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『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』   監督:マイケル・グランデージ

cinema
10 /26 2016
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1920年代のニューヨーク。敏腕編集者パーキンズ(コリン・ファース)は、F・スコット・フィッツジェラルドやアーネスト・ヘミングウェイらの名著を世に送り出してきた。あるとき、彼は偶然手にした無名の作家トマス・ウルフ(ジュード・ロウ)の原稿を読んでいち早くその才能に気付く。パーキンズはウルフの陰になり日向になり支え続け……。(シネマトゥディ)

先日見た「永い言い訳」に続き、作家の話です。
'2〜30年代のアメリカの話ですが、すでにマンハッタンは高層ビルが立ち並び、大恐慌の時代のはずですが、主人公の暮らしぶりは豊かに見え、戦前の日本とずいぶん時代の開きを感じます。
主人公パーキンズの家族関係や「華麗なるギャッツビー」で有名なフィッツジェラルドの家族関係に、とても家族を大切にする雰囲気が漂い、まだキリスト教精神の影響が大きい時代だったのかなぁ〜とも思いました。

そもそもトム・ウルフの作品を読んだことがないので、なんとも言えませんが、この人は書かずにはいられない人だということは伝わりました。
立ったまま、冷蔵庫の上でも文章書いてるし、作品はどれもこれも長いのなんのって。
小説は確かにウルフが書いたのですが、何ヶ月もかけて、削りに削って、一冊の本に仕上げる過程を見ると、「作品」に仕上げるのは編集者との共同作業だということがよく分かりました。
そして先日見た「永い言い訳」のモッくんとは全く違うタイプながら、このトマス・ウルフも面倒くさい人です(笑)
もしかして、周囲の人と平和な関係を作れない人が、自分の内面を持て余して「作家」になるんでしょうか?

この編集者と作家の関係が、ウルフの愛人兼パトロンも、パーキンズの家族も、ヤキモチ焼く程、他に置き換えがたい関係で、この映画の一番の見所です。
時に激しく争い、駄々っ子を屈服させるような一面もあり、反面心から励まし、パーキンズは常に誠実にウルフに接します。
しかし売れっ子になったウルフは調子に乗り、フィッツジェラルドを愚弄するようなことを言って、パーキンズを怒らせます。
「他人の痛み」、それがウルフには分からないのです。
子供も夫も捨ててウルフに尽くしてきたパトロンの痛みも理解できません。
この辺が「永い言い訳」のモッくんと似たような傲慢さを感じます。
やっぱり、作家って自己中なんだなぁ〜と、単純に思う私…

映像が全体に抑え目の色調で’2〜30年代の雰囲気を伝え、とても美しい。
アメリカの話だけれど、監督も主人公2人も英国人です。
コリン・ファース、やはりこの人はインテリの役が似合うわぁ。
ジュード・ロウ、ちょっと髪の毛足して、若い無頼な作家の雰囲気がよく出ていました。
ラスト、胸にグッとくる、これぞ正統派人間ドラマという終わり方も良かったです。
地味ながら拾い物的な映画鑑賞でした。


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『永い言い訳』  監督:西川美和

cinema
10 /19 2016
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人気小説家の津村啓こと衣笠幸夫(本木雅弘)の妻で美容院を経営している夏子(深津絵里)は、バスの事故によりこの世を去ってしまう。しかし夫婦には愛情はなく、幸夫は悲しむことができない。そんなある日、幸夫は夏子の親友で旅行中の事故で共に命を落としたゆき(堀内敬子)の夫・大宮陽一(竹原ピストル)に会う。その後幸夫は、大宮の家に通い、幼い子供たちの面倒を見ることになる。
(シネマトゥディ)

妻、夏子が夫、幸夫の髪を切るシーンから始めり、ラスト、妻の経営していた美容院で髪を切るシーンで終わります。
その間、季節が巡るのですが、背景となる風景からも、少年の子役が小学生から中学生になる頃の顔の変化が画面からも伝わり、おそらく1年くらい撮影に要したんじゃないかなぁ〜と伺えました。
そういえば、「誰も知らない」の柳楽優弥も話の始めと終わりじゃずいぶん大きくなってたなぁ〜と思い出したからか、なんとなく是枝裕和の映画の雰囲気を思い出しました。

ストーリーは上の通りですが、モッくんのダメ男ぶりはなかなか見ものです。
自意識過剰で人を見下してるくせに、自分を卑下してる。面倒くさい男です。
作家とか、こういう人が多いのかなぁ?
妻の親友の夫は正反対のトラック野郎で、真っ正直といえば聞こえはいいけれど、喜怒哀楽だだ漏れで、これまたそばにいたら、別の意味で面倒くさそう(笑) でもこちらは愛すべき男です。
トラック父ちゃんの息子は頭が良さそうな繊細な少年で、粗野な父親よりモッくんに親しみを持っています。
接点なさそうなこの家族とモッくんの交流が始まり、子供達の面倒を見ているうちに、自己中だったモッくんの心にどんどん母性のような感情が芽生えてきて、トラック父ちゃんにいい感じの彼女ができると、あからさまにやきもちを焼いて、言ってはいけないことを言って罵るあたり、幼児性の強い男を好青年モッくんが本当はこれが地か?と思える好演で見せてくれました。
トラック父ちゃんは初めて見る人ですが、俳優兼ミュージシャンだそうですが、これまたぴったり。
子供達も自然な演技で、この監督の映画の中では、一番心温まる分かりやすいハッピーエンドだったと思います。

この映画を見ていて、直接関係のないことを考えました。
モッくんは小説家だけあって、いろんなことを言葉で表現できて、頭もいい。
だけど自分を嫌っていて、自分のような人間の遺伝子を残すことを嫌悪して、子どもを作らないと決めていた、と話します。
今の若者にとっては案外、こういう人多いかもしれない、と思ったのです。
誰でも「自分なんてしょうもない奴だ」と思うことあるし、特に若い時にはそんな風に考える事は多いかもしれない。
特に今はネットの発達で、情報があふれ、自分の社会的な立ち位置を客観視しようと思えば、できてしまう。
案外、少子化の遠因にはこういう感覚があるのでは?と思えてきたのです。
多くの若者の心の底に、特に自分を低評価してしまう人ほど、自分の遺伝子を残すことにためらう風潮があるのかも?と。

私自身もどう客観視しても人より優れたものが一つもない、と若い頃に気がついていました。
女性という性に求められる、美貌とか愛嬌とかないし、頭も良くない。
性格は小さい頃はノーテンキでとても楽天的な性格でしたが、思春期に自分を客観視できるようになると、「私ってブスでバカじゃん!」と必要以上に卑下し、凹みに凹んだり、まあ若者とバカ者って音が似てるけれど、本当にあの頃の私ってバランスが悪かったなぁと気の毒になってしまうほど。
でも自分の遺伝子まではとても頭が回らなかったし、そんなこと思いつきもしなかった。
普通に結婚して、子どもを持つことにためらいはなかったです。
残念ながら婦人科系に問題があって、結果少子化ですが。
(注:日本におけるゲノム解析の本格的な研究は1980年代からのようです=不確か情報)

遺伝子検査が普通にできてしまい将来の病気予想もできるし、社会的にも格差は広がり、ヒエラルキーのある社会、自分の子ども時代に比べても、一見情報は多いけれど、本当に人生に大切な情報は、却って見えにくくなってしまっている、と思えるのです。
だから主人公がラストで少年に語る言葉は、ようやく大切なことを彼自身が気がついたんだなと思え、心が温かくなりました。

とはいえ、自分の周りの子供達に「あれこれ考えず好きな人ができたら、やることやってさっさと子ども作りな」と自信を持って言えたらいいのですが、どちらかといえばトラック父ちゃんよりはモッくんに近い自分としては、言えないところが不甲斐ないのです。
やっぱり情報に振り回される人間の一人として、将来性なく子ども作って、虐待したら等々、考えてしまうんですよね。



『ザ・カブキ』メモリアル・ガラ  佐々木忠次追悼公演 東京バレエ団

theater
10 /16 2016
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13日(木)の夜、東京バレエ団が創立者、佐々木忠次さん(本年4月没)の追悼公演として『ザ・カブキ』のメモリアル・ガラ(14日からの一般公演の前に招待客中心の公演)を行い、本の虫H子の計らいで私もまん真ん中のめっちゃいい席で見さしてもらいました。

バレエは子どもが小さい時には近所のバレエ教室に通っていた関係で、教室のママ友たちと何度か見に行きました。
「白鳥の湖」「コッペリア」とか、あと2〜3見たはずだけれど、踊り自体を見なくちゃいけないのに、ついついストーリーを追ってしまう私には、白鳥の王子、白鳥と黒鳥の間でフラフラしちゃってダメダメじゃん!とか、「コッペリア」はマッドサイエンティストの人形愛?という倒錯した話に見えちゃって、どうも豚に真珠状態でした。

佐々木忠次という人は知りませんでしたが、日本に本場のオペラを呼んできて公演したり、世界に通用するバレエ団として東京バレエ団を創設、ヨーロッパの5大劇場で公演し、それまで下に見られていた日本のバレエを世界に認めさせたすごい人らしいです。
それまでの日本のバレエ団の公演は主役級のダンサーが高額のチケット代を負担するようなシステム(日本舞踊とかお琴とかもそうらしい)だったのを、プロとして、きちんとダンサーにギャラを払い、商売としてバレエ公演が成り立つ仕組みを作ったという「日本のインプレサリオ」(インプレサリオはオペラのプロデューサーの意味転じて、力のあるプロデューサーを指す言葉だそう)と言われているんだそうです。
タダで見せてもらったお礼に佐々木さんの紹介をしてみました。

モーリス・ベジャールの名前くらいは知っていましたが、「ザ・カブキ」は30年前、佐々木さんがベジャールにひつこくひつこく要請し、ついにはベジャールを動かしオリジナルな演目が生まれたという逸話があります。
ところで、なんで「ザ・忠臣蔵」じゃなくて、「ザ・カブキ」なのか?
それは歌舞伎の定番、「仮名手本忠臣蔵」を題材にバレエ化したからなんですね。

これまた悪い癖でストーリー追ってしまうと(そもそも歌舞伎もそうだけど)、なかなか奇妙な世界です。
最初、東京のディスコが舞台で、そこに突然一刀の刀が空中浮揚…
それを主人公が手に取ると、あ〜ら不思議、江戸時代にタイムスリップ。
ここから、通常の忠臣蔵同様のストーリー展開だけれど、タイムスリップした主人公は現代の格好のまま、傍観者としてウロウロしてます。
しかし浅野内匠頭(ここでは判官)切腹シーンで、そばにいた主人公、遺言を託されると、ここから大石内蔵助(ここでは由良之助)に変身しちゃうわけ。
で、四十七士のリーダーとなり、あとはご存知忠臣蔵。

でもお芝居じゃないから、当然バレエで見せるのですが、なんたって忠臣蔵だから、男の世界です。
女性の主要キャストは判官の妻を上野水香、忠臣蔵に参加しそびれた勘平の妻おかるくらい。
由良之助が仇討ちの決意をごまかすための遊女たちのシーンはあるけれど、なんたって誰もチュチュ着てないし、衣装も日本人から見るとかなり不思議なんですが、おそらく西洋人から見ると独創的でエキゾチックな世界だと思います。
討ち入りのシーンは群舞として迫力がありました。
でも西洋人から見て、ある意味、一番日本的な象徴として使われているのはやはり「切腹」かなぁ?
判官、勘平の切腹に続き、ラストは巨大な日の丸(朝日?)を背に志士たちの集団切腹で終わります。
テーマは「忠誠心」なんだそうです。
「切腹」って善かれ悪しかれ日本の文化ですね。
日本人としてはちょっとフクザツ。
まあそういう難しいことは別として、討ち入りのシーンやラストのシーンに「型としての美」を感じました。

主人公の由良之助を演じたのは柄本弾。
小柄で筋肉質、フィギアスケートの高橋大輔みたいな濃い顔。割と好みです(笑)
途中休憩にロビーに出ると、バレエ関係者が多いようで、バレエダンサーの人って、すぐに分かりますね。
姿勢が違います。

公演が終わって、新国立劇場(初台)近くの飲み屋でH子の知り合いのご夫婦と飲んでて、気がついたら終電に駆け込む羽目になりました。終電で帰宅するのなんて、何年ぶりだろう?
加えて、2日後の土曜日も都心で別の集まりで飲む羽目になり、もうすぐ術後1年ですが、このところタガが緩んでいます。
いけないいけない、節制と節酒、健康第一!!!
私は『健康』に忠誠心を捧げます。

『シング・ストリート 未来へのうた』  監督:ジョン・カーニー

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10 /12 2016
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ちょっと前の映画から、すご〜く昔の映画まで、作品のチョイスがいい感じの小さな名画座「キネマ旬報シアター」にてアイルランド映画を見ました。
これは監督の半自伝映画ということで、音楽青春映画です。
1985年、音楽好きの15才の少年が仲間とロックバンドを組み、一目惚れした少女をモデルにMV(ミュージックビデオ)を作成したり、学校の体育館で初ギグ(ライブのこと?)を成功させる青春映画です。

若さがあふれる映画なんですが、そこは舞台がアイルランド、ダブリンということで、アメリカの青春映画とはどうしても違ってきます。
アイルランドを舞台にした映画を見るたびに思うこと。
「アンジェラの灰」は'30~40年代、「ブルックリン」は1950年代、「父の祈りを」は’70年代、そしてこの映画は’80年代
いつの時代をとっても、みんな失業してます!
これなんか85年なのに、親といったら失業して夫婦喧嘩してるか、ヤク中かアル中か、DV矯正施設に入ってるか…
なんでこんなにどの時代も失業者が溢れているんだろうか?
アイルランド、たくさんのいい映画だの文学を生み出しているし、音楽は日本人にもなじみのあるケルトミュージックもあるし、なんたってあのU2もいるけど、この国の産業構造はどうなっているのだろうか?とつい思ってしまいました。

ここでも15才のコナーは失業中の親に突然安い学校に転校させられます。
この学校のひどいこと!ほとんど無法地帯、校長は猛獣使いのよう。
音楽と同じくらい家族の映画でもあります。
いろいろ問題の多い家庭ですが、やはり主人公は両親を愛してギグに招待する夢を見ますし、何と言っても兄弟仲がとってもいいんです。お兄ちゃんも失業中のようですが、音楽のアドバイスをくれ、最後は無謀な船出も見送ってくれます。この兄貴がいい味出してます。
同じく仲間たちも問題家庭ばかりですが、作曲担当のうさぎ好きの少年がキュート。
お金がなくても親が失業してても、音楽と仲間がいれば、青春のなんとキラキラしていることか!
この映画では路上で演奏、MVを撮りますが、この監督の「はじまりのうた」でもNYに出てきたキーラ・ナイトレイがスタジオ代がなくて路上で録音するシーンがあります。
この辺り、監督の自分の経験が反映されているのでしょうか。

そしてアイルランドという国の位置から外せないのは、晴れた日には海の向こうに見える、近くて遠いイギリス。
ロンドンへの強烈な憧れがこの映画の中にあります。
ロンドンに行けば、人生が開けると主人公が一目惚れした少女も、主人公コナー自身も思い、それはラストの選択につながります。
ここではないどこかへ、という閉塞した青春の想いもあると思いますが、ここダブリンでは人生は開けない、という故郷への失望が彼らにはあります。
現在の日本の若者にとっても遠い国の違う時代の話ではないように思えます。
ちょうど就職氷河期世代でなかなか思うような仕事に就けなかった姪っ子が、つい最近ワーキングビザを取って外国に行ってしまったので、個人的にそう思えるのかもしれません。

音楽愛に溢れ、切なさもあるけれど、希望に満ちた心地よい青春映画でした。

『ハドソン川の奇跡』  監督:クリント・イーストウッド

cinema
10 /05 2016
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クリント・イーストウッド監督と、名優トム・ハンクスがタッグを組んだ人間ドラマ。2009年1月15日、突然の全エンジン停止という危機に見舞われながらも、ハドソン川に不時着して乗客全員が生還した航空機事故のてん末に迫る。アーロン・エッカートらが共演。機長の手記を基に描かれる、奇跡の脱出劇の背後に隠された真実に言葉を失う。 (シネマトゥディ)

7年前、空港を飛び立ったばかりのエアバスA320旅客機がバードストライクに会い、両エンジンが停止、ニューヨークのハドソン川に不時着水し、155人の乗客全員が無事生還した航空機事故は、日本でも大きなニュースになり、機長が英雄として騒がれたことをよく覚えています。当時、サレンバーガー機長はマスコミの大騒ぎにも冷静で、自分の手柄と舞い上がることもなく、乗員や救助関係者への感謝を口にする、なんか日本人好みのかっこいい人だなぁ〜と思ったものです。
しかし、あの明るいニュースの裏にこんなことがあったとは!?
今回この映画を見て、いろいろ考えさせられることがありました。

今、東京では築地の豊洲移転が大きなニュースになっていますが、そこで分かってきたことは、誰に責任があるのか不明なこと。
知事が言う通り、まさに日本的無責任体制なのですが、これに対し、アメリカではこのように英雄視されている機長の責任も調査委員会がとことん追求、検証することに驚きました。
彼は155人を助けたのか?それとも危険にさらしたのか?という映画のコピーの通り、結末はわかっているにもかかわらず、途中コンピューターの解析では空港に戻れたはず、という説に、えっ?そうなら、確かに乗客は命の縮む思いをしたし、お土産や荷物も失い、けが人も少数いる。高い旅客機もオジャン。
さらにベテランパイロットがシミュレーションすると、無事空港に戻れちゃう!
機長の判断ミスだったの〜!?とハラハラします。

構成はいきなり、すでに事故の後で、機長は調査の対象になっています。
出だしがインパクトがあり、もう一つのあったかもしれない現実を機長の悪夢という形で見せます。
途中で実際の事故当日のドラマを交互にはさんで見せていきます。
監督はクリント・イーストウッド。なんと86才。もはや化け物?
時系列に凡庸に見せない構成、事故時の迫力ある見せ方。
機長の精神的に追い詰められつつも冷静さを失わない精神力、着水時の最後の最後まで乗客の無事を確認する責任感、妻との関係も含めて、どこまでも冷静に描きつつ、その誠実な人となりがよく伝わる演出力。
この機長のかっこよさはもちろんのこと、86才でちゃっちゃとこんな映画作っちゃうクリント爺さんもかっこよすぎ!(撮るのが早いので有名)
大人の男のかっこよさを堪能しました〜♡


(ネタバレ注意!)
しかし調査委員会、人数いっぱいいるくせに、人間というものを忘れています。
コンピューターやシミレーションは、バードストライクの直後にすぐ空港に戻りますが、それは既に分かっていることだからできること。
現実は40年以上のキャリアでも初めての両エンジン緊急停止の事態に、何が起きたのか、エンジンや計器の状態を調べ、状況判断をします。
そのための35秒を付け加えるのを忘れていたのです。
その後、シミレーションをやり直すと、乗客全員どころか、過密都市NYの地上の被害も免れなかったことが分かります。
そもそも最初の成功したシミレーションでも17回も練習したのちの成功です。
調査委員会への保険会社の圧力も感じます。この辺がアメリカっぽい?
こんな人間性を無視したコンピューターの計算だけで、機長本人がそのことに気づかなかったら、一転犯罪者にされていたのかと思うと、何が何でも「責任者を特定することの怖さ」も感じました。
とはいえ、日本型誰も責任取らない体制がいいとは全く思いませんけれど。

すばやく何が起きたか把握し、管制官の空港へ戻れという指示は無理だと判断し、ハドソン川へ不時着する。この機長がいなかったら、決してなしえなかったことを最後は調査委員も理解します。
そして最後にこの機長は奇跡は自分が起こしたわけでなく、副機長初め乗員全て、地上での救助隊、全ての連携がうまくいったおかげと、どこまでも謙虚で誠実な人です。トム・ハンクス本人もいかにもいい人なので、ぴったりでした。
ラストの副機長のジョークも気が利いてて、しみじみいい話だったなぁ〜。

でも考えたら、これは映画として素晴らしいという以上に、実話そのものの素晴らしさに感動しましたね。





tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。