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ドラマ「ハゲタカ」10周年記念

event
02 /27 2017
NHKドラマ「ハゲタカ」の放映10周年ということで、友人K主催のイベントに参加しました。
とある銀座の会議室に集まり、ドラマ及び映画「ハゲタカ」のDVDを大きなスクリーンに映し、ツッコミを入れながら見る、だけなんですけど、ただドラマを見るだけでもファン同士で見ると何倍も楽しい、というあれです。

私は他の方々のように主人公鷲津政彦には何の思い入れもなく、どっちかっていうと、一度もニコリとも笑わないこんな男のどこがいいのやら?よく分からないのですが、でもこのドラマは大好きでDVDも持ってます。
しかし経済に弱すぎて、何度見ても、何言ってるのかよく分からないままなんですけどね。

今見ると、登場人物がやたらタバコ吸ってるなぁ。
携帯電話の古いこと。
何と言っても役者たちが若い!菅原文太も生きてる!
大森南朋、このドラマ見たときに、ほとんど世間の人は知らない役者だったんじゃないかな?
NHKは大森南朋といい、長谷川博己といい、その昔は上川隆也もだけど、いきなり新人を抜擢して面白いドラマを作ってきますね。
この10年の時代の流れが速いなぁ〜としみじみしました。
たった10年で、いろんな目に見えない価値観やモラルや人情まで変わってしまったような…
震災もあったし、何と言ってもネット社会の作っていく常識についていけない私。

ところで、私と主催者Kは元々の友人ですが、一回りほど年下の鷲津ファンの方々とも、知り合ってもう7年になります。
夜、ロケに使われた水響亭に移り、鷲津政彦48歳誕生祝いの名目で食事しました。
とっても美味しくて、ワインもお代わりしてしまいました。
今、「ハゲタカ」を作り直すとしたら、鷲津の役は誰がやったらいいか?と話題になり、原作では関西弁の小男という鷲津、この鷲津像はみんな許せない!らしい、のですが、例外として小柄でも星野源ならいい♪というオチになりました。
なるほど〜、確かに星野源はいいですね。
彼なら私も鷲津ファンの仲間入りできるかも?

大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で、石田ゆり子が「脅威の47歳」と言われ、その美貌が話題になりましたが、ここのハゲタカメンバー、石田ゆり子にも全然引けを取ってないほど、美人さんたちです。

しかしせっかくの休日を狭い会議室で色気ゼロの経済ドラマ見てるくらいだから、実生活でのロマンスは無縁とのことです(本人申告)。
最近、免疫アップにためにときめくぞ!と思った私には、まさしく虚構の人物鷲津くんにときめいてる彼らはお手本と言っても良いはずなんですけど、でもさぁ〜私だから役者やドラマのキャラクターに萌えることに意味があるわけで、あんたらみたいな独身の美女がお天気のいい休日、狭い会議室で還暦間近のおばちゃんと映画見て、鷲津にキャーキャー言ってて、いいんかい!?とふと疑問も持ちました。
なんだか自分のトキメキ探しよりも、30代の姪っ子たちやら、ここの独身美女たちに世話焼きオバサンしたくなってくる今日この頃です(笑)
いよいよ私は精神的にも「本格おばちゃんモード」になりつつあるのかもしれない、と気づきました。

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suikyou01.jpeg suikyou02.jpeg suikyou03.jpeg肝心のメインの写真撮り忘れた。寒鰤の赤ワイン&赤味噌ソテーにしました。美味しかったです♪
スパークリングワイン、前菜2種、パスタ、メイン、デザート。早割で4,800円。デートスポットらしく、我々おばちゃんグループは水槽の見えない端っこの席。かえってワイワイできてよかったです。









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親の介護と医療

disease(闘病記)
02 /23 2017
私の年齢だと親の介護、他人事じゃない方も多いと思います。
私は実家の近所に10年ほど前から住んでいるのですが、私の両親は共に健在で、それなりの老年ライフを楽しんでいたのですが、ここ数年はついに来たか!という認知症プラス病気に襲われ、今年に入り、ついに二人とも介護が必要になりました。
ずっと元気だった90代の父が今年に入ってから体調を崩し、先日入院。
数年前から認知症を発症している母の付き添いは私の役目な上、自分も思いがけない大病をしたので、ここ数年はやたら医者と縁のある生活になっています。
日本には健康保険も介護保険もあるので、世界的に見ればおそらくいい国なんだと思います。
それでも実際の現場ではいろいろ疑問も出てきます。

自分の両親がだんだん壊れていくのは、もっと悲しいことかと思いきや、そうでもありません。
「年だからしょう〜がないよね〜」と意外なほどすんなり受け止めています。
ただ年取ると丸くなるというのはウソで、その人の元々持っていた困った部分が強く出てくるような気がします。

母に関しては「世界は私を中心に回っている」
父は「KYでマイペースな頑固者」

二人とも周囲に合わせたり、気配りが得意な人ではありません。
両親には私の肺がんのことは一切話していないので、遠慮という発想もありません。
もし話したとしても、今の彼らにはそれを記憶する能力が欠けていますし、そもそも子供に気を使うような人ではない。

それでも不思議な事に父は私たち子供にも、孫たちにも好かれています。
88歳には米寿のお祝いを企画し、イタリアンレストランを貸し切り、S生の別居中の妻まで参加して、みんながそれぞれにジジにプレゼント。中国の故事だかなんだかを引用した意味不明の挨拶をみんなクスクス笑いながら我慢して聞いてあげたりしました。
お金持ちでもなく、平凡だけどちょっと変人なサラリーマン人生の後、長〜い年金生活を地味に碁会所通いでこなしてきた父です。


今月になって父が入院すると、4人いる父の孫のうち一番年長の姪が中心になり、海外に暮らす従姉妹にも連絡、海外から写真をスマホに送ってもらい、それをコンビニでプリント(便利な世の中になったもんだ)、みんなの写真とコメントで可愛いアルバムを作り、お見舞いに持って行きました。
それを見せて「ジジ、早く良くなってね」というと、一応笑って見ていましたが、帰りにそのアルバムを指し、「邪魔だから持って帰って」!
一同、ずっこけました。
帰り道、みんなで「情緒欠陥なジジらしいね。」と笑いました。
アルバムは「これ見て早く治しなよ」と無理に置いてきましたが、多分そういうもの見て、ウルウルとなる感性は持っていないと思われます。
決して冷たい人間ではなく、おそらく父にとって家族は何よりも大切なものだと思うのですが、感情の出力機能に問題のある人なのです。


以前世の中に「KY=空気読めない」という言葉が出てきた時、これはまさに父のためにある言葉だな、と思いました。
口ベタで、人の気持ちを汲み取るのが苦手、といって自己中でもない。まっ変人ですかね。
とことん人と合わせるのが苦手で、定年後一緒にツアー旅行に参加した母は2度とお父さんとツアーは無理、と懲りていました。
もしかしてもっと前からボケていたのかもしれませんが、あまりにマイペースなため、周囲も気づくのが遅れたかもしれません。
入院してマイペースがますますひどくなってて、看護師さんはじめ、病院の方々にはかなりご迷惑かけています。

先日も私が病室に入るなり、「ちょっと酒買ってきて。ウィスキーでもなんでもいいから」と言われ、ダメダメ!と怒ると、「じゃあ、脱走するから」と着替え始めるので、本当に食えない爺さんで憎たらしくなりました。
もう90超えてるんだから、お酒でもなんでも飲ませてあげたいのですが、とりあえず病院にいる間は我慢してくれないと。
退院してきたら、なんでも好きなことやってくれ!
その年で、禁酒してまで長生きしろとは言いません。
しかし一緒に見舞いに行った兄弟のS生が「お茶のペットボトルに詰め替えてやればいいじゃないか」などと言うため、私はヤッキになって、院内ではダメ!と説得せねばならず、とても疲れました。
実家のB型男たちにはいつもイライラさせられます ヾ(*`Д´*)ノ


父はこの年末からずっと体調が悪いので、何度も病院に連れて行こうとしたのですが、「俺は病院は嫌いだ!」と頑固爺さんでいうことを聞きません。
そこで初めて、「在宅医療」という存在を知りました。
外来の診療所を持たない「訪問専門」の医療機関があるんですね。
これと「訪問看護」を組み合わせると、最後まで自宅で過ごすことも可能で、24時間対応です。
老人専門ではなく、がんの終末期医療もやっているそうです。
2人の医師に会いましたが、2人とも若いけれど、とても人あたりが柔らかくて、頑固爺さんの扱いも慣れていて、父も素直に受け答えしていました。
毎回付き添う看護師さんが薄い顔のクールな中年女性で、ホットで濃い顔の若い医師たちといいコンビでした(笑)
誰も「おじいちゃん」とか言わず、きちんと名前を呼んで対応してくれます。

24時間対応だし、地味で辛抱強いやりとりが必要だし、もっと楽で稼げるお医者さんになることも可能でしょうが、東大医学部卒の若いこの医師、もともと老人医療、在宅医療に関心があったそうです。
南方系好青年で、思わず30代医療系の仕事をしている姪っ子にどうだろう!とひらめき、突如世話焼きオバサンと化しましたが、残念!既婚者でした(笑)。
私の姪っ子、身内の欲目ではかなり可愛いと思うのですが、限りなく色気のない子で、年齢イコール彼氏いない歴を更新している様子。血は争えません、さすが私の身内だわ。

入院時の手配もしてくれ、90超えてまだ介護保険を頼んでいないことに驚かれ、そちらの書類もお願いしました。
近々退院するので、何かあったらまたお世話になると思いますが、できたら最後まで在宅医療、訪問看護、介護保険も使って、本人の希望通り、自宅で過ごさせてあげたいと思うものの、ふと、90超えた年寄りにこんなにお金使っちゃって国の保険は大丈夫なんだろうか?と不安になりました。

対処する医療技術があれば、自分の身内には選択してしまいます。
しかし無ければ、それが寿命とアキラメもついたわけです。
福岡伸一さんの本によれば、生命は細胞単位で壊される前に壊し、入れ替わりつつ生きているらしいので、「死」は全体から見れば絶対必要な動的均衡の流れなはずです。
でも現代は動的均衡の限界を、医療技術によって、伸ばしてしまっている印象も持ちます。
こんなこと言うと、冷たい娘みたいに聞こえると思いますが、90代の父の寿命を延ばすことには興味はありません。
でも痛いとか苦しいとか辛いとか感じずに、好きなようにお酒を飲んで、穏やかな気持ちで最晩年を過ごして欲しいと思います。
それって人間としてごくごく普通の願いだと思うけれど、これが案外難しかったりするんだろうか…

あと疑問に思ったこと。
これは母の方ですが、デイケア受けるにも、健康診断、特に感染症の有無を見るため内科とは別に皮膚科にも受診。
2件の医院をはしごしましたが、施設が変わるごとに再度、書類の記載や打ち合わせも多く、そうでなくても認知症の老人を持病の病院に連れて行くのも半日仕事になります。
最近では独身の人が一人で親の面倒見るケースも多いようですが、会社勤めの人にこれは難しいはずだわ。
母は点数が高いので、もっと色々使えるものの、今の所、私も姉もフルタイムの仕事ではないため、デイケアに行く以外、何も使っていません。
さらに子供がいなくて高齢夫婦のみだったり、一人世帯だった場合など、介護受けるための手続き自体がハードルになってるとしたら、案外一番必要な人に届いていない可能性もあると思いました。

そうそう、ケアマネは父の方でも同じ人に頼むことにしましたが、家の事情を全て話し、相談相手にもなってもらうので、人選は大事だと思います。
私はママ友が福祉関係にいたので、近所で信用のおける事務所を紹介してもらいました。
ケアマネは事務所の指定はできるけれど、人の指名はできません。
相性悪いと思ったら、交代してもらうか、事務所を変えてもらっていいと思います。

それにしても、我が家の親は子どもの年齢忘れて幼稚園に入れ忘れるほど放任主義だったのに、こんなに親の面倒見るハメになるとは!?と、姉とも愚痴っていますが、人生って採算があうとは限らないもんね。
たとえいい関係の親でも、同じ話を20回もする親に付き合うのはストレス溜まるので、基本、介護というのは職業として他人に任せるほうがいいと思います。

今までは、ワガママ自己中な母の要望に合わせて、デイケア何度も変えたり振り回されてきましたが、これからは2人分の介護が必要になるので、そろそろショートステイくらい体験してもらおうと話していたら、どこかに連れて行かれたと訴えてきました。
聞くと、一緒に父のお見舞いに行ったのに、母の頭の中では、自分がどこかベッドのある施設へ連れて行かれた、となっていました。
「ショートステイ」に対する不安に怯えてるのかもしれません。
なんだかかわいそうになりました。
自分の置かれている状況が理解できない不安というのはわかる気もします。
例えば、「がん」という病気は完治したのか、そうでないのか?分からない不安を抱えているわけで、医師が検診の度に辛抱強く説明してくれるのは、患者が無駄な不安を膨らませないためだと思います。
旅行好きだった母には、ショートステイはホテルに泊まるのと同じだと、説明しています。


でも親の入院、悪いことばかりでもありません。
普段会えない身内と久しぶりに会って、話ができました。
S生の現妻、数回しか会ったことがなかったのですが、お見舞いに来てくれた彼女と夜、飲みに行きました。
初めてちゃんと話をしましたが、S生より一回り以上若くて、超美人で、おっとりしていて、料理上手、中年オヤジの理想像です。
S生とのやりとりが二人とも本当に幸せそうで、なんだか「中年バカップル」みたいねえ〜と憎まれ口を聞いておきましたが、まあよかったね。
一番嬉しかったのはS生の前妻との再会です。
子供からジジが死にそうだと聞いて、このKY爺さんが大好きだった彼女がお見舞いに来てくれたのです。
彼女とはS生と別居してからもずっと仲良く付き合っていたのですが、久しぶりに一緒に夕飯を食べ、積もる話もして、変わっていないことを嬉しく思いました。

こうして考えると、入院は「ハレ」で、在宅介護は「ケ」って感じかな?

もちろんいいことばかりではありません。
滅多に顔を出さないS生が我々がケアマネの指示に従い、リビングからの出入り口に、手すりやタタキを工務店に頼んだことを知ると、「そんなチマチマやらずに、こけないように庭中の敷石どけて造園業者に直してもらえ!」と命令してきました。
そこでガツン!と言ってやりました。
「口を出すなら、同時に札束も出せ!」と(笑)
親の介護、男は役に立たないんだから、エラソーにすんな!!!
飲み屋でガーガー言い争っている我ら兄弟を横目に、初対面のはずのうちの子とS生の妻が何やら顔を寄せ合って話していました。
あとで何話してたの?と聞いたら、「すごい兄弟ゲンカですね〜。兄弟ってこんな感じなんでしょうか?」と一人っ子の彼女はすっかりビビっていたそうです。
まずいわね、いきなり実態暴露しちゃったわ(汗)
これ、兄弟ケンカとしては全然すごくないから(笑)

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『沈黙ーサイレンス』  監督:マーティン・スコセッシ

cinema
02 /11 2017
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江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しさを増していた17世紀。長崎で宣教師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が捕まって棄教したとの知らせを受けた彼の弟子ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は、キチジロー(窪塚洋介)の協力で日本に潜入する。その後彼らは、隠れキリシタンと呼ばれる人々と出会い……。(シネマトゥディより)

遠藤周作の小説「沈黙」をマーティン・スコセッシが監督。
それだけでも話題性は十分ですが、近所のシネコンでは早くも1日1上映。早々に終わりそうなので、慌てて見てきました。
原作は遠い昔、読んだはずですが、ほぼ忘れてました。かなり原作に忠実らしいとの話です。
この映画、アカデミー賞のノミネートは「撮影賞」だけみたいですが、音楽のない代わりに自然の音が素晴らしかったです。でも「録音賞」は残念ながら選ばれていないのね。
ひたすら陰鬱な映画だったら…と不安でしたが、さすがスコセッシ!映画的な面白さはバッチリです。
長さを全く感じさせません。
ある意味、原作を忘れてて、よかったかも。
イッセー尾形演じる奉行の井上、こんなに面白い人だったっけ?
窪塚洋介のキチジローは原作ではもっと卑屈で臆病な醜い男の印象でしたが、窪塚くんは弱き人としては風貌的はぴったりなのですが、ロドリゴの脳内キリスト像にとても似ていて、それはわざとなのか?
「弱き人=キリスト」の暗示なの?などと深読みに気を取られてしまうほどでした。

現代では、歴史に弱い私でも、キリスト教が植民地支配の先兵的な役割を果たしたことは知っていますから(もちろん個々の宣教師にその意識はなかったにしても)、キリスト教を禁止する井上たちを一概に否定できないし、正直、信仰心の塊であるロドリゴよりも日本人から見ると井上や浅野忠信の通辞の言ってることの方が説得力を感じてしまいます。
そもそも私のように特定の信仰を持っていない人間にとって、ロドリゴがいくら「真理」と言っても、それは「正義」と同じく、時と場所が違えば複数あるのでは?などとイージーに思いそうになります。
そういう意味で西洋と日本は全く違う根っこの上にある国なのだな、とも思いました。
個人的には親しい親戚はカトリックですし、友人はプロテスタントの牧師の妻です。
クリスチャンの人の感想を聞いてみたい気持ちにもなりました。

主演のアンドリュー・ガーフィールドは「ソーシャル・ネットワーク」「ドリームホーム」などのちょっと線が細く堅い印象がぴったりですし、リーアム・ニーソンは目の前の苦しむ信者を助けるために棄教した人物としての説得力があります。
こういう究極の選択になったら、もしかしたら当時の宣教師は今の基準で見たら、ヤバい狂信的な人だったりして、死ねば天国に行けるのだ、と自分も信者をも信じきれたのかもしれませんが、彼らは現代的な人間らしい人間として描かれています。
もちろんそうでないと現代の物語として成り立ちませんけど…、様々なセリフは今を生きる我々の胸に刺さりました。
特に窪塚くん演じるキチジローが「弱い人間はどこで生きればいいのか?」と問うセリフは同じ想いを抱く現代人は多いと思いました。



PS 余談ですが、私の個人的な現代キリスト教に対する印象は「互助会」です。
若い頃、友人がプロテスタントの洗礼を受けた時、「宗教は現実生活に役に立つ。なぜなら孤独が怖くなくなる、常に神がそばにいてくれるから」と言ったこと。
また数年前、カトリックの叔父の葬儀に出たら、仏教の葬式と違って、神父さんが外出できなくなった叔父に定期的に会いに行った時の会話等、極めて故人の個人的な思い出話が式の中心であることが新鮮だったこと。通夜振る舞いに当たる飲食の用意も同じ教会の信者の人たちのボランティアだったことなどから、隣近所や親族のつながりが希薄になった今の日本では、キリスト教や創価学会は「互助会」として機能してるんだなぁ〜などと思ったものでした。
年取ったら洗礼受けようかな?どこまでも現実的で罰当たりな理由でも許されるのなら。






読書メモ

book
02 /09 2017
今、超高齢老人問題に追われ、映画を見に行くこともままならず、代わりに病室などでも読みやすいかな?と思い、児童書を何冊か読みました。
しかしはじめは大人用の小説に比べて、却って読みにくいことを発見。
何が読みにくいって、大人用なら、いちいち書かない描写がかったるくて、なぜだか橋田寿賀子のドラマを思い出してしまった私です。
途中からテンポに慣れて何冊か読んだものの、読書感想文って、子供の時から苦手だわ。
同じ感想文でも映画だとさっさと書くのに、なんでかなぁ?
他にも色々読んだのですが、前述のかったるさが感じらず、読みやすかった3冊をとりあえずメモしておきます。

『翼もつ者』  みおちづる:著
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昨年ですが、著者のみおちづるさんとお茶しながら話をする機会がありました。
ファンタジーで児童文学、最もなじみのないジャンルでしたが、みおさんはどれだけありえない設定の話でも、中に描かれる人間にリアリティを持たせられるかどうかが問題だというお話をされていました。
みおさんと「ゲド戦記」の話題になり、残念ながら途中で邪魔が入り、その面白さをレクチャーしてもらい損ねました。
機会があればぜひ「ゲド戦記」の魅力をお聞きしたいものです。
なぜなら私は3巻目で挫折したままのため。
1巻目は普通に面白かったです。
2巻目も摩訶不思議な巫女の生活に魅せられました。
3巻目で面白さのツボがどうしても分からず、挫折したままです。

「翼もつ者」
核戦争後の世界が舞台。
生き残った人々が再び国家を作り、エネルギー源をめぐって争う世界。
空を飛ぶことを心の底から望まずにいられない少年レニが主人公。
この国家は少数の特権階級だけが富の全てを握る強権国家で、教育は国家への忠誠を誓うことばかり子供達に教育しています。
まるでご近所の王朝国家みたい。
主人公レニは貧しい人の住む地域でボロ雑巾のように働く祖母と2人暮らし。
食べ物は貧しいおかゆだけ。
実力者の息子、病弱なイアンと親友になり、砂に埋もれた図書館で過去の翼人の記録を発見。
飛翔に関する哲学を訳し、主人公レニはこの言葉を呪文のように自分の胸に刻みます。
やがてレニには背中に翼が生えてきて、空を飛び、空から自分の国を見て、それまで学校で叩き込まれてきた国家の栄光が全て嘘であることを知ります。

そのまま風に流され、大河を渡り、エネルギー源を争って戦っている隣国に着地。
親切な農夫の一家に匿われます。
彼らの暮らしは質素ながら豊かで、美味しい食べ物があり、自分の国ともっとも違うのは発言の自由があり、人々の顔が明るいことにレニは驚きます。
やがて自分の国に戻り、軍隊に居場所を見つけ、その飛翔力で軍の中でも重用され、初めは自分を選んでくれた上官の期待に添うべく頑張るレニでしたが、やがて隣国に爆弾を落とし、庶民を殺すことに疑問を持ち始めます。

この感じ、何かに似ているなぁ〜と思い出してみると、安保法案が問題になっていた頃、朝日新聞で連載されていた、あさのあつこの連載小説に共通するものがあります。
あちらはそれまで同じ国民として暮らしていた人々が民族の違いから内戦に巻き込まれる話だったかと記憶していますが、戦争が始まる直前の大きな流れには逆らえない息苦しい空気が人々を飲み込んでいく様子が描かれていたと思います。
こちらはすでに強権国家として、国民を洗脳し続ける空気がやはり息苦しく、政府に反対する声を抹殺しようとするやり方は、結局のところ誰を幸せにし、何を目的にしているのか、疑問です。

「ナシスの塔の物語」  みおちづる:著
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同じくみおさんのデビュー作。
主人公リュタの住むナシスは砂漠の中の小さな街です。
街には知的障害のあるトンビという30才くらいの男が住んでいて、善良で純粋な彼は預言者のような存在です。
リュタの家はパティーと呼ばれるこの世界でのパン屋で、その仕事ぶりがリアリティがあって、羊肉のパティー、すごく美味しそう。
このナシスの街は隊商の通り道なのですが、ある時通りかかった歯車屋のドランという男がナシスを気に入り、この街に「歯車」と言う文明の利器をもたらします。
小さな街は「歯車」という技術を得て、みるみる大きくなっていきます。
大きくなった街には商機を求めてどんどん人が移入、邪魔物のナンバ草を切り開いて街は拡大していきます。
主人公は歯車にとても惹かれ、ドランとも親しくなり、どんどん発展する街に興奮します。
対して主人公の父は頑固な職人で、繊細な湿気や温度の微妙な職人の勘に誇りを持ち、歯車を使った粉コネ機を断固として認めません。
ある時、トンビが恐ろしい「砂嵐」が来る予告を叫び、街は大変な災害に襲われ、ドランは街を去ります。
『翼もつ者』も街の周辺に砂漠の広がる舞台でしたが、この「ナシスの塔の物語」も周辺を砂漠に覆われたオアシスの小さな街を舞台にしています。
温暖化とか砂漠化への作者の不安が反映しているように感じられました。
それから厄介者とみなされているトンビとナンバ草の持つ意味(トンビは表面的な繁栄で浮かれた人々に危機を予言し、またナンバ草は根に水分を保つことで砂漠化を防いでいた)を描くことで、物事の真実を見る大切さを描いていると思いました。
ただ「歯車」という文明の利器の開発者を裏で宅地開発を目論む悪役に描いたのは、ちょっと物足りない。
児童書ということで、人物を単純化する必要があったのか?と思いますが、人々の求める新技術を開発する人間を、災害の後、技術のもたらす厄災に苦悩する人間にしてもらえたら、もっと深かったなぁ〜なんて思うのは大人の発想かしら?


「清政―絵師になりたかった少年」茂木ちあき:著
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日本橋の老舗地本問屋・白子屋の跡取り息子である政之介が主人公。
この地本問屋というのが今でいう、出版社と印刷会社と販売を兼ねているような店で、浮世絵や読み物を扱っている。
そのあたりの描写が面白く、天明六年(1786)から物語が始まるが、日本中が大飢饉に苦しめられていたにもかかわらず、江戸の暮らしにはそれを感じさせません。しかし徐々に使用人が故郷から幼い妹を連れ帰り、使用人として置いてくれるよう頼んだり、やがて贅沢禁止令が出せれ、娯楽品である地本屋にもその波がくるあたり、日本史では1行で終わる描写の実態を体感できるような部分があります。
政之介の憧れの絵師、鳥居清長が白子屋の主人でもあり、実の父の別の顔であることを知り、自分も絵師の道に進みたいと願いますが、父は息子の才能を認めつつも、店の将来、また鳥井家(絵師の家系)の跡取り問題に発展することを憂い、息子に絵を描くことを禁止します。
家を出た政之介が看板描きをしながら、その才能を当時の名出版プロデューサー蔦屋重三郎に見出され、「写楽」として売り出す、という「写楽の正体」もの、につながります。
写楽は誰なのか?いろんな説があるようですが、この物語は優しい子供向けの言葉で、父子の葛藤を描きつつ、江戸の町人の暮らしが生き生きと描写されていて、面白かったです。

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映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。