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『美しすぎる地学事典』『スマホ脳』『生き抜くための地震学』『保健室のアン・ウニョン先生』

book
05 /03 2021
まだまだ続く、マイ地学ブーム。
最近、NHK-BSでいろんな再放送をやってて、以前は見向きもしなかった地球科学番組が面白くて、せっせと録画しては見てます。「そうそう、太陽は恵みをもたらすだけでなく相当恐ろしい恒星で、地球に地磁気が生まれなかったら、放射線で生物は死に絶えてたよね〜」とか「地球の核が鉄の海で対流してるから磁場が生まれたのよね〜」とか、地学本で得た知識で内容を補完しながら、うんうんと頷きながら熱心に見ている60代のおばちゃん。コロナが治まって、以前のように女友達と会っても話が噛み合わなくなりそう…。ただでさえ少ない友達がまた減りそうだわ(汗)

・・などと思ってたら、過去に数回会っただけの人から突然電話がかかってきて(私の電話番号は知人から聞いたそう)、なぜか彼女の幼少期から今日(50才位?)までの人生を聞かされました。初対面の時「変わった人だなぁ」と思い、一緒にいた私の友人もドン引きしていたので、内心面食らいましたが、私、変な人には甘いので(笑)、ふんふんと彼女の話を聞きました。で、思ったのは最近自己肯定感がどうこうと聞きますが、彼女の場合、自己肯定感が高すぎて、全ての話が自慢話に聞こえてしまう。やはり日本人は自分のことはへりくだるのがデフォルトなので、それで変わった人に見えちゃうんだなと納得。別に悪い人じゃないことが分かりました。
ただ学歴の話題(彼女もご主人も超エリート)は私には豚に真珠。彼女は付き合った歴代彼氏を学歴で呼ぶので、私の脳内ではキョンシー(古っ)のようにおでこに「東大医学部」と紙貼ったのっぺらぼうが浮かんじゃって困りました(笑)
自慢じゃないけど、小1の時、繰り上がり算でつまづいたくらい勉強と名のつくものは苦手なのよ、と言ったら「tontonさんちょっと変わってるよね〜」って……、「変わってるのはあんたの方だろ〜!!」と心の中でツッコミを入れた私です。こうして、私の密かな変人リストに、また1名加わりました。


『美しすぎる地学事典』渡邊克晃:著
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昨年暮れに出たばかりの写真集を買ってしまいました。
この「美しすぎる」って日本語が気になりますが(笑)、本当に美しいんです!
写真集と言ってもB6版のソフトカバーなんで、お値段もオールカラーにしてはギリ買えます(1,800円+税)
解説文も専門的になりすぎずとても読みやすいです。グランドキャニオン、全く興味なかったんですけど、20億年分の完全な地層の見られる場所って聞くと、一度本物を目の当たりにしてみたくなりました。最近BS-NHKの自然番組をよく見るのですが、急激な気温の上昇による氷河期の終わりに氷河が溶け侵食が起こり、短期間にナイアガラの滝ができた話をやってました。グランドキャニオンもやはり川による大侵食でできたそうです。
この写真集見てて思ったんですけど、映画の舞台になった絶景っていうの、誰かまとめてないかしら。本屋や図書館が舞台の映画目録や、生物の登場する映画目録本もあることだし。地学から見た映画の舞台。
すぐ思い出したのは「127時間」これはユタ州の渓谷が舞台。「きっとうまくいく」のラストのパンゴンツォ、ラダック高地にある美しい湖。あと英国ドラマ「ブローチャーチ」の舞台。海辺の石灰岩?の絶壁。(この本に出てくるのは「ブローチャーチ」の舞台だけ)
コロナ自粛でストレスもマックスですが、そういう時にこの写真集を眺めていると、細かいことはどうでもいい気分になります。

『スマホ脳』アンデシュ・ハンセン :著
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スェーデンの精神科医がスマホの弊害を訴えた世界的ベストセラー。
人間は長い歴史で獲得した体と脳の仕組みがある。しかしこのわずか20年余りで急速に普及したIT技術により、心と体を蝕まれている。著者本人がまだ若い人なので、自分もスマホに依存していることを認めつつ、これでもかとスマホのもたらすやばい脳への影響を語っています。
スマホの普及と同時に睡眠障害とうつ病が爆発的に増加しているという話は気になります。
なんでもスマホは麻薬と同じような脳への依存性があり、それを「報酬系」という概念で説明しています。ドーパミンが出るからやめられない、などと麻薬の依存症などで説明されますが、ドーパミン自体が快楽をもたらすというより、脳に期待させるのがドーパミンとかなんとか?この辺は理系の話で難しかったのですが、ともかくスマホを頻繁に見てしまうのは、この脳の報酬系とやらの仕組みを利用しているからなんだそうです。
ふ〜む、じゃ、スマホを引き出しの奥にでもしまって、必要な時だけ出せばいいんじゃない?と思いますが、ここが脳がヤク中と同じで、スマホを遠ざけるのがもはや現代人の脳が難しくなっているんだそうです。
スマホの影響は鬱や睡眠障害だけでなく、集中力をなくし、自制心を弱くし、頭の働き自体も低下させるそうです。さらに若い女性に顕著な流れとして、SNSを見ることで自分の容姿に自信をなくし、SNSをよく見る人ほど幸福感が低くなる傾向があるそう。いいこと一つも無いやんけ!
特に子供への影響が大きいようで、せめて弊害を少なくする方法として運動を勧めています。

私はスマホは2代目ですが、メールとライン、時々カメラ以外、バッグに入れたまま使う習慣がなかったのですが、コロナ自粛のこの一年で私のスマホ使用頻度は跳ね上がりました。
アプリを何も入れてなくてスマホの意味がなかったのに、この一年で脳トレ、英会話、ゲーム(はすぐ飽きて削った)など、急に画面も賑やかになり、最近では犬サイトの常連。大勢の人が親バカ丸出しで、自分ちの犬の動画をこれでもかとあげていて、ついつい見てしまう(笑)
ただここで語られているスマホの使用頻度(1日2600回スマホに触り、10分に1回手に取る)は私などとは比べ物にならないレベル。夫に至っては理系人間なのにスマホ持っていない。よって個人的には関係ないのですが、子供は心配です。
カップルで向かい合って座っているのに、会話せずお互いスマホを見ているのは、今ではありふれた光景ですが、やはり異様な気がします。この光景を異様と感じる私はすでに旧人類なんだろうなと思います。


『生き抜くための地震学』鎌田浩毅:著
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『地学ノススメ』が大変面白かったので、同じ著者の本を図書館で借りて読んでみました。
まず書名を勘違いしてました。「生き抜くための”地学”」と間違えてて、なんかこれ防災本ぽいなぁ、帰宅支援マップ使って丸の内から千葉まで徒歩で歩いてみた話とか、外出時に普段から水とライトとマップを持ってなさいとか、変だなぁ〜と思って表紙をよく見たら、「地学」じゃなくて「地震学」だったんですね(汗)
「地学のススメ」にあったプレートの話とか、元となる理論は地学の内容ですが、あとは完全に防災のための本でした。
神社は大抵その土地の地盤のいいところにあるとか、地学の知識を使いながら、防災のススメを説いています。
後書きで著者は首都機能の分散などにも言及しており、非常に切迫した危機感を持っていることが分かります。
私も早速、帰宅支援マップを買おうと思いました。もう通勤はしてないけれど、いつ何時首都圏直下の地震が来てもおかしくないですし、改めて地球上でも最も危険な場所に日本はあるのだな、と感じました。


最近、あまり人間に興味がなくなってきちゃって、ちょっとマズイなぁ〜と思う今日この頃。
そう思って、小説を読もうと借りてきたのがこれ↓

『保健室のアン・ウニョン先生』チョン・セラン:著
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養護教諭のアン・ウニョンが新しく赴任した私立M高校。この学校には原因不明の怪奇現象や不思議な出来事がつぎつぎとまき起こる。霊能力を持つ彼女はBB弾の銃とレインボーカラーの剣を手に、同僚の漢文教師ホン・インピョとさまざまな謎や邪悪なものたちに立ち向かう。はたしてM高校にはどんな秘密が隠されているのか…。斬新な想像力と心温まるストーリーで愛され続けるチョン・セランの魅力が凝縮した長編小説。(「BOOK」データベースより)

この著者チョン・セランは純文学、SF、ファンタジー、ホラーなどジャンルを超えて多彩な作品を発表し、幅広い世代から愛され続けているそうです。Netflixがドラマ化したそうですが、若者向けの学園ファンタジーとしてドラマに向いてる印象です。主人公アン・ウニョン先生は幼い頃から、自分のもつ力のせいで、常に化け物退治をし続けている若い女性。この高校に赴任する前は病院で同じように化け物退治に明け暮れていたようです。
短編集の形でその章毎に主役になる生徒や先生がいて、それぞれのお話は意外と趣が違います。はっきり敵がいて戦う話(ネイティブ教師マッケンジー)もあれば、なんとなくぼんやりした不思議な味わいの話(アヒルの先生ハン・アルム)など。訳者による後書きを読むと、話の中で出てくるエピソードの意味も分かり、色々日本と事情が異なったり、共通だったり、背景の韓国教育事情が分かって面白いです。韓国といえば苛烈な受験戦争が有名ですが、意外にも大半は日本の推薦入試的なもので11月ごろには大学が決まり、よく風物詩として日本のニュースでも流れる受験の様子は少数派だとのこと。「幸運と混乱」で2人の男子学生が盗む「ボランティア活動認定書」はそのためのもので、ボランティア歴やさまざまな受賞歴、活動歴が必要になるそうです。夜間自習も韓国では7〜8時間の授業の後、給食や弁当を食べ、夜10時ごろまで学校で自習する習慣があるそう。
この小説で私が個人的に好感を持ったのは、アン・ウニョンと良いコンビになる漢文教師ホン・インピョといい、校長から偏った教科書の採択を強要される歴史教師パク・デフンといい、登場する男性陣が温厚で冷静で感情的にならないところ。パク・デフンなどは別れた彼女に「ダッチコーヒーのように鈍くて冷たくてカフェインレス」と罵声を浴びせられ振られたトラウマを抱える設定。(韓流じゃない)韓国映画を見ていると、韓国男性の乱暴で劇しやすい性格にはドン引きするので、韓国でも温厚な男性がモテるようになってきてるのかな?と勝手に想像しました(笑)

ではGWもソーイングと散歩とガーデニングに励むtontonです。
もっと映画も見たいと思いつつ、1台しかTVの無い我が家、囲碁将棋との取り合い状態です(囲碁将棋に大型TV必要ないだろ〜!といつも思う)



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『人類と気候の10万年史』『地学ノススメ』『日没』& お花見

book
04 /10 2021
今年は桜が早いですね。
ご近所及びちょっと足を伸ばして近場の桜を、お散歩しながら見て回りました。新緑もきれいです。
毎年、次々と花が咲くこの時期は心浮き立つ季節です。猫の額の我が家の庭も花盛り。リカちゃんハウスみたいなミニミニ仏壇に花を欠かさないようにしてるのですが(信心深いわけでも、義父母想いだったわけでもなく、花をわざわざ飾るスペースもないので、仏壇に花があるだけでちょっと気分上がる、というのが本音)その花をわざわざお金払って買わなくても庭の花だけで調達できる(写真6番目)のがとても嬉しい、というセコい喜びがあります。

と書いてアップするの忘れ、現在4月10日。
なんと藤の花も、八重桜も、モッコウバラも満開。ハナミズキまで咲いてる!久しぶりで行った実家の庭がジャングルに!(写真9)
私の記憶ではソメイヨシノが入学式の花(4月上旬)、八重桜は4月下旬、藤やハナミズキは5月の花だと思っていたのに!どうなっているのでしょう?

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『人類と気候の10万年史』中川毅:著
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副題に「過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか 」とあります。
福井県水月湖に関心を持ち、「時を刻む湖」と同じ著者の第2弾も読んでみました。「時を刻む湖」は福井県水月湖の湖底に積もる地層=年縞が「世界標準時計」となるまでの道のり。そもそも古代のものってどうやって年代を特定するのか?放射性炭素年代測定法の記述が多く、水月湖自体への内容はこちらの本の方が詳しいです。
この本では、水月湖の年縞に含まれる花粉を調べて、その時々に湖の周辺に生えている植物を特定します。そこから当時の気候がわかるという話。な〜るほど!ポン!という感じ。
太古の風景を11~12万年前、2~3年前、5500年前と当時の植生から風景画を再現しているところなどワクワクします。

地球は大きく10万年毎に氷期を繰り返しているそうですが、その理由は地球の公転軌道が楕円の時は温暖期で正円に近づくと氷期になるんだそう。間氷期という名前から分かるように、基本地球は、氷期の方が長いのです。さらに10万年より短期スパンでも温暖と寒冷の繰り返しをしているのですが、一番最近の氷期の終わりは1万6千年前ほど。なんとこの時は今の温暖化以上に急激に、わずか1〜3年の間に7度も気温が上がったそうです。この氷期の終わりがこのように突然終わったということは水月湖以外にも、グリーンランドの氷床(6万年分の雪が固まった氷の層)も証明しており、世界同時に氷期が終わりを迎え、その後今日まで温暖期(間氷期)が続いているのです。この短期スパンの繰り返しで見れば、そろそろ氷期に入ってもいいはずですが、今はご存知のように温暖化が問題になっています。ところがわずか数十年前の1970年代には、寒冷化の方が問題になっていたそうです。
氷期の特徴はずっと寒いわけでなく、毎年のように気温の変化が激しいことがあります。現在に続く温暖期(間氷期)に入ってからはその温度変化が少なく、そのことに「縄文の終わり」=「稲作の始まり」の原因を著者は見ています。
気温の変化の激しい時には、植生も、獲れる動物も変わる。しかし狩猟採集ならば、その時々でなんらかの食料を確保できます。稲作のように単一の作物に食料を頼ると、気温の変化についていけない。これは1993年の米の大不作を思い出すと分かります。あの年初めて私はタイ米を食べました。
あの1年で終わったからいいけれど、これで数年おきに大不作になったら、確かに農業はリスクが大きいことが理解できます。人口が少なければ狩猟採集の方が合理的という考えは分かります。
縄文人は栗の木を栽培していたらしいし、稲作を知らなかったというより、安定した気候になるまでは始められなかった、というのが著者の考えです。
縄文人は周囲の環境の変化に応じて、その時々あるものを食べて生きていく。それに比べて弥生になって稲作に食料を頼るということは計画的、安定志向ということだから、逆にいうと変化には弱くなったとも言えます。
今の日本がコロナに際して、右往左往してしまうのはやっぱり長年の稲作民族のせいでしょうか?
ここで私は縄文好きの友人を思い出しました。
その友人には「矢でも鉄砲でも持ってこい」みたいな雰囲気が常日頃からあります。
バブル崩壊後の日本は震災はじめ自然災害も多く、経済もかっての右肩上がりは望めません。
ここは一つ、我々の中に眠る縄文人の血を呼び覚ます時かも?となぜか地質学の本を読んで、思ったのでした。

『地学ノススメ』 鎌田浩毅:著
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宮本常一の日本探訪から、水月湖に立ち寄ったところで、アマゾンのリコメンド機能だかアルゴリズムだかのいいカモになり、ついついおすすめしてくる本の解説が面白そうで買ってしまいました。
次なる読書は「地学のススメ」です。そもそも地学って何?と言うくらい、興味もなければ知識もなかった世界なのに、60過ぎて何にハマるか分かりません。60過ぎてホストクラブにハマるより実害もないし、まあいいとしましょう(笑)
そもそも地球ってどんなもんか初めて知りました。
真ん中が核(内核ー固体、外核ー液体)、その周りがマントル(下部マントル(内側)上部マントル(外側))があって内側が少し硬くて、外側は柔らかい。で、一番表面の地殻は硬い。で、プレートは地殻とイコールと思いきや、上部マントルの一部と地殻を合わせたのがプレート?なんでそんな中途半端に分類する?

地球って意外とダイナミックに動いているんですね。
一つの大きな大陸だったものがバラバラになり、再び寄り集まって……と意外や何度も動き回っていたんです。このプレート運動は40億年ほど前からあるそうです。20億年前頃あった超大陸ヌーナが分裂始めて、バラバラになって、再び動いて集まってと・・まるで生き物!?この大陸は動いてる(プレート・テクトニクス説)って発見されたのはまだ20世紀初めのことなんです。ドイツのウェゲナーさん、世界地図見てて、あれ南米とアフリカってくっつけるとぴったりじゃん?と気がついたそうで「プレートは動いてる」って発見しちゃうんだから、科学者ってどういう頭してるんでしょうか?
一番新しい超大陸パンゲアは、一塊りだった大陸の真ん中辺から超巨大噴火によって分裂(2億5千年前)。
一塊だった大陸の地下から吹き出したマントルで真ん中から別れて広がったのが大西洋。ここが中央海嶺と言われる場所では今も地下からマントルを吹き出し新たなプレートが作られている場所。左右に別れて動いて最終的にプレート同士が重なって入り込んでいる場所が沈み込み帯と言われる中央海嶺の反対側で、ちょうど日本の真下辺り。太平洋プレートとフィリピンプレートの2つの海洋プレートとユーラシアプレートと北米プレートという大陸プレートのなんと4個のプレートの上に我らが日本はあるわけ。世界で約10数枚なのに(プレートの数え方は14~5枚?)そのうち4個が重なった場所にあるんだもん。地震が多いのも無理ないのね。日本の面積は世界の大陸の400分の1、なのに世界中で起きる地震の10分の1が日本で起きてるんですって。
そんなわけで、海洋プレートが大陸プレートに潜り込む形でどんどんプレートの端切れがマントルに入り込んでるんですが、その後そのカステラ、じゃなくてプレートの切れはし、どうなると思います?どんどん溜まっちゃって(プレートの墓場)その後長いこと漂ったのち、核近くまで下降、これをコールドブルーム、反作用でゆっくりと核付近から熱い塊が上がってくるのがホットブルーム。このように地球内部で対流が起きてるんだそう。もうねえ半端ない巨大な地面の切れ端が日本の下でこんなことやってくれちゃってるわけ。想像しただけでめまいがして、ここ読んだ後寝たら変な夢見てうなされましたよ、私(笑)
先ほど超大陸パンゲアが分裂して、ヨーロッパ、アフリカ大陸と南北アメリカ大陸に分かれたといいましたが、南の方では南極とインドとオーストラリアがくっついていた状態から分裂して、年に10〜20cmのスピードでインド大陸がユーラシアにぶつかって盛り上がったのがヒマラヤ山脈。今でも同じ方向に押してるんで、ヒマラヤは毎年5mmほど高くなり続けているんだそうです。
ところで、太平洋プレートは日本側に向かって沈み込んでるわけですから、そのうちハワイがご近所になるでしょう(注:本書にはそんなことは書いてありません)
ところで隕石の衝突による恐竜絶滅(6500万年前)は有名ですが、他にもこの2億5千年前なんて巨大火山爆発で太陽光が届かなくて地球上の生物の95%が絶滅したらしいです。
でもこの本でもっとも現実的な恐怖は第8章の日本列島の地学。この章は冗談抜きで、日本てなんという場所にあるんだろうか…と改めて頭を抱える気分になりました。
現代の科学では地震予測は不可能なようですが、次に来る西日本大震災はなんと!まだ来てないのに正式名称が決まってるそうです。いわゆる南海トラフが震源となる地震は、唯一確実に予報できる地震だそうで、極めて周期的にくるんですって。時期はこの先生の予想だと’30年代後半だそうですが、遠くない将来、確実に来るそうです!皆さん、備えましょう。
最終章は巨大火山噴火の話。日本列島には110の活火山があり、東日本大震災以降、活発化しているとか。大地変動期に入った地球。しみじみ地球って生きてるんだな、と思います。



『日没』桐野夏生:著
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久しぶりの小説です。それも桐野夏生!図書館からやっと順番が回ってきました。
一気読みしましたが、小説として面白いかというと「?」です。
「文化文芸倫理向上委員会」略してブンリンなる政府組織から呼び出されたマッツ夢野という40代女性小説家が主人公。彼女は断崖に建つ海辺の療養所へと収容される。そこにいる職員たちは皆アスリートで、過激な性愛描写や、政府批判する小説家たちに「社会に適応した小説」を書くよう命じてくる。
これは桐野夏生自身が今の世の中にこれほどの脅威を感じていることの現れだと思います。ですから小説としての面白さよりも、ほとんど私的ホラーのように読め、読んでいるとどんどん彼女の恐怖が伝播してくる印象です。
食べ物の話が多いのは、やはりそれが人間にとってのリアリティを呼ぶ恐怖だからかもしれません。
(話はそれますが、私の姉はとっても食い意地が張ってます。そのため、主人公が食べ物を求め飢えている「戦場のピアニスト」はどんなホラーよりも恐ろしかったそうです)

私は夫はじめ周囲に保守的な人間が多かったので、保守的な人間の良さも分かるつもりです。安定志向で家族や身近な人間関係を大事にし常識や伝統を重んじます。例えば今でも町内会の班長とか順番に回ってきます。神社の草取りとか参加させられるわけ。正直めんどくさいなぁ〜と思いますが、きちんと参加します。そんなことに意味はないと言って、どんどん古い習慣をやめていけば、自由で快適な社会になるとも思えないしね。市民社会には案外頭の固い保守的な人間が必要だと思います。私自身もけっこう保守的なところがあります。
が、しかし!またまた言っちゃうけれど「あいちトリエンナーレ」ね!
この時の騒動には心底、え?えええ〜!?と驚いたのです。
うちの夫も名古屋市長と同じこと言いだすし。そんなバカな話ってある?と私は一人驚きつつ恐怖を覚えました。
だいたい市長の仕事って市政なはず。何で市長の好みで現代美術にまで口出すわけ?と。
私個人は現代美術なるものはさっぱり理解できないし興味もありません。だから何が出品されようと自分の生活には関係ない。だからと言って、政治家が自分が理解できない芸術まで自分の趣味で検閲し出したら、どんだけ文化の幅が狭くなることやら?と心配する程度に社会性はあるつもりです。
十分保守的な私でもトリエンナーレの騒ぎにはびっくりしたのだから、桐野夏生は安倍政権以降の流れに恐怖を感じてこの作品を書いたのだと思います。
これはミステリーではなく(ミステリーとして出来がいいのか疑問)、桐野夏生にとってのリアルなホラーとしか読めませんでした。
きっと作家や芸術家は炭鉱のカナリアのような人々で、世の中の不穏な空気をいち早く察知しているのではないでしょうか。


『わたしの空と五七五』『山に生きる人びと』『時を刻む湖―7万枚の地層に挑んだ科学者たち』

book
02 /24 2021
2月というのに、初夏のような暑さの日がありました。2月といえば一年で一番寒いはずなのに、今月は首都圏では暖かい日が多いです。コロナのワクチン接種も始まり、暖かくなって、このまま収束してくれるのか?それは待ち遠しい反面、もともと最低限しか化粧しない私。この一年でさらにしなくなり、コロナが収束してもマスクが手放せなくなりそうなのが、少々気になります。

『わたしの空と五七五』森埜 こみち:著
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「プレバト」というTV番組を知ったのは昨年。見初めて、俳句コーナーにハマりました。この番組を見てて分かったのは俳句って、読み解くために多くの知識と感性が必要らしいこと。読むのがこれほど難しいものとは知らなかったため、その奥深さに驚きました。
これは公募でグランプリを取った児童文学だそうで、大変読みやすいです。「プレバト」に出てくる俳句よりずっと易しいものが多く、中1の主人公に同じく中学生の先輩がアドバイスする形のため、俳句の超入門書としても読めます。とはいえ、老後の趣味に俳句を捻ろうとは、全く考えていませんけれど。



『山に生きる人びと』宮本常一:著
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山には「塩の道」もあれば「カッタイ道」もあり、サンカ、木地屋、マタギ、杣人、焼畑農業者、鉱山師、炭焼き、修験者、落人の末裔…さまざまな漂泊民が生活していた。ていねいなフィールドワークと真摯な研究で、失われゆくもうひとつの(非)常民の姿を記録する。宮本民俗学の代表作の初めての文庫化。(「BOOK」データベースより)

プチマイブーム、宮本常一、第3段です。
『忘れられた日本人』は読み物として大変面白いですが、こちらはもっとフィールドワークによる歴史研究書という印象。歴史と言っても名もなき山に住む人々の話。マタギは聞いたことありましたが、サンカは知りませんでした。日本人といえば農耕民族と思っていましたが、移動しながら狩猟採集する人々が存在したこと。稲作農耕と併行して、狩猟採集焼畑の日本人の流れがあったのではないか、と推論しています。

ジブリの「かぐや姫の物語」の中で、かぐや姫の幼なじみで初恋の相手のいる移動する集団が出てきましたが、あれは木地師という木の碗や食器を作る人々のようです。他にも炭焼き、木挽等々、山で生きる人々の具体的な職業や系譜が興味深いです。
また山の中にあるポツンとある立派なお屋敷と落人伝説の関連も面白い。日本は面積の多くを山と森に覆われていますから、負けた側の武士集団が住む行政区外(時の政権に管理されていない場所)がたくさんあることに今更ながら気がつきました。


『時を刻む湖―7万枚の地層に挑んだ科学者たち』  中川 毅:著
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2013年、水月湖が過去5万年の時を測る「標準時計」として世界に認められた。「モノサシ」となった、世にも稀な土の縞模様「年縞」とは?

暮れに来た知人からのメールに「水月湖」という聞いたことのない湖の写真がありました。この湖に妙に心ひかれ調べてみると、非常に特殊な湖であることが分かりました。さらに知人がこの湖に関する本を紹介してくれ、理系に弱い私にはどうかな〜と思いつつ読んでみたら、意外と読みやすく面白い本でした。

まず、年代特定のための「放射性炭素年代測定」って知りませんでした。
ただ10年前の福島原発事故のせいで「半減期」という言葉に馴染みがあったため何となく分った気になりました。放射性炭素14とやらが呼吸により生物の体内に入る。他の炭素の量は時代を経ても変わらないけれど、14は放射性のためその生物が呼吸を止めた(死んだ)時点から規則正しく減り続ける。だから炭素中の14の減り方を見て何年前と分かるらしい。
炭素14の半減期は5700年で、時代によって地球上の量が変わらないと言われてきたけど実はそうでもなく、数百年から数千年の誤差のあるざっくりしたモノサシらしい?そのためさらに時代を特定できるキャリブレーションというもっと細かいモノサシが必要になる。(とは書いてないけれど私は勝手にそう解釈。とんでもなく違ってるかも?)私のイメージだと、例えばどこかの遺跡で出てきた人骨の炭素14の数値を測る。その人骨の数値が(規則正しく減っていく)比率曲線のどこに当たるのか、その換算表を作るイメージ?(理系弱弱の私の理解なので非常に怪しい)
これには木の年輪がバッチリで、年輪による数値の測定は(1万1年でも9999年でもなく)きっかり1万年前と言えるんだそうで、年輪ちゅうもんは大したヤツだな〜と感心。しかし、木は1万3000年くらい昔までしか見つからない。でもこの放射性炭素年代測定は5万年前まで遡れるそうで、そうなると残りの3万7000年を調べたくなるのが科学者っちゅうもんなのか?
そのため、木より前の時代を特定するための世界的な年代測定のためのモノサシ探しが始まり、「 IntCal(イントカル)」と名付けられ、’86年から世界で競争が始まります。

ここまでで私が最も呆れたこと!!!
この炭素14は全炭素の1兆分の1という超微量だそうで、どれだけ微量かの例えがすごい!日本の1年の米の総消費量の中から、たった一粒の特殊な米粒を探す!?
そんなものを測れること自体びっくりですが、科学者ってつくづく頭のおかしい人たちじゃね?と思いました。この方法を発見したリビーさんは第二次大戦中の原爆開発の際に発見したそうです。

ま、いろいろあって、特殊な条件が重なったこの湖の湖底の地層に行き着きます。そこには1年で1mm以下(0.6~7)の規則正しいシマシマがあって、その中の葉っぱなどから年代測定のためのキャリブレーションになるらしいです。
木の年輪ほどの”誤差なし”ではないけれど、水月湖の年縞はかなり正確で、1万年で誤差±29年。

苦手な理系の解説もあるものの、専門書というよりは「プロジェクトX」として読めます。
印象的なのは、この年代測定のための研究者たちの年齢。皆、若い!水月湖の年縞の研究を始めた北川氏が当時30代、その時、著者はまだ20代の大学院生。北川氏と全く同じ時期に同じ研究をベネズエラ沖カリアコ海盆でやってるライバルも20代。著者中川氏が引き継いだプロジェクトの協力者たち、ドイツやイギリスの研究者たちも20代。
もう一つ印象に残ったのが、この研究のための費用はイギリスの研究費助成の応募で得たもの。さらにこれは掘削費だけで足りなくなり、協力者の人件費の捻出に協力してくれたのもオックスフォード。
日本はすぐに社会に還元できそうな研究でさえも(ex.光免疫療法など)なかなかお金が出ない国らしいので、ましてや、古代を読み解く研究には国からお金が出ないんだろうなぁ〜と残念に思いました。イギリスもそんなにお金余ってそうにないけれど、文化の違いなんでしょうか?

他に印象的なのは、水月湖の年縞の研究を最初に始めた北川氏の恐るべきど根性です。自分でガラス管など実験装置を作っちゃうのも、他の研究しながら気の遠くなるような作業で4万年分の層を一つ一つ読むのもすごい。12年経ち、中川氏が研究を引き継ぎ、新たに北川氏の掘削の欠点を補い70メートルを掘削。この辺りの記述は完全にプロジェクトX調。
縞縞を読む優秀な協力者たちを得て、新技術も導入、念には念を入れて調べた結果、驚くほど北川氏の手作業と言ってもいい研究結果が正確であったことが判明。ここは中川氏の師匠リスペクトに素直に感動。
ただそれだと、世界標準から外れた結果から進歩がないわけで、さあ、この後、どうする!?と、ほとんどミステリーのように読んでしまいました。
が、この後は新しく開発されたソフトウェアによる複雑怪奇な計算で誤差が縮まり、という辺りは残念ながら私にはさっぱり理解不能。でもついに2012年7月14日(フランス革命の日に)「世界放射性炭素会議」ちゅうところで「年代測定のための世界標準のモノサシ IntCal(イントカル)」として採用されます。

最後のところに、ライバルのように書かれているベネズエラ沖カリアコ海盆の研究者コンラッドに関する記述がいいです。水月湖が採用され、誤差の大きいカリアコ海盆は世界標準 IntCal(イントカル)から外れます。コンラッドは著者中川氏がアドバイスを求めた際、惜しみなく情報を提供してくれたそうです。中川氏は「レイク・スイゲツ」を超えようとする若者が現れたときには、自分も同じようにありたいと述べています。まるでスポーツのフェアプレイのようで、真実を求める科学者精神が感動的です。
私はこの本をお仕事ドラマとして読みましたが、扱ってるものが商品ではなく、「何万年の記憶」というのが何とも壮大かつロマンチックです。美しい景勝地ですし、水月湖、コロナが収まったら、ぜひ行ってみたいと思いました。

『忘れられた日本人』『冒険の国』『プラヴィエクとそのほかの時代』

book
01 /08 2021
私がそもそもブログを始めた理由は、、、
本を読み始めて「あ!これ読んだことある!」と気がつき、本棚を探すと同じ本がある…というトホホなパターンを繰り返したため、備忘録として始めたのです。今回、また同じ失敗を繰り返しそうになりましたが、ブログのおかげで注文する寸前にセーフ。

『ふしぎの国のバード』という明治初期、日本の奥地を旅したイザベラ・バードというイギリス人女性を主人公にした漫画があります。その7巻目を読み、『イザベラ・バードの旅『日本奥地紀行』を読む』という宮本常一が当時の日本を解説した本を読もうと思い、『忘れられた日本人』という彼の代表作と一緒に注文しかけました。
ちょうどそんな時、知人が昨秋国内旅行に行った写真をメールで送ってくれたのですが、それが妙にマニアックな場所。聞くと、宮本常一を読んで感動し、その足跡ともいうべき場所を旅したとのこと。へ〜なんという偶然!「私もちょうど読もうと思ってたところ」と返信したのち、ふと思いついて自分のブログを検索してみたら……
なんと3年前に読んでる!!慌てて本棚を探すと……ある。本を見たら内容も思い出しました。で、「忘れられた日本人」だけ注文しました。
年に数えるほどしか本を読まない人間なのに、なぜ本だけこのポカをよくやるのか?若い頃からよくやるポカとはいえ、この年になると別の心配が起きます。私、もしかしてボケ始まってる?…と(大汗)

『忘れられた日本人』宮本常一:著
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すっかり忘れていましたが、この本は40年ほど前に友人に勧められて読んだことを思い出しました。
40年ほど前、高校の同級生から小さな講演会で発表するから聞きにきて欲しいと連絡があり、とある大学の小さな教室に民俗学の講演を聞きに行きました。
彼女の講演は昔話の締めの言葉(「とっぴんぱらり」etc)と数の関連を話したと記憶していますが、彼女の話が終わると同時に、指導教官が「それちょっとこじつけすぎじゃない?」と笑い、会場も彼女も笑っていたことが思い出されます。彼女は学生時代、よく巫女のバイトをしており、民俗学とか神道とかに興味のある人でした。宮本常一以外に柳田國男の「遠野物語」も借りたのですが、こちらは東北の河童の話が超怖くて、夜トイレに行けなくなったのを憶えています。そのせいか明治から戦前にかけての日本の地方に、私は暗〜いイメージを持っていました。

しかし『忘れられた日本人』を読むと、そのあっけらかんとした明るさと大らかさに驚かされました。
先の旅行のメールをくれた人は、山国を切り開いて生きていった日本人のたくましさに感動したそうですが、私はもっと細かい村落の人間関係に感心しました。
例えば、対馬の村の話し合い(寄り合い)の様子。(宮本が全国を調査したのは戦争中を除き昭和10年代〜戦後の30年代中心)
一つの議題について話し合いが始まる。一人が反対意見を言う。するとそこでその議題を突き詰めず、他の話題に移る。しばらくしてまた元の議題に戻る。今度は逆に賛成意見が出る。するとまた他の話題に…という風。せっかちな私など読んでいてイライラしました。しかしここには一気に賛成・反対と二手に分かれて戦わず、ゆるくちんたらと話し合いを進め、角を立てないように長が結論に持っていく。狭い村の人間関係をギクシャクさせず、みんなを納得させ落ち着かせる知恵があるそうです。効率追求の現代人には目から鱗の知恵に感心しました。

 愛知県から飯田市へ向かう山間の村。当時70代の村の老人たちに集まってもらい若い頃(明治時代)の話を取材。ともかく貧しい。今の貧しさとは桁違いで、ギリギリ食べていくのが精一杯。しかしその生活は村一番の働き者など、夜明けから夜遅くまで畑を耕す。すると畑の前の家は遅くまで働く彼のために、戸を閉めず明かりを外に漏らす。ずっと後、宮本の取材で老人たちが思い出を語った際に、彼は初めてそのことを知る。当時、彼はずいぶん夜遅くまで明かりをつけてる家だな、としか思っていなかったそうです。このように村の生活は目に見えない助け合いに支えられていたそうです。
 養子の話も印象的です。この村よりさらに貧しい村の女性が子供を養いきれず、この村に来て一軒一軒泊めてもらう。この時代、見知らぬ旅人が一夜の宿を所望すると、泊めてあげるのが当然だったそう。大体客は囲炉裏端に泊まるのだが、自分がいなくなったあと幼子が一人寝かされるのが不憫で、母親はまた次の家に行く。するとある家でお婆さんが「かわいい子だ。抱いて寝てあげよう」というので、その家にそのまま子供をもらってもらったそうです。
 それから「夜這い」!老人たち曰く「昔はいい娘がいると聞けば、3〜4里は平気で夜這いに行った」んだそうです。朝から1日畑を耕し、その後(1里は約4キロ)徒歩で山越えて夜這い!?
当時は古々米に稗や菜葉を混ぜて食べるのが普通だったそうだが、その食事でそのタフさはどこから?
 また田植えはもともと女性たちの仕事であり楽しみでもあったそうですが、田植えをしながらの会話があけすけなエロ話オンパレード!エロサイトと間違われると困るから引用できませんが、青空の下、田植えをしながら……明るい(笑)
 他にも土佐の橋の下に住む盲目の乞食老人からの聞き取りがびっくり。
彼は両親を知らず学校へも行かずに育つ。そして「ばくろう」と言う牛の売買の職につきますが、これは少々ヤクザな仕事だったようです。宮本が取材した時点では、盲目になって30年、橋の下の小屋に住み、妻の助けと地域の人の施しで生活しています。その妻も元々関係を持っていた女性の娘で、彼の話のほとんどが女性の話。そして彼の忘れられない恋の話がドラマチック。2度あって、どちらも身分の高い奥様との恋。役人の妻と、県会議員の妻。どちらもカタギの美人で優しい女性だったそうで、なぜそんな奥様が身分の低い彼と関係を持ったのか?
当時は割腹の良いタイプがモテ男だったようですが、彼は小柄で華奢なタイプ(私の脳内配役は佐藤健)。ただ当時の男性としては異例に、女性の話をちゃんと聞く男性だったようです。双方とも本気の恋でしたが一人目は迷惑をかけたくなくて自分から去り、二人目の人は風邪であっさり亡くなってしまいます。その二人のことは生涯忘れられないと話します。その後盲目の乞食になっても、何度も裏切ってきた妻に見捨てられない、「橋の下のドンファン」の話。

また昔の人はずっと一か所に定住、狭い人間関係の中で暮らしているイメージがありましたが、若い頃ずいぶん奔放にいろんな場所に移り住んだ人も多く、そういう人を世間師と呼ぶそうです。他にも意外なのは若い娘も結構旅行に行ってたそうで、そこには通説とは異なり女性の性が自由だったこともあるようです。
 この世間師の河内長野の古老の話でもおかしいのが、聖徳太子の記念日はこの地ではなぜか既婚未婚関係なくフリーS⚪︎⚪︎デーだったそうで、当然婚外子ができますが、この子は差別されないとか。それにしてもなぜ、聖徳太子の記念日がそうなるのか?究極の少子化対策にはなりそうですが…
 宮本常一は周防大島(山口県屋代島)の出身で、彼の祖父の話は、祖父に対する深い愛情が感じられ、当時の人が狸もミミズも蟹も人間と同じ土俵でリアリティを持っていた生きている感覚が伝わり、とても美しく感慨深い章です。

それにしても40年前勧められて仕方なく読んだものの、この本が全く印象に残っていない原因は、言葉が分からなかったせいだと思います。おそらく「よばい」って何?という感じで、聞き書きなので方言や老人の言葉が分からず、最後まで読んだかどうかも怪しいです。40年前、若い女の子にとっては謎すぎる本でしたが、今読むとしみじみ面白い本でした。



『冒険の国』桐野夏生:著
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'88年デビュー前の公募作品を書き直したものだそう。ミステリーではなく純文学。
時代はバブル直前。ディズニーランドができ変わっていく街を背景に、その街に生まれずっと住んでいる30代独身女性が主人公。新築マンションに老いた両親と独身の姉と住んでいるが、新住民たちとの違和感や、時代の空気に乗れない感じがよく出ている。マンションの窓から見えるキラキラしたシンデレラ城の光景と彼女の家族の風景の対比も面白い。
著者自身の後書きに「バブルは過ぎ、時代に取り残されることに、さほどの意味はなくなった。現在、ほとんどの人間が、取り残されているのだから。」とある。
桐野夏生はミステリーでも純文学でも、そう言う人を描くのがとてもうまい。そしてそう言う人に妙に共感してしまう私もバブルには全く乗れない(乗せてもらえなかった)人間だった。



『プラヴィエクとそのほかの時代』オルガ トカルチュク:著
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ポーランドの南西部、国境地帯にあるとされる架空の村プラヴィエク。そこに暮らす人々の、ささやかでありつつかけがえのない日常が、ポーランドの20世紀を映しだすとともに、全世界の摂理を、宇宙的神秘をもかいま見させる―「プラヴィエクは宇宙の中心にある。」2018年ノーベル文学賞受賞作家トカルチュクの名を一躍、国際的なものにし、1989年以後に書かれた中東欧文学の最重要作品と評される傑作(「BOOK」データベース)

一昨年チェコに行って以来、中東欧に興味をもち、この有名な作品を読んでみました。
この本はかなり分厚いのですが、寝る前のひととき読むにはもってこいの本でした。
なんと84章からなり、短い章で2、3ページ、長くても10ページ位の断章からなります。淡々とした日常を切り取ったような描写のため、ハラハラドキドキ読書が止まらなくなり寝不足になる心配もなく、毎晩1、2章読むのにちょうどいい塩梅というわけ。
ノーベル文学賞と言っても大江健三郎みたいに一文を咀嚼するのに頭使うような読み辛さもなく読みやすい。強いて言えば、ポーランド人の名前を覚えるのに苦労するくらい。
ます初っ端に「プラヴィエクは宇宙の中心にある。」と来ます。しかし読んでいくと架空の村に暮らす人々の日常が淡々と続き、時折天使やら神が比喩でなく出てくる感じ?
ストーリーは一応「ニェビェスキ」家のゲノヴェファとミハウ夫婦を中心に、時代はミハウが1914年、第1次大戦で出兵するところから始まる。第1次ってポーランドはロシア皇帝軍で参戦したんですね。そもそもポーランドの歴史を知りませんが、日本みたいな国に生まれるとついずっと一続きの「日本」って国と錯覚しそうになるけど、ポーランドは分割、侵略、帰属の変更を余儀なくされて来た国。
「ニェビェスキ」家と「ボスキ」家が中心となり、ニェビェスキ家の長女ミシャとボスキ家の長男パヴェウが1930年結婚、子供たちが生まれ、最後はミシャと弟のイズィドルが年老いて亡くなり、残されたミシャの夫パヴェウが久しぶりに故郷に帰って来た娘アデルカと話し、別れるところで終わります。
先ほど言ったようにポーランドは何度も侵略されたり分割された国なのに、不思議と政治的社会的背景はあまり出て来ません。最後の場面はおそらく1980年代と思うのですが、共産主義の崩壊もワレサの連帯も出て来ません。第2次大戦の時は同じ村の仲間だったユダヤ人一家が殺されたり、ソ連兵やドイツ兵が関わってくるものの、それ以外には社会的背景は語られず、村は宇宙の中心として存在し続けます。
多くの村人が登場しますが、個人的に一番印象に残るのは、クウォスカとイズィドルです。クウォスカは男たちに身を売って暮らし、森で娘を産んで育てます。イズィドルは物語の中心となる「ニェビェスキ」家の長男ですが、今でいう発達障害なのか?とても純心でクウォスカの娘ルタを生涯愛し続けます。
ページめくる手が止まらないという面白さとは違うのですが、読み終えて、自分の心の中に「プラヴィエク」という架空の村がしっかり存在した印象です。




『ファシズムの教室』『まひるの月を追いかけて』『アーモンド』『82年生まれ、キム・ジヨン』

book
10 /23 2020
『ファシズムの教室』 田野大輔:著
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関西にある私立大学で10年にわたり実践されている体験学習「ファシズムの教室」に関する記録と考察。
文学部の田野大輔教授を総統と設定、250人もの大勢の学生にファシズムを体験させるロールプレイ授業。250人全員がお揃いの制服(白シャツ、Gパン)を着て、「ハイル、タノ!」と繰り返し叫び、共通の敵を「リア充」と設定、校庭にいる仲睦まじげなカップルに向かって「リア充爆発しろ!」と全員で糾弾。と言う異様な授業の記録。ふざけてて面白そうと図書館で借りてみたら、、至って真面目な本でした。
体験学習後の学生たちのレポートが興味深い。最初は恥ずかしいと思いつつ、あっさり集団への帰属意識を強め、制服を着ない者、集団行動を乱すもの、敵であるリア充に対して、憎しみすら感じるようになる。彼ら(制服を着ない者、カップル)はサクラだろうと知りつつも、学生たちは集団で敵を糾弾することに開放感や自由を感じ気分が高揚してきたことを報告しています。
本の前半はナチスドイツに関する解説です。ナチスドイツはヒトラーという独裁者が作り上げ、人々は虐げられ自由がないイメージを持ちますが、ヒトラーを熱狂的に支持し民主的な選挙で選んだのは国民であること。ヒトラーは身分の低い出身のため人々の気持ちを分かってくれると思われ、非常に人気があったこと。そこにユダヤ人という敵を設定、上からの命令で共通の敵を攻撃することに人々は高揚感や開放感を味わい、さらに「自由」すら味わっていたと解説しています。「独裁」が人々に「自由」をもたらすというのは矛盾しているようですが、自分で考えて責任を取らなくてもいい「責任からの解放」によって得られる自由な気分は非常にくせ者のようです。
 オリンピックやワールドカップの時に、人々の心は一つになり脳は快感を感じます。これと似たしくみが敵とみなした者を上からの命令で集団で糾弾する時にも働いているとしたら、、、非常に気味が悪い。日本の教育は「自分の意見を持つ」という教育をなぜかしないため、自分で考えるよりも命令される方が楽だと感じる人は他国よりも多いかもしれません。

現在の日本でも「ファシズムの危険は身近にいつもあるのだ」と著者は言います。ポピュリズムの危険や、現代日本で見られる様々な不寛容な空気について警鐘を鳴らし、その一例としてヘイトスピーチをあげています。
個人的にはヘイトスピーチも理解できないけれど、昨年の愛知トリエンナーレ騒ぎ、あれが謎でした。少女像をあちこちに置いてる団体に怒るのならまだ理解できます。しかしビエンナーレの企画は現代美術。現代美術というのは常識を離れる脳味噌の実験みたいなもんだと私は思っていたので、いきなり現実の政治的対立をそのまま当てはめ「許せ〜ん!」と中止まで求めるのが不思議でした。それに慰安婦像に怒ってるんなら、なおさらどんなもんか実物を見てみたいと思わないのか?そこも謎でした。
しかしこの件で一番めげたのは、最も身近な他人である夫が名古屋市長と同じ考えなこと。TVに向かって怒っている姿に思わず「あんたはネトウヨか!」と罵ってしまいました。夫はもともと保守的な人で朝日新聞が嫌いとか言ってますが、個人的には私よりよっぽど情があったりするんですね。ここが不思議なところで、一人一人は心優しいのに、国とか民族とか持ち出して敵を作りたがる男の多いことよ。ちなみにこういう時の夫はアホにしか見えません。
また、この本ではRADWIMPSの「HINOMARU」という曲のことを取り上げています。リーダーの野田洋次郎は朝ドラ「エール」でいい味出してますが、以前彼の曲が物議を醸したとのこと。試しに聞いてみましたが綺麗なメロディで私はいい曲だと思いました。作者の野田はこの抗議に対して「自分の国を好きと言って何が悪い」と言ったそうです。
何を隠そう、私は幼い頃から「日の丸」が大好きです。子供の頃、世界の国旗が載ってる百科事典の付録があり、この本は私のお気に入りでした。いろんな国の国旗をみては子供心に「日の丸ってさっぱりしてるのに(シンプルなのに)なんてかっこいいんだろう」と思っていました。祖父が祝日には必ず門柱に日の丸を掲げる人だったので、それを手伝っていたせいもあると思います。
野田は政治的背景からではなく、純粋に愛国心のようなものを現したかっただけと思います。著者はこの気持ちに理解を示しつつも現代の不寛容な流れに利用される危険を述べています。なんとなく分かります。私は日の丸のデザインが秀抜だと感じ好きなので国旗掲揚は個人的には抵抗ないものの、やらない人に罰則与えるのはおかしい。
愛国心というのは一人一人の心の中にあるもので、そういう心情的なものまで統制しようとしたら、ますますその人は日の丸が嫌いになっちゃうじゃん!そういうこと決めるセンスのない官僚(政治家?)は子供の頃、「北風と太陽」を読んでないのかしら?

今の時代は情報が多すぎるため、かえって単純に記号化してカテゴリー分けする人が多い気もします。右か左か、敵か味方か?「反日」という言葉を使う人はどういう意味で使っているのか?何が国益を損なうのか、どの条件を指して言ってるのか?それとも単に「お前の母ちゃんデベソ」くらいの意味なのか?
考え方でも文化でもいろいろあって、好みも違うし、時にはケンカにもなる。世の中ってそういうものだと思っていましたが、最近は気に入らないものを徹底的に排除しようとするのが気になります。生きていれば世の中は割り切れることばかりじゃないことは、誰でも知っていると思うのに、なぜそう(敵を排除)したいのか?まさかと思うけど、みんなPC使ってるうちに、脳味噌まで0と1しかない2元思考に毒されたってことはないでしょうね!?
もしかしたら「敵」が欲しいだけなのかな?と思う時もあります。
「敵」がいて、それに敵対するもの同士で一致団結するのは、団結の方法としては手っ取り早いし盛り上がりやすいです。昔のように地域や会社でまとまりにくい今の時代、どこかに所属したい気持ちは私もあります。不寛容な空気の背景にはストレスの多い社会もあると思います。だからと言って誰かを攻撃したり貶めることで団結するのは遠慮したい。
しかしどの国の政権も人々の不満を逸らすために「敵」を設定して利用します。ヘイトとかネトウヨの人ってある意味素直すぎる人なのかもしれません。
ただ怖いのはそれが社会全体の気分になってしまうとき。そのときは本当のファシズムが生まれる時なのだと思います。



『まひるの月を追いかけて』恩田陸:著
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映画『蜜蜂と遠雷』を観て、恩田陸の原作に興味を持ったところ、ちょうど家の片付けをしている姉から、どれでも持っていってと言われた本の中にこれを見つけもらって読んでみました。
まず、私がミステリーと勘違いをして読んでいたため、最後まで読んでの感想は「?」でした。
実は私は女流作家の小説は「なんだか分からん?」になってしまうケースが多いのです。ミステリーなら大丈夫なんですが、こういう恋愛?関係を描いたものは難しい……いえいえ映画でも人間ドラマが一番好きなんですよ、ホントに。ただなんというか女性作家特有の人間関係の距離感がうまく掴めないんです。自分には関心がない部分がフューチャーされるため、最終的にこの小説の最も大きな「答」、研吾が誰を愛していたのか?が分かる場面で、「え?それの何が問題なの?」とずっこけそうに。
読者にこの研吾という男がすっごく魅力的と思わせてくれないと、彼が誰を愛しているかに関心を持てないため、女たちの想いにノレなくて、モヤモヤしてしまいました。
しかしこの小説は奈良を旅するロード小説になっているため、その部分は楽しく読めました。
私は奈良には2度旅したことがあり、特に20歳の頃、友人とひたすら歩いたビンボー旅がとても印象的でしたので、奈良の風景を思い出しながら読みました。40年前の奈良は夜8時過ぎにはお店が皆閉まってしまい、夕飯を食べるところがなくて困ったことや、天理市は宗教団体一色の街で、そこだけ日本の中の異国のようでびっくりしたこと。そういえば奈良市内のビジネスホテルは他人と同室だったし、飛鳥の民宿も隣部屋の中年のおばさん連れと一緒に鍋をつつき、夜中までずっと楽しくおしゃべりしたこと。山の辺の道はどこで会ったのかも忘れたけれど、イケメンのお兄さんとずっと一緒に歩いたこと。考えて見ると、若い頃の貧乏旅行は行く先々で見知らぬ人と一期一会の旅だったことを思い出し、この数十年で日本人の人間関係って変わったなぁ〜と思い知らされました。ビジネスホテルで他人と同室って今じゃ考えられません。(当時としても謎で、もしかしてダブルブッキングだったのかも?)もちろん女子グループの旅では他人と関わることもなかったので、これはビンボー旅行限定の思い出です。若い頃の私は人見知りのくせに、行く先々で平気で他人と関わっていたなぁと懐かしく思い出し、旅に出たくなった1冊です。



『アーモンド』 ソン・ウォンピョン :著/矢島暁子:訳
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扁桃体が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができない十六歳の高校生、ユンジェ。そんな彼は、十五歳の誕生日に、目の前で祖母と母が通り魔に襲われたときも、ただ黙ってその光景を見つめているだけだった。母は感情がわからない息子に「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「悪」「欲」を丸暗記させることで、なんとか“普通の子”に見えるようにと訓練してきた。だが母は事件によって植物状態になり、ユンジェはひとりぼっちになってしまう。そんなとき現れたのが、もう一人の“怪物”、ゴニだった。激しい感情を持つその少年との出会いは、ユンジェの人生を大きく変えていく―。怪物と呼ばれた少年が愛によって変わるまで。(「BOOK」データベースより)

2020年本屋大賞翻訳小説部門第一位作品だそうです。
図書館で予約したものの、すっかり忘れた頃に順番が来ました。その時ちょうど人から同じく韓国のベストセラー「82年生まれ、キム・ジョン」を借りて読み始めたタイミング。韓国の映画はよく見るけれど小説読むの初めてなのに重なるなんてね。ひとまずそっちを置いて、図書館の方(アーモンド)を先に読みました。
これは中高生向けのYA(ヤングアダルト)って分類だと思われます。サラサラ〜と読みやすくすぐに読み終えました。
あらすじにある「目の前で通り魔」というのが韓国映画のグロ描写を思い出して心配しましたが、そこはまだ序盤で、この本で重点を置かれているのはあくまでも第2のモンスター少年「ゴニ」と主人公ユンジェの関係。
主人公ユンジェは脳内の扁桃体が人より生まれつき小さく、アレキシサイミヤ「失感情症」という病気の設定です。失感情症と言っても、感情がない訳ではなく、自分の感情の自覚がうまくできないらしいです。

この医学的説明をネットで調べてみると、幼い頃の自分は少々この傾向があったのではないだろうか?と思いました。
姉や兄は知らない場所に出かけると迷子になるのを恐れて母のスカートの裾をギュッと掴み離れなかったそうですが、私はあっという間に行方不明になり旅行先で旅館の人や他の客まで総動員で捜索されてしまったり、東京のデパートでいなくなるのはあまりに毎回なので、母はデパートに迷子の放送の依頼もしなくなったそうです。
この辺りは自分でも記憶がありますが、確かに大きい病院やデパートを散策するのが大好きでした。ひとりになっても不安とか恐怖は全くありませんでした。母のポッカリで幼稚園に入れ忘れられ、いきなり小学校で集団に放り込まれましたが、ニコニコしてる子で友達もすぐできました。ただしクラスの人間関係が読めず、授業中全く手もあげないクセに、帰りの反省会でボスっぽい子にケンカうったりしてた記憶があります。
しかしネットの医学書を読んで思い当たったのは、この症例の人は自分で精神的ストレスを自覚しづらいため、いきなり体に異常が出る場合がある、というところです。私は若い頃から人間関係であまり悩まないのですが、体に異変が出ることが時々あり、きっとストレスを抱えていたのだと思います。気になるのはこの傾向の人は短命な人が多いというところ。ちゃんとストレスを自覚するって大事なんですね。
今では友人のワンコが亡くなっても、もらい泣きするほど感情豊かになりました。人間て死ぬまで変化するもんだと感心します。
 この小説ですが、1章で祖母と母が消えた後は、ゴニ、陸上少女ドラ、保護者的存在シム博士とゴニの父ユン教授くらいしか登場人物はいません。最後に針金というこれぞ本物のモンスターな犯罪少年の暴力がきっかけで主人公に感情が生まれる辺りが、ちょっと引っかかりました。
もっとささやかな日常だったり、自然の美しさに突然気がついてもいい気もしたのですが、これがYAで、さらに著者は映映画界の人なことを考えると、やはり派手なクライマックスが見せ場としては必要だったのかなと思います。
文章は主人公の設定からしてエモーショナルにならず、現実を淡々と描写しているため映像的で読みやすいです。



『82年生まれ、キム・ジヨン』 チョ・ナムジュ:著/斎藤 真理子:訳/span>
Kim・John
世界中でベストセラーになった韓国の小説。
これは韓国だけでなく、様々な国の女性に思い当たる内容だと思います。
ただ私はこのキム・ジョンよりはるかに年上。一流企業は社員のお嫁さん候補として短大卒しか取らないような時代です。お茶汲み、お酌は当たり前、今の定義で見ればセクハラの嵐。我々世代の結婚の理想は三高。高身長、高学歴、高収入。お嬢様ブームで保守的。比べて姉はアラ古希ですが、こっちの方がウーマンリブとか学生運動に関わった世代のせいか社会的な意識が高く、我々の世代のことを保守的とか三無主義とか若い頃、けっこうバカにされました(笑)
さらに私自身は子供ができてからは、内職とパートをだらだらとやってきただけで、そもそも仕事にやりがいを求めてない意識低い女だったため、20才以上年下のキム・ジョン世代が子供ができて仕事をやめる辛さは、本当のところよく理解できていないと思います。
 ただ臨月のお腹で地下鉄で前に座った若い女性から罵られるシーンでは痛々しい気分になりました。日本でも与党の女性議員が性的虐待の被害者に対して「女はいくらでも嘘をつく」と言って問題になりましたが、男性からの無自覚の女性差別以上に、女性が女性をおとしめ攻撃する姿というのはなんでか、とてもイヤ〜な気分になります。
私自身は仕事に執着なく意識も低いかもしれませんが、仕事をしたい女性の足だけは引っ張らないようにしようと思ってきました。同時に家事や育児や介護や近所付き合いって、収入という意味では0円ですけど、誰かがやらねばならない労働には違いなく、おまけにやることはエンドレスで休日なし。だから専業主婦を見下すのも違うと思います。

この小説は読んでる最中は、、、キム・ジョンの夫は優しく収入も多く、彼女が辞めても生活はでき、子育ても家事も手伝うと言ってる。だったら気持ちを切り替えて、赤ん坊のいる生活を楽しんだらいいのに……と思っていました。
公園で隣のベンチにいるサラリーマンたちの言葉に深く傷つき、それをきっかけに人格が乖離してしまうのも、イマイチ「?」でした。
しかしこの本は最後の解説まで必ず読んでください。韓国の抱える男女間の問題の根深さに衝撃を受けました。キム・ジョンが衝撃を受ける言葉は「ママ虫」と訳され、そんなにひどい言葉という印象はなかったのですが、韓国でこの言葉の使われ方は非常に侮蔑的で、社会の害虫とでもいうひどい言葉だということ。
キム・ジョンの母世代の苦労はもうめまいがする程、凄まじいのですが、現代の女性差別はそれとは根本的に異なるということ。昔の女性差別とは違い、現代のそれは男の嫉妬とでもいうべき、女性に対する憎しみがあるということです。そこには韓国における「兵役」の問題が深く関わってきているそうです。
韓国男性は兵役の他にも、格差社会でストレスの多い生活を強いられている。赤ん坊と公園のベンチにいる女性にまで憎しみを感じてしまうなんて、どれだけ余裕のない生活をしているのか?こうなると男性たちも気の毒としか思えません。
結局差別とは差別する側も問題を抱えているのです。
私自身、非正規職員として公共施設でパートをしている時に、正職員の仕事ぶりがアゼンとするほど酷くて(メンタルに問題抱えてる公務員が送り込まれる場所だったため)非正規の1/3も働いていない人のお給料が5倍ってどゆこと!? と非正規おばちゃん同士で大ブーイング大会をやったものです。自分が非正規という弱い立場だから、他人(正職員)にも厳しくなっていて、彼らの抱える問題を無視していたのです。しかし本当の怒りの矛先は問題抱えた職員ではなく、同じ仕事を同一賃金にしない”しくみ”の方だったと今なら分かります。
韓国と日本は先進国の中でも幸福度が低いそうです。日本の30代の女性がこれを読んでいちいち頷けると思うと悲しくなります。
同時にこういう小説がベストセラーになったのには意味があると思います。
当たり前のことになってる問題に疑問を持たなければ、それでも世界は回っていく。でも誰かが「これはおかしい」と声を上げることで世界はその方向を軌道修正していくんだな、と思えました。



tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。