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トンちゃんの帰還

dog
11 /23 2015
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トンちゃんが預け先から約3週間ぶりに帰ってきました。
預け先の動画サービスで見る限り、他のワンコたちととっても楽しそうに走り回っていたトンちゃん。
もしかして我が家のことなんて忘れてしまったのでは?と少し不安だったのですが、そんな心配は杞憂でした。
届けてくれたスタッフの人から預け先での様子や、引っ張った時の対処法を聞いている間もケージの中からキュンキュン騒いで興奮しています。
ケージから出してもらったとたん、私たち夫婦に飛びつく飛びつく、全身で喜びを表してくれました。
よく運動させてもらったおかげで、夏の間にボンレスハムのようになってしまった体形も筋肉質に締まっています。
家の中に入れると、ドン臭い我々には全然付いて行けないくらい、動きがやたら速くなっている。
ジャックラッセル本来の運動神経が蘇ったみたいです。

そして今朝、一瞬トンちゃんのことを忘れてしまっていたのですが、リビングに入ったら猛烈熱烈大歓迎。
「そうだ!トンちゃん、帰ってきてたんだっけ〜♪」しみじみと犬のいる幸せを感じてしまいました。
今日の午前中に早速2時間ほど、買い物がてらのお散歩に行きましたが、まだノロノロ近所を散歩している私には、いきなり2時間はキツかった。帰宅した時にはすっかり疲れてしまい普段しないお昼寝などしてしまいました。
ふ〜、しかしこの運動量を維持するには、今の私は弱りすぎてるなあ。
トンちゃんのためにも早く回復しなければ…
トンちゃん、短い毛がたくさん抜けるので、手術の後遺症で咳が出る私は心配だったのですが、不思議と急に咳が治まってきました。

ところでトンちゃん、ドッグスクールで鍛えられて、ビックリするほどいい子になったかというと、基本あまり変わっていません(笑)
確かに引っぱりはほとんど無くなりましたが、うろうろ下を向いてなんか落ちていないか探す癖や、よそのワンコのおしっこの臭いをクンクン嗅ぎ回る癖も相変わらずです。
ビシッと前を向いてまっすぐ歩く優等生ワンコには残念ながらなっていないようで、良くも悪くもキャラは変わっていません。でもいいんです。元々十分いい子ですから(←親ばか)
自分ではトンちゃんの不在をそれほど寂しがっている自覚はなかったのですが、自分で思っている以上にトンちゃんの存在は大きかったことに気がつきました。
とりあえず、ボンレスハム犬に戻らないように、おやつのあげ過ぎには気をつけよう。

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退院後1週間

disease(闘病記)
11 /13 2015
先週の金曜日に退院して、今日でちょうど1週間。
本当は金曜日にH子が本を持って見舞いにくる予定だったのだが、退院が早まったため来なくていいよと告げると、代わりにこの週末中の夕飯を作ってくれるとのこと。
友人Tから入院直前、多額の見舞金をもらい「なんで?」と聞いたら、「ton子がいなくなると私の老後の計画が狂うから。それは帰りのタクシー代にでもしろ」とのこと。
ありがたいが、もったいないので普通に電車で帰ってきた。Tには感謝してもしきれない。
そういえばH子も「あんたがいなくなると老後困るなぁ〜」とか言っていたが、Tと違って、こちらは現実的な意味で私も心配である。今すでにゴミ屋敷のホームレスファッションなのに、この人仕事やめたらどうなるのか?

しかし、帰宅するとあらたな試練が私を待っていた…
家の中が、H子の家並みにゴミ屋敷状態なのである。
台所のゴミ入れが夫が毎日食べたらしいお弁当箱であふれ、なにやら食べかけのものがテーブルにも散乱している。だからキッチン全体がゴミ臭い。
洗濯物が溢れかえり、風呂は私が入院前入っていったときの水が抜かれずそのまま溜まっているため、なんだか臭い。
夫に「いっぺんもゴミも捨てず、洗濯もお風呂もそのままってわけ?」と尖った声で聞くと、
「風呂はシャワーだけ」「ゴミは帰宅時には間に合わん」「洗濯?時間無かった」
月曜から金曜だったから、毎日仕事で遅いのでしかたないけどさ、ゴミは朝だせばいいし、せめて風呂の水くらい抜いとけ、とダメだしをしておく。
7〜8年前だったか、私が盲腸で入院したときもこうだったっけ。
旅行に行って帰ってきてもそうだし。
まあ、このおっさんに関しては今更驚くことではないけれど、やっぱ腹立つ〜!!!
こんな大手術したばかりだが、Y先生も重いものを持つ以外は家事でもなんでもどんどん身体動かしてください、と言ってたので、いきなり大掃除になる。
まずは洗濯を始めたが、夫1人にしては多いと思ったら、外出許可もらって日曜に帰宅する直前入浴した時の自分のものや、これが1番怒ったけど、火曜までいた娘のモノが1番かさばってる。
「あいつめ〜、洗濯くらいしていけ〜!!」
ちょうどお天気がよくて助かった。ジャラジャラ3つ分+他に干したものを、ベランダに運ぶ部分だけ夫にやってもらう。
風呂の掃除をして、ゴミを集めて捨てる。
どっと疲れたので、居間のソフアで横になっていると、けたたましくH子がやってきて、夕飯何が食べたい?と聞くので、最初、カキフライかカレーが食べたかったのだが、油っぽくない方がいいかもと思い、身体に優しいもの、と曖昧なリクエストをしておいた。何が出てくるかお任せの方が楽しみだし♪

夕方5時頃、スーパーの袋を抱え、H子がやってきて、我が家のキッチンで夕飯の仕度を始めた。
H子、パクチーを探すとないのでお店に人に聞いたら「ここになら残ってるんですが」と見切り品のワゴンに案内されたそう。
そこに「パクチーが2束50円!」であったそうで、「これからはあの店行ったら、見切り品ワゴンから商品を探すわ」と宝物を見つけたみたいに大喜びしている。
相変わらず本には万単位でポンとお金出すのに、それ以外はとことんケチるヤツである。

メニューは「さんまのつみれの汁物」ネギや小松菜、キノコがいっぱい入っていてヘルシー。
「パプリカと椎茸とれんこんの鳥ひき肉詰めの蒸し物」揚げたり焼いたりせず蒸すのでパプリカの甘みがあって優しい味。
「ささみと色々野菜とどっさりパクチーのサラダ」パクチー大好き♪
ともかく野菜が普段の我が家の3倍くらい入っていて、ヘルシーで味はどれもすごくおいしい。
H子、あんなに片付けが苦手なのに、料理に関しては”早い”、”うまい”、”量が多い”。
夫も短時間であっと言う間に料理をするH子にはいつもながら驚いている。
しかし彼女の帰った後の我が家の台所の散乱のすごさは言うまでもない…
再び掃除をする。
感謝しつつも「しかしあれだけ料理をできるということは段取り力があるという事なのに、どうして片付けができないんだろう?」
常々の不思議を言うと、夫はH子と色々似たタイプのため、「分かる気がする…」
夫に言わせるとゴミ自体が目に入らないんだそう…。なんだよ、それ!
この調子で週末毎日、けたたましく料理を作ってくれたH子。
そういえば食材のお金をだすよと言ったら、当然のように受け取らなかった。
散々ケチとか言ってごめん。

土曜日はお天気がよかったので、近所を散歩してみる。
やはりすぐに息が上がってしまうが、歩き続けられないこともない。
今年は紅葉がきれいだとかで、東北の温泉に行くつもりで、旅行のパンフが積んだままだった。
新聞受けに捨てる。
そういえば病院の周囲は大きな公園や大学のキャンパスばかりで、夕方ちょうど私のベッドから夕日の中に大きな筑波山のシルエットが見えたっけ。
あれ写真に撮っておけばよかったなぁ。筑波山がこんなに近いんだ!と驚きつつ、きれいで見とれました。

ロキソニンをどっさり渡されたけれど、実は退院した金曜日にもう飲むの忘れてしまった。
土曜の朝には思い出して飲んだものの、またしても昼は忘れた。
どうも飲まなくても痛くないので、結局飲んだのは日曜まで。
傷の痛みにはすでに薬は必要なさそうだけれど、肋間神経痛は術後しばらくしてから来るらしいので、その時用にたくさんくれたのかもしれない。
術後2週間目の現在、肋間神経痛は一度もない。
忘れた頃にやってくるって言うのがなんだか恐い。
せきは話をしたり、深呼吸で息を吐く時にむせる感じの咳がある。
入院中からタンは一度も出ない。
同室の人たちも軽い咳をするくらいで、タンが絡んだ咳の人はいなかった。
反して廊下の向かいの男性部屋からはゴホゴホ、かーペッと賑やかな感じ。
看護師さんに聞くと、タバコを吸わない人はタンが出ない人も多いそうで、女性の75%が喫煙と関係ないタイプの肺がんらしいが、では女性の肺がんの原因は何なんだろう?

病気が見つかった直後に読んだ30代の主婦のブログにタバコも吸わないし、なんで?と病気の原因を悩み、結論として「肺は悲しみの臓器だからじゃないか?」と自分で納得していた記述があったっけ。
医学的には即刻否定されるのでしょう。でもなんとなくこの説に引っかかりました。
人間生きていれば当然悩んだり悲しんだりすると思う。
そして男の人に比べて、女性は日々の悲しみや悩みをなんちゅうか妙に大切にする部分があると思うんです。
私を知っている人たちから見たら、「あんたに限ってそれはないでしょ?」と言われそうだけど、自分の中の大半は確かに現実主義者でバッサリしていると思うけれど、だからこそ、自分の中の少数部分の繊細な部分を妙に大事にしているところがあるわけです。
それを胸の中にコレクションみたいにとっておいて、時々思い出したりする変な癖があります。

今でも何度も繰り返し思い出す光景があるのですが、昔子どもの中学校の行事に遅れそうで急いで道を走っている時、住宅街の道端になんとホームレスの人が倒れていたんです。
こんなところにホームレス?とビックリしましたが、当時の私は携帯電話を不携帯することがしょっちゅうで、おまけに次々道には多くの人が行き交っているにもかかわらず、だ〜れもその人に関心を向けないわけ。
かなり具合悪そうで死にかけてる雰囲気があったのです。警察か救急車に連絡すべきか迷ったのですが、携帯もってなかったし、遅刻しそうなので、結局そのまま学校に行きました。
席についてママ友たちに「今さぁ」とその話をしたら皆も見ていて「あ〜ホームレスでしょ」と全く関心なさげ。
誤解のないように言いますけれど、私は心が優しくて社会的弱者に関心を持つようなタイプでは正直ありません。
常々、そういったリベラル系社会運動家みたいな人たちを宇宙人みたいに感じている類いの人間だと思います。
でもなんでか、どうしてもそのときのことが忘れられないのです。

他にも子どもが幼稚園の頃、近所の児童公園で真冬にホームレスの人が凍死していて、寝ていると思われ何日も気づかれずに、だいぶ経ってから警察に連絡されたことがあり、ママ友たち皆で「ひえ〜こんな住宅街の公園で、恐いね〜」とか「気持ち悪いねえ〜」とか話題になり、夜帰宅した夫にその話をしたら、なんとびっくり!
「こんな住宅街で誰にも気づかれずに亡くなるなんて、なんて気の毒なんだ…」と言って、涙ぐんでいるのです。
「ど、どしたの?何か辛いことでもあったんか?」と驚いたのですが、よくよく考えてみると確かに夫の言う通りです。
夫はなんかノボ〜とした人に見えますが、時々私より情が深いのかも?と思うこともあります。
やっぱりサイコパス度低いだけのことはある。

どんどん話がそれてしまいましたが、自分自身のことで悲しんだり、辛いことも色々あったはずなのに、なぜかそういうものはどんどん消化されてしまうところがあります。
頭に来たことはけっこうしっかり覚えているんですけどね。
やっぱり性格悪いかもしれない…。
しかし「悲しみ」という言葉を聞いた時、なぜか身近にあったこの2件のホームレス事件を思い出してしまいました。
なにが言いたいのか?自分でもぜんぜん分からなくなってきた。
もしかして前世でホームレスだったのか?私

実際には肺がんの原因は放射能かもしれないし、食べ物かもしれないし、自分で吸わなくても周囲のタバコの煙かもしれない。
でも「肺は悲しみの臓器」と言った主婦の方の言葉になんとなく納得してしまいます。
自分の中で表面的には忘れ去っている「悲しみ」が少しずつ肺の中で結晶化していく…
う〜ん、やっぱり私の柄じゃないかな。

日曜からしばらくお天気が悪く、家の中で取りためたDVD見てて動かなかったら、再び息苦しくなってきてしまった。
火曜日もお天気が悪かったけど、Mさんが掃除にきてくれると電話があったのでありがたく断り、しゃべるのも呼吸器の回復にいいらしいから、電話でおしゃべりに付き合ってもらい長電話する。
女のストレス解消術はおしゃべりとよく言われますが、話があっちこっち飛びまくる。
最終的になぜか老後の話になり、彼女も旦那さんも大学まで大阪だったので関西に帰りたいし、向こうの友だちもこっちに帰っておいでよ、と誘われてるらしいが、やはり首都圏で働く子どものことを考えると迷うとのこと。
2人とも息子さんなので、同居は将来的にも考えていないといいつつも。
Mさんは転勤中知り合った九州のママ友からも老後を一緒に過ごさないか誘われていると言っており、「老後の友」として理想的な人となりなんだなぁ〜と感心。確かに納得の人格である。
そこいくと、私に老後の伴として白羽の矢を立ててくれたTとHに感謝しなくては、と思う。
だって私、Mさんみたなボランティア精神、全然無いもの(笑)

ところで、ふと気がついて、「ところで、旦那さんは?」と聞いたら、「あ〜忘れてた!なんか将来像にすでに居ないんだよね」とあっさり。老後の話を旦那さんとしたときも「その話、俺もう死んでる設定やないか?」と指摘されて、そういえばそうだな、と気がついたとのこと。
Mさん、優しいのかシビアなのか?(笑)

翌水曜日はようやく晴れて、Tがネパールカレーを持参にランチに来る。
カレーがうまい!
実は入院中もずっとカレーが食べたくて、でも咳が出るので、辛いものはどうだろうと怖々食べたのだが、全然大丈夫。
身体って現金なものですね。
近所をお散歩し、公園や神社をおしゃべりしながらノロノロ歩く。
こういう何でもない時間が幸せだなぁ〜と思えるのは大病して多くの人が気がつくことでしょうが、本当にそう思います。

今まではわざとネット等の情報を排除している部分もありましたが、やはり標準的治療だけで済ませるのは不安。
免疫力アップのために、何か無いか調べ始めました。
はっきり言って多すぎて、投げ出しました。
まずは体力を回復しなければ。PCに向かっているのが1番身体に悪そうなので、お散歩に行こう。







入院〜手術

disease(闘病記)
11 /09 2015
10月末に入院が決まり、その前に脳のMRIとPET-CTいう検査をしました。

脳のMRI。道路工事の現場に寝かされてジッとしている感じでしょうか?
検査室中がうるさくて、ここの検査技師は大変だなぁと思います。

次はPET-CT。確かすでに全身を観る造影CT というのをやってるはずなのに、また!?と思う。
この検査、ブドウ糖液の中に放射性物質を入れて注射、1時間くらい休んだあと撮影するのですが、ブトウ糖はがんのところにたくさん集まるのだそうです。
注射の後、5人くらい1部屋のソファで過ごします。
私の隣にはまだ若い女の子。
前にやった造影CTの時、何人か並んで担当看護婦さんに生年月日と名前をいうのですが、私の両隣りの男性が2人とも私より10才ほど若い人たちでした。
変な話ですが、たまたま検査待ちのベンチで隣で待っている人が老人だとなんだかホッとします。
若い人だとこちらの精神衛生上よくないのです。

PET-CT、痛くも苦しくもないものの、放射性物質を身体に入れるというだけでイヤな感じなのですが、終えて会計でさらにチョ〜ヤな感じ。
会計機に表示された金額が ¥24,000円!
身体にもお財布にも辛い検査でした。


ところでPET-CTのしくみから考えるとがんは甘いもの好き、ということでしょうか?
私はほぼ毎日甘いものを食べます。
家に無ければわざわざトンちゃんのお散歩ついでに買いに行って午後のコーヒータイムにしっかり食べます。
都合のいいことに、我が家の周囲にはケーキ屋さんがなんと4軒もあります。うち2軒は最近流行の自宅店ですが、なかなかおいしい。
さらに近所のパン屋さんの和三盆のクリームパンが絶品で、よくトンちゃんとお散歩がてら買いにいきます。
最近はコンビにスィーツもおいしいです。
甘いものをたくさん食べる人は、もしや「がん」にせっせとエサを与えていることになるのでしょうか!?
あと、先日加工肉ががんの発生率をあげるというWHOの発表がありましたが、私はソーセージが大好きです。
ベーコンは冷蔵庫の定番で旨味だしとしてみそ汁にもいれます。
我が家の朝ご飯はパン党なので、週に4〜5回は加工肉を食べています。
しかし別に不健康な食生活はしていません。
ちゃんと野菜もしっかりとりますし、年ですから最近は和食が好きでバランスには気を使っています。
お酒は毎日飲みます。量は飲みませんが、食事をおいしく食べるためには欠かせないと思います。
がんに玄米菜食を進めている話は知っていますが、今までの食生活を大幅に変えることはストレスになると思うので、無理はせず、甘いものとお酒の摂取量を減らし、加工肉で取っていたタンパク質を鶏肉や魚や大豆に置き換えたり、がんでなくても年齢的にもちょうどいい機会だから、変えて行きたいと思います。

がん細胞は毎日、健康な人でも数千から万単位で生まれているらしいけれど、免疫によって守られているといいます。
私が気になるのは毎年の健康診断の血液検査で白血球数が正常値をやや下回っていることです。
数が少なくても少数精鋭ならばいいですが、どうだろう?私の防衛軍の能力は?
きっと居眠りこいてる奴がいっぱいいそうです。
がんも免疫もすべて自分の身のうちですものね。私の性格を受け継いでいるのでは?
友人Tががんを元々自分なんだから、飼い主に似る?みたいなこと言ってましたが、これは鋭い指摘だと思えるのです。


10月末週末、これらの検査結果を聞かずに入院。
手術月曜ですが事務手続き上、平日に入院。
ここではじめて執刀医と対面。
普通、今まで担当してくれて信頼関係を持った医師に手術してほしいと思うところですが、そもそも今まで会ったのはロボクン2回、キアイダの医長1回だけ。
でいきなり初対面のY先生です。
スラッとした痩身、頭に刈り込んだ白髪、ニヒルな顔立ち。
第一印象は例えば健さんが敵の屋敷に乗り込んで行って、雑魚をバッタバッタと切った後、おもむろに登場する敵役一番の剣の使い手とかピッタリな感じです。白地の着流しにドス持たせたら似合いそうです。
誤解をおそれず言ってしまうと「刃物の似合う男」って印象です。
名前だけは医長から聞いていたのでHPを見たら、他の人は色々持っている資格とか患者に向けてのメッセージがあるのに、なんだかこの人だけそっけない。ひえ〜この人大丈夫かな?と不安だったのですが、こんなに刃物の似合う人ならきっと大丈夫。
手術方針は肋骨の間を切り、そこから右肺の上葉部分をそっくり切除。
内視鏡手術の適用は残念ながらないようです。
初めのロボクンの話では内視鏡の話も出ましたが、医長の話では内視鏡で再発がけっこう出ているのでしっかり取る方針とか。ちょうど県のがんセンターで内視鏡手術で問題が起きていることも関係あるのかもしれません。

入院したものの、すぐ外出許可もらい、日曜の夜に病院に戻りました。
4人部屋で皆さん、カーテンをしっかり引いていて、お互いコミュニケーションとる雰囲気はありません。
でも看護師さんとの会話はみなさん、元気そうな明るい声です。
看護師さんは時間で次々変わるので、めまぐるしいのですが、みなさん感じ良くてプロ意識高そう。
しかし、入院生活全体を通じて、これだけは文句いいたいことがあります!
ベッドぼろ過ぎ。
身長160cmの私でも、ちょっと枕の位置が下がっていると、足が柵にぶつかる位、狭い小さい、寝心地悪い。
いわゆるストレッチャーなので、マットレスが素晴らしくなくてもしかたないでしょうが、手術後の身体をいたわるにはもう少し上等のベッドにしてほしかった。

そして月曜日、ボロベッドの割にはぐっすり眠りました。
手術は午後の予定で、アクシデントは午前中起きました。
午前中、手首の甲側に手術中の麻酔を入れる針を設置するのですが、これは外科医の仕事らしいのです。
若い女性医師ですが、看護師さんに比べるとなんだかぎこちない。
私は腕が細いので健康診断のときなど、なかなか血管が見つからないのかバシバシたたかれたりするのですが、ここの病院では看護師さんたちはサクッと入れるので上手いなぁと感心してたのですが、この若い女医さんは慣れていないのか、苦労していました。で、普通のハリより太めの針がようやく入ったとたん、急に目の前が暗くなり胸が苦しくなりました。
「なんか気持ち悪いんですが…」と言ったところまでは記憶にあるのですが、次の瞬間その直前まで読んでいた児童文学「おいでフレック、ぼくのところへ」の世界にいました。
気がつくと看護師さんやさっきの女医さんが私の周りで「大丈夫ですか!」と叫んでいます。
後から聞いたら、ほんの十数秒くらいらしいのですが、私はフレック(犬)との楽しい夢を見ていて、おそらくニヤニヤしてたんじゃなかろうか?不気味だ…
驚きました。本当にフレックの世界に飛んでて、自分が病院にいることを完全に失念していたのです。
呼ばれて第一声は「ここはどこ?」でした。
迷走神経反射というのだそうです。
中学生の女の子が朝礼でばったり倒れるアレらしいですが、一度もそんな経験ないのに、よりによってなぜこのタイミングで!!
倒れた時、床でおでこをぶつけ、おおきなたんこぶができていました。
手術直前であることから念のため脳のCTを取られてしまった。
もうこんなに放射線あびちゃっていいのか。そっちの方が心配。
異常なしという事で予定通り手術できることになりましたが、問題はこの後、さらに私を襲います。

硬膜外麻酔のことです。
入院時、麻酔医から長い説明があり、万が一の後遺症や副作用を並べるのです。
何万人に1人目が覚めないとか、
恐くなってそれ拒否する人っているんですか?と尋ねると、ふつう皆さんやりますとのこと。でサインをしました。
ところが、手術着に着替え、手術室に連れて行かれ、手術台の上に寝てから、麻酔医と看護師さんが眉をへの字にして私に近寄ってきます。この硬膜外麻酔は背中にチューブを設置するのですが、その前の麻酔注射が痛いそうです。
で、「どうしますか?やりますか?」と急に聞かれました。
脊髄の直前まで針をさすのだから、急にぐらっと来られて、脊髄にブスッといったら危険ということなのか?
でもこんな手術台の上に寝てから、そんなこと急に聞かれても困るよ〜!
思わず「それ、今ここで私が決めるわけ!?」と叫んでしまいました。

執刀医のY先生を目で探しましたが、やはり後から着流しで登場する役なので、この場にはまだいません。
数秒考えて、「それやらないと相当痛みが違いますか?」と聞くと「痛み止めとか色々やるので、やるよりはちょっと痛いくらい」との答え。
肋骨広げてそこから肺の一部を取り出すんだから、相当痛いはず。
でも私が倒れたニュースを聞いて、急遽危険だと思わなければ、このタイミングで聞いてこないはず。
麻酔医が不安に思っているのならやる方が危険な気がして来て、「やらなくていいです」と答えました。

すったもんだの手術前でしたが、当然手術中の記憶はありません。
予定より早く終わったと後から聞きました。2時間以上3時間未満だったようです。
名前を呼ばれた時、まだ手術室だったか、集中治療室だったかは、はっきりしませんが、この後の一日が一番つらかったです。痛いのが辛いというより、身動きとれないことの方が辛かった気がします。
脚や腕に空気枕を巻かれ、スゴスゴ動いているのは、血栓を防ぐためだそう。
床づれを防ぐために、色々姿勢を変えられ、薄いクッションを背中に入れるのですが、妙に斜めのまま動けないのがきつかったです。
集中治療室の夜担当の少し無愛想な看護師さんが、背中側のシーツや寝間着のシワを伸ばし、薄いクッションを絶妙な位置に入れてくれると急に身体が楽になったのを覚えています。
やっぱりこういうこと一つでもプロの技ってあるんですね。
翌朝寝覚めると、なんと朝ご飯が出てきました。
この状況で食べられっか〜と思いましたが、なんとか牛乳だけ飲みました。
このあと、この病院は全然病人を甘やかしてくれないことを嫌というほど知らされました。
全身管に繋がれ、身動きとれないのに、では立って足踏みしましょう、といわれてびっくり。
無理でしょ〜と思いつつ、集中治療室のベッド脇で足踏みしました。
その日のうちに部屋に戻されました。
あんまり管だらけで絡んでいるので、少し治そうといじっていたら看護婦さんが飛んで来て「あっその管は命にかかわるから引っ張らないで!」と言われ慌てましたが、その管だらけの状態で、「さ、では一周しましょう」と病室のあるフロアの隅から隅まで歩かされました。
その後もとにかく歩くことを勧められ、しかたないので売店に行ったり、庭を歩いたり、肺の1/3を切っているので、息苦しいのですが、確かに歩いた方がその後身体が楽になる印象です。
手術翌々日にすべての管がはずされ、トイレも自分で行けるようになりました。
手術前に当番だった看護師さんに「もう取れたんですか?」と驚かれたので、回復が早い方らしいです。
術中の出血量が20mlだったと夫から聞きましたが、これはかなり少ないらしいのです。20mlって大さじ1杯ちょっとだもんね。
硬膜外麻酔をやらなかった割には、それほど痛みも強くありません。
やはりY先生、凄腕だったに違いない。

さあ、これで徐々に身体を慣らしていくのだなと思っている矢先、その調子なら明後日には退院できるね、といわれ、え〜!?
木曜に初めて頭を洗ったり、シャワーを浴びたりしましたが、やはりまだクラクラします。こんなんで明日の朝、退院して大丈夫なんだろうか…?

そして金曜の朝、退院しました。
イメージでは看護婦さんに菓子折りとか先生にお礼とかあったのですが、そういう雰囲気が皆無の病院のため、そのままそっけなく夫と病院を去りました。
退院時、1ヶ月分のロキソニンと胃腸薬を貰いましたが、飲んだのは2日だけ。
傷の痛みはほとんど気になりません。
ただ取った側の脇の下が傷も何もないけれど、おそらくリンパの流れが滞っている感じがして気になります。
細かい請求書が間に合わないので、後で送るので振込でよいとのことで、概算では約30万円とのことでした。

そうそう、例の麻酔用注射針を入れ、私に倒れられた若い女性医師ですが、その後も心配してちょくちょく様子を見に来てくれました。
知り合いの沖縄の女の子と雰囲気も話し方も似てるので、「先生沖縄の人ですか?」と聞いたら、知り合いと同じ母校でした。もしかして沖縄から研修にきていて、いずれは故郷でがんの専門医になろうとしているのかな〜と想像しました。
「新人の練習台はご免だ」と言った私ですが、図らずも少しだけ新人の練習台を努めたのかな?あの女医さんがいいお医者さんになってくれることを祈っています。





入院まで

disease(闘病記)
11 /08 2015
1週間入院していました。
おかげでたくさん本が読めました。

入院中読んだ本のリスト
・「ハブテトル ハブテトラン」中島京子
・「Re-born はじまりの一歩」宮下奈都、福田栄一、瀬尾まいこ、中島京子、平山瑞穂、豊島ミホ、伊坂幸太郎
・「おいでフレック、ぼくのところに」エヴァ・イボットソン
・「ベルカ、吠えないのか?」古川日出男
これらの感想はまた気が向いたらボチボチ。

自覚症状もなく、ある日突然「あなたは重病です」と言われたらどうすればいいのか!?
この2ヶ月たらずの間に私の身に起きた事をまとめて書いておきます。
私のことだから、のど元過ぎればナントヤラ、また甘いもんとお酒をドカドカ接種する食生活に戻らないためにも…

9月の初めに出先で事故に会い、全然大したことがなかったけれど救急車が来てしまい、運ばれた病院で胸を打撲したと言ったら、レントゲンと念のためにCTも撮られ、レントゲンは異常なし。でもCTに謎の影が映っていました。
しかし外科医から「おそらく古い炎症の痕でしょう」と言われ、全く全然心配しませんでした。
念のためと呼吸器内科に予約を入れられ、1週間後その病院に行ったところ、近所に美味しそうケーキ屋さんを発見、帰りにここでケーキを買おうと決め、さらにちょうどお昼時になるから「食べログ」で調べて1人ランチして帰ろう♪と……
医師が「肺がんの可能性が高いです」と言った時の私の頭には、ケーキとランチのことしかありませんでした。

「ン???今何テッタ?」
しばし医師の言っていることが飲み込めませんでしたが、続けて「この病院にはナントカの設備がないので、都内の病院で検査をしてきてくれ」と言われた時に、やっと頭が回り始め、初めて医師とこの病院に注意を向けました。

医師は若くてとても感じの良い人でした。20代に見える。若すぎると言ってもいい。
この病院は私は初めてですが、この地域の中核病院らしい。割と評判いいらしい。
でも今ナンカノ検査がこの病院ではできず都内まで行けと言ったね。設備が揃ってないってこと?
それに外科で予約する時、呼吸器の専門医は週2日しかいないと言ってなかったっけ?
次の瞬間、「すみません、この辺で肺がんを多く扱ってる病院はどこですか?」と尋ねていました。
「市民医療センター」か「◯◯大学病院」か「国立がんセンター」あたりですかね〜との返事でした。
10秒ぐらい考えて、医療センターは行ったことあるけれど、風邪で来る人も多くていつも激混み。却下。
大学病院は実験台にされそうという根拠のない思い込みから気が進まず。却下。
がんセンターが柏にあると聞き、頭に浮かんだのは「キネマ旬報シアター」
柏駅隣接の高島屋の一角にある今時珍しい名画座です。
「じゃ、がんセンターに紹介状書いてください。こちらのデータ貸してください」と頼んでいました。
感じの良い医師は厭な顔もせず、2つ返事ですぐに紹介状を書き、CDROMにデータをコピーするので、お昼でも食べて1時間後に来てほしいと告げました。
食べログなんてすっかり吹っ飛び、近くのファミレスに入りましたが、とてもランチが喉を通る気がせず、ドリンクバーでコーヒーを2杯飲んだだけ。
「なんで?」「タバコ吸わないのに?」「もしかして復興のためなるべく福島産の野菜買ってたから?」もう頭の中がグルグルして気持ちが悪くなってきました。
病院に戻ってCD-ROMを受け取り、他の2つの病院ならこの病院から直接予約を取ってくれるけれど、がんセンターはご自分で電話してくださいとのこと。
その場で即電話しました。
4日後には予約が取れ、ケーキのことなどすっかり忘れ、急いで家に帰りました。
帰宅時はまだ午後の早い時間でしたが、気がつくと日が暮れるまでPCで「肺がん」と検索していました。
そこで思いのほか、シビアな現実を思い知らされます。

乳がんや胃がんと違って、肺がんは確定診断が難しい。手術してようやくがんか否か分かるケースもよくあること。
せきたんが出るのは一部のみ。自覚症状が無い場合が多く、発見した時には手遅れが多いこと!
肺がんと診断された人で5年後に生存している人はたったの2割!!!

他には色んな方のブログを読み、涙したりほっとしたり、普段ほとんどネットは見ない私ですが、ネットがなければ出会えなかった何人かの若い肺がん患者がもはや知り合いのように思えて、20代で亡くなったユキクン、あなたのことは忘れないよ。まだ子どもが小さい30代主婦の方たちのことも…。うちはもう子どもも成人してるし同居してないけれど、それでもまだ心配の種は尽きないのに、小さい子どもを遺していくのはどんなにかつらいだろう…
読んでいて気がついたことは男性のブログは記録的要素が強く、画像やデータも多く病気を知る上で参考になります。
女性のブログは自分の感情の発露となっていて、読むこちらの感情も強く揺さぶられ、正直病気にとっていいのか悪いのかは不明ですが、私は今回の病気を発見されてから自分のことでは一度も泣いていないのですが、彼女たちのブログには多いに泣かされました。
私も自分の感情を保つ上でこのブログを書いているので、情報として人様のお役には立てないと思われます。

しかしまだ確定した訳じゃない。そうだ、炎症痕の可能性もある。
外科医は中年のベテランだった。内科医は20代と思しき若さ。
そうよ、きっと古い炎症だ。
夜夫が帰宅。わんわん話して、ちょっとすっきり。
しかしうちの夫は典型的日本のおじさんのため、気のきいたことを言ったりはできない。それは予想済み。なんか固まってボ〜としてる。
父ちゃん、あんたみたいの残して往ったら、ゴミ屋敷の爺さんになりそうだもんね。まだ死ねんわ。

夜は意外やぐっすり寝てしまい、でも朝になってみるとまた心配でPCに向かう。
ここで、昨日と同じこと繰り返してもしょうがないと思い、友だちに会いたいと思う。
人間てこういう時に誰に打ち明けるか無意識にチョイスしているもんですね。
まずあんまりオロオロしなさそうな人とか、だからといって「人の不幸は蜜の味」みたいなタイプは否とか(そもそもそういうタイプとは友だちにならないけど)
すぐに会いたかったので、とりあえず家が近いということも重要。
友人T、それからMさん。
本の虫H子は身内のため初めの病院の帰り道電話した。出張先の道を歩いていたが、なんかぎゃあぎゃあ叫んでてよく聞こえないので切ったところ、少ししてメールが来て「肺がん名医一覧表」を送ってきて、下手な医者にはかかるな、と忠告。
H子らしい……

ちょうど衝撃の翌日がMさんの仕事が休みの日だったのを思い出し美術館行こうと連絡すると腰が痛いからと断られた。
しかし10分程して家電がかかってきて、腰が痛いから美術館はいやだけど、近所でお弁当を買ってそっちに行ってもいいか?とのこと。
もちろん♪
しばらくして焼き肉弁当を手に我が家でランチにきました。
後からMさん、妙な予感がしたのだそうです。でも電話なら声の調子で元気無いな?とか分かるけど、なぜメールでかは不明です。
このMさん、私は常々、「Mさんは繊細にして鈍感な人ねえ」とからかっているのですが、今回は繊細面が何かをキャッチしたのでしょうか?
でも私の話は彼女を本当に驚かせてしまい、いつも職場仲間4人で仲が良いのに、まだはっきりしないので他の2人には黙っててと言ったことで、後々いろいろ大変だったみたいで悪かったなぁ。
その後も何度か遊びにきて、退院したらパンツでもなんでも洗濯に来るよ!と言ってくれ、後光が差して見えました。

15の年からの友人Tにはちょうどその翌日が彼女の休みだったので会ってステーキランチかなんか食べながら「今日は私かわいそうなんだから、キツいこと言わないでよ!」と釘をさしてから話すと、
「がんてさぁ、感染症と違って元は自分の細胞じゃん。ton子(私)雨の日にもせっせと生真面目に犬の散歩行くようなタイプじゃないから、きっとがんもノンキなタイプだよ」というこれまたTらしい返答だった。

ある意味3人とも「らしい」慰め方をしてくれて、ありがとう。

そうそう、(友人Tは自分でこのブログに行き当たりバレてしまったが)このブログはたった1人、友人Kにしか教えていないけれど、毎日夜中まで仕事してるみたいだから人のブログなんて読んでないと思うけど、もしこれを読んだらメールくれ。君のまぼろしの新作「更年期の女たち」に情報提供できそうだよ。

その週のうちに出かけた柏。電車乗ってる時間は短いものの、乗り継ぎが多くてけっこう時間がかかった。
がんセンターに着いたら、思いのほか明るい建物、待合室にドトールも入ってる。
しかしなんじゃこの人の多さは。これは何時間待たされるやら、ふ〜。
しかし前にも書きましたが、人の多さの割にはけっこうサクサク進みます。行列をさばく技術が高そう。
あと付き添いの人も多いので、実質的な患者数は見た目の2〜3割減かも。

で呼吸器内科の医師ですが、若い、すごい早口で説明する。
まずはがんか否か確定のための検査をする。病期としては手術可能と思われる。
とりあえず初診で分かることはこれだけ。
説明が終わったとたん、「ではここにサインを」
なんかロボットぽいので、私の中では「ロボクン」と命名。
血液検査で7本も血を抜かれ、帰宅。
しかし後日このロボクン、意外に親切なことが分かりました。
次の回に内科と初めて外科も診察する予定でしたが、外科医がその日空いてないため、日をずらすと同じ日に内科と外科の両方を受診できるが、2度もくるのは大変でしょうからとのことで、わざわざその数日前に電話をくれました。夕飯の仕度時で、大体この時間はセールスが多いので目一杯無愛想な声で出てしまいましたが、患者の身になってくださる親切なお医者さんでした。

この間に「全身の造影CT」と、ネットで色んな方が揃ってキツイと書いてる恐怖の「気管支鏡検査」をする。
この気管支鏡、現実にはビックリするほど痛くも苦しくもなかった。
管が通ったため喉が少しイガイガしたくらい。
中には「手術よりキツかった」と書いてる人もいたのに、おまけに私は首が細い方だが、なぜ全然苦しくなかったのか?
これにはこの後思い知らされる、この病院の執念とも思える「痛みに意味なし!」ポリシーがあると思う。
手術前に渡されたパンフにも「痛みをがまんすることに1つもメリットはない」「痛みはきちんと伝えましょう」とあり、
手術時に全身麻酔とは別に手術後の痛みをとるための硬膜外麻酔をすることでも分かります。
(しかし私は手術直前の突発的トラブルにより結局この硬膜外麻酔はしませんでしたが)
「痛みを我慢するくらいなら麻酔も痛み止めもしっかり、どっちゃり」
勝手ながらこれがこの病院のポリシーの1つかなと思いました。
あと、こっちの方が肝心ですが、看護師さんも医師も技術が高いというのがあると思います。
看護婦さんみなさん注射が上手で、普通の健康診断のときの採血よりも痛くない気がします。
気管支鏡の時、よほど緊張していたらしく看護師さんに「大丈夫です。とても上手な先生ですから全然苦しくありません」と言われ、気が楽になりました。実際に医師の技術が高かったことも苦しくなかった大きな理由だと思います。
このときの検査の若い医師は人当たりもとてもソフトで、患者の緊張を和らげる腕のいいお医者さんだと思いました。

さてようやく初めての外科診察です。この病院の初診(内科)から一月近くたってる。その間検査は2個。
初めての外科医との診察は「阿弥陀堂だより」に書いたように、割と空いていたのに私と同世代の女性の方が1時間半出てこず、出てくるなり怒りをぶちまけながら泣いているので、周囲を震撼させました。
どういう事情かは全く分かりませんが、どうしても今から会う外科医に「オヌシなにやらかしたん?」という気持ちを持ってしまいます。

で実際会ってみると「1に体力!2に気合い!」という体育会系の先生で、あまりに「気合いだ!」と繰り返し叫ぶので、「初対面の人にそんなハッパかけられても急には性格変わりませんよ」と言ったら、付き添ってた夫にどつかれました。
さらに「さっさと手術するならしてくれ」と告げるとどなたかに電話してスケジュール調整しているので、「え?この1番偉い先生が手術してくれるのと違うの?」と慌てて
「いくら急いでと言ったからって、新人の練習台にさせられるのはご免だ!」というと再び夫にどつかれました。
チョー明るかった目の前の医師が一瞬ムッとして「大学病院ではそういうこともあるらしいけど、うちは下手なもんにオペやらせんさかい、心配すな、おばはん!(意訳)」とのこと。
とりあえず入院と手術の予定が決まりホッとして残りの検査予約して帰宅。

すぐにtonちゃんの預かりの手配をしました。
こちらの事情を話すと、普通のドッグホテルより割安で引っぱり癖も治してくれるとのことで、ドッグスクールに入院前日お迎えに来てもらいました。手術した側の腕で重いものを持ったり、引っ張られたりすることはしばらく避けなければ行けないそうなので、ちょうど助かります。
でもtonちゃん、今年の途中から、ショッピングセンターで預けるのを非常に嫌がるようになり、暑い夏の間にさらにひきこもり気味になっていたので、心配で心配で親ばか丸出しのスタッフへのお願いの手紙を付けてしまいました。
しかしその後、預けた犬の様子を動画で見られるサービスで見る限り、めっちゃ楽しそうやん!心配して損したわ(笑)

ところでなぜ外科医長との診察中に私をどついたのか?夫に聞いたら、1番偉い医師になんちゅう口聞いてんのか、ハラハラしたというので驚きました。
乱暴な話し方した訳ではないし、何より肝心なのはこっちは1人でも相手はチョー忙しく何百人も相手にしてる訳ですから簡潔に用件を伝えなくてはいけないのでは?と思っただけだったからです。

・とにかく診察までのスパンが長いので、早いとこ次にコマ進めてほしい
・H子が送ってきた名医一覧にこの病院の先生もいたのですが、この人を指名する人が日本中から集まるらしいことが分かったのでこの名医はパス。誰でもいいから早めに手術可能な時期内に手術してほしいこと。
・ただし新人の練習台にされるのは断る!

希望としてはこれだけ。贅沢は言ってないよね?
後日、Tにその話をしたら、私なら同じことでもそういう言い方はしない、と言われました。
私は頭が悪いくせに、合理的に物事を考える癖があって、「下手の考え休みに似たり」は長く考えても時間のムダという意味なので、ちょっと違うな?なんて言うんだろう?

話がそれますが、ケヴィン・ダットン博士の「サイコパス度チェック」ってご存知ですか?
NHK教育でたまたま夫が録画したのを見て一緒にチェックテストしたら私は夫の倍もサイコパス度が高かったのです。
それでももちろん平均より低いですよ、念のため。
他にTやMさんにもテストをやらせたのですが、私が一番高い(泣)
サイコパス度の高い人間の特徴の一つに決断が早いというのがあるそうです。
誰が見ても夫は私よりも頭がいいと思うのですが、決断力に関してはかなり遅い部分があります。
サイコパス度の高い職業に「外科医」も入っています。
義父が亡くなる前、何度も関西を往復しましたが、ある時ある処置をするか否か、医師に求められました。
夫の返事は「少し考えさせてください」でしたが、医師は即「今すぐ決めてください」と告げました。
夫はその時のことを今だに「医学的な知識もない人間が今すぐ決めるとか難しすぎるよ」と申しております。
私は今回手術直前、突発的トラブルがあり、この病院ではほぼ全員が行う「硬膜外麻酔」を手術台の上に乗ってから、「どうしましょう?」と決断を迫られ、思わず「今この状況で私に決めさせるわけ〜!?」と実際に叫んでしまうアクシデントがありました。
でも数秒後には決めました。
手術後、夫に「あなただったらどうする?」と聞いたら、
「少し考えさせてください、だな」と言うので、手術後の傷が痛いのに大笑いしてしまいました。
とりあえず追いつめられたときの決断は早い方かもしれません。
それが吉と出るか凶と出るかはまだ分かりませんが。

まだ手術してから6日しかたってない。
肋骨の間を10cmくらい切って肋骨をジャッキで押し広げ、その間から片肺の1/3 取る手術をしたのが月曜日の午後、4日目の金曜の朝には退院ってどんだけハードな病院なんだ。ぜいぜい。
疲れたのでまた今度。

tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。