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「イッツ・オンリー・ロックンロール」 東山彰良

book
10 /26 2015
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「流」が大変おもしろかった東山彰良の作品。
でも初めに「流」を読んで、同じようなものを期待すると裏切られる事が「ジョニー・ザ・ラビット」で分かりました。
「流」のような家族の物語はこの作者としては特殊だったのですね。
賞を取ったデビュー作「逃亡作法」はSF犯罪小説らしいですし。

私の生活には音楽がないので、この小説に出てくる色んな曲を知っていればどんなに楽しめただろうと、それがとっても残念でした。
でもタイトルの「イッツ・オンリー・ロックンロール」はもちろん知っています。
これでも若い頃はよくライブに行きました。
初めての野音のRCは野音ごと夜空に吹っ飛びそうに楽しかったですし、RCは関東なら箱根くらいまではせっせと行ってました。でも清志郎がTVに出だした頃から行かなくなりました。
大物外国ミュージシャンもよく行きました。
もちろんミックが初めて単独で日本に来た時も、翌々年ストーンズが来た時も行きました。
(ストーンズは日本には来られないと思っていたので、80年代のドキュメンタリー映画「ザ・ローリングストーンズ Let's Spend the Night Together(ハル・アシュビー監督)」を友だちとオールナイトに見に行き、真夜中の映画館でコンサート気分で踊ったのは楽しい思い出です。)
忘れられないのは、前から2列目で見た(聴いた?)プリテンダーズ。クリッシー・ハインドのカッコよかったこと!

しかしせっせとライブに行ったものの、私の音楽的素養の無さは本当にひどくて、よくイントロクイズってあるじゃないですか?
あれで自分の好きな曲でも分からないくらい、メロディに対する記憶力がないのです。
さらに大昔のカラオケはスナックの知らない客たちもいる前で歌うしくみでした。
歌は苦手でしたが、それでもひつこく勧められればしかたなく歌うでしょ。
ある時会社のおじさんたちとカラオケに行き、松田聖子かなんか歌った翌日、別の部署の口もきいたことのない課長が私の側に来て「◯◯さん、人前で歌だけは歌わない方がいいですよ」と真顔で忠告しました。
その人は冗談を言うタイプではなく、本当に娘を心配する父親のように真面目に忠告され、自分で思っている以上に音痴がひどいことに気づかされショックを受けました。以降の人生、人前で歌ったのは5回位だと思います(それでも歌ったか…)。

若い頃、ロックコンサートによく行っていたのは、スポーツで汗をかくのと同じように、エネルギーを発散してスッキリするためだったと今は思えます。
だから年をとって、発散するよりは補いたい最近では、ロックは必要なくなって、今私に必要なのは漢方薬じゃないか!?
それでも年に1枚くらい、気まぐれにCDを買うことがあります。
ここ数年で私が買ったと思しきものは「スーザン・ボイル」「サラ・ブライトマン」「アザム・アリ」(誰?)「由紀さおり」でした。
美声系の女性ボーカルばっかりで、若い頃は絶対聞かなかったラインナップです。
ふ〜、いかに自分のエネルギーが減っているか、これだけでも分かるというもの。


さて「イッツ・オンリー・ロックンロール」です。
34才のマイナーロックバンド「ロウ・マインド」のギタリスト、満が主人公。
中学の同級生で軽い自閉傾向のある農業兼ドラマーの典男。
40代のベーシストべっさんと、その妻で精神に問題を抱えた和美。
同じく同級生で元メンバーながら今は商業バンドで売れっ子のジャンゴ。
同窓会で再会する人妻、沙織。
加えて動物保護を目的に保健所を爆破する甲本ゆい。この爆破事件をきっかけにバンドは世間に浮上しかけます。
バンドメンバーがみな博多弁で、博多弁ってなんだかファンキーです。
さらにドライヴ感とでもいうのか、文章も疾走してます。

演奏する才能はもちろん、聴くセンスすら皆無な私ですが、音楽に対する飽くなき夢を抱く彼らにはちゃんと共感できました。
もはや若くない主人公の焦りと音楽へのこだわり。これがビシバシ伝わります。
しかしクラシックと違って、ロックは音を追求するよりも、演奏する側と聴く側が「ハイ」になることを目指してる気がします。
だからクラシック演奏家が薬で捕まる話は聞かないけれど、ロックは薬と親和性があるのでしょうか?
ここでも主人公はヤクに取り憑かれるバカモノです。

他には沙織や和美の底知れぬ「渇き」。沙織は正直、理解できない女性でした。

メンバー間の決して切れない絆、世間的には成功したジャンゴが面白いキャラクターで絡んでいて、彼らの絆の強さは爽やかと言ってもいいくらいです。
これを読んで思い出したのは「アンヴィル 〜夢を諦めきれない男たち」です。
ヘビメタに取り憑かれた愛おしくもアホな50男たちのドキュメンタリーで、とってもいい映画です。

ラスト、主人公は小指を無くし、ギター演奏の都合上、ブルースに目覚めます。
気になったのは、タイトルに使っておきながら、ストーンズには批判的な記述がいくつかありました。
→エド・サリバンショーでのジム・モリソンとの対比とか、
→恋やロックや革命は人生の不整脈みたいなもの。ビートルズは不整脈の絶頂で死を選んだが、ストーンズは過去の不整脈の幻にしがみついている、etc

これは長年のストーンズファンのTにぜひ意見を聞きたいところ。
ビートルズよりストーンズファンだった私は正直ムッとしました。
でもブルースこそストーンズの原点なのだから、ロックからブルースに音楽回帰した主人公はやはりストーンズを愛し、これは彼らに捧げた物語なのだと、かなり勝手に解釈することにしました。
これを読み終えて久しぶりにローリングストーンズを聞いてみようとしましたが、CDで持ってるのはわずか2枚ほど。
名アルバムはみなLPレコードなので、聞くに聞けない状態です。
やはりロックは私にとって遠い過去の思い出でしかないようです。

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「阿弥陀堂だより」南木佳士

book
10 /25 2015
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自覚症状は全くないのですが、偶然の事故から思いがけない病気が発見され、今病院通いをしています。
大きな病院にはお決まりの長〜い待ち時間。
病院ですからスマホをいじる訳にもいかず、文庫本を持って行きます。
おかげで夜ベッドに入ってからの短時間しか本を読む習慣がなかったのに、この秋は思いがけず「読書の秋」を満喫しています。ってそんなのんきな状況じゃないんですが…。

病院の待ち時間用に何冊か買ったうちの1冊がこの「阿弥陀堂だより」
ブックオフに不要品を売りに行った際、査定を待ってる間、バッグにいれるのに手頃な厚さだけで選んだのに、偶然医師の書いた医師の出てくる小説を買うなんて!病院にもっていく本として出来過ぎの偶然です。
偶然と言えば、今回の病気発見の経緯も驚くような偶然が重なり、神様かご先祖さまが知らせてくれたのでは?と、日頃宗教心のカケラもなさそうなH子に言われ、「あんたがそういう事言うか?」と内心思いつつ、確かに今だに不思議でなりません。

ところで、私の通っている病院はそれはそれは混んでいるものの、近所の市の中核病院に比べると見た目の人数よりも待ち時間は短い気がします。
初めて行った時も血液検査だけで電光掲示板があり、山のような人が待っているのでこれは1時間は待つかな〜?と思ったのですが15分足らずで自分の番号が表示されたので「おや?」と思いましたし、診察室もどこか喫茶店でも行ってようかなと思うほどでしたが、30分くらいで呼ばれたので、「この病院はもしやディズニーランド並みに行列の捌き方のノウハウでも持っているんだろうか?」と感心しました。

しかし今回は私の前に1時間半は入ったきりの人がいまして…
さらに出てきたとたん待合室で泣きながら怒っており、周囲を震撼させました。
でも泣きたくなる気持ちは分かります。
私も今だにどこも痛くも苦しくもないので、狐につままれた気分ながら、「なぜ?」「どうして?」という疑問が湧いて、息苦しいような気持ちになるほどです。で、やっと順番の回ってきた医師に「なんか息苦しいんですが」と言ったら、即座に「それは気のせいです!」と言われてしまいました。
それはさておき、その長時間診察室を占拠した人のおかげで薄めの文庫を1冊読み終えてしまいました。

まず出だしの風景描写で一気に病院の待合室から山奥の谷合の寒村に連れて行かれます。
とても正統派の小説で、個人的にはこういう小説を久しぶりに読みました。

「風景とか情景描写」といえば、以前子どもの部屋にあった伊坂幸太郎の本を何冊か読んだのですが、例えば「オー!ファーザー」。これを読んだ時に大変ストレスを感じました。
この情景描写の無さは一体全体どうなっているのか?記憶ではほとんどセリフだらけだった気がします。
こんなに情景描写がなくて、皆ストレス感じないのか?不思議になりました。
伊坂幸太郎も初期の「オーデュポンの祈り」はよかったです。緑の田園の広がる島、吹く風も感じられました。

大江健三郎とかになると文章自体の咀嚼に時間がかかるのでまた話は別ですが、ごく普通の小説を読む時には、おそらくみんな脳内の映像を見ている感じじゃないでしょうか?
だからその話が映画になったとき、原作ファンは自分の持つイメージと違うことに賛否したりするのではないでしょうか?
情景描写がないと、人間ドラマの背景がなくて、なんだかストレスが溜まるんですよ。
そうか…だから私は人間の内面を深く描いた小説とか哲学的な作品がダメなのかもしれない。
映像的に動きが無さすぎますもんね。
小説はいいけれど、文学は私には理解できないのものなのかもしれません。

で、「阿弥陀堂だより」です。
山の谷間の小さな村の描写がいっぱい出てきて、狭い斜面を耕した畑、薪を取りに行く下草が伸び放題の雑木林、この手の小説の楽しさは脳内瞬間移動でしょう(笑)。すいとんの様な粉もん料理も素朴でおいしそ〜♪
幼い頃に母を亡くし、山間の村で祖母に育てられた孝夫が主人公ですが、これは作者南木佳士の実体験なのだそうです。
小説では妻が医者で主人公は売れない小説家ですが、実際は南木佳士自身が医者だそうです。

内容ですが、一言で言うと、あんまり何も起こらない。
もちろん1人の人間の人生としては重要なことが起きます。
ただ普段の私の読書傾向からすると、殺人事件とか、原発乗っ取りとかは起きない訳です。
主人公の子ども時代の祖母との生活、高校時代に出会い夫婦になる男女、医師である妻が心の病を得て、都会から夫の生まれ育った山間の村に引っ越してくるまでが前半だとすると、話のメインは山の村での静かな夫婦の再生の物語です。

村で出会う口の聞けない若い女性と、阿弥陀堂を守る96才の老婆、後半の重要人物はこの4人くらいです。
この96才の老婆がこの物語の要で、この人を世間の物差しで見れば、とてつもない孤独と貧乏な気の毒な女性となるかもしれませんが、この老婆の姿に「生きる」ということを改めて思い知らされるのです。
いや、この婆ちゃんはほんとにいいです。

(⬇ネタバレ)
冬は雪に埋もれる掘建て小屋のような阿弥陀堂にトイレがないことを知り、主人公が親切心からトイレを作ってあげるのですが、それまで畑をスコップで掘り”大”をしていた老婆は(スコップで土を掘る動作を省くと)便秘になってしまうのです。そこで大は今まで通り畑にすると聞いて、主人公は自分の苦労は単なるおせっかいだったのか?と悩む話が個人的にとても気に入りました(笑)ちゃんとこの問題も最後にはめでたく解決しますが。


映画は観ていませんが、この婆ちゃんは北林谷栄がやっているのですね。
これほど世俗の欲を超越した人間を俳優が演じること自体無理な気もしますが、北林谷栄…なるほど他に思いつきませんね。
若い女性の病気の再発をきっかけに妻は医師としての自信を取り戻し、静かながらハッピーエンドで終わります。
普段読まないたぐいの小説ながら、今の私にはドンピシャなお話でした。
しみじみと暖かい気持ちになりました。
これからはこういう地味な小説を読んで、地に足を付けて生きていかなくちゃね。
と一瞬思いかけましたが、自分の生活は充分すぎる程に地味なので、だからこそ変な映画や小説を好むのかもしれません。
確かに病名を聞いて「が〜〜ん!」となりましたが、だからといって、急には性格は変わりませんね。








探検隊の栄光

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10 /21 2015
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水曜日の女友人Tとお気に入り俳優ジェイク・ギレンホール主演「ナイトクローラー」を見に行く予定が場所と時間が合わないこともあって取りやめ、代わりにこの映画のチケットを友人Tが取ってくれた。あまりにくっだらないのでTの”おごり”だそうだ。さんきゅ〜♪
「ナイトクローラー」とは大幅に違う趣味でしたが、これはこれで楽しめました。

昭和の時代、川口浩という俳優が隊長となり、秘境にいって怪しい未知の生物を探す探検隊シリーズのパロディになっていて、ある程度以上の年齢の人にとっては笑えるというより懐かしいのではないでしょうか?
個人的には探検シリーズを1回くらいしか見たことがないのだけれど、これ以外にもUFOシリーズとかネッシーとか昭和時代のなんちゃってドキュメンタリーは、今時の超能力捜査とかよりはるかに胡散臭さ満載だったような気がします。そしてそれを「やらせ」と糾弾する空気は元からなかったので、エンタメとして楽しんでいたのでしょう。
川口浩はリアクションの大きい人で、私は俳優としてドラマに出ているところを見た記憶が無く、探検シリーズの変なおじさんとしか記憶していませんでした。
この役を藤原竜也がやっていて、途中、毎度「熱い」リアクションを求められることを役者として苦悩する辺りがおかしくて、そのくせ最終的には怪しいもの好きのスタッフ以上に番組完成に向けて熱くなる辺りもおもしろかったです。

先日たまたま付けたNHK-BSで「進撃の巨人」の特撮スタッフたちにスポットを当てたヘンテコなドキュメンタリーをやっていて、いい年したおじさんたちの「特撮にかける愛」が、まさにこの映画の登場人物たちとだぶりました。
この「いい年して」というのが今時では普通になり、もはや◯◯オタクであることに後ろめたさも感じなくてよくなったとはいえ、(自分のことを棚に上げて言えば)やはり他人からみるとバカっぽくも滑稽でもあります(笑)
私もついこのドキュメンタリーを見ながら「うわっ〜、バカなオヤジたちだね〜」と笑って見ていました。

この映画は全編その調子で、世の中に無くても全然かまわないものに対して限りない愛と情熱を注いでいるバカな大人たちを描いています。そしてそんな彼らにシンパシーを捧げ、観る者を生暖か〜い気分させる映画でした。
ただいま大病中?の私にとって「ナイトクローラー」よりは体にいいのでは?との友人Tの暖かい気遣いか?、ただ単に本人が見たかったのかは分かりませんが、「くだらないものへの愛」にあふれる楽しい映画でした。



「ジョニー・ザ・ラビット」東山彰良

book
10 /11 2015
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今年の直木賞受賞作、「流」が大変おもしろかったので、東山彰良の他作品も読んでみました。
まずはこの「ジョニー・ザ・ラビット」。
表紙を開くと物語の舞台のイラストマップがあり、地名が「すずらん谷」「シクラメン通り」「銀狐の森」などとあり、表紙も絵本風のかわいいイラスト。
へぇ〜かわいいファンタジーなのかな?と意外な想いで読み始めると…
シクラメン通りで探偵業をやっている主人公「ジョニー」
そこに超美形黒ウサギのソフィアが行方不明の弟テリー(実は恋人)を探してほしいと依頼にくるのですが、ここでいきなり「へっ!?」な展開。
どうもこれはファンタジーなハードボイルドながら、あくまでもウサギという動物の生態をきちんと描こうとした物語なようです。私はウサギを飼ったことも飼いたいと思ったこともないので全然分かりませんでしたが、いきなり交尾を始めてしまうのも、前足トントンとか、パニックになった時の状態とか、ウサギという動物のリアルな生態らしいのです。
ふ〜〜ん、全然知らなんだ。

かってマフィアのドンの飼いウサギだったジョニーは自らも「侠気(おとこぎ)」に過剰にこだわり、何度も出てくる決め台詞が「花は桜木、男はジョニー」
女の私にはなんのこっちゃ?なんですが、ハードボイルドの心意気なんでしょうか?(笑)
依頼の行方不明ウサギテリーを探していくうちに、「人間が滅び、ウサギが復活する」と唱える「ウサギの復活教会」やら、もっと過激な人間を滅ぼそうと唱える「サバトの黒兎」なる過激派集団も登場。
さらにウサギたちが「再会の樹」と呼ぶ原子力発電所がからんできます。

ジョニーのかっての飼い主=マフィアのドンであるコヴェーロは民営化されたばかりの原発建設ビジネスに絡み巨大利益を狙っていたのですが、復活教会牧師のかっての飼い主=環境保護運動家ブライアン・グリーンが原発の設計図に欠陥を発見、上院議員ギルバート・ロスに告発します。ブライアンはコヴェーロに殺されますが、表向き環境保護派のロス議員は実はコヴェーロと敵対する別のマフィア、マンシーニの従兄弟で、この原発の利権はマンシーニが独占。
ジュニーの愛するドンはマンシーニの送ったヒットマン、ラッキーボーイに殺されます。
よってマンシーニとロス議員とラッキーボーイはジョニーにとって「敵かたき」なのです。
原発はマンシーニ電力によって稼働、「再会の樹」と呼ばれ、ウサギたちにとって一種の聖地のようになっています。
ここで行方不明のテリーを含む「サバトの黒兎」たちの集団自殺が起り、バレンタインという男(テリーの父の元飼い主)がロス議員を脅迫していることを知り、愛する元飼い主コヴェーロ殺害の真実を求めて7年ぶりの人間たちの街に戻ります。
しかしバレンタインを見張っている時にマンシーニの命令で彼を殺しにきた仇敵ラッキーボーイに捕まり、彼のペットになってしまいます。
このラッキーボーイは作中もっとも複雑かつ不憫な存在で、ジョニーが仇敵ながらだんだん心が揺れてくる辺り、切なさいっぱいです。
マンシーニの片腕ブルーノ、ボクサーのハリケーンロニー、セコい恐喝屋と思われたバレンタインも最終的に◯◯だったことがラストで分かりますが、正直この話、出てくる人名を覚えていないと訳が分からなくなります。
人物相関図を頭の中にイメージして読んだ方がいいかもしれません。
私はまん中辺りでこれ誰だっけ?と混乱し、始めに戻ってざっと読み直しました。

そういう訳で多少分かりにくいところもありましたが、文章自体はとても読みやすく、なんといってもジョニーがハードボイルドに構えていても、自分のウサギとしての本性にいちいち気づかされ、仇敵になでられ、反発と喜びに引き裂かれる揺れる心がなんとも愛おしい。
また「流」と同じく、この作者のとぼけていながら鋭い指摘があちこちに出てきます。
たとえば2匹のリスが山のようにドングリがあるのに1個のドングリをめぐり争っている場面。
ジョニーがからかってリスたちに「ここのドングリは全部俺のもんだ」と宣言するとリスたちはいっせいに徒党を組み反発してきます。この時のジョニーのセリフ。

ー思った通りだ。
愛に飢えているのと同じ位、みんな敵に飢えている。敵ってヤツは神によし、人によし、リスによし、兔にもよしだ。
幸せなことじゃないか。俺にもちゃんとジュルジュ・マンシーニがいる。ー

なるほど、昨今の近隣諸国との軋轢もお互い必要「敵」なのかもしれない等と深読みもできます。
ウサギたちに原発が一種の信仰の対象となっている点を人間に置き換えて考えることもできる。
ジョニーの男として生きるラビットなのか?それとも誰かに飼われ撫ぜられたいと渇望するバニーなのか?引き裂かれる苦悩を読者それぞれに投影することもできる。
読んだ人それぞれに深読みしようと思えばでき、素直にファンタジー&ハードボイルドとしても読める不思議で奥深い小説でした。

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tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。