます。
反対に難しいケース(18歳の小細胞癌!)で手術に踏み切り、癌治療は上手くいったのに、思いがけない原因で患者が亡くなってしまった例ではどんな名医にも超えられない不条理な運命を感じました。

怖いと思ったのは、(里見先生の後輩医師の)60代男性肺がん患者の話。
もう打つ手が無くなった最終段階にも、「自分が後悔したくないから」と、徹底的な治療を望む患者の娘に担当医は翻弄されます。読んでてゾッとしました。大病したら、元気なうちに家族にはちゃんと伝えておかないと、死ぬに死ねないひどい状態にされそうです。しかし考えてみると、これは無理で無駄な治療を長年してきた医療、死を敗北とし最後まで諦めないのを良しとする医療が人々に植え付た価値観なのかもと思いました。

この先生は素晴らしい医師とは思うものの、違和感もあります。
先にも言った”えこひいき上等”な性格のため、命の選別の姿勢がきっぱりしていることです。私も高齢者に対する積極治療は必要ないと同意するものの、神様じゃないのだから医療者に命を選別する権利はあるのだろうか?と疑問を持ちました。この調子で選別されていくと、「社会の役に立たない者は死ね」となりそうで、ちょっと怖いです。

『ラダック 懐かしい未来』ヘレナ ノーバーグ・ホッジ :著
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押し寄せる近代化と開発の波の中でヒマラヤの辺境はどこへ向かうのか?ラダックに学ぶ環境と地域社会の未来。
「リトル・チベット」と呼ばれるヒマラヤの秘境に押し寄せるグローバライゼーションの波。伝統的社会システムを再認識した上で新たな価値観や社会システムを創造していく道筋をラダックに学ぶ。

’70年代半ば、言語人類学者としてインド北部ヒマラヤラダック地方にフィールドワークに入ったスェーデン人の著者が見た理想郷。
第1章のこの伝統的な暮らしは本当に感心する点が多く、人間にとって根本的な幸せとは?と考えさせられます。そしてそれが’80年代に入り観光開発に伴い、貨幣経済の洗礼を受け、生活、人間関係、環境が急速に変化していきます。しかしこの本は失ったものを懐かしみ、グローバリゼーションを批判して終わるものではありません。もう一度伝統的な文化を守りつつ再生しようとした試みの記録です。
著者はここラダックの暮らしがとても環境循環型であり、相互協力的で、人間関係にストレスが少なく、先進国に比べ人々が幸福であると確信します。
しかし’80年代に入り、海外から観光客がきたことで急激に貨幣経済と都市化が進み、人々が自分たちを遅れていると自信を喪失し、見る見る人間関係にも影響を及ぼしていく過程を真近で観察してきました。
そこから著者たちは再生可能エネルギーによる伝統的な農業や生活を目指し、活動を始めます。
レー(ラダックの中心地)にセンターを作り太陽光壁の住居を普及させ、活動を始めるのが1984年です。未だ手をこまねいている先進国に比べ素早い対応です。もちろん小規模だからできることですが、どこよりも遅れていたはずの暮らしが時代の最先端になるという、それが「懐かしい未来」というタイトルに込められているのです。
この地の循環型の暮らしは、とことん全てを使い倒します。ボロボロの布から、食料、人糞まで、ここには「無駄」という概念がない暮らしです。もちろん貧しい故なんですが、これを先進国でやったら色んな問題が一気に解決しそうです。
この地が’80年代に環境破壊を考え、再生エネルギーの家が普及を始めたのに比べ、何度も石油ショックや原発事故で再生エネルギーへの転換が叫ばれつつも今ひとつ普及しない日本は、もはや夏の暑さでエアコンを一晩中切れない暮らし。よく考えると怖いです。そういう我が家も太陽光を何度か検討しつつも、設置の値段の高さで二の足踏んでます。
それにしても昨今の異常な夏の暑さ、加えてアマゾンの森林火災。少し前に言われていた以上に、温暖化は急速に進んでいて、もしや人類の滅亡は近いのか?と悲観的な気分になってきます。

ラダックは2009年インド映画『きっと、うまくいく』(日本公開2013年)のラスト、主人公が暮らす美しい湖パンゴンツォの風景で有名になりました。主人公は環境に優しい発明をしながら、この地で貧しい子供達のために小学校を運営しています。
またチベット仏教の教えは西洋の一神教の価値観とは根本から異なります。「あらゆるものは相互に依存する関係にあり、「あなた」と「私」、「心」と「もの」という分類も区別も消失し一つに溶け合う。「自己」や「我」も結局宇宙のいかなるものと分離しては存在しない。」とチベット仏教の僧が著者に言う言葉は、アジア人の我々にはどこか懐かしいような不思議な魅力も感じます。

『むらさきのスカートの女』 今村夏子 :著
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最新の芥川賞受賞作を早速読んでみました。
スイスイ読めます。読みやすいです。でもなんというか、何がどういう風に面白いのか?分からない感じなのです。
そもそも芥川賞に面白いもんなし、というのが私の印象でしたが、最近の作品では『コンビニ人間』は確かに面白かったです。コンビニという舞台に時代を映してて、これは面白さの説明がつくような…気がします。鉄壁のマニュアルがあるコンビニという世界だから、変容した人間関係も、奇妙に成長を拒否した人間も、生きていけると思わせてくれました(完全に読み違えてる気もします)。
この小説も『コンビニ人間』と同じように、奇妙なおかしみや危うさが描かれているのですが、それが何なのかよく分かりません。選考委員の批評によるとむらさきのスカートの女と語り手である黄色のカーディガンの女は同一人物?みたいなことも書いてありますが、確かに最後に入れ替わるものの、同一人物ってことはないと思うのですが…。そもそもむらさきのスカートの女は読み進めていくと全く平凡な普通の女なのです。語り手の黄色のカーディガンの女は異常な執着でむらさきの女のストーカーと化しているのですが、何がそれほど彼女を惹きつけるのか私には全く分かりませんでした。
う〜ん、読みやすいけど何だか色々と腑に落ちません。本の内容がというより、芥川賞って何だか”ヘンテコで賞”になりつつあるのかしら?それに「むらさきのスカート」って言ってるのになんで表紙は水玉のスカートなん?

『キュー』上田 岳弘 :著
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『ニムロッド』で芥川賞を受賞した著者の最新作。
心療内科医の立花徹が主人公と思って読み始めると……。
一人称形式ですが、この「わたし」が立花徹以外にもたくさんいます。頻繁に切り替わる構成で、1行開けて別の「わたし」の話になるため、最初はこの「わたし」は誰?と思いつつ読みました。
「わたし」は徹の高校時代の同級生だった藤堂恭子(広島の原爆直下で焼かれ亡くなった少女の記憶を持つ)だったり、徹の祖父立花茂樹だったり、満州国を作った石原莞爾という実在の人物だったり、700年後に冷凍睡眠から目覚めた最後の人間だったり、人間そっくりなアンドロイド(Rejected People)だったりします。時代も戦前から現代、700年後と頻繁に入れ替わります。さらに太字の部分はAI?によるこの世界の人類の歴史というのか、小説の補足になっています。

ベースに石原莞爾の「世界最終戦争論」という実在の軍事思想から着想を得た(らしい)世界が進むべき2つの針路、「錐(すい)国ギムレッツ」と「等国レヴェラーズ」という2つ結社?が秘密裏に攻防を続けているという設定。
「錐国」は全人格を注ぎ込んだ全てを兼ね備えた人間を頂点に担ぐ体制。こちらは絶対君主制の北朝鮮やら日本の戦時中の天皇中心の軍国主義やら、一応イメージできます。その頂点に立花茂樹の脳が使われているんだそうで、孫である徹は対立する「等国」に拉致されます。祖父立花茂樹は戦中は石原莞爾の片腕として、戦後はフィクサーとして暗躍した非常に頭のいい人なんですが、’70年代狭山の地下でAll Thingという謎の物質に触れたことをきっかけに50年以上寝たきりになり(おそらくこの間彼の脳は錐国の頂点として機能?)、しかし突然目覚め行方不明になります。そして徹は自分を拉致した武藤という「等国」の調査員と共に祖父の行方を追います。
対する「等国」は昔選挙権は男性にしかなかったものが女性にも解放されたように、全ての権限を砕いていく社会らしいのですが、原始共産制とかアナキズムみたいのを目指してるのか?私にはイマイチイメージできませんでした。
全ての人格を注ぎ込んだ究極の雛形指導者とか、全ての権限を解放する究極の平等とか、どちらも「個」の境界を払うことで成せるなら、結局同じゴールに行き着きそうじゃない?とつい思ってしまいましたが、一体何を目指しているのやら?
それから徹の高校の同級生藤堂恭子は原爆で亡くなった前世の記憶があるというだけでなく、第2次大戦が”入っている”という女性で、うちの夫と対抗できるほど第2次大戦に関する全ての知識が入っています。彼女が何者かはいずれ分かるのですが、まあ事ほど左様にヘンテコな話です。

しかし荒唐無稽なようで、どこか既視感もあります。わたしはSFを読まないので分かりませんが、おそらく「全ての”個”の枠が取り払われ、個体は境界線をなくす」という発想は極端な全体主義を表すのか?また児童文学の『どろんころんど』がそうでしたが、究極の平和を目指す発想としてもあると思います。『どろんこ』は人類は戦争に嫌気がさし、絶対平和を目指し一体化し泥の海になります。そこをロボット達が人間を探して旅する話でした。全然違うけれど「惑星ソラリス」もソラリスの生命体って海じゃなかったっけ?
あ、それに「「あなた」と「私」、「心」と「もの」という分類も区別も消失し一つに溶け合う」って上で感想を書いた『ラダック』にあったチベット仏教にも通じていません?そうか!もしやこれって仏教の考え方なのかしら?
それからAll Thingはオレンジ色の板状の形状で、そこから何でも(人造人間も)生み出せます。これはモノリス(『2001年宇宙の旅』)を思い出しました。

聞きなれない言葉がたくさん出てくるし、切り替わりが多すぎるし、時代が戦前から700年後まで飛ぶので、読みやすくはないけれど、あまりに変テコかつ怒涛の展開のため、読み出したら止まらなくなって、夜更かししてしまいました。
パーミッションポイントという言葉が繰り返し出てきますが、今まさに「シンギュラリティ」とやらAIが人間の知能を超えることが現実に問題になってるので、”言語”も”個”もなくなる設定もありかも?
700年後、冷凍から目覚めた最後の(生身の)人間が「生まれてきたことに怒りしかなく、引きこもりで薬のオーバードーズで廃人になった日本の若者」という設定も切なく、藤堂恭子が700年後、女型の人造人間Rejected Peopleとして生まれ変わり、最後の人間と最後の人造人間の2人はともにテニアン島で暮らし、恭子(女型の人造人間)が一人迎えるラスト。
恭子という女性は広島の原爆で亡くなり、現代では第2次大戦の記憶とともに生き、未来では人造人間として原爆を積んだB29が飛び立ったテニアン島で暮らす。ずっと通底に響く憲法9条。
戦争を重要なモチーフにして、人類の行き着く先までも描いているので、「人間はどこに行くのか?」みたいな壮大な物語として読めます。が、私にはこの小説が何を言いたいのかは正直難しくてよくわかりませんでした。
誰かに感情移入して読むのが難しいタイプの小説ですが、人造人間が”寂しさという感情のみを持つ”という設定に心惹かれました。Rejected People(拒否された人)という名前も切ない。この小説は感情移入はしにくいのですが不憫萌えの琴線には触れます(笑)

私は映画でも過去や現在が切り替わる話は好みなので、とても面白く読みましたが、NHK大河ドラマ「いだてん」が時制が切り替わるのが嫌だという人が多く視聴率が悪いと聞いて、へえ〜と思ったので「いだてん」がダメな人には勧めません。(「いだてん」とじゃ全く話が違うけど共通点もあります。戦争はどちらも出てくるし、オリンピックは生身の人間がいなくなった後も人造人間が4年ごとに開催しているんです)

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』監督:クエンティン・タランティーノ

cinema
09 /04 2019
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テレビドラマから映画俳優への転身を図ったものの、人気が落ちめで不安を抱える俳優リック・ダルトンをレオナルド・ディカプリオ。彼に雇われた付き人兼スタントマンで親友のクリフ・ブースをブラッド・ピット。ハリウッドの高級住宅街の隣に新進気鋭の映画監督ロマン・ポランスキーとその妻シャロン・テート(マーゴット・ロビー)が越してくる。

タランティーノがシャロン・テート事件を映画化した、と聞いて見てみました。
見始めてすぐに、あ、これはシャロン・テート事件の話じゃなくて、'69年当時のハリウッドグラフィティなんだな、と気づきました。スティーブ・マックイーン、ブルース・リー、パーティのプレイボーイメイト(バニーガール)、音楽(私に分かったのはサイモンとガーファンクル位ですが)、車、ヒッピー、LSD、当時の時代を知っている人が見たら懐かしさでいっぱいでしょう。実在及び架空のTVドラマや映画が次から次へと出てきて、すごく楽しい♡ マックイーンがそっくりでびっくり。ブルース・リーは神格化される前の生意気なガキンチョぶりが笑えます。
ディカプリオとブラピがお互い愛し合ってる感じも微笑ましい。
特に不安からすぐに涙ぐみ、反対に演技がうまく決まった時も感激で涙ぐむメンタル弱々なディカプリオがすっごくキュート。私はディカプリオは若い時から全ての作品を見ていて、全作品をDVDにまとめています。ではファンか?と言われると、何歳かも知らないくらいディカプリオ自体には興味はありません。でも映画で見る彼はその表情の豊かさにいつも魅せられるお気に入りの俳優です。
ブラピ個人はさらに興味のない俳優ですが、ここのブラピ演じる心優しく凶暴かつ気のいい兄ちゃんはなんともチャーミングです。
それからシャロン・テートがすごく可愛い。演じるのは「I・トーニャ」が素晴らしかったマーゴット・ロビー。まだ誰も知らない新人女優だった彼女が映画館で自分の出ている映画を一人見るのですが、自分のコメディ演技に観客が笑ってくれる場面、彼女の喜びが伝わってきて見ているこちらまで嬉しくなってしまいます。
しかし我々観客は彼女を襲う悲劇を知っているだけに、ラスト、悲劇の起こる晩の場面になって緊張が高まってきて……緊張が高まってきて……!!??
いや〜、タランティーノ、どこまでも人を喰ってる監督です。でもこれは監督の優しさなのかも?
同時に’69年と言えばヒッピーを抜きには語れない時代ですが、彼らには厳しい。ヒッピー村でブラピが昔の友人を訪ねる場面、ここも本当に人を喰ってて、思わずずっこけました(笑)

映画館を出てきて友人と、我々は『大脱走』とか、マックイーンとか、ブルース・リーとかマカロニ・ウェスタンとか知ってるし、子供だったけれども’69年当時の世相も記憶があるからめっちゃ面白かったけれど、果たして若い人や、しっかりした起承転結のドラマが好きな人が見たら、これってどう思うのだろうか?という話になりました。タランティーノにしては残酷描写はラストの一部のみで優しさ溢れる映画でしたが、万人にオススメかといえば「?」です。でも私的にはワクワクするとても面白い映画でした。

tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。