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『偽善の医療』  里見清一:著

disease(闘病記)
07 /26 2016
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「医者と患者のコミュニケーション論」の著者による「偽善の医療」を読みました。
相変わらず口が悪い先生で、「コミュニケーション論」よりもご自分のうっぷんばらし的な記述に思えるほど、里見先生、ブンブン飛ばしてます。
まず「患者様」という言い方に激怒していますが、言葉に対するこだわりのある方らしく、患者に「様」をつける風潮を「日本人の言語能力の低下を示す端的な例」と切って捨てます。
この原稿を書いた時点で著者はガンセンターにいたようですが、私は昨年9月からガンセンターの患者をやっていますが、窓口で「様」か「さん」か?どうしても思い出せない。
「がん」と言われて「ガ〜ン!」となってて、「さん」だろうが、「様」だろうが、患者自身はどうでもいいんじゃないでしょうか。
少なくとも私はそうです。だから「様」の必要性を全く感じないということでは、この先生に賛成です。
ただこの先生が言うように、「言葉は思考を規定する」から、くり返し「様」をつけられることによって、患者が付け上がって、医療従事者に横暴な態度をとる…みたいな意見はちょっと疑問です。
中にはそういう人もいるかもしれませんが、そもそもガンと言われて、不安で余裕がなくなるから、怒鳴り出す人もいるのではないでしょうか?
だって、「様」と言われて「だからワシは先生より偉いのだ〜」って勘違いするのはバカボンのパパくらいしか思いつきません。
それにしても、(たとえ医師が横暴な場合でも)看護師さんは常に患者の味方のような立ち位置にあるので、看護師さんに八つ当たりする患者がいるなんて、全く理解に苦しみます。
私がお医者さんに持つイメージは、素人には分からない専門知識を持ってて、その技と知識で治療にあたってくれる人。
だからもちろん敬意も持つし、感謝もしています。
でも医師の「権威」はよく分からない。それは医療関係者の間でこそ意味と存在価値のあるもので、医者の権威を何より重要視するのはお医者さん自身であって、患者ではない気がします。

20年前、セカンドピニオンという言葉も知らなかったけれど、軽い気持ちで「他の人の意見を聞きたいからデータ貸してくれ」と言って、医者と怒鳴り合いになった私としては、今やセカンドオピニオンを多くの人が求めていることに時の流れを感じました。
私が20年前、その医師から言われたのは「だから素人は嫌なんだよ!」ってセリフです。でも普通患者はみんな素人なので、病院内部のルールが患者に分からないのは当たり前です。「だったら私は医者しか診ない医者ですって看板出せばいいじゃん。」と当時、私は言い返しました。(今思うとヤンキー主婦だわ(;^_^)
しかしこの本の「消えてなくなれセカンドオピニオン」を読んで、確かに最終的に誰が決定するのか?まさに「素人」である患者が複数の見解から決定することができるのか?セカンドピニオンという言葉はすっかり浸透したものの、肝心の部分は理解できないままであることに気づかされました。


この本ではマスコミの罪を追求していて、病院ランキングのからくりや、病院ごとの5年生存率、マスコミの流す情報を鵜呑みにする間違いを指摘してくれています。また「紹介」が却って裏目に出る危険性も教えてくれます。
この辺りはなるほど〜と、まさに病院内部事情のネタバレという感じです。

国立がんセンターの患者は患者の精鋭?という言葉にえ?とびっくり。
確かにリムジンバスが1時間ごとに到着している病院ですが、言われてみれば、飛行機に乗って、わざわざここまで治療に来るには、気力や体力、経済力、様々な意味で恵まれていることを「精鋭」という言葉にしているみたいです。
たまたま近場だったのでこの病院を選んだ私ですが、糖尿病患者を受け入れないという話の方に、個人的にここを選んだデメリットを感じています。
高齢で慢性疾患を持っている人はたくさんいると思いますが、癌専門病院だと、同時に持っている疾患の治療はしてくれないってことですよね。
さらに、もし体のどこかに変調があったとして、それが再発なのか否か?軽い症状の場合、いきなりガンセンに行くのはためらわれます。
例えば先日腰痛がしましたが、すぐ治ったものの、もしこれが続いた場合、普通の総合病院ならば、がんの治療をしている病院の整形に行って調べてもらいますが、ガンセンだとそういう使い方は難しい。そもそもあんなに混んでる病院で、何100人、いやもっと?抱えてる主治医に「ちょっと腰が痛いんですけど〜」って気軽に連絡して相談しづらい。
と言って、一々別の整形でレントゲンとって、あやしければ再びガンセン行ってると病院に行く手間も2重になる。
気になる症状があったとしても検診以外に行く気になれない、というのが個人的にはこの病院を選んだ一番の欠点です。

また神の手医師についても言及してますが、手術の腕が医師によってどれほど違い、それが術後の影響にどのくらい影響を与えるのか?正直、分からないので、なんとも言えませんが、私は麻酔針設置で意識が遠のくほど痛みに弱く、硬膜外麻酔もできなかったのですが、術後、傷の痛みや神経痛がほとんどなく、周囲が驚くほど回復が早かったのは確かです。
ゴッドハンド主治医はたまたまラッキーだったとしか言わないので分かりませんが、本当に神様ってことはないと思うので(笑)できるものなら、なるべく多くの若い医師に「技」を伝授してほしいと思います。
体力のない高齢の人はもちろん、忙しい世代で子育てや仕事にすぐに復帰しなければならない人にも、痛みがなく回復の早いことは誰にとっても恩恵が大きいですもん。
またこの著者も言うように、いくら腕のいい外科医に手術してもらったところで、「がん」という病気の性質上、治ったか否かはまた別の話ということはよく分かります。
でもだからこそ、再発リクスの高い人ほど、巧い先生に手術してもらった方がいいと思うのです。
自分では想像したくないけれど、だってもしも残された時間が短いのならば余計に、手術の後遺症や痛みに悩まされる時間が少しでも短い方がいいと思うから。
主治医のY先生がどういう人かは知りませんが、検診で会う限り、この先生に権威臭やエリート臭は感じません。
刃物持たせたら右に出る者はいない風な、たたき上げ凄腕職人みたいな印象があります。それと大きな声では言えないけれど、ちょっと変人のような気もする。まっ、これは変人好きの私の希望的観測かもしれないですけどね(笑)
話し方はややぶっきらぼうなタメ口で、逆にこの先生から「様」つけられて「ですます」体で話されたらちょっと怖い。


著者の里見先生は基本的に人情家だと思います。
だからガンガン患者を罵ったところで、読後感は悪くありません。
私が個人的にこの本の中で一番共感したのは、第10章の中の禁煙に関するくだりです。
ご自身は子供の頃からの喘息持ちで、タバコが大嫌いにかかわらず、さらにタバコが有害であることを確認しつつ、病院内全面禁煙や社会が進める禁煙の推進にNOを唱えています。
私も基本、悪いことを全部無くしたら、いい世の中になるのか?という疑問を持っているので、こういう考え方には共感します。
そうはいっても、先日喫茶店で隣に座った知り合いがタバコを吸い出したので、あからさまにパタパタ仰いで、露骨に嫌な顔しました(笑)

「インフォードコンセントハラスメント」は私が初めてガンセンに行った時の若い内科医が無表情のまま、ものすごい早口で説明を終え、「ではここにサインを」と紙を出した時には、「この人、アンドロイドかロボット?」と本気で思いました。
でもその後、この日ほど混んでる状態を見ないので、特別に混んでいる日だったことが分かり、ああロボくん、もう限界に疲れていたのね、と後から思いました。
しかし不安を抱えて初めて来た患者としては、まるでベルトコンベアに乗せられたモノになった気分になり、ガンセンってこういうとこなんだぁ〜とかなりショックでしたね。

「最先端治療」はどこまで信用できるか?
放射線、内視鏡、分子標的薬等、もはや普通に使われている治療法に関する検証なので、知りたかった免疫療法やニボルマブに関しての言及はありませんでした。
どうやってその治療法が”公的”にお墨付きが付くかの前半の解説に興味を持ちました。
科学的根拠があるとかないとか、エビデンスがあるとかないとか、聞いたことはありましたが、治療法というのは「理論的」に決まるのではなくて、あくまでも「データ主義」とのことです。
二つのグループに分け、その治療を行った方と行わなかった方の治癒率を比較して、「治療」として認められるか否か。
決め手は数字です。
しかしこのデータもとるのに数年もかかるし、バイヤスも加わわるし、意外と曖昧微妙なものなのだなぁ〜との印象を持ちました。
そもそも患者は年齢、性別、体質、etc、一人一人別の条件を持っているわけだし、ガンという病気も同じウィルスでかかる感染症と違い、元々の個人の細胞だし、変異の仕方も違うだろうし、こんなオーダーメイドの病気にすっきりみんなに効く治療法は難しいんだろうなぁと改めて思わされました。

正直言えば患者側から見れば、「治りゃなんでもいいんです」
どんなに胡散臭くとも、怪しくても、治ればいいわけで、そういう意味では医学は科学とは言い切れない気がします
もちろんまともな医師は怪しい治療法から患者を守ろうとして言ってくれてるのは分かります。
実際根拠のない治療法を高額な費用で行っているいかにもお金目当てな医療機関もあると思います。
個人的には民間薬には手は出さず、漢方と乳酸菌飲料だけ飲んでいます。
まあガンを直接やっつけてくれるとは思いませんが、少しでも体調を保つ期待を込めて、同じ目的で食事睡眠にも気をつけています。

最終章を読むと、この先生にとって、末期の患者さんから出された缶コーヒーを断ったことにずっと痛恨の想いを持っていて(このエピソードは「コミュニケーション論」にもある)、医学と言葉と情の人で、まあ喜怒哀楽の幅も大きければ、頭脳もフル回転、私のようなボヘ〜と生きている人間の何倍ものエネルギーを持って生きてる人だなぁ〜と感心してしまいます。
こんな風にいろんなことを怒ったり、患者のために奔走したりしてたら、心も身体も消耗してしまわないのか?と心配になりますが、言葉で吐き出すことがこの先生にとっては一番バランスをとるのに役立っているのかもしれません。
どうかお元気で、これからも患者のために、患者を罵りつつ(笑)、よりよい医療のために毒を吐いていただきたいと思いました。

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『アナザー修学旅行』 有沢佳映:著

book
07 /25 2016
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珍しくヤングアダルト向け小説を読んでみました。
中学の修学旅行に行けなかった7人が一つの教室で過ごす3日間の物語。
中学生なんて、あまりに遠い昔すぎて、全く感情移入できないと思いきや、そんなことはなくて、思わずクスッと笑ってしまう場面がたくさんあります。
ちょうど少し前見た台湾映画「あの頃、君を追いかけた」のところでも中学の修学旅行の思い出を書きましたが、この物語は修学旅行に骨折や怪我、いろんな事情やらで行けなかった同じ学年の7人の物語です。
修学旅行に行けなかった子が学校に登校させられてるとは、全く知りませんでしたが、自分の頃もそういう頃はあったのでしょうか?
主人公、三浦佐和子は名前の通り平凡な女の子という設定ですが、これってそんなに平凡な名前かなぁ〜?
まあそれはどうでもいいとして、この物語の一番の面白さは今時の中学生の会話。
これが果たしてリアリティがあるのか否か?正直おん年〇〇才の私にはよく分からないのですが、少なくとも違和感はありません。
テンポが良くて、気の強い女の子岸本さんとちょっと不良の男の子片瀬くんの会話など、読んでてとても楽しい。
登場人物は学年一のモテ男小田くんと、学年トップの頭脳をもちながら不良の兄たちのせいで何かとトラブルに巻き込まれるインテリヤクザの片瀬くん、売れっ子女優の岸本さん、マイペース美少女転校生の湯川さん、小田くんと同じ施設の性格の良い野宮さん、保健室登校の秋吉くん、と主人公の7人です。
この中で小田くんは学年一のモテ男ということで、とても華のある明るい男の子。いいねえ、私の頃、こんな子いたかねえ?
野宮さんは最後で自分が決して本心からいい人間ではなく、いかに人から嫌われないように細心の注意を払って生活しているか告白します。
なかなか胸の痛む場面ですが、中学生でそんなことができるなんて、この年でもできない人間もいるのにすごいぞ!

自分の中学生、どんなだったかなぁ?
他人から見たら箸が転げてもおかしいみたいに見えたと思うし、本当によく遊ぶ子でした。
試験直前にスケート場やプールの入り口で見張ってた先生に捕まったこともあります。
笑い転げているように見えて、自分の中ではうっぷんが詰まってて、いろんなことにムカムカしてたんじゃなかったかな?
10年前から中学時代の同級生何人かと数年ごとに会うようになりました。
中でも学級委員だったNちゃんとは個人的に半年に1回くらい2人で食事をします。
彼女は医療系専門職についていて管理職にもなってて、私とは接点のないタイプなのですが、いかにもしっかり者女子的な上から目線がなく、お互いの抱えている問題について話しあったり、見栄を張ったり張り合う部分がなくて、時々お互いのガス抜きに会っている気がします。
こんなことができるのも、中学生という不安定でしょうもない時代を共有した過去があるからなのかな?




『ファインディング・ドリー』 監督:アンドリュー・スタントン

cinema
07 /20 2016
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『ファインディング・ニモ』から13年も経っていることにまずびっくり。
この監督の作品を見たら、「トイ・ストーリー」1・2・3も「バグス・ライフ」も「モンスターインク」も見ていました。
おそらく2000年辺りまでは、まだ子供が一緒に映画を見に行く年だったためと思われますが、あとはTVで録画したのをアニメ好きの子供と一緒に見たのかもしれません。
ほとんど内容を忘れたけど、「ウォーリー」が結構趣味だった気もする。

友人からタダ券もらって見に行きました。
本編前のショートアニメが可愛い。
最近のCGはどこまでが実写で、どこからアニメだかよく分からない美しい画面。
海辺の小鳥が貝採りの達人になるまで?のお話。

『ファインディング・ドリー』 
子供がこんなに忘れっぽかったら、親としては心配だろうなあ。
「インサイド・ヘッド」の時も思ったけど、アメリカ人の親ってこんなに子供に優しいのだろうか?
確かにアメリカの方が子供の個性を認める傾向はあるかもしれない。
自分の子育て期を考えると、世間のモノサシを持ち込んでしまった部分が多々あったと思う。
子供の映画を見て、今頃反省しても意味ないけれど。

「ズートピア」も思ったけど、けっこうメッセージ性を説教くさくなく、盛り込むのがアメリカのアニメは得意みたいです。
ともかく忘れっぽいドリーは記憶を頼りに作戦を組み立てたりできないため、直感と独創的なアイデアで危機を乗り切る。
欠点を直すのではなく、欠点も生かした自分の個性で局面を切り開いていくこと。それが大事ということかな?
ところで「八代亜紀」連呼にはびっくり。
アメリカ版ではシガニー・ウィーバーだそう。アメリカ版は歌手じゃないのね。

子供が小さい時にはいろんな水族館に行ったものです。
近いので、葛西の水族館には何度も行ったけど、一度私がインフルエンザで高熱を出して、ママ友に全部お任せで水族館の救護室で寝たことを突然思い出した(笑)
高知の桂浜水族館は地味だけど、魚の解説にいちいち土佐弁で料理方法が書いてあっておかしかったっけ。
義父母と何度も行った神戸の水族館も懐かしいなぁ。
と、なぜか水族館の思い出になりました。



『ジュリア・マーガレット・キャメロン展』  『河井寛次郎と棟方志功 展』

art
07 /18 2016
『ジュリア・マーガレット・キャメロン展』 は東京の三菱一号館美術館にて平日午後に、
 『河井寛次郎と棟方志功 展』は千葉市美術館にて3連休の1日に夫と見ました。

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『ジュリア・マーガレット・キャメロン展』 は英国の上層中流階級で社交生活を謳歌していた彼女は、48才の時に娘夫婦からカメラをプレゼントされ、その後独学で写真術を身につけ、精力的に制作活動を展開します。そして、生気あふれる人物表現や巨匠画家に倣った構図を追求するなかで辿りついたのは、意図的に焦点をぼかし、ネガに傷をつけ、手作業の痕跡をあえて残す、といった革新的な手法でした。(展覧会解説より)

19世紀イギリス上流階級の暮らしってダウントンアビー(は20世紀初頭ですが)でもおなじみですが、(実際のところ面白いかどうかは別として)とりあえず優雅です。
そんな優雅な奥様が中年過ぎから写真にとりつかれ、正しい技術を無視、ちょっとピンボケやわざとネガに傷つけたりの写真を精力的に撮り、さらにそれを商売にしてしまう、という写真家自身の経歴が一番面白かったです。
当時の文化人、有名人がご近所だったこともあり、彼らの肖像写真によって成功を得たことが分かります。
また肖像写真と並んでモデルに聖書の場面を再現、コスプレなりきり写真も面白かったです。
キャメロン家のメイドと、物乞いだったという少女、この二人が被写体として多く使われているのですが、名前は二人ともメアリー、顔もよく似ています。他にも姪っ子の写真を多く取っていますが、それぞれのモデルの生い立ち等も興味深いものがありました。
後半、写真の売り込みの手紙などもあり、たくましさも感じさせます。


 『河井寛次郎と棟方志功 展』
民芸運動の創始者として世界的に知られる柳宗悦(1889-1961)が創設した日本民藝館には、その考えに賛同し、支えた個人作家の作品が収蔵されています。柳の思想に共鳴した陶芸家・河井寛次郎(1890-1966)と板画家・棟方志功(1903-75)は、よき協力者として柳を実践面で支えた作家たちでした。柳が唱えた「民芸」の考え方は、さまざまな人々や社会に影響を与えましたが、全国各地の職人たちが作り上げた「もの」の美しさから学び、尊んだ河井や棟方のような個人作家の存在は、民芸運動の推進役となって活動を支えました。(美術館HPより)

河井寛次郎は自分は陶芸家ではなく一陶工であると言って、人間国宝や文化勲章を辞退した人だそうです。
作品は割と実用的な印象。陶芸、さっぱり分かりません。

棟方志功は子供の頃、ドラマをやっていて、確かド近眼で版木に顔をつけるように彫っているシーンが記憶にあります。
今調べたら山田洋次監督で渥美清が棟方志功役だったようです。
作品は力強くて、迫力があります。





『ブルックリン』 監督:ジョン・クローリー

cinema
07 /14 2016
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アイルランドの片田舎から大都会のニューヨークにやって来たヒロインが、戸惑いながらも自らの宿命と愛に身を任せる姿に迫る。二つの国と二人の男性の間で引き裂かれていくヒロインの成長物語が胸に響く。(シネマ・トゥディより)

「ぼくのプレミアライフ」や「ハイ・フィデリティ」の原作者として有名なニック・ホーンビィが脚本を手がけています。
どちらもサッカー狂と音楽狂の話なので、こんなにしっとりとした少女の成長物語の脚本とは意外です。

主演は「ラブリーボーン」の主演の女の子シアーシャ・ローナン。たった6年ですっかり大人になっていますが、初々しさは健在です。
学業優秀だけれど、地元では仕事がなく、職を求めてアイランドの田舎町からNYへ出てきた主人公エイリシュ。
ブルックリンはアイルランド移民の多く住む街です。

同じく1920年代が舞台の「エヴアの告白」はポーランド移民だったけど、NYに職を求めて渡ってきた女性の生活は悲惨でした。
それに比べると'50年代が舞台のこのドラマはアイルランド女性用の寮もあったり、デパートで働きながら教会の援助で夜間大学にも通います。ホームシックになった時のメンタルケアもちゃんとあります。福利厚生では今の日本よりも恵まれている気がしました。
また故郷アイルランドの生活ぶりも「アンジェラの灰」(’20年代:それはもう悲惨)とかに比べれば、仕事がない問題はあるものの、人々の暮らしは質素ながら貧しさは感じられません。
やはり’50年代というのは世界的にも戦後の復興期で明るい時代だったのでしょうか?

それでもヒロインはホームシックになってしまい、寂しさの中知り合ったイタリア系移民のトニーと恋に落ちます。
そんな中、故郷の姉の悲報が届き、故郷アイルランドに帰国します。
すると故郷の状況も少々変化しており、ちょうど就きたかった仕事もあり、トニーとは対照的なインテリ系のジムといい感じになります。ジムと結婚すれば一人残された母のそばにもいられます。
ここで私などは単純に、帰国する前にトニーと駆け込み結婚をしたのに、わずか1、2け月帰国した際に、ジムに心惹かれるヒロインが理解できなかったのですが、鑑賞後、私より人間心理に長けている友人の解説により納得。
トニーは配管工で手紙の綴りも間違えるガテン系男子ですが、ヒロインはお勉強得意タイプ、華やかなデパートの仕事も続ける気はないと夜学で勉強するしっかり者。インテリジェンス溢れるジムに惹かれる心理はなるほどね、と。寂しさで気も狂わんばかりでなければ、本来トニーは好みのタイプではないってことかな?
でも恋愛心理に疎い私にも、故郷を離れたものの目で見た故郷の良さや美しさに気付くシーンはよく理解できました。特に賑やかなNYコニーアイランドの海水浴場と故郷の人気のない美しい海岸の対比は印象的です。

故郷を離れがたく思い始めたヒロインに現実を気づかせてくれるのは、意地悪な食品店の女主人。
彼女の噂話に、「そうだった、ここはそういうところだった!」と故郷の美しさだけでなく、その偏狭さに気づいて、NYに戻ります。
トニーへの愛に気づいてではなく、故郷の醜い面に気づいて、自分の居場所がNYであることに気付くヒロイン。
純粋にヒロインを愛する男たちと比べて、やっぱり女の方が現実的だなぁ。
それでも観客にとって、NYに戻り、トニーと抱き合うラストはホッとして心温まります。
「エクスマキナ」に続いて、振られるジム役はドーナル・グリーソン。次はかわいそうな彼のハッピーエンドを祈ります。

ところで、ヒロインは日本人好みの面長顔ですが、西洋人的にはいわゆる美人ではない地味だけど可愛い設定。
この映画を日本でやったら誰がぴったりか?という話になり、ヒロインは絶対「黒木華」ちゃん。雰囲気も似ています。
配管工のトニーは若い頃の「森田剛」がぴったりで、ジムは最近売れっ子の「阪口健太郎」で決まりです。

「医者と患者のコミュニケーション論」 里見清一 著

disease(闘病記)
07 /12 2016
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この本は肺がんブログを書いていらっしゃる方の記事で紹介されているのを見て、私も読んでみました。
若い研修医たちに向けての講演録かと思いましたら、実際の講演ではなく、わざとそういう構成にしたコミュニケーション論だそうです。理由はある特定の集団に向けて語る形を採ることで、本音及び真実を書きやすくなるためとの理由です。
連載された雑誌も一般誌で、当然一般及び患者に向けて、医者の本音をばらしている興味ふかい本です。

この先生、落語が趣味とかで、語り口が滑らか、思わず笑ってしまう表現も多く、ともかく読みやすい。
人間というものにとても関心の深い方なのだろうなぁ〜と思います。
また福岡伸一さんと同じく、言葉の人でもあります。
だから落語のネタ紹介や、読書案内として読める部分もあります。
「マキャヴェリスト」といえば目的達成のためには手段を選ばない権謀術数を弄する人という悪いイメージしかなかったのですが、この先生に言わせるとマキアヴェッリの「君主論」は人間洞察の最良の指南書なんだそうです。
ですからコミュニケーションスキルを学びたい若い医師に向けて真っ先に推薦しているそうです。
マキアヴェッリは「君主論」で「そもそも人間は、恩知らず、むら気で、猫かぶりでの偽善者で、身の危険をふりはらおうとし、欲得には目がないものだ」と言ってるそうで、これをもじって、この先生は
「患者とその家族は、恩知らずで、気紛れで、偽善者で、尊大で、臆病で、自分勝手で、欲張りで、厚かましくて、けちで助平で馬鹿である」と、「コミュニケーションの大原則」として話して、聴衆をドン引きさせているそうです。

個人的には、人間、そこまでひどくないだろ=!!と言いたくもなるのですが、自分を省みて、確かに医師との人間関係に限れば、かなり当たっていると思います。
なぜって患者は自己中スイッチ&戦闘モードが入っているから…、少なくとも私はそうでした。
私は昨年偶然の事故で肺がんが発見された瞬間、気持ちが戦闘モードに入ったと思います。
そのためか、妙に決断が早くなり、最初にCTの影を肺がんと疑った若い医師が今後の検査について話しているのを遮って、「この辺で肺がんにオススメの病院はどこ?」と質問、その場で紹介状を書いてもらい転院しました。
結果的に疑いと同時に転院したのは良かったと思います。
最初の病院では気管支鏡が届くかどうか分からないと言われたので、もしここで検査をしていたら、かなり苦しい思いをしたと思いますし、途中で転院したら検査が重複することによる余分な放射線を浴びたと思うから。
次に転院した先のガンセンターの外科医長がガン患者にとって何が大切か心得を語ってくれたのに、「初対面の人にそんなこと言われても急には性格変わらないでしょ!」、「それより早期発見って言っておいて、いつまで待たせる気!?」「誰でもいいからさっさと手術して!ただし新人の練習台は断る!」と言って、後から夫に怒られちゃったっけ…。あ、一応上のセリフに”ですます体”は付けましたから、もっとちゃんと丁寧ないい方でしたよ。
でもなんだか急に恥ずかしくなってきました。
確かに、これが私という人間の本質と言われればそうなのかもしれません(涙)


ガンみたいな重病の場合、医師と患者は協力関係のような、敵対関係のような、他の人間関係とは全く違うので、確かに性善説では語れないと思います。
考えたら、手術なんて初対面の他人に自分の命を任せるのだから、かなり特殊な人間関係なんですが、それぞれの役割分担がはっきりしているため、医者と患者の関係を「人間関係」とは意識したこともなかったです。
さらに抗がん剤のような辛い治療の場合、主治医との関係がいいか悪いかで、ずいぶん治療に対する気持ちも違うと思うのですが、その割に今までは医師はこのような関係論を重要視してこなかったようですし、患者側も先生にお任せするか、もしくは不信感を募らせるかの、どちらかだったように思えます。
こういう現実的な関係の指南書はもっともっと以前から必要だったのだと思いますし、ナイスジョブです、里見先生。

私も40才前後から随分いろんなお医者さんにお世話になってきましたが、患者とのコミュニケーションが抜群に得意な医師を一人知っています。
まずその前に、20年前、婦人科系のガンの疑いで総合病院の医師と怒鳴りあいの大喧嘩をしました。
最初から看護師を怒鳴りつけてたり、感じの悪い人だなぁ〜と思っていたこともあり、他の病院で意見を聞きたいからデータを貸してくれと言ったら、突然怒鳴りだし「患者のデータは病院にとって一番の宝だ!簡単に貸せるか!」と言うので「私の体のデータで私が検査代を払っているのに、何で貸せないんだ!?」と怒鳴りあいになってしまったのです。
当時の私はインフォードコンセント、じゃなくてセカンドオピニオン?という言葉も知らずに、気軽に聞いてみただけなのですが、あんなに怒り出すとは思わず、思わず反射的にどなり返してしまい、結局同じことを繰り返す不毛な怒鳴り合いが続きましたが、さすがに医者の方が知性も教養も私よりは上だけに、この先生、その不毛さに気づいてくれたのか?結果、ブツブツ言いつつも貸してくれましたっけ。

で、人からの紹介で出会ったのがA先生。この本を読んで真っ先に思い浮かんだ人です。
まあ、無責任なほど明るい人で(笑)、絵本に出てくるお父さんのような丸顔にメガネ。思わず、初対面の人も気を許してしまうキャラクターということで、この本で「見かけ」も大事と言っていることに頷けます。
私のデータを見たA先生、「あんたのはがんもどきだから、命の心配しなくていいよ」と最初に言われ、一気に心が軽くなったものです。
その後、数年検診に通いましたが、この先生、診察中になぜか人の手を握りながら話す人で、当時は看護師さんも部屋にいましたし、このキャラクターのせいかセクハラ感はゼロ。それどころか、手を握られると妙にリラックスして眠気を催すほどでした。
さらに「俺は子供の頃、母親から人を泣かせる人間にだけはなるな、と言われて育った」という話も聞きました。
待合室で知り合って親しくなった30代の女性と50位の女性、私は当時40ちょうどくらいでしたが、何度か一緒に食事をしたことがあります。
30代の女性とは手を握られるところも子供の時の話も同じでしたが、50がらみの女性は「私はそんなこと一度もない」と怒り出しました。後から考えると私も30代の人も軽い症状でしたので、もしかしたら先生の方がエネルギーを患者から吸い取っていたのかもしれません(笑)
遠方のため、数年検診に通った後、何の連絡も取っていませんでしたが、今回の病気がわかり、連絡して17、8年ぶりに検診に行ってみました。
こちらも先生のお顔を忘れてしまっていたほどで、当然向こうが覚えているはずもないのですが、それでも昨日までの知り合いのように「どうしたの〜?」とにこやかに話し、最後に私の肩を撫ぜながら「うん、大丈夫だよ〜」と笑ってくれました。この先生を見ていると、いや〜全然変わってないなぁと嬉しいやら、感心するやら。
この芸当ができるのは、ほとんど個人のキャラクターに負うところ大で、訓練しても他の人には真似はできないだろうなぁ〜と思うものの、この本の「患者と仲良くする方法」をずいぶん昔から実践していることになります。
女性患者が100%なので、ご自分のキャラクターを活かして自然に編み出していった技術なんでしょうか。

今回、肺がんの手術をすることになって、入院してから初めて執刀医に会ったので、もはや相性なんて言ってる余裕はなかったのですが、執刀医のY先生、初対面の印象は決してよくはなかったと思います。
目つきが鋭くて冷酷そうに見えたし、自分が緊張してたせいだと後から気付きましたが、その筋の人みたいにさえ見えました。
でももしも性格はいいけれど腕はイマイチの外科医と、性格が悪いけれど(主治医のことではありません)腕のいい外科医だったら、どっちに手術してもらいたいかといえば、たいていの人は後者だと思います。外科医に求めるものは「腕の良さ」に尽きると思います。
おまけに隣には上述したA先生に似た、丸顔メガネの見るからに優しそうな内科の先生がいました。
この時点では、私はこの内科の先生にもその後の検診で会えると思っていたので、不安や相談事はこの先生に聞いてもらえると期待していたのです。
しかし退院後、抗がん剤をやらない私にとっての主治医はY先生しかいないことに気がつき、内心「どうしよう、めっちゃ怖そう」とビビってしまい、検診のたびにカチンコチンに緊張していましたが、会う度に、「あれ?もしかしていい人かも?」といい方向にしか印象が転ばなかったのは、とても幸運なことでした。
さらに不思議な既視感をこの先生に感じることがあります。
はっきり感じたのは白血球の数をいつも〇〇くらい、と具体的に言った時、「俺も同じ数だよ」と先生が言った時、あれ?この会話は以前もこの人としたっけ?と。すぐにそんな訳ないか…と思いましたが、検診のたびにどこかで会ったような気がするのですが、こんなインパクトのある人がいたらすぐに思い出すはずなので、おそらく「仁義なき戦い」辺りで見た人にでも似ているのかもしれません(笑)
まあでも、いかにも体育会系でバッサリしたこの先生は、私にとって外科医のイメージそのものでもあります。
だから不安や心配を受け止めてくれる医師という感じは6ヶ月検診までは持てませんでした。

退院後半年経ってすっかり体力の回復に自信を持ち、それまで封印していたネット情報を調べているうちに落ち込んでしまい、この病気発覚以来最悪の精神状態で行った6ヶ月検診。
この先生のナイスフォローは正直予想外でもあり、初めてこの先生に「信頼感」を持つようになりました。
本当に辛抱強く淡々と、私の病理結果を再度丁寧に話してくれて、100%安心はなくても今から心配してもしょうがないという心境に落ち着けたのです。でも最後に、これ退院後全部説明したし、プリントした紙もあげたよ!と言われ、そういえば…と思い出したものの、もらったプリントはどこへやったのか?先生「えっ?なくしちゃったの?」と呆れていましたが、え〜と、探せばどこかにあるかと、、、と言い訳するしかありませんでした(笑)
うわ〜、やっぱり患者って、というより私って、この著者のいう通り、「恩知らずで、気紛れで、臆病で、自分勝手で、欲張りで、厚かましくて、馬鹿」だわ。
ほんと、すみません、Y先生。

この本の話に戻すと、後半はだんだん読んでいて辛いものもあります。
薄々気がついてはいましたが、「肺がんは転移したら絶対治ることはない」ということが分かってしまうから。
患者の持ってくる絶望のデータは科学的に正しいサイトからで、希望のデータはいかがわしい民間療法からというのも、ネット情報過多の問題も頭では理解できます。
しかしやはり医師と患者の視点は立っているところから違うのです。
新しい薬がどんどん出来ているから、ガンは治らなくても共存はきっと可能だと思う!これが患者の視点だし、間違いではないはず。


「引っ込みがつかない時」「ヤブヘビ」「本当のことは取扱い注意」以降はハウツー的な記述はなくなり、医師にとっても、正解はなく、迷い苦悩していることが分かります。せめて苦悩し共感してくれることが患者にとっては救いでもあります。
しかし私の行ってるマンモス病院なんて、こっちは1対1だけれど、医者から見たら、1対数百人?
これを実践するには、ものすごく切り替えが早いAIのような、サイコパスのような性格じゃなくては務まらないのでは?
さらに患者は自分のことを考えても、普段の自分では考えられないくらい、わがままで自己中で攻撃的です。
もはや信頼関係なんて美しいものではないような気もします。

もっと憂鬱になるかと思いましたが、終章の「何もできなくなった時」は元気な時に読んでおくべきいい話だと思いました。
実際には何もしないことがベストチョイスでも、患者は見捨てられることを何より恐れるから、何かやることがあるのは医師にとっても救いであることが分かります。
本当に手がなくなっても、大切なのは最後まで「今でもあなたは私の患者である」と患者に思わせ見捨てないことだと言います。
でも効率化重視の日本の大病院で治療法がなくなっても最後まであなたは私の患者だって言ってくれる医師なんているのかな?
でも言ってくれたら、ものすごく救いになるだろうと思います。
しかしここは現実には難しい日本の状況も語られています。


最近、友人の知り合い(私と同世代の肺がん患者)が、とある大病院の主治医に腹を立て、その医師に対する怒りのあまり、病院へも近づけなくなり、データのコピーももらわず勝手に転院してしまったそうです。
それを聞いて、なんてもったいない!だったら主治医を代わってもらえばいいのに?と私が言うと、「あなたなら言うかもしれないけど、普通の人は言えない」と言われました。
誤解されると困るので言い訳しますが、私は気が強くないし、うじうじ悩むし、人の心を傷つけるようなことはしたくない人間です。
ただねえ、子供の時、熱を出すと、普段、放任主義の母が缶詰の桃をくれたり優しいので、ここぞとばかりわがまま言ったものでした。
ここぞとばかりわがまま言え、とは言わないけれど、その主治医はPCばかり見て、患者の顔を見ないそうです。
だったら「先生、こっちを見てください」と言うのはわがままかしら?この本に「こっちを向け」と怒った患者の話が出てきますが、これをもう少し丁寧に言っても医師は怒るのかな?それで怒るような人だったら、その時はしっかりデータと紹介状をもらって転院すればいいのに。
だってどこの大病院も混んでいるのだから、無駄な検査を繰り返すのも、今までの医師とのやり取りを無駄にするのも、その人にとっても、病院にとっても、国民健康保険にとっても、いいことないのに…
そうは言っても、気持ちは合理的に割り切れないから分かるけど。

「深くて暗い川」は男と女の間だけじゃなく、医師と患者の間にもあるのは当然だと思います。
それを埋めることは不可能と思いますが、こういう本を書いて、その川に船を漕ぎ出してくれる医師がいるのは、ありがたく心強いことだと思いました。








tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。