FC2ブログ

『神の手』 久坂部羊:著

book
07 /31 2018
godhand1.jpggodhand2.jpg
またしても久坂部羊です。
こんなに続けて1作家の本を読むのは、かの「沼田まほかる」以来かもしれません。沼田まほかる、世間のブームの数年後、私の周辺で突如ブームがおき(ってたった3人の間ですけど)取り憑かれたように読み続け、読んだ後、例えば「彼女がその名を知らない鳥たち」の陣治は映画化したら誰が適役か?等々けんけんがくがく盛り上がりましたっけ。(ちなみに昨年映画化され、陣治役は阿部サダヲでした)

久坂部羊にハマったのはやはり肺がんの経験が大きく影響しています。
病気が分かった時点では冷静に見ることができなかった「医療」というものに対し、客観的な興味が出てきたことが大きいと思います。
医師で作家というと、古くは森鴎外、北杜夫、と色々いますが、私が読んだことあるのは、加賀乙彦、帚木蓬生、南木佳士はがんセンターで順番待ってる間に1冊だけ読んだっけ。海堂尊はドラマはよく見るけれど、何か1冊読んだけど全くピンとこなかった。
久坂部羊の面白さは、作品の中に著者の医師としての本音が出ていることです。
時々、この人、医師の間で相当嫌われてるんじゃないだろうか?と心配になるほど、医療界の裏側をバラしてくれています。
例えば、「糾弾」の中で、人間ドッグ専門クリニックに勤める看護師が話す人間ドッグのカラクリ。
人間ドッグに来るような人はだいたい健康に気を使ってる人が多く、異常なしの人が多い。でもそれだとリピート客が減るため、わざとはみ出すようにいくつかの正常値を操作。これとこれは少し心配だからまた半年後来てください、とするカラクリなど。
「虚栄」の大学病院における外科、内科、放射線科等の縄張り争いや、カースト性の凄まじさ。
そしてこの「神の手」は安楽死の問題を扱っているのですが、この中の全日医師会というのは実在の日本医師会がモデルらしいのですが、政治家に圧力をかけたり、診療報酬に強い影響力を持っている医師たちの利益団体として描かれています。
この中で一番気になったのは、例えば優れた医師が1枚のレントゲン写真でガンを見つけられるとして、下手な医師は5枚の写真でようやく見つけられるとする。すると5枚の写真の医師の方が儲かる、というしくみなんだそうです。
下手な医師にかかると患者は余分な放射線も浴び、お金もかかるってことになるわけ?う〜ん。
こんな風に業界のカラクリを素人に暴露しちゃって、一時期の近藤氏よりもお医者さんを敵に回しているのではないかしら?

さてこの小説、『神の手』は安楽死をめぐり、日本の医療界全体の問題を描いた長編小説です。
読み始めてしばらくは主人公白川の行った安楽死は患者のために一点の曇りもないと思われるし、遺族の母親が共感できないうるさ型のコメンテーターだったりすることもあり、読者としては安楽死反対派は実態を知らない、なんでも反対の悪しきジャーナリズムの象徴に思えます。
しかし読み進めていくうちに、安楽死を認めることで起きる新たな問題も見えてきて、その複雑さに迷わされます。例えば日本のように同調圧力とやらが強い国民性では、周囲から圧力かけられ、自分の意思より周りに迷惑かけたくないと安楽死を選ぶ可能性はあるかも?と考えさせられました。
主人公白川は日本の医療崩壊を根本から立て直すと言っている組織JAMAの広告塔として利用されます。しかし誠実で目の前の患者に寄り添いたいと考える白川はこの一人のカリスマ医師率いるJAMAに違和感を感じ、安楽死そのものにも揺れ動き続けるのです。
やがてのJAMAの専制的なシステムやカリスマ代表のスキャンダル、反対派を闇に葬る暴力団抗争さながらの死人続出ぶりは、もはや医療小説とは思えない展開になっていきます。
この中で医師たちが反対派の女性を闇に葬る殺人の手口が怖い。なるほどこんな風に殺されたら解剖しても絶対に殺人と分からないんだ!?とゾッとしました。

先ほど出た日本医師会も発足当時は日本全国津々浦々まで医療を受けられるようにし、日本の医療の地盤を作ったのですが、どんな組織もいつの間にか自分たちの利益優先に陥ってしまうことが分かります。
JAMAはまず、無能な医師を排除することを前面に掲げるのですが、患者にしたら命が関わるだけに無能な医師はさっさと排除して欲しいところですが、では「無能」の基準は何か?と言われたら、案外難しいかもしれません。
例えば近所のジジババの話に相槌を打ってくれて、毎回無難なビタミン剤でも出すお医者さんは無能か?いや絶対必要な医師だと思います。個人的に私がこんな医師はいらないと思うのは、群馬大の事件みたいに10人以上の内視鏡手術を失敗しつづけまだやってた人ですね。要するに患者に何が必要かよりも自分のやりたい手術や治療を優先する人。そんなバカな医者はいないだろうと思いたいところですが、私は過去に耳鼻科でこの手の医師に会い、ひどい目に会いました。耳鼻科で死にかけるとは思いもよらず、以来患者の話を聞いてない医師に対して恐怖心を持つようになりました。

この本は最終ページのすぐ隣に参考文献一覧があるので、自然と目に入ったのですが、10冊の参考文献のうち4冊が連合赤軍とかあさま山荘事件関連の本なのです。これは「夜の谷を行く」 桐野夏生の感想に書きましたが、私が子供の頃の事件で、なぜ医療小説と関係あるのかが分かりませんが、カリスマ指導者が率いる組織が狂気に駆られていく過程の参考にでもしたのでしょうか?
そう考えると、ちょうどオウム事件の死刑執行が注目を浴びてる今日この頃、カリスマ指導者に率いられる組織の狂気という点ではまさにタイムリーな読書だったかもしれません。
映画「実録 浅間山荘への道程」若松孝二監督は、ジャンル的にはしんどそうだけど一度見てみようかな。

そこで思ったのですが、この著者は「虚栄」では大学病院という組織の狂態を描き、ここでは旧医師団体の腐敗と新団体の狂気を描いています。久坂部羊さん、もしかしてとことん組織が苦手な人なのでは!?だったら医療界の裏側を暴露して多くの医師に嫌われたとしても本人はケロっとしていることでしょう。
この小説は安楽死について考えさせられるだけでなく、組織というもののメカニズムまで描こうとした大作だと思います。

ところで、プロローグとエピローグに出てくる「センセイ」と呼ばれる人物の実態は…(ネタバレ注意!)巨額な利益を生み出す製薬業界のために政治家を動かし法律を作らせるロビイストだったことに唖然。まさか腰が低いこの人が!?最後までわかりませんでした。「全ては利益のために」安楽死をめぐるこの大騒動があったのか?とガックリこさせる辺りは、皮肉屋の著者らしい終わり方だと思いました。
スポンサーサイト



『無痛』 『糾弾』 久坂部羊:著

book
07 /17 2018
mutu.jpg
『無痛』
またまた久坂部羊の小説です。
図書館に他の用事で行ったついでに「久坂部羊」の棚をチェック、空いてると借りてしまうのが習慣になってきてます。
そこで「無痛」があることはあったのですが、あまりにボロい。汚い。シミだらけ。以前図書館でパートしてましたが、思わず廃棄本ケースに放り込みたくなりました。おまけに内容が一家4人惨殺事件。こんな内容をこんな汚い本で読むのは気が滅入りそう…と、ネットで状態良好の古本をポチッと購入。
読み始めてすぐに、あれ?これはドラマで見たわ、と思い出しました。
見るだけでその人の病気を見抜く主人公の医師、為頼が西島秀俊、最新式の大病院のやり手院長白神に伊藤英明、臨床心理士に石橋杏奈。主人公の刑事に伊藤淳二でしたが、原作では刑事は脇役です。
これは今まで読んだ久坂部羊の小説の中でもっとも映画やドラマ向けの作品で、次々事件が起きて読み出したら止まらないタイプなんですが、原作の方がドラマよりも気持ち悪かったです。犯人が特異体質の上に精神障害もあり、刑法39条の抱える問題がこの小説の根底に流れています。
凄惨な場面以上に気持ち悪かったのが、シングルマザーの臨床心理士の前夫。彼女が子どもに父親が必要と思い、婚活で知り合い再婚するも、短期間で別れた後、ストーカーとなるこの前夫が最悪!心理士のくせに、ここまでゲスな人となぜ見抜けず再婚したの?と呆れました。この人の出てくる場面が気持ち悪すぎて飛ばし読みしてたら、途中で、あれ?この人なんでこうなってるの?と分からなくなり、イヤイヤながら戻って読み直すはめに(´д`;)

この小説でも主人公為頼を通じて、著者の医師としての考え方が出てきます。この著者は一貫して、病は医師が治すのではない。治らないものは治らないから無駄な治療はするな、という考え方のようです。
印象深いエピソードが、大学病院時代、為頼はあるガン患者に手術するのはムダで患者を苦しめるだけと反対するのですが、他の医師たちに反対され、それまで大学病院という性質上、医師たちの練習台や研究のために仕方なく、無駄な手術や化学療法をしていると思い込んでいた為頼は、他の医師たちが本当にそれが患者のためと能天気に信じていることに気がつき絶望、大学を去ったという設定です。
別に為頼は超能力者というわけではなく、注意深く見れば分かるものを、他の医師が気づかないことに絶望するのですが、普通は相当のベテランかつ名医で初めて分かることを、若くして見えてしまうのだから普通ではないと思います。でも患者としては怖い話です。だって多くのムダで辛い治療がなされているってことになる訳ですから。


『糾弾 まず石を投げよ』 
kyudan.jpg
これは医療ミスを題材にしたミステリー、ということですが、医療ミスと聞いて素人が考えるのは、お腹にハサミ置き忘れたとか、薬間違えたとか。
主人公の医療ライター菊川はそもそも「医療ミス」とはなんぞや?と考え、こういったあからさまなミス以外に、医療者にしか分からないもの、さらにその当事者の医師にしか分からないものと3種類あると分類します。
この小説で医師三木が自ら医療ミスを告白、遺族に賠償金を支払ったものは3番目の担当医師本人にしか分からないものでした。
それを医療ライター菊川は誠意の現れで稀に見る誠実な医師と思うのですが、やがてもしかしたら医療ミスどころか、これは殺人ではないのか?となる訳です。
ざっくりそう言うと、三木は誠意ある医師なのか、もしくは殺人鬼なのか?と思いそうですが、そういう方向のサスペンスにはなりません。思うに三木は変人です。
「悪医」や「虚栄」の主人公格の医師たちが温かい家庭を持ち市民感覚のある人だとすると、この三木は過剰な人です。生活者の部分がなく、100%医者って感じかな?「虚栄」の中にも非常に優秀で超人的努力家ながら過剰で偏った医師たちが出てきますが、共通するものを感じます。
さらにこの人だけでなくドキュメンタリー番組の女性プロジューサーも過剰に突っ走るどこか病んだ人で、さらに三木の前妻はもっと分かりやすく壊れてるアル中の人。
三木は菊川に「医療ミスは医師が患者を嫌っているときに起きやすい」と言います。わざとではないが、嫌悪感が集中力を欠くからだそうで、少々思い当たる私にはぎょっとする話です。(夫に「君は医者を怒らせやすいから、付き添ってくれるな!」と言われた記事はこちら

ラスト近く、三木は母校の解剖実習室に菊川を連れて行き、彼女に医師としての真実を語るのですが、その前に話す学生時代の思い出が非常に印象的です。
学生時代、三木は一人こっそり解剖室に忍び込み、水槽に積み重ねられた30の死体と対峙した話をします。小説って読みながら脳内映像見ている感覚じゃないですか?積み重ねられた死体の様子は具体的ですが、怪談的な怖さはなく、「それぞれかけがえのない人生に喜びや悲しみがあったとしても、残るのは冷たい死体という実体だけ」という三木の言葉をよく表していて、三木の医師としての原点がここにあると言います。私は真夜中これを読んでいたのですが、「この積み重ねられた死体を思いだせば、生きていく苦しみも少しは薄れる」と言う三木の話がストンと腑に落ちる感覚がありました。
そして三木の語る告白ですが、「医師と患者は”死”という不可避の壁をはさんで永遠に敵対している」と言うのです。
そういえば「医者と患者のコミュニケーション論」(里見清一)でも「患者は恩知らずで、気紛れで、偽善者で、尊大で、臆病で、自分勝手で、欲張りで、厚かましくて、けちで助平で馬鹿である」と著者はうっぷん晴らしていましたね(笑)こちらはそれでも医師と患者のコミュニケーションは大切だという話なのですが、久坂部羊氏にはどこかシニカルな印象も受けるので、「分かり合える」とは安易に言わないのかもしれません。まずは断絶があり、死がある。それでも人は関わり合い、生きていく。私はそういう風に解釈し、ちゃんと理解できたかは分かりませんが、感覚としては納得できました。
全然意味が違うかもだけど、夫婦だって親子だって親友だって100%分かり合えるわけがない。でも時々分かり合えればそれでいいじゃん!って感覚は普通に皆、持っているでしょう?(もしかして私だけ?) それと私は「人生とは死ぬまでは生きること」という感覚もあるのですが、誰でも最後は冷たい死体になるからこそ、喜びも悲しみも生きてる者のもの、と思えるのです。

「まず石を投げよ」は聖書の言葉だそうで、これは女性プロデューサーが医師たちに医療ミスを仕組んだドッキリカメラで心理実験をするのですが、のちに自分の行為がまさに告発しようとした医師たちと同じであることに気づくエピソードを表しています。
このドッキリカメラのシーンはすごく面白いのですが、私も毎年胸部X線を健診で受けていて一度も肺がんに気付かれませんでした。偶然の事故で分かって、過去の写真をもらってくるよう言われたのですが、ホテルのような綺麗な健診専門クリニックでなかなかくれず、後から文句言わないサインまでさせられました。私のは鎖骨の陰になっていたので仕方ないらしいのですが(でもわずかに写ってた)、なかなかくれない病院の対応が不信だったのですが、この小説を読んで納得しました。「がんの見落とし」って立派な医療ミスだったのですね。それから人間ドックの裏話が非常に面白かった。60過ぎたら人間ドッグ受けようかと思っていたけれど、これ読んでやめようと思いました。

「こわいもの知らずの病理学講義」 仲野徹 :著 / 『進化しすぎた脳』 池谷裕二:著

book
07 /09 2018
この2冊はちょっと前に読んだのですが、感想は面倒で書いていませんでした。でもメモが残っているので、生物0点の人間が読んだ理系本の感想として、参考までに一応アップしておきます。
byorigaku.jpg
「こわいもの知らずの病理学講義」 仲野徹 :著
文系の人でも分かりやすいというレビューを真に受けて、読んでみました。
甘かった…自分が高校の生物0点だったことを再確認。
でも理解できたかは別として、語口の軽妙さのおかげで最後まで投げ出さずに読めました。
この先生、大阪大学医学部出身で今もそこの先生ですが、そういえば、「悪医」の著者久坂部羊も、手塚治虫も阪大医学部卒ですね。エンタメ能力の高い人を生み出すのは、さすが大阪?

「ガン」に多くのページを割いているので読んだのですが、改めてガンの戦略とその能力の高さに驚きます。
例えば、ガンといえども大きくなるためには酸素と栄養が必要で(このことは肺がん検診で聞くまで全然知らなかった!)、腫瘍内に血管を新生する際には、血管内皮が増殖因子を分泌して腫瘍の成長を助けるとか!?

3月の「肺がん検診」の記事のコメントで友人が NHKの番組を見た感想を以下のように書いていて、ガンの戦略がニュアンスとしてわかりやすいので参考までに引用します↓
『一方でがん細胞もエクソソームを分泌しており、血管細胞に働きかけて酸素や栄養を供給させたり、免疫細胞を手なずけて攻撃を止めさせたりするなど、自らの増殖のために巧みに利用していることが分かってきた。
……ていうんだけど、がん細胞野郎のプレゼンテーションスキルがやたら高かったり、人タラシ的魅力を備えていやがったりすると、臓器や免疫細胞達が「酸素が欲しいの? 栄養も? はいはい」と皆んなで大サービスしちゃいそうだよね。』

ガン野郎の人タラシ的魅力って…?(笑)、しかし確かにガンにはなんらかの意志でもあるのか?と思ってしまうほど、戦略的に見えます。
自分の細胞から生まれたものなのに、なぜ宿主を殺すほどに増殖してしまうのか?何か、神殺しとか、親殺しとか、どこか宗教的な宿命すら感じてしまうのはドラマの見過ぎ……ですよね(笑)
でもガンにやられるだけではなく、身体にはずいぶん色々エラーを防ぐ機能があり、さらにコピーミスした細胞はアポトーシスという自滅するしくみまであるのに、それらすべての防御機能を超えてガンになる人がこれほど多いのは一体全体なぜなんだ!?

それからこの本では「がんもどき説」を完全に否定しています。
ガンは「進化」するもので、がんもどき説だと、「転移と浸潤能力のある本物のガン」と「同じ場所に留まって増殖するガンモドキ」に最初から分かれているように見えますが、ガンは固定した性質のものではない。ガンは「進化」するものであることは病理学的に完全に証明されている。だから「ガンモドキ」説は完全に誤りと断定しています。しかしその進化のスピードが大きく違う可能性はあるかもしれません。
私は摩訶不思議な偶然から肺がんが発見され手術したのですが、その後の病理検査で少数ながら悪性度の高いものも見つかったことを知らされています。まさに悪性度の高いガンに進化したタイミングで見つかったのか?それとも最初から数種類のがん細胞が生まれたのか?その辺はこの本を読んでも分かりませんでした。

生物関係の本なんて、肺がんにでもならなければ一生手に取ることもなかったでしょう(0点は生物だけじゃなく、理系全般壊滅的にダメダメですから〜)。
一生のほほんと生きたかったけれど、なってしまったもんは仕方ない。元々勉強も大嫌いなのに、この年になって理系本読むとはね!?でもそれでボケ防止になってたり、食生活改善したおかげで健康になってたら、これはこれで「ガンからの贈り物」なのでしょうか?

sinnkanou.jpg
『進化しすぎた脳』 池谷裕二 著
この本はまた全然違う方面から勧められて読んで見ました。
後書きによると、慶應義塾ニューヨーク学院高校の8名の学生に池谷先生が脳科学講義をした記録だそうです。まあ普通の高校生じゃないと思います。生徒のレベル高すぎ!この先生の質問にこんな答えられる高校生ってどんな連中やねん、ということは置いといて。

理解できたかはまた別の話として、こちらは生物0点だった人間にも素直に面白かったです。
もうトリビア的面白さ満載なので、思わず「へ〜」と言いながら読んでしまいました。
脳が人を作っていると思いがちですが、身体が脳を作り、脳が身体を作る、という説にいろんなことを思いました。
男と女は身体が違うけれど、現代では育児も働き方も限りなく同じ役割を果たすことを求められていますが、それはどうなのか?とか。
「見る」ということ一つとっても、世界を見るために目を発達させたのではなく、「目ができたから世界ができた」とか
『言葉』はコミュニケーションのツール(信号)としてあるだけでなく、抽象的な思考を人間にもたらした。つまり『言葉』が『心』を作った、という説。
それから『記憶』。コンピューターに比べて人間の記憶は曖昧ですけれど、いい加減で曖昧なことの重要性がよく理解できます。
この本はいちいちなんとなく当たり前に思っていることを揺さぶられるような快感が得られます。
終章ではアルツハイマー病について多くの記述があり、この生物学的な説明は難しくて私にはよく理解できなかったのですが、この話の流れで自然淘汰の話が出てきます。
自然淘汰というのは環境に適応できない個体は淘汰されやすいわけですが、淘汰を具体的にいうと遺伝子を残せない、つまり繁殖できないということだそう。しかしアルツハイマーは繁殖期をすぎた老齢期になることから、「人間は長生きし過ぎた」という話が印象深かったです。
また最近、過去の強制不妊手術のニュースがありましたが、現代の医療技術は淘汰されていた遺伝子を保存している、つまり弱い人間も淘汰されない。これは「進化に反しており、人間は進化を止めたといえる」と言っています。この先生の言いたいことは偏見ではなく、ついに人間は自然淘汰をやめ、つまり『「体」を(環境に適応させ)進化させるのでなく、「環境」の方を進化させている』んだそうです。これは新しい進化の方法なのだそうです。
これって私的に独断と偏見で言い切ってしまうと『弱くても生きていけます!』ってことですよね?いろんな問題はあるけれど、科学の進歩ってやっぱりいいことに違いない、と思いたいです。

これは中高向けの本らしいですが、頭の固くなった中高にこそ、オススメの面白い本でした。
 この本は私と同世代の知人から「面白いよ」と勧められました。えらく外見も喋り方も若い人だなと思っていたら、やっぱり脳みそも若かったのね、と感心しました。顔のシワは伸ばしたいけれど、脳のシワは伸びないように、彼女を見習ってこの手の本も時々読んでみよう。

『ワンダー 君は太陽』 監督:スティーヴン・チョボスキー

cinema
07 /06 2018
wonder_image.png

生まれつき顔に障害がある少年オギーが10才を期に学校へ通うようになり、周囲との軋轢を超え成長する姿を描く感動作。
と、ざっくりまとめると、いかにも涙腺刺激しそうな感動作のようですが、実はその通りです。
私も2度涙腺が緩みましたが、へそ曲がりの私。それは本題とずれた箇所でした。
1度目は老犬との別れのシーン。2度目はいじめっ子がお金持ちの親に転校させられちゃうところ。悪人が一人も出て来ないこの映画の唯一のやな奴が彼なのですが、転校したくないと校長にすがる目がまだ子供でかわいそうになってしまって。自己中な親に甘やかされる子供もある意味被害者なんだなぁ、と思いました。
悪人は一人も出て来ない、本当に優しい映画です。
いかにもな感動作と書きましたが、ギリギリ説教くさくないのと、絶妙な軽さと明るさがあって、へそ曲がりの私にも好感が持てました。

オギーは確かに変な顔ではあるのですが、そこまでぎょっとする醜さではなく、親友になるジャック(かわいい!)がオギーのことを「顔はすぐになれる」と言うように、人間の見た目って、付き合うと気にならなくなりますね。
この映画には、元ウォール街勤務の担任の先生がいろいろ格言をいうのもポイントです。
「外見は変えられないけれど、見方は変えられる」とか「選ぶなら正しいことより優しいこと」?だったかな?
私の子供の頃って、今より親や年寄りがよく格言を言ってたなぁと思い出しました。
うちの母がよく言ってたのは、「ブスは3日で慣れ、美人は3日で飽きる」とか「目の寄るところに玉が寄る」とか「貧すれば鈍する」とか。
うちの母の格言に比べて、この映画の格言はどれも子どもに生きて行く上で大切なことを教えているし、何より優しい心を育てます。
あ、でもね、私は「ブスは3日で…」を聞いたとき、子供心に「いい言葉だな〜」となぜだか思ったんです。なんでだろ?

映画の内容に戻ると、面白いのは、オムニバス仕立てになっていて、1章が「オギー」の、2章目は姉の「ヴィア」の視点なのです。
そうだよね、こういう障害のある子の家庭では、その子が太陽になって、周囲は惑星として、どうしてもその子を中心に回るだろうことは想像に難くないです。だからヴィアは「世界で一番手のかからない子」として自己主張しない我慢強い子になりますが、そこはまだ思春期の少女。いろいろあって、彼女の成長物語にもなっているのです。このヴィアの話がよかったです。

ワンコに会いに小旅行

dog
07 /02 2018
老犬ホームに預けた親の家の高齢犬、名前はワンコ。
休日、ドライブして会いに行ってきました。
ワンコを老犬ホームに預けた際、大泣きした母とトンちゃんも連れて行って、海で遊んで、新鮮な魚介を食べてきました。
ホームに到着し、敷地に入れてもらうと、広い庭に放してある犬たちが一斉に寄ってきました。
正直、別に犬好きでもない私は少々ビビりましたが、やたらフレンドリーな犬ばかり。
なるほど、老犬ホームに入るような犬は人間に大事にされた犬が多いので、人が好きなんですね。特に一匹の小型犬につきまとわれ、内心困っていると、ホームのスタッフから、飼い主さんにちょっと似てますと言われ、急に自分の犬みたいな気がしてきたり(笑)
ワンコはもともと無愛想な犬でしたが、周りを他の犬に囲まれたり、ちょっかい出されても穏やかな顔をしています。
昼間、外に出してもらってるためか、夜泣きも止み、穏やかに過ごしているとのことで本当にホッとしました。
まだ若い犬も多くて、それらの犬は海外転勤の家庭の預かり犬が多いそうです。
休日だったので、我々以外にもたくさん飼い主家族が面会にきています。
車椅子のおばあさんが訪ねてきたら、全身で喜びを表して、おばあさんの顔をずっとペロペロ舐めている小型犬の姿に、ちょっと3年前のことを思い出してしまいました。
肺がんで入院した時、退院後の体力回復期も含めて1月ほどトンちゃんを預かってもらいましたが、帰ってきたら狂ったように私たちに飛びついてきて、こんなに犬って飼い主が好きなのか?とびっくりしたものです。
その後、トンちゃんを海に連れて行くと、最初はしっぽをフリフリ喜んで海に走っていったくせに、波打ち際で急にビビり、慌てて逃げてくる姿に大笑い。
海岸そばの魚介の店でお腹いっぱい食べて帰宅しました。


IMG_3174.jpg tonsea.png IMG_3154.jpg

tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。