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『ブータン 山の教室』監督:パオ・チョニン・ドルジ

cinema
04 /14 2021
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ブータン王国北部にある、標高4,800メートルのルナナ村の学校を舞台に描く人間ドラマ。自らの意思に反して都会からへき地の小学校に赴任した教師と、村人や子供たちとの交流を映し出す。


まずブータンの首都が中途半端な都会で、主人公のウゲンはずっとイヤホンしたまま。同居の祖母を鬱陶しがる今時の若者。教職課程を取ったもののやる気なく、クラブで友人と騒ぐ姿は日本と変わらないことに驚きました。役所に呼び出された時や、山の学校で先生やるときだけブータンの民族衣装を着るところがせめてもブータンらしさ。
主人公ウゲン、日本にごまんといそうな顔立ち(サッカーの香川似)で、オーストラリアで歌手になりたいと言っている。そんな彼がブータンで最も辺境の地であるルナナ村に転任するよう命じられ、オーストラリア行きのビザが下りるまでの辛抱と仕方なく承諾。1週間以上かけてようやくルナナ村に到着する。しかし電気も水道もない想像以上の僻地に、着くなり自分は無理だから帰ると言い出すヘタレ君。
ブータンで最も辺境にあるということは、世界で一番辺境の学校ということ、というセリフが出てきますが、確かにルナナ村までの道がすごすぎる。これは帰りたくても一人では絶対帰れない。地図で見ると、小さな国だし首都ティンプーがある県と赴任先のあるガサ県は県境を接しているにもかかわらず、辿り着くのに8日間かかる。バスの終着点ガサ(一応ここまでは携帯が使える)から1週間も野宿しながら、ひたすら山道を徒歩で行く。途中、何ヶ所かで標高と人口が文字で出るのですが、標高〇〇m人口3人とか、標高5500m人口0人とか。
目的地ルナナ村は標高4800m、人口50人位?生徒は10人足らず。住民はヤク飼いがほとんどの様子。
村人総出で出迎えの大歓迎。村の子供や村長が言う「先生は未来に触れることができる」という言葉。子供たちは学びたくて目がキラキラしている。
これ、日本のモンスターペアレントに苦労している若い教師が見たら、赴任したくなる人いるかも?と思うくらい、子供たちの教師に対する全面的な信頼感。村人たちの教師に対する敬意。やる気ゼロの主人公でさえも、教えることの喜びに目覚めます。
主人公ウゲン、歌の上手い若い女性セデュ、村まで案内してくれるミチェンはキャストですが、プロの役者ではなくこの映画で俳優デビューだそうです。それ以外、子供たちもみんな現地の子で、味のある村長は本当の村長なのかな?
現地の生活はヤクに支えられ、燃料もヤクの糞。村人全員が歌がうまい。というか娯楽は歌を歌うことくらいなのかもしれません。「ヤクに捧げる歌」というブータンを代表する民謡が繰り返し歌われるのですが、青い空、白い山々が聳える高地で歌われるその歌声が素晴らしく、内容は山やヤクに対する感謝、素朴な生活に満足する「幸せ」をその歌詞から感じます。
同時に片時もスマホ(携帯?)を手放せない都市の若者ウゲンはすでにブータン人の「幸せ」を失っているとも見えます。
美しく素朴なだけではない、ブータンの抱える現在の問題を描いた映画でした。村長はオーストラリアに行くというウゲンに「ブータンは世界一幸福な国と言われるが、若者たちはその幸福な国から出て行ってしまう」と嘆きます。

この映画を見て、『ラダック 懐かしい未来』(2019.9.11)という本を思い出しました。ヒマラヤの辺境インド、ラダックでの暮らしがとても環境循環型であり、相互協力的で、人間関係にストレスが少なく、先進国に比べ人々が幸福であると、この地に長年住んだ人類学者は確信します。しかし観光化により急激に資本化され、同時に人間関係も変容し、人々は自分たちの生活が遅れていると恥じるようになります。
人間の不幸とは比較から生じると思いました。
ネットやTVで他国の豊かな暮らしを知ったブータンの人々は、この先、どうなっていくのか?
一番心配なのは、可愛い学級委員長の女の子やあの村の子供たち、世界で公開されたこの映画によって注目され、そのことが彼らを不幸に導かないことを祈りたくなりました。




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『人類と気候の10万年史』『地学ノススメ』『日没』& お花見

book
04 /10 2021
今年は桜が早いですね。
ご近所及びちょっと足を伸ばして近場の桜を、お散歩しながら見て回りました。新緑もきれいです。
毎年、次々と花が咲くこの時期は心浮き立つ季節です。猫の額の我が家の庭も花盛り。リカちゃんハウスみたいなミニミニ仏壇に花を欠かさないようにしてるのですが(信心深いわけでも、義父母想いだったわけでもなく、花をわざわざ飾るスペースもないので、仏壇に花があるだけでちょっと気分上がる、というのが本音)その花をわざわざお金払って買わなくても庭の花だけで調達できる(写真6番目)のがとても嬉しい、というセコい喜びがあります。

と書いてアップするの忘れ、現在4月10日。
なんと藤の花も、八重桜も、モッコウバラも満開。ハナミズキまで咲いてる!久しぶりで行った実家の庭がジャングルに!(写真9)
私の記憶ではソメイヨシノが入学式の花(4月上旬)、八重桜は4月下旬、藤やハナミズキは5月の花だと思っていたのに!どうなっているのでしょう?

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『人類と気候の10万年史』中川毅:著
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副題に「過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか 」とあります。
福井県水月湖に関心を持ち、「時を刻む湖」と同じ著者の第2弾も読んでみました。「時を刻む湖」は福井県水月湖の湖底に積もる地層=年縞が「世界標準時計」となるまでの道のり。そもそも古代のものってどうやって年代を特定するのか?放射性炭素年代測定法の記述が多く、水月湖自体への内容はこちらの本の方が詳しいです。
この本では、水月湖の年縞に含まれる花粉を調べて、その時々に湖の周辺に生えている植物を特定します。そこから当時の気候がわかるという話。な〜るほど!ポン!という感じ。
太古の風景を11~12万年前、2~3年前、5500年前と当時の植生から風景画を再現しているところなどワクワクします。

地球は大きく10万年毎に氷期を繰り返しているそうですが、その理由は地球の公転軌道が楕円の時は温暖期で正円に近づくと氷期になるんだそう。間氷期という名前から分かるように、基本地球は、氷期の方が長いのです。さらに10万年より短期スパンでも温暖と寒冷の繰り返しをしているのですが、一番最近の氷期の終わりは1万6千年前ほど。なんとこの時は今の温暖化以上に急激に、わずか1〜3年の間に7度も気温が上がったそうです。この氷期の終わりがこのように突然終わったということは水月湖以外にも、グリーンランドの氷床(6万年分の雪が固まった氷の層)も証明しており、世界同時に氷期が終わりを迎え、その後今日まで温暖期(間氷期)が続いているのです。この短期スパンの繰り返しで見れば、そろそろ氷期に入ってもいいはずですが、今はご存知のように温暖化が問題になっています。ところがわずか数十年前の1970年代には、寒冷化の方が問題になっていたそうです。
氷期の特徴はずっと寒いわけでなく、毎年のように気温の変化が激しいことがあります。現在に続く温暖期(間氷期)に入ってからはその温度変化が少なく、そのことに「縄文の終わり」=「稲作の始まり」の原因を著者は見ています。
気温の変化の激しい時には、植生も、獲れる動物も変わる。しかし狩猟採集ならば、その時々でなんらかの食料を確保できます。稲作のように単一の作物に食料を頼ると、気温の変化についていけない。これは1993年の米の大不作を思い出すと分かります。あの年初めて私はタイ米を食べました。
あの1年で終わったからいいけれど、これで数年おきに大不作になったら、確かに農業はリスクが大きいことが理解できます。人口が少なければ狩猟採集の方が合理的という考えは分かります。
縄文人は栗の木を栽培していたらしいし、稲作を知らなかったというより、安定した気候になるまでは始められなかった、というのが著者の考えです。
縄文人は周囲の環境の変化に応じて、その時々あるものを食べて生きていく。それに比べて弥生になって稲作に食料を頼るということは計画的、安定志向ということだから、逆にいうと変化には弱くなったとも言えます。
今の日本がコロナに際して、右往左往してしまうのはやっぱり長年の稲作民族のせいでしょうか?
ここで私は縄文好きの友人を思い出しました。
その友人には「矢でも鉄砲でも持ってこい」みたいな雰囲気が常日頃からあります。
バブル崩壊後の日本は震災はじめ自然災害も多く、経済もかっての右肩上がりは望めません。
ここは一つ、我々の中に眠る縄文人の血を呼び覚ます時かも?となぜか地質学の本を読んで、思ったのでした。

『地学ノススメ』 鎌田浩毅:著
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宮本常一の日本探訪から、水月湖に立ち寄ったところで、アマゾンのリコメンド機能だかアルゴリズムだかのいいカモになり、ついついおすすめしてくる本の解説が面白そうで買ってしまいました。
次なる読書は「地学のススメ」です。そもそも地学って何?と言うくらい、興味もなければ知識もなかった世界なのに、60過ぎて何にハマるか分かりません。60過ぎてホストクラブにハマるより実害もないし、まあいいとしましょう(笑)
そもそも地球ってどんなもんか初めて知りました。
真ん中が核(内核ー固体、外核ー液体)、その周りがマントル(下部マントル(内側)上部マントル(外側))があって内側が少し硬くて、外側は柔らかい。で、一番表面の地殻は硬い。で、プレートは地殻とイコールと思いきや、上部マントルの一部と地殻を合わせたのがプレート?なんでそんな中途半端に分類する?

地球って意外とダイナミックに動いているんですね。
一つの大きな大陸だったものがバラバラになり、再び寄り集まって……と意外や何度も動き回っていたんです。このプレート運動は40億年ほど前からあるそうです。20億年前頃あった超大陸ヌーナが分裂始めて、バラバラになって、再び動いて集まってと・・まるで生き物!?この大陸は動いてる(プレート・テクトニクス説)って発見されたのはまだ20世紀初めのことなんです。ドイツのウェゲナーさん、世界地図見てて、あれ南米とアフリカってくっつけるとぴったりじゃん?と気がついたそうで「プレートは動いてる」って発見しちゃうんだから、科学者ってどういう頭してるんでしょうか?
一番新しい超大陸パンゲアは、一塊りだった大陸の真ん中辺から超巨大噴火によって分裂(2億5千年前)。
一塊だった大陸の地下から吹き出したマントルで真ん中から別れて広がったのが大西洋。ここが中央海嶺と言われる場所では今も地下からマントルを吹き出し新たなプレートが作られている場所。左右に別れて動いて最終的にプレート同士が重なって入り込んでいる場所が沈み込み帯と言われる中央海嶺の反対側で、ちょうど日本の真下辺り。太平洋プレートとフィリピンプレートの2つの海洋プレートとユーラシアプレートと北米プレートという大陸プレートのなんと4個のプレートの上に我らが日本はあるわけ。世界で約10数枚なのに(プレートの数え方は14~5枚?)そのうち4個が重なった場所にあるんだもん。地震が多いのも無理ないのね。日本の面積は世界の大陸の400分の1、なのに世界中で起きる地震の10分の1が日本で起きてるんですって。
そんなわけで、海洋プレートが大陸プレートに潜り込む形でどんどんプレートの端切れがマントルに入り込んでるんですが、その後そのカステラ、じゃなくてプレートの切れはし、どうなると思います?どんどん溜まっちゃって(プレートの墓場)その後長いこと漂ったのち、核近くまで下降、これをコールドブルーム、反作用でゆっくりと核付近から熱い塊が上がってくるのがホットブルーム。このように地球内部で対流が起きてるんだそう。もうねえ半端ない巨大な地面の切れ端が日本の下でこんなことやってくれちゃってるわけ。想像しただけでめまいがして、ここ読んだ後寝たら変な夢見てうなされましたよ、私(笑)
先ほど超大陸パンゲアが分裂して、ヨーロッパ、アフリカ大陸と南北アメリカ大陸に分かれたといいましたが、南の方では南極とインドとオーストラリアがくっついていた状態から分裂して、年に10〜20cmのスピードでインド大陸がユーラシアにぶつかって盛り上がったのがヒマラヤ山脈。今でも同じ方向に押してるんで、ヒマラヤは毎年5mmほど高くなり続けているんだそうです。
ところで、太平洋プレートは日本側に向かって沈み込んでるわけですから、そのうちハワイがご近所になるでしょう(注:本書にはそんなことは書いてありません)
ところで隕石の衝突による恐竜絶滅(6500万年前)は有名ですが、他にもこの2億5千年前なんて巨大火山爆発で太陽光が届かなくて地球上の生物の95%が絶滅したらしいです。
でもこの本でもっとも現実的な恐怖は第8章の日本列島の地学。この章は冗談抜きで、日本てなんという場所にあるんだろうか…と改めて頭を抱える気分になりました。
現代の科学では地震予測は不可能なようですが、次に来る西日本大震災はなんと!まだ来てないのに正式名称が決まってるそうです。いわゆる南海トラフが震源となる地震は、唯一確実に予報できる地震だそうで、極めて周期的にくるんですって。時期はこの先生の予想だと’30年代後半だそうですが、遠くない将来、確実に来るそうです!皆さん、備えましょう。
最終章は巨大火山噴火の話。日本列島には110の活火山があり、東日本大震災以降、活発化しているとか。大地変動期に入った地球。しみじみ地球って生きてるんだな、と思います。



『日没』桐野夏生:著
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久しぶりの小説です。それも桐野夏生!図書館からやっと順番が回ってきました。
一気読みしましたが、小説として面白いかというと「?」です。
「文化文芸倫理向上委員会」略してブンリンなる政府組織から呼び出されたマッツ夢野という40代女性小説家が主人公。彼女は断崖に建つ海辺の療養所へと収容される。そこにいる職員たちは皆アスリートで、過激な性愛描写や、政府批判する小説家たちに「社会に適応した小説」を書くよう命じてくる。
これは桐野夏生自身が今の世の中にこれほどの脅威を感じていることの現れだと思います。ですから小説としての面白さよりも、ほとんど私的ホラーのように読め、読んでいるとどんどん彼女の恐怖が伝播してくる印象です。
食べ物の話が多いのは、やはりそれが人間にとってのリアリティを呼ぶ恐怖だからかもしれません。
(話はそれますが、私の姉はとっても食い意地が張ってます。そのため、主人公が食べ物を求め飢えている「戦場のピアニスト」はどんなホラーよりも恐ろしかったそうです)

私は夫はじめ周囲に保守的な人間が多かったので、保守的な人間の良さも分かるつもりです。安定志向で家族や身近な人間関係を大事にし常識や伝統を重んじます。例えば今でも町内会の班長とか順番に回ってきます。神社の草取りとか参加させられるわけ。正直めんどくさいなぁ〜と思いますが、きちんと参加します。そんなことに意味はないと言って、どんどん古い習慣をやめていけば、自由で快適な社会になるとも思えないしね。市民社会には案外頭の固い保守的な人間が必要だと思います。私自身もけっこう保守的なところがあります。
が、しかし!またまた言っちゃうけれど「あいちトリエンナーレ」ね!
この時の騒動には心底、え?えええ〜!?と驚いたのです。
うちの夫も名古屋市長と同じこと言いだすし。そんなバカな話ってある?と私は一人驚きつつ恐怖を覚えました。
だいたい市長の仕事って市政なはず。何で市長の好みで現代美術にまで口出すわけ?と。
私個人は現代美術なるものはさっぱり理解できないし興味もありません。だから何が出品されようと自分の生活には関係ない。だからと言って、政治家が自分が理解できない芸術まで自分の趣味で検閲し出したら、どんだけ文化の幅が狭くなることやら?と心配する程度に社会性はあるつもりです。
十分保守的な私でもトリエンナーレの騒ぎにはびっくりしたのだから、桐野夏生は安倍政権以降の流れに恐怖を感じてこの作品を書いたのだと思います。
これはミステリーではなく(ミステリーとして出来がいいのか疑問)、桐野夏生にとってのリアルなホラーとしか読めませんでした。
きっと作家や芸術家は炭鉱のカナリアのような人々で、世の中の不穏な空気をいち早く察知しているのではないでしょうか。


『ノマドランド』監督 クロエ・ジャオ

cinema
03 /31 2021
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「スリー・ビルボード」のオスカー女優フランシス・マクドーマンドが主演を務め、アメリカ西部の路上に暮らす車上生活者たちの生き様を、大自然の映像美とともに描いたロードムービー。ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」を原作に、「ザ・ライダー」で高く評価された新鋭クロエ・ジャオ監督がメガホンをとった。ネバダ州の企業城下町で暮らす60代の女性ファーンは、リーマンショックによる企業倒産の影響で、長年住み慣れた家を失ってしまう。キャンピングカーに全てを詰め込んだ彼女は、“現代のノマド(遊牧民)”として、過酷な季節労働の現場を渡り歩きながら車上生活を送ることに。毎日を懸命に乗り越えながら、行く先々で出会うノマドたちと心の交流を重ね、誇りを持って自由を生きる彼女の旅は続いていく。(シネマトゥディ)

基本事前情報なしで映画を見ますが、それでも何らかの情報は入ってくるわけで、ある程度の予想を持って見ましたが、考えていたものと違いました。

1点はもっとストーリー性のある映画だと思っていたら、ほぼドキュメンタリーのようであったこと。実際主人公ファーンと出会うノマド民の人々が役者ではなく本当のノマド生活者。『ノマド 漂流する高齢労働者たち』というノンフィクションが原作だそうです。
2点目はリーマンショックをきっかけにノマド生活を始めることや、Amazonで季節労働者として働くことから、アメリカの歪みを描いた社会派映画だと思った点。
もちろんそういう点はあるのですが、私の印象ではある種の清々しさ。孤独と隣り合わせの自由。だからこそ同じノマド生活者との出会いはあくまでも優しく美しい。足の引っ張り合いや嫉妬にはならず、助け合い、手を貸し合うが深入りはしない。それでも主演フランシス・マクドーマンドと並び、数少ない役者のデヴィッド・ストラザーン演じるデイブが息子のもとに戻り、孫の世話をしながら、立ち寄ったファーンにここに一緒に住まないか?と持ちかけられた時、迷いはあったと思いますが、明け方そっと出ていくファーン。

この映画は見る人の年齢や性格でずいぶん評価が違うと思います。
惨めな生活に見える人もいるかもしれないし、この暮らしを羨ましい、と思う人も絶対いるでしょう。
正直、体力と運転技術に自信があったなら私もノマド生活やりたい……、いや、そんな甘い生活じゃないことは百も承知ですが。正直いうと、この映画見てる時、やっぱり車もう一度運転するぞ〜!と思ってしまったほど。
数年前、私は車を捨て、以降どこに行くのも公共交通orママチャリor徒歩。おかげで腰痛も治り良いことづくめ。でも難点は持てる荷物が少ないこと。そこいくと、ファーンのように思い出の品を詰め込んで、広大な大地を旅から旅へ・・・(妄想に浸る)
(が、ここで現実に気が付く)これ、だだっ広いアメリカだからいいんですね。日本だと変なところに車停めてたら即警察に不審者として通報されそう。(急に妄想から覚める)
でも、これ、放浪癖のある老人に見せたらまずいんじゃ?と思うくらい刺さる人には刺さります。私は刺さりました(涙)

フランシス・マクドーマンドが本当によくて。ファーンは決して強いだけの女ではなく、夫との幸せな生活にしがみついてるのだ、と後半理解できます。その強くたくましく自由で孤高でありながら、同じように弱く執着を手放さない。彼女を見ていると、映画のハッピーエンドでよくある前向きさが単純な記号を表しているだけに思えます。人間はそんなに一面的ではないし、この映画には女優は存在せず、ファーンという強くて弱さも持つ女性がいるだけです。
それから肺がんが脳に転移していたスワンキー(本当のノマドの人)、彼女が自分の人生をファーンに語る内容も素晴らしい。見てきた大自然の話。中でもアラスカの燕の巣の壁の話。ああ、死ぬ前にもう一度見たい絶景が私にはあるだろうか!?と思わず記憶を辿ってしまったほど。
大した絶景ではありませんが、やはり若い頃は感性が柔らかかったのか、当時は地元の人しか知らない北海道野付半島のある場所を探し当てて辿り着いた時、私と友人しかいないその場所で、頭の後ろがス〜とするような不思議な感覚がありました。摩周湖も展望台から見てるんじゃつまらんと反対側に回って、崖を滑り降り湖に足を浸したときにも同じ感覚が。(これは危険なので絶対マネしないでください)絶景ハイ?とでもいうんでしょうか?もはや感性が鈍りすぎて、とんでもない場所に行かないと、あの感覚は蘇らないかもしれません。
個人的には若い頃の放浪癖が目覚めそうなある意味、ヤバイ映画でした。

肝心のストーリー的には結構、後ろ向きな内容とも見えます。
ファーンは企業城下町のいい時代に愛する夫と幸せに暮らしていた思い出にしがみついています。そのため同じノマドやるのでも季節労働するのでも、もっと気候の良い南の方へ行けばいいものを、今は郵便番号もなくなり無人になった街の側から離れられないのですから。それでもノマド生活を送り、多くの人との出会いを経て、実際のノマドの教祖的存在ボブ・ウェルズが彼女に言います。「最後の別れの言葉を交わす人なんて誰もいない。「いつかどこかでまた会おう」とだけ言うことにしている」またいつかどこかで会える。夫との思い出にしがみついていたファーンはこれをきっかけに、ガレージのものを処分、思い出の街を後に旅立つところで終わります。
起承転結が好きな人にはお勧めしませんが、個人的には素晴らしい映画でした。





『ミナリ』

cinema
03 /24 2021
2021年桜も咲き、もうすっかり春だというのに、映画館で見た映画がやっと2本目。実家の両親プラス寝たきりワンコの介護をしていた時でさえ、もう少し見てたかも?コロナで引きこもり生活が長引き、どんどん出不精になっています。暑い夏が来る前に、もう少しフットワーク良くしなければ。

『ミナリ』監督:リー・アイザック・チョン
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1980年代、韓国系移民の"イ"一家は、アメリカ・アーカンソー州に移住。荒地に置かれたトレーラーハウスに住む。夫婦はひよこの雌雄鑑別場で働きながら、夫は荒地を開墾。韓国野菜を栽培し農業での成功を夢見る。妻はそんな夫に不安を感じ夫婦喧嘩が絶えない。韓国から呼ばれた妻の母に二人の子供の面倒を見てもらい、心臓の悪い弟デビッドは口の悪い祖母と徐々に絆を結ぶ。夫の農業は干ばつや、あてにしてた取引先の裏切りなど窮地に立たされ、妻は夫と別れる決心をした時、さらなる試練が一家を襲う。

会話はほとんど韓国語、出演者、監督も韓国系。しかしこれは「ムーンライト」など作家性の高い作品で有名なスタジオ「A24」とブラッド・ピットがプロデュースのアメリカ映画なんだそうです。
「パラサイト 半地下の家族」のような衝撃的な映画では全くなく、どこか懐かしい古い日本映画を見ているような気分になりました。
主人公の夫婦が韓流に出てくるような華のある美男美女ではなく、子供たちも含めてとてもリアリティがあります。韓国から呼ばれる妻の母が一番トリッキーなキャラクターで、幼い子供に花札を教え、柄悪く毒舌、心臓が悪く走ることも制限されている孫に平気で山道を歩かせます。
韓国移民はレーガン時代の’80年代から爆発的に増え、現在に至っているそうです。’80年代の韓国というと思い出すのはポン・ジュノ監督の「殺人の追憶」で描かれた時代。夜間外出禁止も出ている暗い時代だったようです。
夫婦はどういう事情でアメリカに移民してきたのかは説明はありませんが、夫は韓国での日々は辛かったとこぼします。そして一旗あげて裕福になりたい。しかし妻は堅実に生きたい。妻は不安から苛立ち、夫婦喧嘩は絶えないものの、肩を痛めた夫の髪を洗ってあげるシーンや、ささやかな場面にこの荒野で一家で生きていかなければならない絆も感じます。
思いがけず子供の病気が好転し、野菜の取引先も見つかりハッピーエンドかと思いきや、妻の気持ちはさらに離れ、別れる決意をした時、さらなる試練が彼らを襲い……、
この地味な映画がアメリカのサンダンス映画祭でグランプリと観客賞をとったというのは、意外でもあり、なんとなく分かる気もします。個人の自由を重んじ家族という単位がいともたやすく分解するアメリカにあって、このラスト。家族の絆というとありきたりですが、荒波の中に放り込まれ、生き抜くためにもう一度やり直す。そんな覚悟を妻の微笑みに感じました。

ミナリって何かと思ったら、セリのことです。セリは根っこ付きのを買ってきて、根っこをプランターに植えておいたら再び伸びてくる、なかなかたくましい野菜です。この地に根を生やし生きていこうとする移民の一家のたくましさを表しているのでしょうか?
それから印象に残ったのはひよこ工場で、黒い煙が上がっているのを息子が父に「あれは何?」と聞く場面。なんとオスのひよこを燃やしているんだそう。ひえ〜かわいそう!父は息子に「オスは卵も産まず肉も美味しくない。だから男は役に立たなきゃならない」と教えます!何という教え!男はつらいよ(涙)
アーカンソーの田舎は緑が豊かで、特に祖母がセリを植えたせせらぎが美しい映画でした。

『太陽の蓋』『嘘八百 京都ロワイヤル』『ラスト・ディール』

cinema
03 /19 2021
『太陽の蓋』監督:佐藤太(2016)
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東日本大震災を題材にしたドキュメンタリードラマ。東日本大震災とそれによる福島第一原子力発電所事故が発生した2011年3月11日からの5日間を首相官邸内で対応に当たった者たちと東京・福島の人々を対比させて映す(シネマトゥディ)
震災5年後に作られたこんな映画があったんですね。wowowで観ました。
『Fukushima50』は現場のドラマでしたが、こちらは原発事故が起きてから官邸の5日間の話。登場人物は実名で、当時の部分と、1年後に記者が当事者にインタビューして当時の状況を振り返る2構成からなります。
主演は官邸詰め記者、北村有起哉。この映画だと東電は官邸に情報を出さず、何が起きてるのか分からず、そのため菅首相が現場に乗り込んだことになっています。現場は混乱の最中、いきなり首相にこられていい迷惑だったと想像でき「Fukushima50」では悪役扱い。しかしこちらでは情報が上がってこないため、現場や本社に乗り込んだことになっています。どちらが真実だったのか分かりませんが、Fukushimaで佐野史郎、こちらでは三田村邦彦という配役を見ても、首相の描き方は微妙に異なります。とはいえこちらも首相をヒーローに描くつもりはなく、未曾有の事態に右往左往する政権の姿は(こんな言い方は不謹慎ですが)ゴジラが出てこない「シン・ゴジラ」のよう。
しかしどちらの映画も現場の人の責任感の強さは讃えており、非番なのに現場に駆けつけた若い職員が、5年後、記者の質問に「酪農家がこの事故のせいで自殺したと聞いたから、自分たちは最後まで責任を取らなければ」と言います。
この中で北村有起哉にレクチャーする原発関係者?が出てくるのですが、最悪のシナリオは首都圏まで人が住めなくなるというもの。そして本当にたまたまラッキーで偶然水が入ってメルトダウンしなかったことを説明します。Fukushimaの方はイマイチなぜ突然止まったのか?はっきり描かず、まるで現場の英雄的活躍でメルトダウンが止まったかのようにミスリードしかねない演出でした。こういうアンフェアがどうも苦手なので、娯楽要素は少ないけれど、「Fukushima50」よりは事実に対してまだ謙虚かな?と思われます。
さらに、福島原発では廃炉の見通しも立たず、もし何かあったら今度こそ日本に人が住めなくなる可能性を指摘します。核分裂って止められない?今もぶっ壊れたそこで、核分裂は続いていることをうっかり忘れそうになっていました。


『嘘八百 京都ロワイヤル』監督: 武正晴(2020)
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古物商と陶芸家が幻の茶器をめぐって一獲千金を狙う『嘘八百』の続編。
武将茶人・古田織部の幻の茶器にまつわるコメディ。悪徳有名古美術店や大御所鑑定家、陶芸王子、テレビ番組を巻き込んで後半かなりドタバタコメディ。中井貴一も佐々木蔵之介も口の減らないイメージですが、ここでは佐々木蔵之介は無口で腕のいい陶芸家。

「開運!なんでも鑑定団」を見てます。「プレバト」で俳句も見てるし、なんかもう正統派老人街道まっしぐらの今日この頃。
『嘘八百』1も見ているはずですが、ブログに書いていません。以前はそれなりに忙しかったので書くのを忘れたものもチラホラ。でも1も面白かった記憶があります。幻の利休の茶器を佐々木蔵之介が作って、中井貴一が口の減らない骨董屋で、やはり敵は大物鑑定士だったような…?なんだか「鑑定団」の中島誠之助先生を思い出してしまいます(笑)
今回も大物鑑定士と有名古美術商を騙そうと画策。悪徳有名古美術商の先代の幽霊に化けるのがアホの坂田こと坂田利夫。え?この人、ずいぶん昔からいますが一体いくつ?と思ったら、もう80才!あまり変わりません。この映画で一番びっくりなのは坂田利夫の老けなさかも(笑)
着物美人に広末涼子。
もしかしたら今後、寅さんのように、中井貴一、佐々木蔵之介、プラス美人女優のパターンになるのかも?
この映画見た後、無性にお稲荷さんが食べたくなりました。


『ラスト・ディール』監督:クラウス・ハロ
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年老いた美術商オラヴィは、家族よりも仕事を優先して生きてきた。そんな彼のもとに、音信不通だった娘から電話がかかってきて、問題児の孫息子オットーを、職業体験のため数日間預かる。そんな中、オラヴィはオークションハウスで1枚の肖像画に目を奪われる。価値のある作品だと確信するオラヴィだったが、絵には署名がなく、作者不明のまま数日後のオークションに出品される。オットーとともに作者を探し始めたオラヴィは、その絵が近代ロシア美術の巨匠イリヤ・レーピンの作品という証拠を掴む(シネマトゥディ)

老後の趣味が絵画鑑賞の夫(実際はコロナのせいもあり、美術館に行かず、ひたすら美術番組を鑑賞し、美術解説本を読むという、教養主義に陥ってる)と一緒に観ました。
フィンランド映画、渋そうだし、退屈かも?と思いきや、とても面白かったです。
孫をヘルシンキのアテリウム美術館に連れていき、絵の見方を教えるところとか、なんでレーピンのサインが無いのか?の理由とか、オークションの様子など、興味深い映画でした。
しかし、そこはフィンランド映画、ハリウッド映画のように盛り上げず、レーピンと判明するまでのミステリーも淡々としています。
オークションってもっと華やかな印象でしたが、ここでは来ている人たちもお金持ちに見えず、それだけ日常に絵画がある文化なのかもしれません。

この映画のもう一つの柱は親子の確執。娘もシングルマザーで苦労してきた様子ですが、主人公は家族も顧みずひたすら絵画に人生を捧げてきた。とはいえ商才はなさそうで、署名の無い絵をレーピンと確信するものの、1万ユーロ(約130万円)が集められず、孫の大学資金を下させ、ますます娘を怒らせます。
最後に大きな取引をしたいという願いは、後からレーピンと知ったオークションハウスの社長に邪魔され成立しません。それでもレーピンと見抜いた自分の目に、絵に捧げてきた人生の到達点として、満足している様子が印象的でした。
ラスト、絵の裏から娘への手紙が出てきて、そこには娘への謝罪と孫への遺言が書かれていました。
この孫がいかにも今時の男の子なんですが、なかなか商才があり調査能力も高い。この子がいずれ彼の情熱を引き継いでくれるのかもしれません。

ところで、『嘘八百 京都ロワイヤル』ではお稲荷さんが無性に食べたくなった私ですが、この映画ではシナモンロール!
きちんと箱に入れ紐で縛る包装も風情があります。そういえばフィンランドが舞台の『かもめ食堂』でもシナモンロールが美味しそうでした。シナモンロールってフィンランド名物なのかしら?

tonton

映画と本の備忘録。…のつもりがブログを始めて1年目、偶然の事故から「肺がん」発覚。
カテゴリに「闘病記」も加わりました。