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「この世界の片隅に」  監督:片渕須直

cinema
11 /30 2016
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1944年広島。18歳のすずは、顔も見たことのない若者と結婚し、生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。それまで得意な絵を描いてばかりだった彼女は、一転して一家を支える主婦に。創意工夫を凝らしながら食糧難を乗り越え、毎日の食卓を作り出す。やがて戦争は激しくなり、日本海軍の要となっている呉はアメリカ軍によるすさまじい空襲にさらされ、数多くの軍艦が燃え上がり、町並みも破壊されていく。(シネマトゥディ)

昭和8年、主人公すずの少女時代から始める日常の物語。広島から軍港呉にお嫁に行き、日々の家族の食べ物の話に代表される、ひたすら日常生活の描写が続く。
しかしその背景は平和な時代からだんだん戦時下の食糧難になり、やがて連日の空襲になり、原爆の日を迎え、戦後になる。
すずの声は能年玲奈(現のん)ちゃん。
少しぼ〜としているというすずにぴったりのキャスティング。
すずは絵が上手で、子供時代幼馴染の男の子の絵を代筆したり、空襲の中、その花火のような美しさに見とれてしまったり、と様々なエピソードに生かされる。

これは一切声高に「反戦」を描かない、ひたすら戦時下の「異常も日々続けば日常になる」を丁寧に描いた物語。
どんどん配給も減り、食べ物がなくなり、草を積んで食べるのが普通になったり、楠木正成の兵糧からヒントを得た量を増やすご飯の炊き方など、正直楽しそう。これは米を炒めてから炊くので、美味しそうと思いきや、湿気たポン菓子のようで不味いらしい。

夫婦の描き方もとても丁寧。
すずは顔も知らない周作に見初められ、妻になる。
とても優しい夫だが、軍艦に乗っているすずの幼馴染が会いに来た時、夫は離れに彼を泊まらせ、すずを彼の元へ行かせる。
はじめ意味が分からなかったが、すずはこの幼馴染が好きだったらしい。
夫はそのことに気づき、妻の思いを遂げさせようとするが、すずは夫に怒る。
これをきっかけに夫婦は打ち解け、喧嘩もするようになる。
なんて思いやりのある夫だろうか?
でも妻の初恋の男が来たからといって、これはちょっとやりすぎではなかろうか?すずじゃなくても怒ると思う。

いろいろ初めて知ることが多かった。
呉は軍港のため、空襲が日常化するが、広島は空襲がほとんどなかったこと。
20キロ離れた呉で広島の原爆はこのように映ったこと。
空襲が止んでも時限爆弾があったこと。
雑草を食べたり、着物をもんぺに縫い直したりはすでに知っていて、正直こういう部分は今の時代で見ると、悲惨というより楽しそうに見えてしまう。

この映画の中で、誰も戦争に反対していない。
ひたすら状況に合わせて、一生懸命日常を送るだけである。
広島から原爆にあい歩いて呉まで辿り着き、亡くなった兵隊の遺体がドロドロで誰も素性が分からない。
しかし後で隣組の主婦が「自分の息子だったのに、全然わからなかった」と淡々と話す場面など、静かな衝撃に襲われる。
映画の中の主人公たちは淡々と生きているのに、いつも間にか見ている私は涙が止まらなくなりました。




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「聖(さとし)の青春」  監督:森義隆

cinema
11 /21 2016
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29歳の若さでこの世を去った天才棋士・村山聖の生涯をつづる大崎善生のノンフィクションを、松山ケンイチ主演で映画化。幼いころより患う難病と闘いながら将棋の道を突き進んだ村山の壮絶な人生を、羽生善治をはじめとする同世代の棋士との死闘や、彼を支える師匠や両親たちの愛を通して描く。(シネマトゥディ)

休日、夫と観に行きました。
原作を読んでいる夫に言わせると、原作の方がずっと良い、との感想です。なので原作も読んでみようと思います。
将棋のルールも知らない私ですが、文字通り「将棋」に命を燃やした青春のドラマは見応えがありました。
将棋や囲碁は勝負といってもボクシング等と違い、頭脳戦なわけですが、その「負けず嫌い」の激しさは負けていません。
主演の松山ケンイチはかなり体重を増やして、腎臓病でむくんでいた村山を熱演。
初め、ライバルの羽生善治役が東出では大きすぎるのでは?と思いましたが、二人が並ぶシーンを考えて、なるほどバランスをとっての配役なのかな?と納得しました。
演じる東出昌大がちょっとした仕草や盤面を見つめる下向きの顔がとても羽生さんによく似ています。
この2人が熱演です。
師匠役はリリーフランキー、大阪の家族同然の関係に比べ、東京の薄情さに村山は最初馴染めないのですが、確かに20年前はまだネットが普及してなかったためか、私自身が子連れだったせいか、関西だと電車などでいきなり他人に話しかけられることが多く、当時の方が東西の違いも今より大きかったように思えます。
原作では、どうしても親元を離れ一人暮らしをしたかった村山の心情なども書かれているらしいのですが、映画だけ見ると、腎臓が悪いのにこの食生活は何!?とついつい村山の自ら命を縮めるような暮らしぶりが気になって仕方ありませんでした。
彼が自暴自棄的に生きず、自分の体をもっと大切にしていたら…と思わずにいられませんでした。
でも若いっ男ってそういうもんだろうね。基本バカだもん。
それから個人的には、村山が少女漫画好きで、萩尾望都の漫画等が映るのも興味深かったです。

昔の無頼系の作家みたいな、気性が激しく、人とぶつかり、大酒呑みで酔って絡む村山と、人間コンピューターみたいな感情の見えない羽生との対比も面白く、この2人の対局が一番の見所です。
全く将棋のことを知らない人間にも、命をすり減らすような勝負の気迫が伝わってきます。
絵的には2人の若者が正座して、小さな将棋盤にかぶさるように対峙しているだけなんですが。
最後の対局は控え室に看護師が待機している状態で、午前10時に始まり、夜中の1時に終わる勝負なのですが、見ているだけで消耗しそう。
面白いのは、全く動きがなく、時々「パチッ」と響く一手に別室の観衆がどよめく場面。
将棋が分からない人間には、何でどよめくのか、さっぱり分からないので、なんだかおかしい。

映画用に加えたフィクション場面らしいのですが、二人が雪国での対局の後、飲みに行くシーンが心に残ります。
コンピューターのようだった羽生の、将棋という勝負に取り付かれた人間の一面が垣間見え、とても印象的な場面です。
また村山の語る普通の若者としてのささやかな夢もとても切ない。
そこで語られる羽生のセリフは実際に本人が話した言葉だそうで、勝負師というものの狂気の世界、日常に戻れなくなるのでは?という恐れさえ持って挑む世界なのだということが分かります。
その心情を理解しあえる同士として、言葉少ない2人の絆が伝わります。
将棋に関わらず、一流と言われる人は何かに「取り憑かれてしまった業」のようなものを背負っているのかもしれません。
切なくも燃え尽きた青春ドラマの佳作だと思います。

「冷え」の問題と夫に言われたショックなこと

disease(闘病記)
11 /17 2016
すっかり寒くなりましたね。
布団を冬物に変えても、昨晩、足が冷えてなかなか寝つけませんでした。
私は普段寝つきの悪い方ではないのですが、冬になると、しばしば、この足が冷えて眠れない現象に襲われます。
お風呂は夕飯の前に入るのが習慣になっていますが、そろそろ寝る前に変えようかな?
足湯も復活しよう。
小林麻央さんも「冷え」に悩まされていたそうで、「がん研有明病院で今起きている”漢方”によるがん治療の奇蹟」という本にもガン患者の多くに冷えがあることを指摘しています。
特に女性はその傾向があるようなので、ガンになった人もそうでない人も「冷え」は放置せず、体をいたわりましょうね。

で、眠れないと色々忘れていたどうでもいいことを思い出したりします。
数週間前に夫に言われて、ちょっとショックだったことなど、思い出してしまいました。
以降、単なる愚痴です。闘病の参考には全くなりません。

10月に、夫が会社の健康診断で胸部レントゲンで影があると言われ、再検査に!!!
なんと!夫婦で肺ガンか!?と焦りましたが、結論から言うと、その後のCT検査で早くもガンを否定されました。
本当にホッとして、それはそれで良かったのですが、ちょっと腹の立つことがありました。
以前、夫は肺炎起こして病院にかかったことがあるので、その呼吸器系に詳しい病院で再検査してもらうというので、今や肺がんに詳しい私が付いて行ってあげると言ったところ、来なくていい、といいます。
遠慮しなくていいよ、と言ったら、「遠慮じゃなく、君が来ると医者を怒らせるから、来ないでくれ」というのです。
「どういうこと?」と驚いて聞くと、「ガンセンの先生も怒ってたやろ?」と。
ガンセンターで怒られた記憶はないので、「誰にも怒られてないよ」と言い返したのですが、「それは君が気が付いてないだけで、先生は怒ってた」と…

え?本人が気がつかないうちに怒られてるって?いくら私がボケだからって、それはないでしょ!
確かに医師に対してストレートな言い方をするときもあるけれど、それは変に遠慮したり曖昧な表現使うより、間違いがなく、話も短くて済むと合理的に思っただけなんですが、夫は私と一緒にいて、どうも恥ずかしい思いをしたらしいのです。

そういや、遥かかなた若い頃、夫の友人宅のホームパーティによく呼ばれましたが、ある時なぜかベトナム戦争の話題になり、自慢じゃないけれどベトナム戦争映画を幾多も見ていた私はちょっと詳しくて、夫の友人の官僚くんに反論してやったら、帰り道でなんであんなこと言うんだ!?と怒ってるので、「は?間違えてるから指摘してやっただけじゃん」と夫婦ケンカになったっけ。
うちの夫はびっくりするほど普段ボケてるくせに、つまんないとこ、プライド高い。
男って大体そうかも?
おそらく、友人の前では、私に大人しくてニコニコしている妻を演じてほしかったのかもしれない。
まあ、若い時の話ね。そんなこととっくの昔に諦めているでしょう(笑)

でもいろいろ思い出してだんだんムカついてきた。
だって数年前、お正月休みに突然、目が変だと言い出して、私はパートの同僚が同じ症状で網膜剥離だったことを思い出し、慌てて救急車を呼び、強行にお願いして、かなり離れた所の大学病院まで行ってもらったのです。
その時、大学病院の先生に、「奥さんの機転でここまで来て良かったです、もう少しで目が見えなくなるところでした」と言われ、夫も感謝してたくせに!そのくせ、すっかり治ったら、「あん時は救急車の中で、君があんまり騒ぐから恥ずかしかった〜」とか言ってたよな。

そもそも「お医者さんを怒らせやすい」ってお医者さんだって性格いろいろなんだから、それってどういう人?
そりゃまあ、理屈の通らないワガママ言われりゃ、誰でも怒るだろうけど。
夫が言っているのは、外来で1度だけお会いしたT先生のことらしいけれど、「早く手術してくれ」とか「新人の執刀は断る」とかって、理屈通ってるし、ワガママとは言わないと思う。
まあデータ貸してくれと言って、いきなりキレられた過去を持っているので、胸張って怒られたことなんてない、とは言えないけれど。
私は時々、合理的に物事を考えようとするクセがあって、しかし出来の良くない頭で考えているため、自分では合理的なつもりでも、単にズケズケものを言う可愛げのないおばさんになってる可能性は認めます(涙)

でもねえ、T先生、私の方ではいい印象の先生だけに、そう言われるとちょっとショックでした。。。
主治医のY先生が来年にはお辞めになるらしいので、その後の引き継ぎはT先生にお願いしたいところなのに。
しかしそう考えると、現在主治医のY先生は腕のいい外科医として有名な方ですが、毎回悩んでも仕方のないグチを長々と聞いてくれて、どんだけ辛抱強い人なんだ…。もしや内心は怒ってるのかしら…。
この先生、クールでニヒルで無表情、かつリアクションもそっけない。
万が一怒ってたとしても、私が気がついていない可能性は確かにあります((;^_^汗)
たとえば私の「超高齢の父母も60代の大酒呑みでヘビースモーカーの兄弟もガンになったことないのに、なんで私だけ?」みたいなグチ話を黙って聞いてくれるものの、その後のリアクションはクール。
「そりゃ遺伝子って言っても組み合わせだから、そういうの引いちゃったんでしょ」と一言。
思わずズッコケそうになるものの、自分でもしょうもないこと言ってる自覚があるので、とりあえず辛抱強く聞いてくれるだけで、とってもありがたい。
もちろん手でも握ってくれて慰めてくれれば、それはそれで嬉しいけれど、このクールな先生にそこまでは期待してない(笑)
そういう意味でも、(向こうは迷惑千万かもしれないけれど)こちらとしてはとても相性がいいのです。
だから次の担当がPCばっかり見ていて、患者の方を見ない先生だったりしたら、里見先生言うところの「恩知らずで、気紛れで、偽善者で、尊大で、臆病で、自分勝手で、欲張りで、厚かましくて、けちで助平で馬鹿」な患者になるかもしれません。
しかし里見先生の本を読んだのも何かの縁、賢い患者になりたいとは本当に思っているのです。
私は毎回いろんなことで反省するものの、速攻忘れる進歩のなさ…これを人はバカというのでしょうか?

でもねえ、やっぱり、相手が怒っていることを「君が気がついていないだけ」って、そんな鈍感な人間は冗談抜きでガンになんてならないと思うよ。
犬のうん◯踏んでてても全然気がつかない大ボケの夫に言われたのが、なんだかくやし〜のね、きっと。

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高尾山の紅葉と清志郎のお墓

『手紙は憶えている』  監督:アトム・エゴヤン

cinema
11 /10 2016
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主人公はアウシュビッツの大量虐殺を生き延びて渡米し、今は高齢者ケア施設で暮らすユダヤ人ゼヴ・グットマン。認知症を患い、眠るたびに妻に先立たれたことさえ忘れてしまう90歳の老人が、自分の家族を皆殺しにしたナチス逃亡犯への復讐を果たすための旅に出る。困ったときにゼヴが頼りにするのは、アウシュビッツで自分と同じ悪夢に見舞われたユダヤ人の同胞マックスの手紙だ。旅の移動手段や宿泊先、ルディ・コランダーという名前を持つ容疑者4人の居場所、さらにゼヴの復讐の動機までがきめ細やかに記されたその手紙は、いわば復讐ツアーの行程表である。(映画.comより引用)


ゼヴが妻を亡くした1週間後からドラマは始まります。
後から、いくら認知症でもそれは無理じゃない?とか疑問はいろいろ湧いてくるのですが、ドラマはあくまでも、順番に該当者と思われる同姓同名のドイツからの移民を訪ね歩く復讐ツアーを描きます。
収容所の過去とか、何度も名を呼ぶ妻も出てきません。
手紙の指示通りに従い、時に国境も越え(カナダ)、ついには緑豊かな素敵なログハウスで家族と幸せに暮らすターゲットに出会います。

なんせ認知症なので、毎回ハラハラドキドキ、該当者もギリギリで他人と分かるので、認知症のゼヴが早まって(or間違えて)殺しかねない状況にハラハラ。いや実際、すごいことになるのです。
いわゆるサスペンスとは違う部分で十分サスペンスフル、という設定がまず面白い!
ネタバレできませんが、まあ、びっくりの展開です。
それでも陰惨な一方では全くなくて、列車の中で出会う少年や病院で出会う少女。
例えば少女に手紙を代わりに読んでもらうのですが、「ナチ」も「アウシュビッツ」も知らなくて妙な発音で一生懸命読んでくれたり、不思議なユーモアがあちらこちらに覗きます。ゼヴの旅で出会う人々もみんな親切です。

ゼヴの、妻が亡くなったことをすぐに忘れて、必死で妻を探す姿が、母親を探す幼児のように見え、なんだか切ないです。
演じるクリストファー・プラマー。ご存知、「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ大佐ですね。
「人生はビギナーズ」で75才にして中年の息子に同性愛をカミングアウトするお茶目なお爺ちゃん役を演じるなど、いい味の老人になっていましたが、ここでは演技なのか?実際なのか?歩き方もヨボヨボしていてしょっちゅう頭が混乱してて、なんとも頼りない顔をします。でも長時間移動したり、留守の相手を待っていたりできるので、ボケてるけれど、体力はある設定みたいです。

最後に若き日のゼヴの写真が映り、そこにはまさにあの精悍にしてどこか冷たそうな若き日のプラマーが写っているのですが、見事に面影ってなくなるものね、と驚きました。
自分の親見ても、確かに父は若い頃の面影が全くない。
父は彫り深系縄文顔だったはずなのに、頭も顔もつるんとしてちびまるこのお爺さんみたいになってる。父は輪郭までは変わってないけれど、クリストファー・プラマーはずいぶん面長顔になって、根本から印象が違ってます。
全ては重力の法則にのっとって、下がるものは下がり、顔は伸びるっつうことかしら?

まあ、それはどうでもいいのですが、戦争中、収容所の囚人たちと直接関わるドイツ兵、現在どちらも90才前後ということは、当時は20才そこそこの若者だったはず。
片方は一生をかけて復讐を誓い、片方は自分の家族にも決して話せない罪を背負う。戦争はこういう不幸な出会いをいっぱいいっぱい作ってしまうのだなぁ〜と悲しく思いました。

トランプがアメリカ大統領に決まって、一夜明けた今朝。
NHKのワイドショーで「子供たちが戦争が始まると心配している」という投書が読まれ、それはないでしょ?と思ったものの…
癌の再発は心配しすぎないほうがいいけれど、戦争は心配しすぎなくらいでちょうどいいのかもしれない、と思いなおしました。
だって歴史って動き出すと誰にも止められないところってあるじゃない?
100歩譲って、戦争のメリットを考えてみると、技術開発が進むとか、国民が一致団結するとか?あることはあるかもしれないけれど、いやいやそれらをもってしても、不幸の大きさには全く全然及ばない。
この映画も戦争中だからといって罪は何年たっても無かったことにはできないのだ、という悲しいドラマでした。



肺がん 術後1年検診

disease(闘病記)
11 /02 2016
手術から1年経ち、検診に行ってきました。
検査はいつも通り、レントゲン、血液検査に加え、初めて腹部超音波検査をしました。
腹部超音波はこの病院では1年目にみんなやるようです。
とても丁寧に時間をかけて調べられましたが、何度か同じところを繰り返し見ているので、不安が胸に広がります。
不安を抱え診察に臨みましたが、肝臓に嚢胞というものが1つあるそうで、よくあるもので全く心配ないと言われホッとしました。
というわけで、1年検診は異常なし!
1年目クリアしました\(^o^)/

血液と超音波がとても混んでいて、診察はおそらく午前の最後の患者かな?と思ったこともあり、いくつか質問させてもらっているうちに、だんだんガンレクチャーのようになり、ずいぶんいろんな話をしていただきました。
おかげさまで、「ガンとは専門医にとっても、まだまだよく分からないことがいっぱい」ということがよ〜く分かりました。
個人的には、私のガンは極悪なヤツも少数ながらあったこと。
事故で偶然見つからなければ、どうだったと思うか?との質問には、数年後、症状が出て見つかり、「おそらく手遅れだっただろう」とのシビアな答え。

米粒くらいの時に転移は始まってる説については、おそらくそれはあるだろう、と医師たちは見ていること。
しかし血液中を移動し、どこかに定着し、栄養補給できなければがん細胞は死ぬので、原発巣から離れたがん細胞の大半はそのまま死ぬこと。
さらに免疫の複雑さについてや、今の私のケースで血液中にがん細胞があると予想して(検査方法もあるらしい)、予防的にいきなりオプシーボってどうすか?という質問には、オプシーボの副作用はまだまだ未知数で免疫が暴走したら命に関わるのに、そんな使い方は無謀、との予想通りの答えでした。
他にも完治の5年はあくまで大半の人の目安にすぎないこと。
大腸がん、腎癌では10年も結構あり、10年めに初めて一ヶ所出てきたので、切ったら全身から一気に出てきたりと、分からないことだらけという話を聞くと、本当にガンって一筋縄いかない曲者だとしみじみ思いました。
でも正直に言っちゃうと、がんの複雑難解さは、数学者にとってのフェルマーの最終定理(証明済み)のごとく、ガン専門医や研究者を引きつけてやまない理由になっているのかもしれないな、などと思えました。

他にはどういう症状が続いたら、近所の病院ではなく、いきなりこちらへ来た方がいいか、の質問には。
ポイントとしては同じ場所に痛みが続き、痛みが増す場合。痛む場所があちこち移動するのは大体違うそうです。

先生は経験から見て、私のは多分治るよと言ってくれましたが、同時に再発の不安を患者が持つことについては理解してくれ、でも余計な心配せず、トントンさんはのほほんと生きればいいんだよと言われました。が、すでに十分のほほんと生きている私は、これ以上のほほんとしてたらボケます、と言い返しておきました(笑)
気がついたらずいぶん時間が経ってしまっていて、先生、お昼休みがなくなってしまったのではと思います。申し訳ない。

最後にえっ〜!?という先生の個人的なお話もあり、話している最中にぼんやりと感じた違和感の理由がわかった気がしました。どういう事かというと、今までこの先生に感じていた「ドスの効いた」感じとか、「殺気」のようなものが無くなっていて、とっても優しい親切なお医者さんという雰囲気になっていたのです。
そうかぁ〜、そうなんだ〜。まだあと1年は見てもらえるけれど、さみしいなぁ。

柏の葉公園は、紅葉がところどころ早くも綺麗に色づいていました。
帰りのバスの中から色づいた街路樹を眺めながら、話の中で先生に「トントンさん悪運強いねえ」と何度も言われことを思い出し、だからというわけでもないのですが、こんなにのほほんと生きてていいのか…日頃から生真面目さの足りない私ですが、少しは人様の役に立った方がいいんじゃないか?などと柄になく反省しつつ帰宅しました。

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『湯を沸かすほどの熱い愛』  監督:中野量太

cinema
11 /02 2016
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1年前、あるじの一浩(オダギリジョー)が家を出て行って以来銭湯・幸の湯は閉まったままだったが、双葉(宮沢りえ)と安澄(杉咲花)母娘は二人で頑張ってきた。だがある日、いつも元気な双葉がパート先で急に倒れ、精密検査の結果末期ガンを告知される。気丈な彼女は残された時間を使い、生きているうちにやるべきことを着実にやり遂げようとする。(シネマトゥディ)


ナチスに家族を奪われた90歳の認知症の老人の復讐劇「手紙は憶えている」を見る予定が、遅刻して間に合わなかったため、急遽変更して観たこの映画。
全く何の事前情報もなく、いきなり見たら、宮沢りえが末期癌の母親役。
1年検診に行ったばかりの私にはちょいとヘビーながら、宮沢りえ、娘の杉咲花の熱演に泣かされました。
正直言うと、泣ける映画ははっきり苦手なのですが、オダギリジョーの頼りなくいい加減な父親に笑ってしまったので許す!

「永い言い訳」の子役には本当に感心しましたが、ここでの鮎子という子役の女の子も、初めの母に捨てられて暗〜い感じから、普通の子供らしく明るくなっていく様がとても自然で良かったです。
宮沢りえは常々もう少し太れば本当に綺麗なのに、と思っていましたが、この役は彼女ならではの役で、これほど痩せすぎを生かした作品は他にないかもしれません。
娘の杉咲花ちゃんはずいぶん以前から見る子役でしたが、一体本当はいくつなのだろうか?
(彼女と違い全然可愛くはありませんが)子供の頃、ベトナム人とよく言われた私には、親しみの持てる、アジア的な可愛らしさの女の子です。
その彼女がいじめに会うのですが、中学ならともかく、高校でこんないじめってあるの?と疑問を持ちましたが、彼女の勝負下着の使い方は天晴れでした。

結構「え?」な展開で、末期癌を宣告された宮沢りえ(母)が娘や夫、他にもヒッチハイクで乗せた若者(松坂桃李)、等々周囲のちょっと生きる力の弱い人々に「生きる」ことを伝播していく物語?と言ってしまうと、いかにもな泣かせる映画に聞こえますが、その辺は臭くなるギリギリの線で踏ん張っているような…な感じで、オダジョーの情けなさに救われています。
ラストは一種のファンタジーなんですが、な〜るほどタイトル通りなのね、と納得。







tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。