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「天空の蜂」東野圭吾  &  本の虫H子のこと

book
08 /30 2015
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映画がもうすぐ公開の「天空の蜂」の原作本。
これまたH子から回ってきた。
H子、いろいろむかつく奴だが、彼女のおかげでどんだけ本代が浮いてることか、感謝感謝。
H子はかなり変な女である。彼女と一緒にホームパーティのための買い物をした時の事。
駅の周囲に何件もデパートや大手スーパーがあり、二人でメニューにそって食材を買いそろえたのだが、H子「やっぱりミニトマトはあっちの店の方が10円安かった!」と言って前の店に戻ったのである。いくら駅周辺といってもデパ地下から駅の反対側の前の店まで戻るのはメンドーというもの。それもたった10円のために!
しかしその後、車を置いてあったデパートに戻り荷物を車に入れた後、ちょっとだけ本屋に寄ってもいい?というので、デパート上階の大手書店に向かった。
そこでH子、食材の時にはあんなに吟味して時間をかけて買い物をしていたのに、ポイポイ無造作に本を手に取って行く。専門書やミステリーの新刊を5〜6冊も手に持ち、さっさとレジに並ぶ。
総額1万はいっていたと思う。
さっき10円のためにわざわざ駅の反対側まで戻ったくせに、どうなってるの!?と驚きそのことを指摘すると、「あ〜??私、本は値段見ないから」だって。
でもH子、食いしん坊で料理好きなので、まだまだ食品にはお金を使う方である。
彼女が一番ケチる部分。それはファッション。
今は仕事関係のせいか、割とちゃんとした服装になったが、少し前まではひどかった。
彼女に言わせると洋服の買い物が一番嫌いだそうで、スタイルがよくて既製服がぴったりなのにもったいないと思うのだが、とにかくめんどくさいそうだ。

少し前の話だが、駅から自宅に向かって歩いているとき、向こうから年齢も国籍も、いや下手すると性別も不明な異様な人がこっちに向かって歩いてくる。何か目が離せないものがあり、ジロジロ見ているうちにだんだん近づいてきて、顔が分かるところまで来てビックリ!「あっH子!」
思わず「なんちゅーカッコで歩いてんの!」というと、「あっ、やっぱり変?駅まで買い物に行くだけだから着替えるのメンドーで」
今時タイムスクープハンターの農民Aの衣装でしか見られないだろう、あちこち生地の裂け目から綿が出ているボロボロの綿入れ半纏(はんてん)。膝が抜け穴の空いた毛玉だらけのジャージ、穴から親指が派手に飛び出しずるずる脱げそうな靴下に突っかけサンダル。
若い人ならまだしも、中年すぎた女がこのカッコではどう見てもホームレスである。
そして今も近所なのでよく犬の散歩を一緒にするのだが、この人、基本顔は洗わないと言っている。犬も涙焼けの目立つ老犬のため、ホームレス女と相棒の老犬といった見た目はそれなりに風情があるような無いような…
ふと足元を見てギョとすることしばしば。だって足の爪が真っ黒のプロテクターみたいに伸びてカーブを描き爪の周囲を覆っている。ここまで爪の伸びてる人はめったに見られないと思う。
その爪で靴履けるの?と聞いたら、「あ〜夏はサンダルしか履かないから大丈夫」だって。
家は想像通り、ほぼゴミ屋敷。ヤバいよヤバイよH子。まさかと思うけれど私に老後の面倒とか見てもらおうと思ってないだろうな…

いかん、「天空の蜂」について書く予定がH子の話になってしまった。それも本借りといて、こんなこと書いてることがバレたら大変(汗)

話を「天空の蜂」に戻すと、
東野圭吾は「白夜行」はとてもよかったと思うのですが、それ以外はなんちゅうか暇つぶしにはピッタリだけど、あんまり残るものがない。
しかしこれは久々のヒットかも!?というより、今まで読んだ東野作品の中で1番面白かったです。

原発と軍事産業の両方を作っている大企業(三菱重工業?)と自衛隊、原発産業の3者の関係もよく分かるし、どっかの国が日本にミサイル飛ばすかもとか言われてる今現在にドンピシャな設定だと思う。…と思ったら、これ20年前の作品なんですね。
この手の話はストーリーを書くとネタバレになってしまうので、誰も読んでいないと思った当ブログに約1名読者がいたため、一応気を使って省きます。
え〜と例えばこの著者の「プラチナデータ」と比べると全然違うことが分かるのですが、プラチナデータの方は「脳科学、DNA管理システム、超管理社会、2重人格」と流行ワードを散りばめているものの、著者自身が未消化なままそれらをストーリーに組み込んでいる印象を持ち、さっぱり面白くなかったのです。
しかしここでは、巨大ヘリコプターはSF的存在ですが、きちんと大企業と自衛隊、大企業と原発との関係、また原発と自治体との関係もきちんと描かれ、それも単純な反原発のような一方的批判でなく双方の立場から描かれ、さらになぜたくさんある軽水炉の上ではなく、一般により危険と思われている高速増殖炉を選んだかまでも納得の行くストーリーになっています。
作者は相当念入りに調査してこの作品を描いたと思われます。
しかし、超売れっ子作家のこんな力作が20年前に大きな話題になったのだろうか?私がちょうど子育てに追われ、絵本とお母さんと一緒しか見ない時期だったせいかもしれませんが、全く記憶にありません。不思議です。
清志郎の反原発ソングのこともチラッと触れているけれど、あれはレコード会社が東芝の子会社だったからだと言われていたけれど、出版社までなんらかの圧力でもあったのでしょうか?それとも当時はリアリティが感じられず(面白いと人々に思われず)、今映画化もされ、話題になっているのはやはり3.11のせいだと思うとなんとも複雑です。
しかし実際の原発事故を経て、再稼働もされた今こそ多くの人に読んでもらいたい作品です。
なんといっても、ここで犯人が糾弾する相手は原発村や政府ではなく、電気を使いつつ、思考停止し沈黙する我々一般国民なのです。
しかしそういった社会派ミステリーとして優れているだけでなく、子どものいじめに関わる悲しい物語もあり、胸が痛くなるような暗い人物造形も魅力的です。
映画化も楽しみです。
本の帯に江口洋介とモックンの写真が出ているので、おそらくヘリのエンジニアが江口洋介で、モックんが原発エンジニアかも? モックン、「日本のいちばん長い日」の昭和天皇がよかったのでこちらも楽しみです。













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「なにもかも憂鬱な夜に」 中村文則著

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08 /29 2015
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本の虫H子、仕事が忙しくなかなか貸してくれなかった中村文則2冊目をようやく借りた。
たまには自分のお金で本を買うべきか?いやはや今の私にとって自由になるお金を1番目に使うのは「生地」及びソーイング関連。2番目がtonちゃんグッズ。だから本は借りて読むのだ。
ただ借りた本はブログをすぐ書かないとダメね。しばらくほっといたら詳細をほとんど忘れてしもた。
え〜と、確か主人公は赤ん坊の頃捨てられ施設で育つが、その施設で人生の生き方を教えてくれる恩師に会い成長。現在は刑務官をしている。そこで強盗に入ったマンションで夫婦を殺した20才の死刑囚、山井を担当。もう少しで控訴期限が切れ、死刑が確定してしまう。自分と境遇の似た彼を気にかける中で、自分の過去、特に自殺した友人の記憶をたどるのだが、自分の中にも山井と同じ何かがあり混乱する。人生に意味を見つけられず投げやりになるときに施設長=恩師とのやりとりを思い出す。そして山井に向けて、「命」に関する自分の考えを語る…
そんな内容だったと思う。

これは前回読んだ「あなたが消えた夜に」に比べると圧倒的に正しい中村文則である。
もし中村文則に興味を持ち、なんか1冊読んでみるべ〜と思った人がいたら、これはおすすめの1冊です。
どういう風に正しい中村文則かっていうと、
まず「暗い」
次に「不幸な境遇」
さらに「生きている事がすでに憂鬱」
というと救いがないようだけど、そんなことは全然ないので大丈夫。
だって考えてみてよ。すっごく落ち込んでいる時に、「ファイト!元気出して〜♪」みたいなことばかり言われて元気でるか?
私だったらそういう人には「生きてくってことはあらかじめ憂鬱なもんやで〜。だから赤ん坊は泣きながら生まれてくるんよ」って言うかもね。いえ、別に実際言った事ありませんけどね。
私がネクラなのか、基本、人生とは死ぬまでは生きる事ってどっかで思ってるからね。

私の事はどうでもいいとして、主人公は山井に命は自分のものではない?だったかな?う〜ん、本を返してしまったので、すごく肝心な部分が怪しいけれど、山井にお前の命とお前は別?とかそんなことを言ってたと思う。
それは今現在生きてるということは、太古の生物から連連と生命が途切れず続いてきたという事で、その事を命とその人間は別という言葉で表しているのである。
考えてみればごく当たり前のことだけど、普通は全く考えないことだと思う。

そうだ主人公が繰り返し見る気味の悪い夢は結局、どういう意味だったんだっけ?
だめだ、忘れてしまった。

それから又吉が解説を書いていて、これもなかなか感動的な解説です。
若くてネクラで国語の成績が3以上で(読解力ない人は却って憂鬱になっちゃう可能性あるからね)未来に希望が持てない人におすすめです。

中村文則「あなたが消えた夜に」はこちら


あの日のように抱きしめて

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08 /26 2015
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第2次世界大戦直後のドイツを舞台に、ナチスの強制収容所から顔に大けがを負って生還し、整形手術で顔の変わったユダヤ人女性ネリーと、容貌の変わった妻に気付かない夫の話。夫は(妻本人と気づかず)ネリーに妻になりすまし遺産を相続させ山分けの話を持ちかける。ネリーの親友は夫は妻を裏切りナチスに売ったというが、夫に未練のあるネリーは夫の言うまま、妻=自分になりすます練習に付き合う。<ドイツ映画>

というとややこしいサスペンスを期待するが、意外やあまりサスペンスフルにはならない。
普通、顔が違っても筆跡の練習させたらそっくりとか、声も同じだし、「あれっ」と疑問に思いそうなのに、この夫、妻は収容所で死んだと思い込んでいるため、全然疑問に思わないわけ。
どうよ、このボケぶり?
でもサスペンスにならない代わりに、妻の夫への愛の物語にはなっているので、まあそれはそれでいいんだけれど。
主演女優は美人だけれど、ヨーロッパの映画らしく日米女優のようにツルツル美人ではなく、目の下のクマとかやつれ感がリアル。夫もイケメンでなくブヨブヨしたおじさん。

しかしユダヤ人をかくまっただけで自分の命も危うい時代、戦後には体の傷や街の瓦礫だけでなく、様々な人間関係のヒビや傷跡があったのだろうなと思います。
そういう意味ではこれも戦争映画でした。
「日本のいちばん長い日」では美しい夫婦愛が描かれていたけれど、ユダヤ人の妻をかくまえば自分の命が危ういドイツではそんなに美しい夫婦愛ばかりではなかったのかもしれない。

見終えた後、毎度おなじみ友人Tとこの映画の夫のボケぶりについて、これはやはり”男脳”のなせる技じゃないか、という話になった。なんでも色々な人間の写真を見せて感情を読み取らせると、女性の多くは微妙な感情も読み取れるが、男ははっきり怒ってたり泣いてる顔じゃないと分からないという実験があるそうだ。
もちろん100%ではなく、例えば「女たらし」といわれる男性たちはきっと女脳が発達しているに違いない。
でも同じ人間でもホルモンの関係で若い頃は女性らしかった人がおじさん化したり、マッチョだった男性がおばさん化したりもあるかもしれない。
いつもながらどうも映画の内容と関係ないところに話がとんでしまうなぁ…






ルーシー・リー展

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08 /20 2015
Mさんと「ルーシー・リー展」へ
朝のうちは土砂降り、出かける頃には止み、結局傘は開かなかったものの、蒸し暑い日だった。
ルーシー・リーって誰?という感じだったのだが、オーストリア出身、後にイギリスで活躍する陶芸家だそうである。
いかにも芸術作品というものではなく、軽そうで薄めの陶器、普通に使えそう。小鉢1個欲しい。
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Mさん、ちょっとした問題を抱えおり、普段は私と違い美術に造詣が深く熱心な鑑賞者のMさんだが、どうも頭がそのことでいっぱいの様子。
いつもながら各自自分のペースで作品を見ていたが、途中のベンチでかち合うと、いきなりその相談事を話しだす。
あまりに話に熱が入り、監視員に注意されそうになるほど(苦笑)
人間関係の悩みとかだと、女同士吐き出す事でとりあえずなんとかなったりもするが、Mさんの話はもっと即物的というか、不動産問題なので、あんた、そりゃ私に言ってもらちあかないで。
しかしよくよく聞くと、問題はやはり気の持ちようの話であった。彼女自身それが分かってるから、相手は私でもいいらしい(笑)
そうと分かればおばさんの本領発揮、つまり限りなくテキトーに相づち打って、彼女もなんかすっきりしたとのことで、お役に立てて何よりであった。









日本のいちばん長い日

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08 /11 2015
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夏休みをとった夫と帰省している子どもと3人で見に行きました。
2時間超えの長めの映画ですが、緊迫感があり長さを感じさせない映画でした。
でも当時の軍人や政治家の言葉使いが分かりにくいのと、誰がどういう役職なのか分からないため、それぞれの立場が分からず多少混乱しました。
それでも昭和天皇、鈴木首相、阿南陸相の主演3人のキャラクターはそれぞれ魅力的で、山崎努演じる首相は何度解散を勧められても「この内閣で戦争を終わらせるのだ」という覚悟と、反面耳が遠くとぼけたユーモアもあり、いい味だしてます。

昭和天皇は「終戦のエンペラー」という天皇がタイトルになっている映画でも出番はそれほど多くなかったと記憶していますが、この映画では完全に主要キャストとしてセリフも出番も多く(御前会議や終戦の玉音放送だけでなく)日常の生活描写や阿南さんの娘の結婚式を心配したりと、大変気品と思いやりがある人となりで、子どもいわく「テンノーカッケー」でした。東条英機との会話で動物学の話が出るのと、庭で外来種の草花を摘む場面など、生物学者としての一面が描かれていたのも興味深かったです。

阿南さんは軍人としても家庭人としてもりっぱな人で、お手伝いのキムラ緑子がときめくほど、男性としても魅力的なことは分かりましたが、部下たちが南方の地図を指し「阿南さんほど兵士を大勢死なせて恨まれないのも人徳」?みたいな会話をしていた事が気になりました。でもラスト近く奥さんが横たわった阿南さんに語る場面は涙がとめられませんでした。

また松坂桃李演じる畑中少佐がどういう立場の人か分からなかったのですが、観賞後、戦争に詳しい夫に色々解説してもらい分かったのは、何度も出てくる場所は陸軍参謀本部でまさに陸軍全体の作戦を考える場所だというじゃないですか!?
じゃあ、あの2000万人特攻で本土決戦すれば勝機はあるとクーデター起こす彼も超エリートって訳ですよね。
本土決戦、2000万人特攻で「国体護持」って!?? 「国体」って国民体育大会じゃないのは分かるけど。
イケメン少佐があんなに机バンバンたたいて青筋たてて主張するのだから、言い分を理解してあげたいのが人情というもの。そこで100歩譲って思ったのが、彼はもしかしてすごく宗教的な心境になっていて、人間の命とか物質よりも聖なるものに身を捧げることに本当の人間としての目的があるという、そんな境地になっているのでしょうか?つまり聖戦ってやつ?
それはそれで個人の自由ですが、その発想で作戦たてて皆に強いる立場にいるのはやめてほしい。
だから阿南さん、完全に部下の人選間違ってます!(花咲舞調)

特攻を初めて知ったときも「それって究極の若者使い捨て?」と驚いたけど、日本軍、本当に勝つ気あったのだろうか?
どうやって勇敢に死ぬかと、国民を統制することが目的になってるように見えるのは私だけ?
戦うからにはまず相手を知ろうとするはずなのに、なぜか学校で英語とか禁止してるし。
暗号解読の研究とか情報収集をどれだけしたのか知らないけれど、日本の戦い方は不思議すぎる。
そもそも戦争という発想が私には理解できないけれど、もっと謎なのは、そういう太平洋戦争の話が夫をはじめ、世の男たちの感動を誘う事。
そんな作戦で死んで行った人々がかわいそうで哀れでならないけれど、感動はできない。
そんなことより、大量に兵士の死んだ作戦を立てた人や、特攻作戦を考えた人は戦後、ちゃんと責任を取ったのだろうか?

若い頃、12月8日は「ジョンレノンの死んだ日」としか知らなかった私だが、夫の戦争好き(この言い方語弊あり)に付き合って映画を見たりして、知れば知るほど謎すぎる自分の国。非難とか批判とかじゃなく、本当に謎なんです。
あまりに理解できないので、思ったこと…
「なんやかやいって、世の中から戦争が無くならないのは、男どもが戦争が好きで好きでたまらないからなんじゃなかろうか???」
そうじゃない事を祈ります。

この映画を見た後、なぜだか昔子どもたちと観に行った「ポケモン ミューツーの逆襲」を思い出しました。
ポケモン映画の第1作めだったと思いますが、人間に作られたクローン(コピーって言ってたかも?)のミュー2がクローンポケモンたちを率いて人間たちに復讐する話で、最後にサトシたちが勝って、ミュー2は「(人工的に作られたとしても)生まれたからには生きて行く」といい、人間と争わない場所に去って行くラストだったと思います。
ラスト、母親に会ったさとしが興奮して「ボクは世界を救ったんだよ!」というと、お母さんが「世界なんてどうでもいいの!ケガしたらどうするの!」と怒るのです。サトシが「だって世界が滅んだら皆だって滅ぶんだよ(←記憶曖昧)」といっても、お母さんは「世界なんてどうでもいいのよ。死んだらどうするの!」とさとしを怒り、母親たちから笑いが起こったことを記憶しています。
よくできてる映画で、これは母親をバカにしている訳ではなく、観ている母親たちの気持ちを代弁していると思いました。
ミューツーのセリフも「生まれたからには生きて行く」という、胸に残るセリフでした。












この国の空

cinema
08 /07 2015
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これは試写用DVDで見ました。
片隅の「Sample」の文字が消えないままでしたが、すぐに気にならなくなりました。

終戦間近の東京杉並で19才の里子(二階堂ふみ)は母(工藤夕貴)と二人つつましく暮らしている。父は結核で亡くなっており、隣家には妻子を疎開させ1人暮らしの銀行員の市毛(長谷川博己)が住む。
戦時下の不自由な中、何かと融通しあい助け合ううち、19才の娘は20才ほど年上のこの銀行員を男として意識し始め、市毛の方も19才という1番美しい年頃の娘を女として見始め、愛し合うようになる。
こう書くと「極限状態での許されぬ恋物語」と言えるが、確かにそうなのだが印象はちょっと違う。
途中、横浜で焼けだされ家族を失った伯母(母の姉:富田靖子)が転がり込み、食べ物を巡っての争いがあったり、食べ物の話がやたら出てくる。
空襲は毎回サイレン音と赤い空を背景にしたB29のシルエットが出てくるだけで、空襲シーンも戦闘シーンもない。
異常な戦時下でも人々は近所付き合いも仕事も淡々と日常を過ごしている。
印象に残ったのが、役所の上司が3日前から白い長袖シャツでボタンも首まで留めているのを新型爆弾対策か?と問われると「広島の街を1発で壊滅させた新型爆弾を白いシャツで防げるとは思えないけど、軍からの通達だから私らは周知徹底させないと」と答える。
こういうセリフを聞くと、どこまでも日本人は統制に従うのが得意な国民なのかという気がする。
内容はあからさまな反戦映画という訳ではなく、人々の暮らしもそれほど悲惨に見えない。
豆と米を一緒に炊いたご飯とか、サメが豚肉よりおいしいというセリフにちょっと食欲をそそられたりもした。
淡々とした描写と美しい東京弁が特徴的で小津安二郎や成瀬巳喜男の映画を彷彿とさせる。

しかし、1番きれいな年頃に、誰とも愛し合う経験もないまま、明日空襲で死ぬかもしれない里子の焦燥は強く伝わる。
声高でないが、ジリジリと伝わってくる。
今や面影なくても、かって娘だったことのある自分には面白い映画だったが、どうなんだろう?
人を選ぶかもしれない。
外見はいい女だが、若い頃から内面がオヤジの友人Tに見せて感想を聞いてみたい。

最近一番のお気に入り俳優、長谷川博己は兵隊検査で虚弱と見なされ丙種(兵隊失格)になったことをラッキーと思っていて、勇ましくない所は好感を持てる。でも隣の娘にくらっときて、さっさと手を出す軟弱オヤジぶりは「家政婦のミタ」のお父さんを彷彿とさせる。それから神社のシーン、個人的には吹き出しそうになりました。

ラスト、戦争が終わるということは、疎開していた市毛の妻子が戻り、里子はこれから自分の(別の)戦争が始まると思うところで映画が終わる。
そしてエンドロールに茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」が重なる。

この詩は有名みたいだけど、私は初めて内容を知りました。
おしゃれも考えられず、でも勝つと信じ込んでいたからっぽの頭とかたくなな心と訓練で日焼けした手足、1番きれいなころに国が戦争をしていた若い女性であった自分を歌った詩なのですね。
男は国のことしか考えていないから若い娘に愛を語らず、贈り物も捧げないが、純粋できれいな目のまま死んで行く。国を守るという信仰に男は命を捧げていたのだろうか?
簡単にバッカじゃない!と言えないところが戦争というプロパガンダの厄介なところ。
若い頃、特攻に感動している夫が理解できず、特攻って自爆テロと何がちゃうの?と聞いたら、自分の愛する物を卑下されたみたいに傷ついていたので、まぁ人の趣味はそれぞれだし、人の好きなモンにケチ付けるほど意地悪じゃないよと思ってきた。
でも国に命を捧げるのが美しいと思ってる連中に自分の趣味で政治されちゃたまらんわ、と思い始めた今日この頃。

と映画の感想から逸れましたが、「この国の空」
見ている最中にすっごく面白いというタイプではないけれど、後からじわじわ来る映画です。

tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。