ここ1ヶ月の間に図書館から回ってきた本の感想です。
小説2つはどちらも衝撃を受けました。
自分の生きてきた60数年の間にずいぶんライフスタイルも価値観も変わってしまったと思います。ときどきそのことに気づいて、うすら寒くなることもあります。「サイケデリック・マウンテン」では科学を追求する近未来の姿、一方「ハンチバック」はどんなにAIが進化しても理解できないだろう人間の持つ非合理性とでもいう姿、全くタイプの違う小説ですが、どちらもびっくりポンな衝撃作でした。
『サイケデリック・マウンテン』榎本憲男:著
ネタバレ少しあり!国際的な投資家・鷹栖祐二を刺殺した容疑者は、新興宗教「一真行」の元信者だった。マインドコントロールが疑われる。さらに第2、第3の同じような動機不明の殺人が続き、、、犯人はいずれも「一真行」の元信者。NCSC(国家総合安全保障委員会)兵器研究開発セクションの井澗紗理奈と、テロ対策セクションの弓削啓史は、洗脳解除を専門とする心理学者の山咲岳志のもとへ赴く。
榎本憲男という作家は初めて知りましたが、映画プロデューサーや脚本家を経て、作家になった人だそうです。
めちゃ面白い!ジャンル的には社会派エンタメになるのでしょうか?
日本は自衛隊が軍になっていて、武器輸出も解禁され、軍需産業こそが傾いた日本経済を立て直す設定になっている。NCSCという組織は各省庁からの寄せ集めで軍事・テロ対策を担っている。厚生省出身の井澗紗理奈はより優秀な兵士を作るため脳に作用する薬物を研究。それは共感を司るミラーニューロンの働きを抑えるしくみ。彼女と警視庁出身のテロ対策担当の弓削啓史の2人が主人公。この2人の恋愛未満の関係も面白いです。この薬物開発にからめて、脳と心の関係を主人公が考える部分など、難しいながらも面白かったです。
舞台は和歌山の山間部と東京を行き来し、かって世間を騒がせた宗教団体「一真行」、その近所で洗脳解除を専門とする心理学者山咲岳志とその助手、そこにある豪華すぎる老人ホームの謎。実行犯を操ったのはだれなのか?動機を探して、次から次へと最後まで中弛みなく読ませます。
第2章は最も意外な展開で、最初の被害者鷹栖祐二の生涯が描かれます。イエール大出のエリート投資家と思いきや、その壮絶な過去から現在にいたる彼の足跡が描かれます。過酷な少年期から富の偏在に対して「あるところからないところにちょっと移す」を目標にしてきた彼の人生が語られます。
終章は日本経済を立て直そうとする究極の合理主義的試みと、日本的な心情を作る風土の対立と私は勝手に読みました。確かに日本の山を…私だって抵抗はあるものの、同時にエネルギー輸出国になると色々な問題が解決するのか?と目からうろこでもありました。
杉だって植林したわけだし、ソメイヨシノだって明治期に大量に植えられたんだから、それもありかも?とちょっとそそられてしまいましたが、それは山の見える環境で育っていないので、山国日本人としての心情が理解できてないのかもしれません。
最後の著者後書きは22年3月なのですが、首相に関する展開はもしかしたら出版前に書き換えたんでしょうか?偶然だとしたら、このシンクロが怖いです。
印象に残ったのは、常に冷徹な科学者のヒロイン井澗紗理奈が最後に見せる科学への疑問、逆に弓削啓史は正義感あふれる好人物ですが、その共感力の高さゆえに、えっ?と驚く危うい展開になります。
この小説は殺人の動機を追いながら、いつしか社会や科学のあり方など、大きな話をエンタメとして無理なく取り込んでいきます。
気に入ったのは、それぞれの登場人物や出来事を善悪に分けずに書いてるところ。
肝心の実行犯を操った犯人は……内閣でもごく少数しか知らないことを知り得た展開は一応書いてあるものの、動機や真犯人を探すのは物語の牽引役としてあるだけの印象でした。そこよりも、脳と心、日本と世界、合理的手段と非合理な心情、経済的問題解決のために日本的風土を根本から変えることは許されるのか?など、読者各自が思わず考えてしまう物語でした。
『ハンチバック』市川 沙央 :著
井沢釈華の背骨は右肺を押しつぶす形で極度に湾曲し、歩道に靴底を引きずって歩くことをしなくなって、もうすぐ30年になる。
両親が終の棲家として遺したグループホームの、十畳ほどの部屋から釈華は、某有名私大の通信課程に通い、しがないコタツ記事を書いては収入の全額を寄付し、18禁TL小説をサイトに投稿し、零細アカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやく。
ところがある日、グループホームのヘルパー・田中に、Twitterのアカウントを知られていることが発覚し——。
話題の芥川賞が載っている雑誌を借りて読みました。
だいたい芥川賞って理解できないものが多いのですが、これは分からないながらも衝撃でした。
どういう風に衝撃なのかは各自読んでいただくしかないのですが、重度障害を持つ人の大変さは想像以上だ、という真面目な感想もまずはあります。
しかしそれよりも、彼女がこの作品の中で世の中に吐き出す悪態や皮肉がなんでか、一種爽快なんですね。
それは…まともな大人は言ってはいけない何かを、障害者という一種の免罪符をもって、露悪的に吐き出している感じもあるとも言えますけれども。
この小説はネット用語が多いので、意味が通じない言葉が多くて……それぞれのライフスタイルによって、これほど言葉が違う時代だのかな〜と、そこも新鮮でした。
この小説は一言で言うと、重要人物の田中さんのせりふ、「死にかけてまでやることかよ」。
主人公の行動はこの一言に尽きます。
この主人公の親世代に近い年齢の私などは、おいおい親が生きてたらどんだけ悲しむか、と正直呆れました。
(著者本人のご両親は健在なようです。主人公と同病であることから、つい重ねて読んでしまい、あくまでも小説なことをうっかり忘れそうになります)
それでも、死にかけてまでこんなしょうもないことをせざるえない主人公。その姿に、どんなにAIが進歩してもAIには理解できないだろう人間のしょうもなさにちょっと打たれた、というのが正直な感想です。
『天皇陛下の見方です』鈴木邦夫:著
今年の1月、79才でお亡くなりになった鈴木邦夫氏の著書。
鈴木邦夫ってだれ?と思う方も多いでしょうが、若い頃、三島由紀夫の自決に衝撃を受け、三島とともに自害した森田必勝が友人だったことから右翼団体「一水会」を作った人です。鈴木氏の世代は学生運動が盛んな頃。そんな中で右翼な鈴木さんは完全に少数派。
一世代下の私の世代はお嬢様ブームでバブルに向かった時代ですが、なぜか私の通った3流大は学生がバリケード組み機動隊が出動、年度末試験が中止。大学の門の前でアングリした記憶があります。
そもそも左右盲の私には右も左も関心外ですが、お年を召されてからの鈴木さんがTVに出ているのを見て、「なんてまともな人だろう」と好感を持ち、どんな人だろうと図書館に予約。意外にも予約がいっぱいの人気本で、ずいぶん待たされてようやく順番が回ってきました。
読後の印象はTVで見た通り、バランスのいい温厚な人という印象です。正直、天皇に対する思い入れの深さは理解できませんが、偏っている団体、政治というものに怒り、今の世の中を心配しています。
まず怒りの矛先は在特会という団体で、在日の人に対する暴言を中心に、8月6日に広島で「原爆ドームと平和公園は永久粗大ゴミとして更地にしましょう」とかデモしてるそうで、過激なお笑いパフォーマンスかと驚きました。序盤はこういう団体を、あんなのは愛国でも右翼でもないと元バリバリ右翼の鈴木氏はあきれています。
つぎに怒りの矛先は安倍政権。安倍さんは右側の人と思いきや、鈴木さんから見るとアメリカに追従し、愛国を上から押し付け、天皇陛下に対する敬意が足りないと怒っています。
中盤は日本の明治以降の近代史と天皇の歴史に多くのページを割いています。
私の祖父たちは明治生まれですが、昭和天皇に対する謎的な崇拝がありました。祝日に日の丸を門に立てるのはいいとして、大人になって疑問を持ったのは、父方の祖父は長男を戦争で亡くしています。それでもなぜ天皇に対する敬意を持ち続けられたのか?謎です。鈴木氏は戦争責任は昭和天皇にはないと、さまざまな資料や証言から、昭和天皇はあくまで憲法に従う立憲君主でありたかったが、軍部の暴走に利用され苦悩の日々を送ったと言っています。でも国の最高責任者だったんですよね?
しかし沖縄に米軍基地が集中している件に関しては、明確に昭和天皇に責任があると言っています、天皇みずから米国に沖縄に米軍を駐留してほしいと訴えたそうです。
理由は、終戦直後、日本のトップがみんな投獄されてしまい、天皇自ら政治的判断をしなければならなかったこと。昭和天皇は頭がよくリアリストだったため、政治的空白期に日本を他国から守るための決断で、天皇が一番おそれていたのは、弱っている日本にソ連が介入してくること。
戦後70年以上、日本が平和を保てたのは、憲法9条のおかげではなく、米軍が駐留していたからだそうです。平和主義の私としては、憲法9条のおかげもあったと思いたいところですが。
昭和天皇が直接、米軍を日本に駐留してほしいと頼んだという事実は初めて知りました。昭和天皇って神様扱いされてたのに、ちゃんと現実を見れるリアリストだったことに驚きました。
しかし昭和天皇は(この時期には必要な決断だったとはいえ)沖縄は戦場になり、戦後も負担を強いられていることをずっと気にかけていたそうです。しかし昭和天皇には沖縄を訪れる機会がなく、平成天皇がその思いを継いで幾度も沖縄に慰霊に出向いたそうです。
平成天皇は常に傷ついた民の心を思い、祈る人としての役割を追求してきた天皇だそうで、これは森達也氏の『千代田区一番一号のラビリンス』と全く同じことを言っています。この森達也という人はバリ左翼の人だそうですが、読んでて「この人、本当に平成天皇が好きだなぁ〜」というファンがその推しを主人公に書いた小説の印象でした。右からも左からも慕われる平成天皇は柔和そうな印象の裏で、非常な覚悟を持って天皇の役割を追求してきた人なのが分かりました。
平成天皇は憲法の中の「象徴としての天皇」についてずっと考えて続けてきたそうで、結果、平成天皇は民に寄り添い、さまざまな慰霊の場に出かけ、祈る人としての天皇こそが、明治以降の短いスパンでなく、もっと長い歴史の中の天皇としての役割だと見出します。平成天皇自ら記者会見で「大日本憲法下の天皇よりも、日本国憲法の天皇の役割である象徴天皇の方が長い歴史の伝統的な天皇のあり方に沿っている」と発言したそうです。しかし、この辺が戦前のシステムが好きな安倍政権はカチンと来たようで、この天皇の発言をディスった安倍ブレーンのことを鈴木氏はめっちゃ怒っています。
とはいえ、鈴木氏も若い頃はだいぶバカやったようで、一番笑ったエピソードは…
鈴木氏の右翼団体は敵とみなした左翼系文化人宅に嫌がらせ電話をしていたそうで、井上ひさし氏は9条を守る会の創設メンバーのため嫌がらせ電話のターゲットになります。しかし出た本人、「あっ右翼の方ですか?私、戦中派なんで歴代天皇の名前を言えます。今から言うから間違えたら指摘してくださいね」といきなりジンム、スイゼイ、と始め、面食らって電話を切ってしまったそうです。でも悔しくて再び電話し、こんどは電話に出た妻を恫喝してやれと思うも「ねえねえ右翼の人って朝食にパンと紅茶とか絶対たべないの?」と質問攻めに会い、やはり負けてしまったそうです。右翼団体の活動が嫌がらせ電話って……在特会のこと言えないじゃん、と呆れましたが、自分でも反省しているようです。だから右翼の先輩として、今時のウヨクを心配しているのでしょうか。
鈴木氏は今時のネトウヨには違和感が大きく、自らはもはやウヨクではなく天皇主義者だと名乗っています。私は天皇には興味も崇拝もないけれど、この独特の形態を持つ一家は不自由極まりない生活を強いられてるわけで、しかし同時に普通の人でもある。そんな家に生まれた大変さ、ましては民間からそういう家に嫁いだ大変さは想像はできるため、そこに自分達と同じ感覚を持ち込んで非難することに違和感があります。
だから鈴木氏が美智子さまや雅子さまを批判するマスコミやネットの声に怒るのも分かる気がするのです。なぜって彼らは反論できない立場にあり、反論できない立場の人たちを好き勝手に証拠もなく罵るのは、フェアでないと思うのです(2017年の本なので眞子さまの件には触れていませんが、もう少し後ならきっと言及したと思います)
私が鈴木氏に共感を覚えるのは、社会的ハンディのある人にヘイト発言したり、反論の機会のない女性皇族を罵る週刊誌に違和感を持つからです。「弱きを助け強きをくじく」って言葉はあるけど、「強きを助け、弱きをくじく」になっちゃうのは違うぞと鈴木氏は言ってます。私自身、高齢者、ガンサバイバーで弱者ですから、弱きをののしる人にはなりたくないと思うのかもしれません。
人には各自が「まとも」と思う感覚にズレがあり、その範囲の近い人同士、共感を感じるものだと思います。まさにこの鈴木氏の感覚は私から見て「まとも」に思えるのです。同時に嫌がらせ電話をされた井上ひさしの返しにも感心しました。立場的には真逆ですが、映画『三島由紀夫vs東大全共闘』を見た時、完全アウェーの中でユーモアを失わず相手に敬意を持ち、大人としてふるまった三島由紀夫にも通じる気がします。
それなりに有名人だった鈴木氏ですが、生涯独身で財産はなく、亡くなった時も小さなアパート暮らし。昭和の大人がまた1人いなくなりさみしく思いました。
『ネット右翼になった父』鈴木大介:著
社会的弱者に自己責任論をかざし、嫌韓嫌中ワードを使うようになった父。
コミュニケーション不全に陥った親子に贈る、失望と落胆、のち愛と希望の家族論!
これまた話題になった新書で、ずいぶん待ったのち図書館から回ってきました。よりによってウヨク関連本が2冊の読書メモ。誤解されると困りますが、私、ウヨクには全く関心ありません。
これは末期癌で70代の父を亡くしたフリーライターの著者による、自分の父はどういう人間だったのか、を探っていく物語です。
この父親は前述の鈴木邦夫氏と同世代。やはり学生時代左翼全盛の時代で、当時から保守的な彼は左翼に対して反感を持っていたそうです。その辺も鈴木さんと同じかな?
出だしは晩年ネトウヨのような言動が目立った父に衝撃と怒りを持ち、父の死後その思いを「デイリー新潮」に寄稿。それが反響を呼び、その後、きちんと父に向き合って探っていくと、最初思ったようないわゆるネトウヨでは父はなかった。さらに探っていくと、幼い頃を除いて父と分かり合えなかった関係が見えてくる、さらに父が大人になった著者に歩み寄ろうとした頃の自分自身の抱えた問題が見えてくる、、、という機能不全家族の回復物語でした。
最終的に父に対するすまなさと、愛すべき父の姿に涙する辺り、今年父を亡くした私としても共感する部分は多くありました。著者は間に合わなかったけれど、多くの団塊世代の断絶した親子に、生きているうちにわかり合ってほしいという著者の願いは伝わりました。
この著者は女性差別や社会的弱者に対する差別に敏感で、非常に怒りを感じる人なので、父の言動に自分の怒りを駆り立てられすぎて、全く父親を冷静に見れなかったことを反省しています。
この本の中に「日本人の価値観調査」という項目があって、これをチェックしてみると私は自分で思ってるほどリベラルじゃないことに気付かされました。
親子って案外難しいものですね。この著者も母との関係は良好なので、親子といえども同姓同士はむずかしいのかもしれません。
私も、父はあまりにマイペースな変人なので他人に自慢できる人ではありませんが、私との関係は問題なし。対して若い頃はわがままな母にはムカつくことが多かったです。とはいえ今はボケてしまったので、しょうがないですべて済ませられます。
ボケ方にもいろいろあるでしょうが、母は元々思ったことをストレートに口に出すタイプ。ボケ方も子ども帰りしたタイプで、先日も久しぶりに一緒に出かけ外食したのですが、エレベーターに乗れば、同乗してた茶髪の若い女の子に「あなた外人さん?」。歩いている時、脚が痛いと言うので肩を貸してやったら、大声で「今、私は歩いていない、歩かされている!」と叫ぶので、周囲の人がいっせいに振り向いて、大恥かきました。このバーさん、ほんと勘弁してほしいわ。