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『プーと大人になった僕』  監督:マーク・フォースター

cinema
09 /19 2018
pu~

成長してロンドンで多忙な生活を送るクリストファー・ロビン(ユアン・マクレガー)は、妻子と故郷で過ごすはずだった週末まで仕事でつぶれてしまう。そんなとき、少年時代の親友プーが彼の前に現れ、一緒に森の仲間たちを捜してほしいとロビンに頼む。思い出の“100エーカーの森”を訪ねたロビンは、プーやティガーらとの再会を喜ぶ。(シネマトゥデイ)

友人が2枚チケットをもらったそうで、誘ってくれました。ありがとう♪
幼児期のプーとその仲間たちとの思い出、寄宿学校、戦争、結婚と映画の冒頭、要領よくクリストファー・ロビンの成長が描かれます。そして第2時大戦後の現在、40代?となったクリストファー・ロビンの生活はブラック企業の猛烈サラリーマンといった様子。
そこにプーが現れ………

「くまのプーさん」は読んだことがありません。
でも冒頭、プーさんのイラストでざっくりプーのお話が紹介されるので知らなくても問題はありません。
クリストファー・ロビン、大人になると、「何もしない」を忘れないどころか、家族と過ごす約束を反故にし、休日も仕事漬けのサラリーマン。それも効率化担当で少しでもコストカットしたり、リストラ対象を絞ったり、なんだかとっても現代的です。
家族の心も彼から離れている様子。
そんな時現れるプーに対して、コストカッターの大人としてではなく、ジタバタしつつもプーを振り切れず、結局森までやってくるクリストファーが面白いです。
プーさん、なんともトロくてマイペース。蜂蜜をこぼして家中ベタベタにする場面では、つい主婦根性が出てしまい、うわっこんなクマがいたらめっちゃ腹たつわ〜と思ってしまった(笑) でもそんなプーに振り回され、プーに再会できて嬉しいものの、かたや明日の会議の準備が気になる、始終困ったような顔のユアン・マクレガーがいい感じです。
ただ!私は吹き替え版で見たのですが、声が堺雅人で(堺雅人は好きな俳優なんですが)、どうしてもあの顔がちらついてしまい邪魔でした。有名俳優を声優に使うのはなんでかしら?やっぱりプロの声優さんを使ってくれた方が、映画の邪魔にならなくていいと思います。

社長の息子で嫌な上司役はドラマ「シャーロック」で、シャーロックの兄役のマーク・ゲイティス。
この人、とってもイギリス人ぽい印象。
監督は『007/慰めの報酬』『ワールド・ウォーZ』『チョコレート』『ネバーランド』などのマーク・フォースター。随分いろんなタイプの映画を撮れる人のようです。

プーと再会して子供の心を取り戻すわけではなくて、娘が行方不明なって、パパとして色々反省し、さらに最後に社長に提案するアイデアなんて、まさに新しい購買層を生み出す逆転の発想で、いろんな意味で本物の大人になった「やり手サラリーマン・クリストファー・ロビン」のお話でした。
戦後のロンドンのファッションや風景も見どころです。
ぬいぐるみは可愛いというよりも、ぬぼ〜っとした癒し系で、人間との合成も自然です。
大人目線でも子供目線でも楽しめるとっても楽しい映画でした。
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読書メモ (『第五番 無痛Ⅱ』  『私の少女マンガ講義』  『対岸の彼女』)

book
09 /03 2018
『第五番 無痛Ⅱ』 久坂部羊:著
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日本で新型ウイルスによる「新型カポジ肉腫」が多発。急速に転移し死亡率も高く日本中が恐慌に陥る。創陵大学准教授の菅井はこの新疾患の発見を自らの地位向上のチャンス、医学界における皮膚科医の地位向上ともくろみ研究に没頭する。しかしあらゆる治療が効かず、菅井自身も発症する。一方ウィーン日本人会の医師をしている為頼はメディカーサというWHOの関連組織から入会の勧誘を受ける。ベストセラー『無痛』の続編。ネタバレあり!

色々と怖かったです。
まずこの新型カポジ肉腫の描写がグロテスクで怖い。次に何者かによる医師連続殺人事件。そして一番怖いのが、先に述べたWHOと関わりのある秘密結社の陰謀。

主人公の医師・為頼を中心に、「無痛」から引き続き主要人物たちが登場。新たな面々を加えて、日本とウィーンを舞台に派手になった気がします。これはドラマ「無痛」の続編を考えて映像化が念頭にあるため?

今回も久坂部羊作品らしく、医療に対する考え方が出てきます。
医療というものは例えば疫病が流行り人々が病に恐怖を感じるときに、最もその社会的地位が高まる、という本質的な矛盾が語られます。例えば平和運動家は世の中がすっかり平和になり、戦争の危機がなくなれば必要がなくなるとか。
世の中から病が無くなったら、医療者は尊敬も地位も揺らぐかもしれないけど、だからと言ってこんなアホなことを考えるか〜!?と呆れるのは、おそらく私が甘いのでしょう。
確かにエイズは実験室から生まれたという話は聞いたことがあります。
そう考えて、再度プロローグを読むと、超恐ろしい。

今現在、日本で医師やってる人たちは、とりあえず子供の頃から勉強ができて頭がいいわけですよね?
そういう人は社会の価値観が変われば、その都度ちゃんと他の社会的地位の高い職業をやれる人々だと思います。
だから次々新しい疫病を流行らせてまで医療の価値を保つなんてありえないと思うものの、例えばケネディ暗殺はベトナム戦争からの撤退と軍の縮小を考えていたため、軍産複合体に暗殺されたetcという陰謀論もありますから、全く可能性0ではないところが怖いところです。

話はずれるけれど私が10代の頃、少年たちにサッカーは人気がなくて、サンマをポスターに起用したり、釜本がヌード(笑)になったりして、子供達のサッカー離れをとなんとかしようとサッカー協会の人たちが努力してました。その頃なぜか私はサッカーをよく見てて、その後Jリーグが発足して世の中がサッカー人気になったら全然見なくなっちゃって、なんでこう世間とずれてしまうのか?ま、それはどうでもいいけど、サッカー低迷期にもサッカーを愛する人たちがなんとかサッカーの魅力を伝えたいと思ったわけじゃないですか?だからそれは理解できます。
でも人々が医療者に敬意を払わなくなると困るからといって疫病作って流行らすってのは、発想としては同じなのかしら?いやいやまさか全然違うよね。ただそれとは別に兵器として人為的にウィルスを作る、というのはありえると思います。それがテロや事故でばら撒かれる可能性はあると思います。こわっ!

小説は「無痛」に比べ、さらにどぎつくなって、医師の評判を貶める悪評医師たちを次々殺すって、久坂部さん絶対同業者に嫌われてると思います(笑) 「神の手」でも医師の評判を貶める一部の悪徳無能医師に対する怒りを感じましたが、どんな職業でも(警察とか医師とか役人とかは特に)大半の人は真面目にやっていて、ほんの一部の人の悪評が全体の信頼を下げるというのはあると思います。
あと、どうでもいいけれど、久坂部羊さんの女性の好みは女性らしいおしとやか系ですね。
「神の手」の主人公白川の愛人になる看護師とか、こちらの臨床心理士の高島菜美子さん、共有するものがあります。
それに比べて悲惨な目に会う女性陣にも共通するものが……
連続殺人の被害者の女性医師とか、美貌の日本画家、どちらも自己主張が強いキツイ女性です。
ところで久坂部さんっておいくつ?あら、私といくつも変わらない。もっとお年かと思いました。女性の好みが大変古風でいらっしゃいます。
後半無茶苦茶なアクションになってますが、これはこれでいいとして、小説として残念なのは主人公為頼のキャラクター。「無痛」ではもっと皮肉屋で面白い人だったのに、高島さんと恋仲になって毒っけ抜けてるのが個人的に不満です!(笑)


 『私の少女マンガ講義』 萩尾望都:著
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『リボンの騎士』から『大奥』まで、少女マンガの歴史をひもといたイタリアでの講義を完全収録。創作作法や新作『春の夢』など自作についてもたっぷり語り下ろす。(「BOOK」データベースより)

萩尾望都がイタリアの大学で日本の少女漫画史について、また自作について語った講義。他にもインタビュー形式で、自作について語っています。コマ割りについて詳しく語っていて、漫画表現におけるコマ割りの大切さを知りました。
『リボンの騎士』から『大奥』という作品のチョイスが戦後日本のジェンダー論になっています。

40年ほど前、池袋の西武で、手塚治虫、松本零士、萩尾望都の三人の対談を友人と見にいきました。
我々の目的はもちろん萩尾望都だったのですが、モト様ともかく大人しい。
手塚治虫が一生懸命彼女に話を向けようとするのですが、下を向いたまま「ええ」とかいうだけ。
結局三人の対談は松本零士と手塚治虫の二人のおじさまのおしゃべりで終わったのです。
「よっぽど人前で話すのが苦手な人なんだな〜」と、それはそれで繊細な作品を作り出す作者らしくて好感を持ったのですが、月日は人を変えるのですね。
イタリアの大学でこんな講義をしてるとは!?招聘側のイタリア人教授もとてもおしとやかで物静かな女性だけれど、演壇に上がる直前、自信に満ちた表情に変わった、と当時の印象を書いています。なんかそれだけで感慨深いものがありました。
私はそれほど熱心な漫画読者ではなく、高校時代は少年漫画を読んでいてお気に入りは「男組」でした(笑)
しかし大学生になってから、一転少女漫画を読み始めました。
その頃の少女漫画はとても新しく実験的で、傑作がたくさん生まれていた時代だったと記憶しています。
萩尾望都、大島弓子、山岸涼子が活躍していて、大島弓子は大人になるのが怖い少女の気持ちが共感できましたし、山岸涼子は独特の絵で不気味さとクールさがかっこよく、萩尾望都はストーリーテラーとして特にSF作品が好きでした。

少女漫画の面白さとはなんだろう?この年になっても面白く感じられるのか?本当に久しぶりに少女漫画を買いました。萩尾望都氏の「ポーの一族 春の夢」「ポーの一族」の40年ぶりの続編です。他にも’80年代後半からの作品はほとんど読んでいないので、読んでみようかな?果たして今の私に少女漫画は理解できるのか?自分の中に眠る少女を呼び起こして、できるものなら可愛い婆ちゃんになりたいものです。

 『対岸の彼女』 角田光代:著
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女性作家は喰わず嫌いで、ほとんど読んでいません。”初”角田光代です。
出かけるのに文庫本ないかな〜と子供部屋で見つけ、読み出したら意外な面白さ。
こういう女性心理を扱った作品をおもしろく感じられるようになったとは…年は取ってみるものです。

中学1年の時、仲良しのN子に体育館の裏に呼び出され、いきなり「トン子、なにブー子と仲良くしてんのよ!」とどつかれました。これに切れた私は身長10cmは高いN子をどつき返し、「私が誰と仲良くしようが、私の勝手だろ!なんであんたにそんなこと言われなきゃならないんだよ!」とブチ切れました。周りに同じグループの子たちもいましたが、やりあった記憶はありません。私の怒り方にびっくりしたのかもしれません。この事件は普段温厚な平和主義者の自分がどういうことに一番怒りを感じるのか?まさに”私の勝手”な領域にイチャモンつけられると腹がたつと自覚した一件でした。
N子はでかいだけでなく、ハーフっぽい美貌と輝くような笑顔で(風吹ジュンにそっくり)当時不良の溜まり場だったローラースケート場に遊びに行くと、遥か年上の男どもまでウショウショ寄って来るような女の子だったのですが、本人はいたって真面目な子で、「今日は後ろ滑りを練習しよう!」と我々は真剣にローラースケートの練習をしていて、変な男が寄って来ると一緒に走って逃げてました。
話を戻すと「ブー子」と言うのは太ってちょっとルーズな女の子でしたが、たまたま当番か何かをきっかけに私は彼女とお喋りする仲になったのですが、N子はこのブー子を毛嫌いしていたらしく、冒頭の体育館裏への呼び出しとなったわけです。
この一件以降、私はそれまで以上にN子と仲良くなり、ブー子とも仲良くしていましたが、仲間はずれだのイジメだのに会った記憶は全くありません。そのせいか大人になってイジメで自殺などと言うニュースを聞くたびに、申し訳ないけれど、そんなことぐらいで自殺する子は弱すぎるんじゃないのか?と批判的に考えていたのです。
でも、もしかしたら私が陰湿な人間関係に巻き込まれることなく済んだのは、ただ単に周囲に恵まれラッキーだっただけ、なのかもしれないと思うようになりました。

確かに女性たちは結婚している、子供がいる、働いてるetcで自分たちを分類し、ボーダーラインを引く傾向は多いと思います。
でもこの小説の中にあるように幼稚園組の主婦たちが保育園の子供や親の悪口言ったりしている場面は見たことがありません。幼稚園でも短時間働いてる母親も多かったし、途中夫が失業してその間自分のパートを増やすため保育園に移り、夫の仕事が見つかったら戻ってくる人もいたり、小学校でも仲の良いママ友は病院勤務の栄養士で正月まで働いてるような人でしたが、働いてる親と専業主婦の親の間に確執なんてあったのだろうか?
 幼稚園以前の、公園に通っている時期もちょうど「公園におけるママ友いじめ」がマスコミの話題になり、マスコミ関係の知り合いに色々聞かれましたが、そんな話は聞いたことないと答えました。しかしその後、とある社宅に住むママ友のお宅に行った際、同じ社宅の母親が人間関係からメンタルを病み子供を預けて精神科に通っている話を聞いて驚きました。
確かにイジメだの、仲間はずれだの、色々現実にはあるんでしょう。自分がそんなダークサイドに巻き込まれなかったのは、自分の人生のラッキーな一面だと思えます。(その分、他で色々アンラッキーな面もあります)

葵とナナコの少女時代のパートは実はよく理解できなかったのですが、少女時代の自分が読めばきっと何か感じるものがあるのだと思います。上の『私の少女マンガ講義』 に書いたように、少女マンガを読み返して、自分の中の「少女」を思い出してみたくなりました。

子供の部屋にあった本なので、感想を聞くと、「小夜子の夫はクソだな。あんなババアに育てられるとああいう男になるんだと思うから、そういう男と結婚しないように気をつけよう」だそうです。育て方のせいか、口が悪くてすみません(汗)
人間関係の悩みというのは、ある時はそれが追い詰められるほどの大きな悩みになるけれど、乗り越えてしまうと、状況は同じでも、それは”どうでもいいこと”になる。
人と人との関係も同じ人間でも分かり合えたり、宇宙人のように遠く思えたり、生きている限りそれは続くと思います。
普通に生きてるだけでも、様々なめんどくささを抱えていて、ドラマのネタはいっぱいあるってことがよく分かる小説でした。

『検察側の罪人』 監督:原田眞人

cinema
09 /01 2018
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少し前にあまりの暑さのため、熱中症が心配で両親をショートステイでホームに入れました。
いわゆる住宅型のため、介護の必要はない人も多くいて、ホームの雰囲気はかなりいいです。
最初は抵抗しており今も毎日電話はかかってきますが、母は友達もできたようで、父は酒と新聞と本があればどこでもいいようで、もしかしたらこのまま行けるか!?と期待しています。
今日も今から会いに行くのですが、この暑さの中、頻繁にホームに顔を出すのはかえって億劫な時もありますが、寝たきり老人になったときのことを考えると、今からホームが快適なところで、そこにみんなが会いに来てくれると安心させることが大事とのケアマネさんのアドバイスです。

で、キムタク主演の映画です。こういう映画もシニア料金と思うと見にいけます(笑)
ストーリーは面倒なので省きます。
要素がてんこ盛りな上にスピーディーな展開ですが、見ていて訳が分からなくなることはありません。これは職人芸なのかというと、ちょっと違う気もします。
おそらく、芯になる物語があって、たくさんの要素がその芯の物語に絡んでこない印象なのです。
芯のストーリーがあるけれど、それに絡むことなく、たくさんの要素がウショウショ出たり入ったりしている感じ。
というと貶しているようですが、別につまらなくはありません。普通に面白くて退屈はしません。
キムタクは何をやってもキムタクでまるで金太郎飴のような人だと思っていましたが、今回のキムタクはキムタクであることを意識しないで見れた感じです。締りのない顔した若いイケメンが多い中、渋みがでてきていい中年になりそうな予感です。
逆にニノはまさにニノという感じ。これは原作を読んでいるH子に言わせるとまさに原作がニノのイメージなんだそうです。
松重豊は最近いい人ばっかりだったので、久しぶりに得体のしれない悪人役が面白かったです。
ストーリー的には、う〜ん、検事がここまでやるからには、もっと過去の被害者との絡みを見せて説得力欲しいところだけど、反面それやるといわゆる臭い描写も多くなりそうだし。だったら被害者を身内に変えるとか、設定を変えてここまでやる心理に説得力持たせた方がいいのか?
ラストは不満を持つ人が多そうですが、私はこれでいいと思います。
キムタクが学生時代の友人たちと食べている豪華な中華はなんだろう?真っ赤なパプリカorトマトの中に詰め物のある料理。キムタクが家族で食べているフレンチも美味しそう。

ところでこの映画は姉のH子と見に行ったのですが、H子と映画なんて一体いつ以来だろうという話になり、思い出せる限り一緒に映画を見た記憶は「Uボート」ぐらい。Uボート、なんと1982年日本公開だから36年前です!実に36年ぶりに姉妹で映画鑑賞。別に感慨深くもありませんけどね(笑)

tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。