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「レヴェナント:蘇えりし者」 監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

cinema
04 /28 2016
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昨年「バードマン」でアカデミー賞作品賞、監督賞を得たアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「レヴェナント:蘇えりし者」を半額デーに見ました。
この作品でレオナルド・ディカプリオは5度目のノミネートでついにアカデミー主演男優賞を取りました。
アカデミー賞の当日、テレビを見ていた私は小躍りして喜びました。
レオナルド・ディカプリオのことを「レオ様」とか「すてき〜」とかはさっぱり思わないのですが、とても好きな俳優で、ほとんど全作品見ているかもしれません。
初めて彼を見たのは「ギルバート・グレイプ」のジョニー・デップの知的障害のある弟役。
ほんとうに可愛くて、透明感とピュアな印象が強烈でした。
「タイタニック」は面白かったけど、ディカプリオはレオ様とブームになったこともあり、どうもピンときませんでした。
一番好きなディカプリオ作品は「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」
実在の詐欺師フランク・W・アバグネイルを演じ、キュートな中に切なさの入り混じった感じがまさに若い頃のディカプリオの最大の魅力だと思います。
その後も富豪ハワード・ヒューズ(「アビエイター」)とかFBI初代長官ジョン・エドガー・フーバー(「J・エドガー」)とか株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォート(「ウルフ・オブ・ウォールストリート」)とか実在の人物を演じていますが、この「レヴェナント:蘇えりし者」 のヒュー・グラスも実在の人物なことにびっくりしました。

まずは「肩凝った〜!」が一番の感想です。
もう体に力入っちゃって、見終えたら、どどっと疲れました。
ともかく凄まじい。いろんな意味で。

全編自然光のロケ映像で、美しくも容赦ない自然に圧倒されます。
撮影は「バードマン」で撮影賞をとったエマニュエル・ルベツキ。
その中で007も真っ青なくらい、これでも死なないか?というくらい壮絶なサバイバルが繰り広げられます。
ドラマは単純で、セリフも少ないです。
そもそも主人公グラスは冒頭部分でクマに襲われ喉を裂かれ、声がちょっとしか出ない。
だから、ディカプリオの主演男優賞は「演技」に対してというより、「体張ってる」ことに対する”ご苦労様で賞”的な意味合いが強いのでは?と思うほど、この撮影は大変だっただろうなぁ〜と思いました。
ディカプリオだけでなく、他の役者たちや、スタッフ、スタントマンの人々、ケガ人出なかったの?と心配になる程、撮影の大変さが偲ばれる映画です。

舞台になる19世紀初頭、西部開拓時代のアメリカ未開発地域は毛皮を求める白人たちとネイティブアメリカンの死闘が繰り広げられる残酷で野蛮で、「大草原の小さな家」の世界とは対極にある世界です(この物語は大草原の50年くらい前)。
ともかく出てくる人、みんな揃ってババチイです。
グラスの復讐のターゲットになるトム・ハーディは、私にとってもともと顔の覚えられない俳優の一人ですが、こうババチクては、もはや誰が誰だかますますワカランです。
19世紀のアメリカの無法地帯ぶりにもビビりますけど、現代の日本の感覚では理解に苦しむ点も多々あります。
こんなこと言うと、自分がひどく冷たい人間みたいですが、毛皮取りの一行、インディアンに襲われ30以上亡くなり、10人くらいで逃走中でも瀕死の主人公を置き去りにせず、死を見届け埋葬する人間を3人も残していくのは生存戦略としてはどうなの?とか、
野蛮で残酷な世界ながらも毛皮会社の戒律は結構厳しくて、グラスの死を見届けず置き去りにしたことがばれると投獄されるのも、やや不思議。
このように危険な世界では軍隊的な厳しい戒律が必要なのか?もしくはキリスト教的戒律のためなのか?
その辺りは現代の感覚で見るとちょっと不思議でした。
しかしもしキリスト教の影響なのだとしたら、キリスト教の及ぶ対象にネイティブアメリカンは含まれていないのは明らかです。まあ、それもそうかも。あのベトナム戦争を描いた名作「ディア・ハンター」でも、出てくるベトナム人は猿みたいな描き方だったもんね。

主人公グラスはネイティブアメリカンの女性と結婚していて、以前軍に部落を襲撃され、妻は亡くなり、瀕死の幼い息子を男手一つで育ててきたハンター兼案内人。
10代の息子は彼の全てでしたが、グラスがなかなか死んでくれないことに業を煮やしたトム・ハーディに弾みで殺されてしまいます。
それを身動きできず、声も出せない状態で見ていた主人公の絶望や憤りはいかばかりか?
でも正直言うと、ディカプリオに父性は全編通じてあまり感じられませんでした。

圧倒的な自然の映像の中で、しばしば主人公が幻想を見るのですが、それが魔術的なイメージを映画に与えていて、私はとても好きです。坂本龍一の音楽も強すぎず、映像に溶け込んでいる印象だったと思います(音楽に関しては自分がメロディ覚えられないだけかも?)
「バードマン」もとても面白い映画でしたが、好きという点ではこちらの方が私は好きです。
この映画、上映時間はけっこう長い(2時間36分)のですが、長さは全く感じませんでした。
R15だし、人によっては苦手かもしれませんが、「ルーム」に引き続き、これも断然オススメです!


ネタバレ余談
ラスト、トム・ハーディにとどめをささず、「神に委ねる」の、「神」はどの神なの?
キリストの神?ネイティブアメリカンの神?
圧倒的な大自然の中だから「大地の神」的なものなのかな?
あと、最後のカメラ目線は何なんでしょう?誰か教えて欲しい。



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「ルーム」 監督:レニー・アブラハムソン

cinema
04 /21 2016
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かなり気の早い話ですが、2016年ベストムービーは「ルーム」で決まりです!
この感動はヘタな言葉では表せないし、表したくない…でも忘れっぽい性格のため、備忘録として書いておきます。

17才で男に誘拐され、裏庭の納屋に7年間監禁されているジョイ。その間、誘拐犯の子供を産み、その5才になる男の子ジャックとの生活が描かれる前半。
狭い部屋の中で、毎日体操をさせ、きちんと歯を磨き、文字を覚えさせる、異常な状況ながらも息子をきちんと育てようとしている。
毎週、生活用品や食料を買って届ける監禁犯オールド・ニックは顔すらはっきりとは写さないので、モンスターに囚われた親子のように見える。
息子ジャックは幸せそうである。だって生まれた時から外界を知らない彼にはこれが異常な生活とは分からない。
オールド・ニックの来ている間だけ洋服ダンスの中で息を殺す以外は、愛する母親との濃密な生活は幼児にとって幸せなものに違いない。
テレビの中の世界は全部ウソで、部屋の中にあるわずかなものだけが本物、そして部屋の外は「宇宙」と教えられている。

この前半からオールド・ニックを騙して外に脱出を図る中盤はとてもスリリング。
最初にジャックを保護した女性警官の機転には感心した。
そして本当の困難は解放されてからやってくる。
ジャックの混乱や怯え、外界の捉え方の自然な説得力は素晴らしく、その表現が子役の素晴らしさもあって、とても瑞々しい。
ジャックは「ルーム」に帰りたがる。「ルーム」は彼にとって、母親と2人、繭のように完全で安全な場所だったから。
それでも子供の順応性は素晴らしく、どんどん周囲に心を開き、友人も出来るようになる。

17才で監禁され、ようやく解放されたにも関わらず、より深い困難はジョイにあることも見ていて当然のことと思える。
テレビ番組に出演、インタビュアーにジャックの生物的な父親は誘拐犯であることを確認され、ルームから解放された代わりに、世間の好奇の目に囚われる。監禁中、生きる支えだったジャックとの関係すら微妙に変化する。
実際、例えばジョイの父は決してジャックを見ようとしない。なぜなら誘拐犯の子供だから、孫とはいえ彼の存在が耐えられないのだ。そういう父にキレるジョイ。母にも、父と別れ恋人と暮らしていることを自分がいなくなっても楽しくやってたと罵る。
ついには自殺を図って入院、ジャックと生まれて初めて離れる。
ここで母の恋人レオがワンクッション置いた関係のためか、ジャックに対する態度など、いい役割を果たしている。

監禁され犯人の子供を産むなんて、普通の人には想像絶する話を描いているにも関わらず、不自然さがなく、登場人物一人一人の態度が全て納得できる。そして世界を初めて知った5才児の瑞々しい眼差しは嘘くささが全くない。この映画のすごいところである。

ラスト、あの監禁部屋を母子は訪れる。
途中、ジャックが祖母にルームは地の果てまでも広いと話すシーンがあったが、ラストでその狭さに「縮んだの?」と不思議そうに言う。
ジョイにとっても、おぞましい場所ながら、ジャックと2人の全世界だった「ルーム」。この部屋から本当に開放される場面。
この先も男の子だから、もしかしたら犯人に声とか顔とか似てくるかもしれない。
ジャック自身が父親のことを知り、悩むこともあるに違いない。
でも犯人とジャックは(もし似てきたとしても)全く別の人間であり、どんなことがあってもジョイや家族はジャックを愛するだろう。
もう、この辺で涙だだ漏れでした。平々凡々な感想だけれど、(リアルに)生きることの素晴らしさを感じずにはいられない映画だった。
そして大島弓子の「桜時間」を思い出した私です。急に読みたくなった。



追記:事前情報を一切入れずに見たので、後からスタッフ等見て、監督はアイルランド人なのを知りました。
決してハリウッド映画が嫌いなわけではないのですが、この映画はアメリカ、特にハリウッドの文法で作られていないこと何よりよかったと思います。これで一々犯人がどんな人間かとか説明されたり、ラストを分かりやすいハッピーエンドにされると残念な映画になってしまったと思うから。
何事も相性がありますよね。
先日見た「マジカル・ガール」、私には病気の人々のワケワカンナイ映画でしたが、見た後、町田智浩さんの解説を読んだら(http://mini-theater.com/2016/03/12/33515/)、ふ〜ん、なるほど〜と。解説読んでから後から追っかけ面白がるというのは、どうかと思いますが、あの映画の楽しみ方が私にはキャッチできなかったなぁ、と。
なんでこんなこと言うかというと、「ルーム」のスタッフ調べようとYAHOO映画レビュー見たら、けなしてる人が結構いたのでびっくりしました。みんな感涙にむせんだと思い込んでいたので。
でも私的には断然オススメ!です。



「マジカル・ガール」 監督:カルロス・ベルムト      「ミラクル・ニール」監督:テリー・ジョーンズ

cinema
04 /14 2016
曇天の水曜日。映画半額デーに朝から2作品のハシゴをしました。
「マジカル・ガール」→「ミラクル・ニール」へ。
似たようなタイトル、「マジカル=魔法」と「ミラクル=奇跡」で共通してそうですが、どこにも共通点はなし。
「ミラクル」は予想通りのおバカ映画でしたが、「マジカル」は予想を裏切り、めっちゃ暗い。
マジカル→ミラクルの順で見てよかった〜と思った1日でした。


magical.jpg「マジカル・ガール」

第62回サンセバスチャン国際映画祭作品賞と監督賞を受賞したしたスペイン映画。
日本のアイドル歌手の曲が流れ、少女が踊っているシーンから始まります。
彼女は12才、日本の魔法少女アニメに夢中ですが、白血病で余命わずかと診断され、失業中の父親は愛娘のために魔法少女のコスチューム(90万円)を手に入れようと奔走します。
ここまで見て、日本アニメに精通している監督が日本へのオマージュをちりばめたオタク映画かと予想しましたが、大幅に予想を裏切られました。

主人公は心を病んだ美女バルバラ(30才くらい?)
少女の父との偶然の出会いのシーンは思わず「アッ」と驚きました。
内容的には破滅的魔性の女に翻弄され滅んで行く男たちの物語なんですが、このバルバラさん、悪女ではなく完全に病気です。
彼女のためなら殺人も辞さない初老の男や、偶然出会って運命を狂わす少女の父親、バルバラの夫は社会的には成功者のようですが見るからに人生暗そう。
結果的には、とにかく悲惨で暗くて救いのない映画でした。
この手の魔性の女に滅ぼされる男の物語は昔から繰り返し作られるところを見ると(マレーネ・デートリッヒ「嘆きの天使」)、男にとって魔性の女は命取られても魅力のあるものらしいですが、現実主義者の私から見ると「男ってバカだね〜!」の一言です。
これが男を踏み台にして成り上がる女の物語だと(例:デビ夫人?)、これはこれで女性から見ても面白いし、理解もできるのですが、バルバラは破滅型で自分も周囲も破滅への道しか選択肢なさそう。
夫は精神科医でなんとか治そうとしているのか?それともそんな彼女の虜なのか?よく理解できなかったのですが、「ミラクル・ニール」への移動中、友人との会話で「自分には「魔性」が見事にない」という点で意見が一致しました。

まあ私には人間として足りないものは多々あると思いますが、中でも「魔性」はカラ雑巾絞るみたいに一滴もなさそうな成分だわ。女としては悲しむべき?でも仕方ない、そういうモンは努力や学習で得るものではなく、生まれつき備わってるものでしょうから。
周りを見渡しても、女友達で魔性のある人はおらんわな。まあ類は友を呼ぶって言うもんね。
色っぽくてフェロモン全開の美人ママ友もいますが、こういう人に限って、家庭第一を宣言。なぜなら自分が幸せであるためにそれが必要だから、ときっぱりしている現実主義者です。
「魔性」とは単なる色気ではなく、不幸と破滅のスパイスが必要なのかもしれません。

余談ですが、映画の中で、やたら不景気という会話が描かれ、少女の父も失業中の設定です。
30年以上前、スペインを宿も決めずにフラフラと旅しましたが、当時ヨーロッパの中では貧しそうな風情ながら、スペイン人、どんだけ親切な人たちなんだ?とその明るさに魅了されたものですが、グローバル化以降の世界は経済指標だけが幸福度を示す物差しになってしまったようで、なんだか悲しい気分になりました。


miracle.jpg「ミラクル・ニール」

タイトルは似てるものの、「マジカル・ガール」と共通点は全くない、モンティパイソンのテリー・ジョーンズ監督のおバカ映画です。
こういうおバカ映画は友人Tの好みで、過去に「荒野はツライよ」「探検隊の栄光」など、すべて友人の好みに付き合いました。
あっ、そういえば「マジカル・ガール」も「ミラクル・ニール」も登場人物が教師という共通点がありました。特に「マジカル・ガール」はキーとなる人物も元教師でした。

こちらは人のいい主人公ニールが宇宙人たちの会議で地球を破壊するか否かの判定に選ばれた地球人代表という設定です。
全能の力を与えられたニールですが、自分の目先の欲望のために、行き当たりばったりに使います。
担任の生徒たちが猿山の猿状態でけたたましいと「みんな消えろ」と唱え、教室に爆弾が命中、全員死亡。で焦って「みんな生き返れ」と言えば、過去のすべての死者がゾンビ状態で生き返ったりという、教師ならもう少し言葉を正しく使えばいいものを、ともかく行き当たりばったりでハチャメチャでバカバカしい(笑)
モンティパイソンらしい皮肉もあり、途中ニールは反省し、世界の戦争の原因を取り除け、と願います。するといろんな国が原因もなく突然戦いを仕掛け、理由なき戦争が多発、世界中が戦争状態になる、という皮肉です。

全編この調子で、一番の見所はテリーの飼い犬デニス。
ニールの力で喋れるようになるのですが、きっと口がきけても犬ってこうなんだろうなぁ〜と人間の都合の良い賢いワンコにならないところがすっごくおかしい。
うちのトンちゃんはほとんど喋ってる?と思うくらいに、鳴き声にバラエティがあり、お客さんが来た時などケージに閉じ込めると、最初は普通に「ワンワン」、続けて「キュイ〜ん」とお願い調。無視していると、「バウボフ」とドウカツ調と「キュヨ〜ン」と懇願調を交互に繰り返し、それでも無視していると、あれ?今、人間の言葉、話した?と思うような、ブツブツ長々と文句を垂れだします。
そこいくと映画の中のデニスはオスだけあって、もっと単細胞。
とにかく「ビスケット、ビスケット」と騒ぎ、どこまでもニールが大好きな可愛いやつです。

この映画でも思わずしんみりしてしまうシーンはありました。
それはエンディングのタイトルバック。
犬のデニスの声でロビン・ウィリアムズがアテレコしている画像が流れます。いつも通りテンション高く、目一杯明るい様子。
これが彼の遺作になったのですね。











「バラカ」   桐野夏生:著

book
04 /10 2016
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久しぶりの桐野夏生です。
私にとって高村薫と桐野夏生は人気作家の中でも別格扱いです。
でも高村薫は途中から読みにくくて敬遠気味。最近読んだのは「冷血」くらい。
桐野夏生は毎回読み出したら睡眠不足必至の作家です。
期待が大きすぎて失望することも間々ありますが(「緑の毒」「ハピネス」etc)、私にとって桐野夏生の「柔らかな頬」は過去に読んだすべての小説の中でも最高傑作のひとつです。
これは1999年発行で直木賞を取ったものの、不倫最中に幼児が行方不明になる話なんて、当時子育て中の私には陰鬱そうで手が出ず、だいぶ経ってから読んで、これはとんでもない傑作だ〜!!と衝撃を受けました。
これを読んでいる間中、なかなか他にはない読書経験をしました。
寝る前くらいしか読書しない私ですが、本を開いた瞬間カスミとともに荒涼とした北の大地を彷徨う不思議な感覚で、今文字変換で「毒書」と出ましたが、そんな感じもあり、しかし決して嫌な気持ちになるというのとは違う、他の小説では味わえない読者冥利?に尽きる傑作を体験できたと思います。
不倫相手の石川の世間的に見れば落ちるところまで落ちたようで、どこか底が抜けたような明るさや、ガンで余命いくばくもない再捜査に協力する元刑事の内海の混沌。そして主人公カスミの地獄めぐりのような旅に付き合わされ、そのくせ読者を共感したり泣かせたりはさせてくれない、作者の突き放したような眼差し。
よくもまあ、これほど情け容赦ない小説が書けるもんだと、おしゃれな美人作家のふりして実はこの人、鬼じゃなかろうか?とおののいたもんです。


さて「バラカ」です。
相変わらず面白いです。おかげで寝不足になりました。
当初主人公と思われた二人の40代キャリアウーマンの焦りや渇きは(自分との共通点はないものの)共感はできます。
ドバイの赤ちゃん市場でバラカを買って帰国した編集者の沙羅と、それを自分の番組で取り上げることを目論むテレビディレクターの優子。
東日本大震災と福島原発事故が起きるところは現実と一緒ですが、原発事故ははるかに悲惨で4基すべてが核爆発、一時は関東まで人が住めなくなり、首都は大阪に移転している設定です。
これはNHKドキュメンタリードラマでこの程度で事故が済んだのは偶然の結果だったことを知り、決してありえない話ではないと思いました。
小説では8年後の日本では大阪オリンピックを控え、原発も再稼働され、被災地と被災者は忘れられた存在になっています。

そして恐ろしい事に強権政権が、昔読んだ村上龍の「愛と幻想のファシズム」のファシスト政権のように原発反対派を事故に見せかけて次々抹殺している状況があります。
甲状腺癌の手術痕が目立つバラカはこの世界で、反対派の象徴のような存在になっている。
政府は被災地の放射能の影響を小さく見せるためにバラカを福島の学校に通わせ、元気な様子を世間に知らしめる広告塔として逆に利用しようとする。
この小説の変わったところは、当初キャリアウーマンの仕事に対する野心や焦りをリアルに描いた社会派女性小説と思いきや、どんどん話も主役も変化していき、川島という悪魔的人物が話の中心になるとサスペンスホラーめいてきたり、日系ブラジル人とキリスト系宗教団体も一貫して物語に絡み、後半、荒廃した関東圏で外国人労働者が日本の産業構造を支える社会を描くかたわら、平行して原発をめぐる陰謀劇のようにもなります。
そのため、最終的に実の父との再会など収束されずに終わったり、話がとっ散らかったままの印象もあります。

バラカは当初、ブラジル人夫婦の長女ミカとして登場、次にドバイでバラカとして売られて沙羅の養女になり、沙羅の夫の悪魔のような川島に被災地に捨てられ、反原発派の闘士豊田のおじいちゃんに拾われ、再び川島に政府の広告塔として利用され……と10才にして悲惨すぎる経歴の持ち主です。
どこか霊性を帯びた子と描写されるものの、本人の独白からは豊田のおじいちゃんをどこまでも慕うごく普通の10才児で、なんとも不憫になり、どうか幸せになって欲しいと思ってしまいます。だからバラカを中心に震災後の日本を描いた群像劇と思えば、話がとっ散らかるのもあまり気にならないかな。
ただ川島は本当に訳のわからない人だった。この小説の最重要人物なんですけど。
若い頃はイケメンモテ男、なぜ悪魔に魂を渡したのか?よく分からない。
沙羅に近づいたのが世田谷に120坪の自宅を持っているからって悪魔にしてはせこすぎでしょ(笑)。ぶっ壊れている人というのは分かるが、なぜぶっ壊れたのか?牧師のヨシザキと関係を持ったから?女たらしが男を知って、女嫌いになるものなのか?男じゃないから理解できないけど…
いろいろと登場人物が多いので、すべてに納得がいくわけではないものの、桐野夏生は荒んだ描写が相変わらず上手いです。
サクラとその弟の生活描写は読んでいるだけで、気持ちがささくれだってくるほど。
その姉弟もムラタという後半登場する運転手も、国と電力政策に見捨てられた被害者なのですが、豊田のおじいちゃんやその支援者を反原発の闘士かつバラカの味方とするなら、彼らは生きていくために敵に魂を売るもっと複雑な被害者として描かれます。

一つ気がついたことは、この小説は震災後の2011年に連載が始まり、4年かけて書かれたものらしいのですが、今の現実の日本に対する作者の怒りがじわじわと伝わってくることです。
その怒りのためかは知りませんが、小説としては一つ一つのエピソードが収束しきれず、少々乱暴な感じももありますが、その分細かいことにこだわらず読ませてしまう勢いもあります。
ここでどこで連作してたのか調べてみました。
「小説すばる」という雑誌で「ドバイを舞台にした父と娘の物語」の予定が連載の打ち合わせのその日に震災が起こり、大きく内容が変化したらしいです(http://renzaburo.jp/shinkan_list/temaemiso/160226_book01.html)
なるほど〜。だから現実と同時並行な物語なんですね。
このまとまりのない乱暴さもある意味、暴力的な現実を反映していると思えば納得できます。

「せいめいのはなし」「遺伝子はダメなあなたを愛してる」 福岡伸一:著

book
04 /02 2016
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昨年、思いがけない肺がん発見とその手術を経験し、健康とか身体について関心を持ち始めました。
今までのように「体脂肪30%超え!ヤバイ」とか「このお腹を引っ込めなくては」という類いの関心ではなく、もっと本質的な生物としての身体に関心を持ち始めました。
そこで一般向けの生物読み物を読んでみました。

面白く読める一般向けの読み物とはいえ、正真正銘、生物0点だった私には、ハードル高かった。
寝る前、ベッドに入ってからしか読書しない私は、2〜3ページ読むと睡魔に襲われ、小説に比べて読み終えるのに随分時間がかかりました。全然退屈ではないのですが、書いてあることを理解しようとして脳が酸欠になる感じに襲われること数回。
理系ながら文才にも恵まれている福岡伸一さんは私から見たら「天から二物を与えられた人」です。
これでイケメンだったりすると嫌味なくらいですが、福岡さんは「くいだおれ人形」みたいな顔をしていて、個人的にはここもポイント高いです(笑)

この2冊を読んで、ぼんやりわかったことは『生命とはよくできた「メカニカル」ではなく、絶え間なく「スクラップアンドビルドされる流れ」』?という分かったような分からないような感想です。
作る先から壊すことに熱心で、絶え間なく入れ替わりながらも恒常性とバランスを保つ。この生物の「動的平衡」という概念は言葉の上では一応わかりました。
養老孟司との対談で「フォークダンスをしながら椅子取りゲームをしている状況」というますます分からない例えが出てきますが、絶え間なく細胞の構成要素である分子や原子が入れ替わっているって、え〜とお恥ずかしいことにまず「分子」と「原子」ってなんだっけ?というレベルの私です(恥)
でもなんでそんなことするのか?
ほっとくとすべてはエントロピーの増大の法則とやらで乱雑に無秩序に崩壊への道を進むため、少しでも崩壊を遅らせるために壊される前に壊す、んだそうです。これも分かったような、わからないような。
詳しく知りたい方は「動的平衡」「生物と無生物の間」を読むことをお勧めします。
この2冊は夫の本として我が家にあるのですが、分子と原子の区別もつかない私には手が出ません。
(え〜と、水は分子で水素は原子だから「分子>原子」ですよね?中学理科からやり直さなくては(^^;;)

「せいめいのはなし」

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「お変わりないですね」と言っても、実は「お変わりありまくり」―。生物が生きている限り、半年も経てば体を構成する原子はすっかり食べたものと入れ替わる。絶え間なく入れ替わりながら、常にバランスがとれているという生物の「動的平衡」のダイナミズム。内田樹、川上弘美、朝吹真理子、養老孟司。好奇心溢れる4名との縦横無尽な会話が到達する、生命の不思議の豊かな深部!
(amazon内容紹介から)

まっ、内容は上の通りです。(自分では要約できない)
私はこの対談相手4人の本を読んだことがないため、生物以外の話題も難しい。
え〜と内田樹は経済原理と絡めて動的平衡を語っていたような…
経済の肝は「回る」こと自体にあり、回る「もの」や「金」にあるのではない、というお話。
ここを読んで突然、私は学生時代、自分の周りでよく使われた流行語を思い出しました。
それはポトラッチという言葉です。
もしかして'80年前後、他でも流行っていたのかしら?「ポトラッチ」どなたか使ってましたか?
例えば誰かにちょっとしたプレゼントをしたら、それよりもずっといいものがお返しに送られた時などに「これじゃポトラッチじゃん」というふうに使いました。
正確には贈り物によって社会的地位を決めるインディアンの習俗儀礼とか?
話が逸れましたが、内田さん、経済原理の「回る」点を絶え間なく構成要素の入れ替わる「動的平衡」とちょっとムリムリつなげて語っているような気もしました。

朝吹真理子とは「記憶」について語っていて、これは結構面白かったです。
記憶は脳に保存されたものではなく、思い出そうとする瞬間その都度都度に作られるという話です。
記憶以外の話も2人の会話がいい感じで噛み合ってて、細胞が隣り合った細胞同士のコミュニケーションによって増えていき、初めから設計図や地図があるわけではないという話と関連させ、朝吹氏は自分の小説をシュヴァルというフランスの郵便夫が毎日拾った石を積み上げ自分の庭に作った理想宮のように小説を書きたいとつなげます。シュヴァルの理想宮、これは一度見てみたいと思っていたので、へ〜この人の小説ってどんなんか興味が湧いてきました。
あとがきで福岡氏は朝吹氏のことを「ナード(オタク)の女神」と讃えています。
この言葉を読んだ時、私の頭には2人の女友だちが思い浮かびました。
若い頃、2人とも(まだオタクという言葉のない時代でしたが)まさにオタクが磁石に引き寄せられるように寄ってくる正真正銘「ナードの女神」と呼ぶにふさわしい人たちで、うちの一人は有名占い師に「なんで変人ばかりにモテるのでしょうか?」と相談したら、「仕方ないです。あなた自身が変人ですから」と言われたと聞いて、すごく納得して爆笑した記憶があります。

養老孟司との対談は虫オタク2人の会話がやたら盛り上がるのですが、これは鉄ちゃんの会話を横で聞いてるのと同じく、オタクならではのおかしさが溢れ、内容に興味なくてもなんだか面白い。
子供が幼稚園の頃、ママ友親子とセミ取りに行ったら、子供たちそっちのけで私とそのママとでもう夢中になってしまい、カゴいっぱいのアブラゼミ、ツクツクボウシ、なんとミンミンゼミも1匹とれて、狩猟民族の血が騒いだことなど思い出してしまいました(笑)
しかしこの2人の学者の関心は捕ることあるのではなく、分類し観察することにあるのは言うまでもありません。
そもそも「分類」することは分類から漏れる揺らぎを確かめたいから分類するとか?
養老先生の話は言葉に関する考察にまで広がります。
5歳の自閉症児がダ・ビンチ並みのデッサン力があったけど、言葉を教育したらデッサンの能力が消えた例を出し、言葉は色んな能力を潰しているとか、ネットの「炎上」にまで話は及びます。「炎上」って時々聞くけど理解できなくて、家にまで押しかけてケンカ吹っかけられるわけじゃないのなら、パソコンつけなきゃいいんじゃない?と思っていたのですが、養老氏が同じことを言ってるので、やっぱそうか、と納得してしまいました。


肝心の「動的平衡」については結局よく分からなかったんですが、度々出てくるガン細胞の特殊性がやはり印象に残りました。
受精卵が分割していく中、細胞はそれぞれ役割が決まっているわけではなく、お互い隣り合った細胞間で空気を読みあって何になるか決まっていくそうで、繋がっていることが重要で、シャーレの上にバラバラにしておくとすぐに死んでしまうそうです。
しかし例外がガン細胞とES細胞だそうで、川上弘美はそれを「ガン細胞の永遠の孤独」と表現しています。
また細胞はシャーレ上で増殖させると薄いシート上に広がり、端までくるとシャーレの壁で増殖を止めるのに(コンタクトインヒビジョンというそう)、ガンは他の細胞を乗り越えどんどん増殖することを指し、細胞は自分の"分"を知っているが、ガンはコミュニケーションの病とも言えると表現しています。
この言い方はちょっとショックでした。
ガンになった方、あなたは「空気の読めない人」と言われたことはないですか?
私はあります。

福岡氏はES細胞、IPS細胞の未来をやたら明るい側面だけで希望を持ちすぎることを危険視しています。
ES細胞は確かにガン細胞との共通点が多く、他の細胞に比べて特殊であることがなんとなく理解できました。
この本の中ではそんな言及はしていませんが、もしかするとそれぞれの臓器に含まれている元ES細胞がガンに変異しやすい可能性ってことはないのでしょうか?(→追記:ES細胞とかIPS細胞って元からあるものを発見したのではなく、人工的に作ったものなんですね!だからこれは医学ニュースを理解できていない私の杞憂でした。しかしだったら人工的にがん細胞のイトコみたいなやつを作ったってこと?)
福岡氏云く、ガンの究極の治療法は元々肝臓なり肺だった細胞にそれぞれ「君は元は肝臓or肺だったじゃないか?」と諭して思い出させ、元の細胞に戻るよう説得することだそうです。
なんだかこういう言い方されるとガンも擬人化されていて、私などは「やっぱり究極の解決法は世界平和もガン治療も話し合いよね〜」などと妙な希望を抱いてしまいました(笑)

最後に、表紙のイラストに惹かれ、この本を買ったのですが、中で「せいめいのれきし」という有名な絵本の話が出てきて、この絵本をイメージしたものと分かりました。
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そして、もう1冊はタイトルに惹かれて買いました。
それが以下↓


「遺伝子はダメなあなたを愛してる」

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ね、いいタイトルでしょ?(笑)
こちらは「せいめいのはなし」に比べると読みやすく、読者の疑問や相談に答える形で生命科学を小話風に語っています。1話2〜3ページなので電車の中で読むのに便利でした。
福岡氏は朝日新聞に「動的平衡」という科学コラムを連載していますが、これと同じく、内容的には理系苦手な人にも優しいコラムで面白く読めます。
ただ「せいめいのはなし」に比べると内容が多岐にわたり短いので、物足りない印象はありました。

いくつか気になる話があって、その一つがネズミの子育ての話です。
ネズミの母親の子育てぶりにも個性があり、母親から丁寧にケアされて育ったネズミは落ち着いた温厚な性格に育ち、自分の子育ても余裕を持って行える。反対にほったらかしの母親の子供は攻撃的な性格に育つというものです。
これ、ギクッとしました。
以前も言いましたが、私の両親は相当に放任主義でした。
なんせ私の年齢忘れて幼稚園、入れ忘れたくらい。
私の子供の頃は土曜日も半ドンで学校がありましたが、私は毎土曜日、帰り道に友達の家に寄り道し、一緒にただいま〜とズカズカ上がり込み、当然のように昼食を頂いていました。
大人になって母親に聞いたら、ああ、あんたはもっと小さい頃から、しょっちゅう行方不明で、みんなで夕飯食べている最中に「そういえばトン子がいない?」みたいによく言ってたわ〜と笑っていました。
おいおい、幼児が夜になっても帰ってこなかったら、普通めちゃくちゃ心配するでしょ?
自分の記憶でも、野原で遊んでいると次々母親が迎えに来て友達が帰ってしまい、星がまたたく中、一人家に帰るとみんなが夕飯を食べている、という光景が幼児期の思い出です。
母の放任に関しては、姉のH子と大人になってから色々話したら、驚愕の事実がたくさん出てきて、私たちよく無事に大人になったね〜とぞっとしたことがあります。
でも兄弟みんな親の愛情を疑ったことはなく、寂しい想いをしたこともないところを見ると、そういうもんだと思い込んでたのかな。自分では十分幸せな子ども時代でしたけどね。
では自分の子育てはどうだろう?今更反省しても遅いから、考えるのやめとこ。

これはあくまでマウスの話ですから、人間にそのまま当てはめることはできないと思いますが、例の「保育園落ちたブログ」がきっかけになり、政府も慌てて保育園の定員数を増やしたりしているそうですが、彼女のブログには保育園を増やせないなら、育児手当を増やせという訴えもありましたよね?
個人的には保育士の不足している中、子供の数を増やすのは、結局しわ寄せは子供に来るような気がします。
小さい頃は母親が経済的なことや閉塞感を感じずに子育てできたら、親子にとっても理想的だと思うし、少子化の解決にもなると思うのですが。それで余裕のある落ち着いた人間が増えてくれた方が、結果として年寄りにとっても幸せなのでは?
原子や分子も回って、お金も回っているんだから、優しさや思いやりもやっぱり回ってくれないとね。

この2冊を読んで、また個人的な思い出に飛びます。
まだ子供がいない頃ですから、30年近くも前でしょうか、夫が某出版社に頼まれ、一般誌の中の科学関連の小さなコラムを上司経由で頼まれました。
当時、本気で過労死を心配するほどの仕事人間だった夫ですが、仕方なくその話を引き受けたものの、いつも締め切り当日の朝、原稿を書くというギリギリな状態でした。
私もまだ勤めていましたので、慌ただしい朝、「理系に弱い主婦でも分かるように」って注文だから読んでと頼まれ、微妙に失礼なその条件にカチンとしながらも目を通していたのですが、毎回「内容以前に日本語になってねえぞ!おいコラッ!」というシロモノで、主語と述語が合ってない、”てにをは”はめちゃくちゃ、もはや小学生作文以下の酷さ。
私自身は理系に弱いだけでなく文系にも弱く、日頃から言葉の間違いや漢字の読み方を夫に訂正されていたのですが、その夫も文章なんて書いたこともなく、やっつけ仕事だったと思いますが、それにしてもこれほどひどいとは!
仕方なく小学生の作文の添削みたいなことはしましたが、肝心の専門の話を理系に弱い人に伝えるためには、何かしらの「言い換え」が必要なはずなのに、そこはそのままだから、意味不明な説明がひどい日本語で書かれているだけ。
案の定、数回続いた後、めでたく向こうから打ち切りの連絡がありました(笑)

科学者でありながら、福岡氏はその点、うまいこと言うなぁ〜と文章表現に感心しました。
例えば「片付けられない女」に送る言葉は以下の通りです。

「あなた自身が片付けられない女だとしても、私たち生命体はすべて、たえまなくやすむことなく、ミクロレベルで断捨離をし続けているのです。それが生きるということです。ご安心ください」

学術的な意味で「動的平衡」が理解できたわけではなくとも、一般の人に興味を持たせ、イメージが広がる文章が書けるってすごい才能だなぁとすっかり感心。
福岡氏は美術にも造詣が深く、フェルメールの複製画を一同に見られる企画までしたり、フェルメールに関する著作もあります。
こんな風に、脳みそが豊かな人って、自分の目に映る世界も豊かで美しく興味のつきないものなのでしょう。幸せな人だなぁ。
と夫に感想を話したら、福岡さんは学者としては大したことないだろ、とえらそーな一言。
そんな学者界のヒエラルキーなんかカンケーないのよ。心豊かな老後を送りたかったら、そんなモノサシは捨てときな!と優しく忠告しておいてあげました。

tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。